樹木の右上にひとすじ、シシ座の流れ星
御影祐の偶然に学ぶ 1

 シシ座流星群観測記



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【11月18日深夜のシシ座流星(撮影M氏)】



シシ座流星群観測記


 2001年11月18日(日曜)、私は友人と長野清里までシシ座流星群を見に行った。
 以下[1]はその観測記であり、[2]はその後日談である。どちらもメール形式。

[1] 見ました! シシ座流星群

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 ところで、全国的に有名だったシシ座流星群騒動。
 行ってきましたよ、私も。それもはるばる清里まで。快晴満天の星空の下で、ホントに流れ星のどしゃ降り状態。大感激の、そして、猛烈な寒さの深夜数時間でした。

 11月18日、日曜早朝、以前同僚だったM氏より電話があった。清里までシシ座流星群を見に行かないかと言う。彼は理科の先生で、私はシシ座流星群のことを彼から聞いていた。その後何度かメールをやりとりして私は一人で見に行きますと伝えていた。
 M氏によると同じく同僚だったK氏も一緒に行くそうだ。K氏の兄の別荘が清里にあり、そこで仮寝して深夜その近くで流星を見ようという。
 私は一人で八ヶ岳山麓の天女山に登って流れ星を鑑賞しようと思っていた。だから、渡りに船とすぐに賛同した。そして、午後三時頃、私たち三人プラスK氏ご子息のT君(小学校3年生)と一路清里へ向かった。

 天気予報は快晴だったのに、中央高速を走っている間ずっと重たい雲が空を覆っていた。
「これじゃァ相模原では観測できないのではないか」とか、「わざわざ遠くまで行って曇り空の可能性もあるね」などとひとしきり話が弾む。M氏は「どしゃ降りの流れ星かも」と言って我々の期待感を高める。しかし、空は相変わらず曇天のまま……。

 中央高速を走ること二時間、八ヶ岳が見える頃やっと雲がなくなり、かなりの晴天が望めそうな空模様となってきた。この日は日曜日で、競馬G1マイルチャンピオンシップがある日だった。
 私は車中で競馬放送をつけてもらい実況中継を聞いた。すると、電話投票で購入していた◎−○の本線で26倍が的中した。私にとっては久々の快挙! ……なんてこともあり、流星群観測への期待は嫌が上にも高まるのであった(^_^)。

 午後六時前清里へ到着。既に気温は5度でかなりの寒さだ。その後スーパーで夕食用の食べ物と酒を買い、K氏兄の別荘へ行った。築十年とは思えないほどきれいで大きな別荘だった。
 乾杯した後七時過ぎにはもう就寝。コタツに雑魚寝したので、あまり眠れず、うつらうつら状態のままだった。しかし、いつか寝付いたようで、妙な現状追認の夢を見た。
 夢の中でも私は流星群を見に別荘へ来ていて、しかもその建物は周囲と天井が全てガラス張り。まるで透明温室のような部屋にいた。私はこれなら最高の環境で流れ星が見れるぞと思っている。そして、ガラス部屋の周囲では、(この寒い夜に)半袖姿の人がジョギングをしている――など妙な夢だった。

 みんなそろそろ目覚め始めたのが、午前0時頃。その頃から既に別荘近くでも木々の間から流れ星がぽつんぽつんと見えていたようだ。私以外の三人は外に出てしばしば歓声をあげていた。
 午前一時前、厚着をしてポケットには携帯カイロを二つ突っ込んで別荘を出発。車で近くの駐車場まで出かけると、いよいよ流星群観測の開始である。

 空を見上げれば、くっきりと浮かんだ満天の星々。私の田舎も天の川と星々がとても美しいところだ。私はそのことを折々話題にしていたが、清里の空はそれ以上に澄み切った星空だった。しかも、空がとても近く感じられる。
 だが、早くも初冬と言うべきか、外はものすごい寒さだった。K氏によると、車内の温度計は氷点下二度だったと言う。
 私たちは駐車場にシートを敷き寝転がって夜空を眺めた。中天には一際輝く一等星がある。北の方向を見れば、地平線近くの山々から北斗七星が顔をのぞかせ、その先に北極星を確認できる。東の空には、はてなマークを逆さにしたようなシシ座。
 そして、流れ星は着いたときから数分の間隔をおかずに見ることができた。近くでも観測をしている別のグループから歓声があがる。私たちも流れ星を見つけるたびに同じような歓声をあげた。

 流星は東に位置するシシ座からと言うより、東西南北全ての方向から流れてくる。最初は数分に一ヶから二ヶ。そのうちどんどん増えて二連発に三連発。明るいものから光の弱い流れ星まで様々。オレンジ色の光を発しているものや緑色のもの。それが長く尾を引いた時には一際大きな歓声があがる。
 駐車場近くには次第にかなりの人がやって来た。その塊から「おーっ」という声や、女性の「きゃー」なんて声も聞こえてくる。
 寝転がって空を見ても、全天が見えるわけではないのでしばしば見落としてしまう。目をぐるぐる回転させながら空一面を見張る感じだった。「カメレオンの目がほしいね」なんて言葉も出た。そんな感じで私たちはしばらく流れ星観測を続けた。

 そして、午前一時五〇分ころのことだ。この夜最高にして最長の星が流れた。
 星空の中天から北斗七星、北極星上部に向かって緑色と青色を混ぜたような、光り輝く光の帯が一筋流れたのだ。輝線はものすごく太くて長く、先端は丸い光の球になっていた。一瞬周囲が明るくなったような錯覚に陥るほど、その輝線は太かった。そして、流れ星先端の光球が破裂したかのように割れると、さらに小さな光球が流れて地平線まで落ちて行った。その後光球が破裂した付近はぼんやりとした雲のようになって空中を漂っている。
 M氏が「あの雲を流星痕(りゅうせいこん)と呼んでいる」と説明してくれた。雲は十分ほどそのまま夜空に残っていた。

 午前二時半、最初の流れ星のピークがやって来た。上下左右、東西南北に関係なく、至る所から流星が生まれてくる。次第にその間隔は数秒おきになる。
 私とM氏は背中合わせになって勘定してみた。一分間に三〇ヶは流れていた。流れ星は時間の経過とともに南の空で多く見えたり、北方で多く見えたりする。光跡も短いもの、太いもの、長いものまで多種多様。とにかく途切れることがなかった。終わりがなく、また、どこかで必ず1ヶは見ることができた。

 しかし、この間身体はぶるぶると震えっぱなし。厚着をしてカイロを持っていたって極北の毛皮服ではない。寒さが身体の芯までしみ通って、どこにも暖かさを感じられない。どうやら夢は正夢だったようだ。つまり、冬の戸外で半袖短パン姿一枚――と同感覚だったのだ。

 K氏ご子息のT君は耐えられなくなったか車に戻った。外ではM氏が一番元気だ。彼はシシ座流星群について解説してくれた。この流星群はテンペル・タットル彗星(すいせい)が宇宙空間にまき散らしたチリの中を、地球が突っ込むことによって起こっていると。
 私は先日佐治晴夫著『宇宙の不思議』を読んだばかりだった。それによると、地球は1秒間にほぼ1キロ自転し、太陽の周囲を1秒間に30キロ公転しているとあった。ということはたかだか10秒の間に地球は300キロ動いているということだ。1分で1800キロ、1時間だと18000キロ!
 私はとめどなく流れる星を見て、宇宙に浮かんだでっかい地球が彗星のチリの中を、ずーんと音立てて突っ切っているイメージがはっきりと感じ取れた。その証拠が目の前を流れるたくさんの光の尾びれなんだと思った。

 さすがにこの後は猛烈な寒さに耐えきれず、私も車内に飛び込んだ。そして、やや暖まってから再び外へ出た。
 次のピークは午前三時過ぎにやって来た。またも、星が次から次に流れ続ける。どしゃ降りとは言えなくても、流れ星のさみだれ状態であることは間違いなかった。私たちの「すごい、すごい!」という驚きと感嘆の声は漏れ続けて止まることがなかった。
 さすがにこの頃になると見学者も徐々に減り始めた。そして、私たちも三時半ころ別荘へ戻った。しかし、その途中も、また四時過ぎ別荘を後にして帰路に就いた時もまだ流れ星は続いていた。

 別荘で少し身体を暖め、四時頃帰路に就いた。高速を走ること二時間。その途中も、前の座席のK氏とM氏は、時折「流星だ、流星だ」と声をあげていた。後部座席のT君(はお休み中だった)と私は流れ星を確認できなかった。高尾のM氏宅に近づいた頃には東の地平線がオレンジ色になり、夜が明け始めた。そのとき私は蒼白い空に一筋の流れ星を見た。それが今宵(未明)最後の流れ星だった。

 ニュースによると北海道では五千ヶ、八が岳の野辺(のべ)でも約四千ヶの流星が確認されたとか。結論――やっぱり流れ星のどしゃ降りだったようです。得難い体験でした。
(ちなみに、文中のM氏は、ゴルフ仲間であり、アンコールワットに同行したM氏とは別の友人です)

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[2] N君の返信メールについて

 私は18日のシシ座流星群観測記メールを友人知人、教え子など十数人に送信した。
 その中に昨年3月卒業したN(kousuke)君もいた。N君は高校卒業後創作系の専門学校に通っていた。彼は実家を出て東京のある町で一人暮らしをして新聞配達をしながら学校へ通っていた。大学へ行かないこと、一人暮らしをすることなど(詳しくは知らないけれど)父親との確執もあったようだ。私は流星群の前夜彼と一杯やっていたし、メールのやり取りもしていたので、観測記メールを送った。

 返信をくれた人の中に「シシ座流星群を見た」人はいなかった。唯一N君だけが「自分も見た」と書き記してきた。
 彼は18日の深夜ではなく、翌19日未明、新聞配達の途中でシシ座流星群末期のかけらを見かけたらしい。
 彼はそのときの感想と、現在抱えている悩み(と言うかいろいろな問いかけ)に対して彼なりに答えを得たことを返信してきた。メールにはN君がその偶然体験から得た答えがとても真摯(しんし)な筆で書かれていた。
 私は彼のメールにとても感動した。そして、彼がその偶然体験から獲得した答えをさらに補強してあげようと思った。そこで数日後、彼への返信メールを書き始めた。


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 返信遅れてメンゴ(古いッ! てか?)。
 kousuke君のメールを読んだのが22日の夜。それからもう4日たちました。
 すぐに返事を書こうと思いながら、木曜夜は旧友との飲み会。そして、金土日は何やらかにやらで日が暮れ、特に土曜は朝から府中東京競馬場へ行ってボロ負け食らい、負けを取り戻そうと日曜も在宅競馬に励めば、さらにボロ負けかっ食らい……おいおい、無職徒労のヤカラが何じゃいな――と気分はブルーのままで、キーボードに手がのびませんでした。

 返信を書かなきゃいけない人が数人。なかなか気が乗って来ない。特にkousuke君のメールに対しては、《真摯(しんし)な告白》に感動を覚えました。と同時に何と書けば良いものか、人生の先達(せんだつ)として「気の利いた一言も言わずばなるまいに」と思うと、これまたペンが重いのでした(もちろん比喩として)。

 しかし、書くという行為はどこかで踏ん張らないと、日が経てば経つほど嫌気が増します。
 先生稼業で言うならテストの採点ですね。あれって活きのいいうちに採点しないと、どんどん嫌になる(^_^;)。中間・期末テストなどはすぐ採点するけれど、県下一斉テストなどは返却がだいたい10日後。「そのうち採点するか」などとほたっていると、次に取り出して採点するときのうんざり感と来たら……丸つけのはかどらないこと、はかどらないこと。気分がちっとも乗って来ないんですね。他の先生方もだいたい同じだと言っていました。だから、私は採点はいつでもすぐやる主義でした。

 あるいは、返信書きはどこか創作にも似ている。文章を書きながら、しばしば自分の下手さ加減にうんざりする。しばしば中断する。最後は放ってしまう。
 だが、書くことをやめると、次に書き始めるときがまた苦しい。前以上にうんざり感が湧いてくる。だから、何て下手くそなんだろうと自己嫌悪に陥っても、書き続けることをやめない。一度取りかかった書き物は、とにかくエンドマークをつけるまで書きまくる。そうすると何となく「いけるかもしれない」と思い、また書こうかって気になる……。

 メールがそれに似て「いい言葉、気の利いた言葉を連ねよう」と思うと、しんどさが先立ってくる。だから、そんなことは考えない。まとまらなくていい、堂々巡りでも、誤字脱字だらけで下手な文章でも構わない――そう踏ん切ると、結構あっさり書けるようになる(^_^)。

 とまあかくしてこのような心理の流れを経て、私はkousuke君のメールに一言だけ返事を書こうと決めました。

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 メール読んだよ。ものすご感動した。初めてkousuke君の赤裸々な心の中をのぞき見ることができた。
 素晴らしいと思った。ガンバ!
 以上、終わり(^.^)。
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 ……さてさて、これでわしの返信メールの責任は果たしたわいの。後はもう何をいくら書いたとしても、上記で全て尽くされておるので構わんじゃろう。
 たぶんkousuke君はあのメールを書くことで自己認識したのじゃろうし、書くことに意味があったんじゃから、わしにそれ以上何か感想やら評価じみたことは求めていないじゃろうと思う。
 じゃからして、まー彼のメールによってわしが触発されたことを、ぽつぽつ書いてみることにしようと思う。

 それはじゃな……オホン「偶然の中にある必然」ということじゃ。偶然とはホントに単なる偶然なのか。何かその中に必然とも言うべき答えがあるのではないかということなんじゃ。
 kousuke君は18日深夜のシシ座流星群騒動は興味もなかったし、部屋で惰眠をむさぼっとったそうじゃ。
 だが、流星群は引き続き19日深夜にも流れとった(らしい)。彼は20日未明新聞配達の途中で、その流れ星を数ヶ見ることができた。流星群のことはすっかり忘れていたけれど、いくつかの流れ星を見てふっとシシ座流星群のことを思い出したっちゅうことじゃ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>話題にも上っているその日の空を見ることも忘れて、
>ただアポトーシスの淵をふらふらしていた俺にも、
>もう終幕の頃ではあったけれど、流れ星は見えた。
>一度だけでなく、三度、四度。
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 …………(-.-)このあぽ、あぽ、アポトーシスとは一体何じゃ?
 まったく最近の若いモンは、年寄りの知らん敵性語を使うから困りよる。ぶつぶつ……
 それはさておき、kousuke君はその流れ星を見てかなり感ずるものがあったようじゃ。彼は次のように感想を書き留めておった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>願いを叶えていいよ、そう言ってくれているように思えた。
>思うことを成し遂げていい。
>そのためのチャンスならいくらでもある。
>ひどく勝手な解釈かもしれないけれど、
>誰かが、強いて言えばしし座と、しし座である俺自身の血が、
>そうささやいてくれているように思えた。
>……今考えれば末期症状ですな。(笑)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 kousuke君は確か8月の生まれじゃったから、シシ座とは彼の生まれ月の星座でもあるわな。
 シシ座に生まれた男の子(おのこ)が、つい先頃二十歳になった。そして、晩秋のある日未明、シシ座流星群と名付けられた流れ星をたまたま見かけた。しかも汚れきった都市東京で数ヶも。

 偶然? もちろん《たまたま》であり、単なる偶然じゃろーな。
 じゃが、そのとき多くの人は安眠をむさぼっておった。流れ星のことを聞いたとしても、(翌日の仕事や学校があるし)ぬくぬくとした暖かいふとんの中にいた。知らなかった者、忘れていた者はもちろん床の中。たまたま用足しで起きたとしても、もちろん寒くて暗い外に出て行くはずもない(最近のトイレは外が見えんしのー)。

 では、なぜ彼は流れ星を見られたのか。彼が人々が寝静まっているときに働く新聞配達の仕事をやっていたからじゃ。
 この《たまたま》を逆に言うと、彼が《新聞配達の仕事をしていなければ》流星群のかけらは見れなかったことになる。
 ということはそれも偶然? まーもちろん「たまたま」じゃろーな(^.^)。

 じゃが考えてみようか。
 そのとき日本中で新聞配達をしていた人は一体何人おったのじゃろう。
 数百人? いや、もっと多い。数千人?
 では、そのうちシシ座流星群の流れ星を《たまたま》見かけた人は一体何人いたじゃろうか。
 数百人? あるいは数十人?
 調べようがないからはっきりしたことはよー言えん。じゃが、確率的にかなりの低さであろう事は間違いあるまいの。

 最後に、その流れ星を見た新聞配達の人の中に《シシ座の人間》(!)は一体何人いたじゃろうか?!

 そうなんじゃ、驚いたかの? この極め付けの偶然に。

 こーなると、もう偶然という名で済まされない確率の低さじゃと思わんかい。あるいは、それは日本でただ一人、kousuke君だったかもしれんということじゃ。
 わしゃー無神論者じゃから、それが神のなされたことなんぞと言うつもりは毛頭ない。じゃが、大いなる何かはその日kousuke君だけにそんな稀有(けう)な体験をさせたと言えるかもしれんじゃないか。偶然がこんなにも重なるなんて。

 さらに肝心要(かんじんかなめ)の大切なことはその次じゃ。
 仮にそのような稀有な人が数人いたとしようか。しかし、《そのとき何らかのことを感じ取った》人はさて何人いたじゃろう。
 kousuke君は書いておった。シシ座流星群のかけらを見て「願いを叶えていいよ、そう言ってくれているように思えた」と。
 さらに君は次のように感じた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>本当に久しぶりの、嬉し涙でした。
>自分を恥じて落ち込まなくても、
>いや、落ち込んで閉じこもってしまっても、
>まだ生きてみていい。動いてみていい。
>自分の心で考えて、思うままに創っていけばいいと。
>寂しがり屋ですね。
>自分ひとりで生きていくみたいなことを言っていても、
>結局癒してもらうのは、他の誰かの力なんですから。
>この時は、星にですか、偶然にですか、幸運にでしょうか。
>五度目の流れ星に、「ありがとう」と言いました。
>もちろん三回。
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 あるいは、彼と同じ偶然に遭遇した人が仮に数人いたとしても、
「あっ流れ星ィ、ラッキー!」と、それだけで済ませる方が多いのではなかろうか。
 じゃが、kousuke君はそこにものすごく深いものを感じ取った。彼はその偶然をきっかけとして、自分の問いに対して自ら答えを得たんじゃ。最後を「ありがとう」で締めくくっていることもまた素晴らしいではないか。

 こーなると、おそらくこのような体験をしてそこに深い意味と答えをくみ取ったのは、この広い日本の中でkousuke君ただ一人と言ってもいいじゃろうと思う。
 つまり、偶然がいくつも重なって、シシ座に生まれた新聞配達の男の子がシシ座流星群を見かけたのは、たぶん世の中に彼一人だけだった。そして、彼は彼だけに与えられたこの「偶然」を生かし切った――とわしには思えるのじゃ。

 そう考えると、彼が数あるフリーター的な仕事の中で新聞配達を選んだことは何か重い意味を持っているかもしれない――そうも思えてくるじゃないか。
 全ては良い方に向かっている。何か大いなるものが自分の信じた道を突き進んでいいと教えてくれている。正にそう思える。
 kousuke君がシシ座流星群をたまたま見かけた。その偶然をこのように分析してみると、彼が感じ取った答えは正しいと言えるのではなかろうか。

 以上、それがまーわしの言う「偶然の中の必然」じゃな。たまたまの偶然体験の中に、自分にとって必要なものが隠されているということじゃ。そこに答えを見い出せるということでもある。
 ゴホンゴホン……おっとちと風邪気味のようじゃ。我が教えはこのくらいにしとこうかいの。
 じゃが、今思い出したが、わしは18日の深夜数時間ずっとシシ座流星群を眺めておった。ところが、あれだけ多くの流れ星を見ながら、「お願い」のことはすっかり忘れ果てておったわ(^_^;)。
 数え切れないほどのチャンスがありながら、一度もお願いを呟くことなく、ただもう「すごい、すごい!」と眺めておっただけ!
 世界の平和も、家族の健康も、わし個人の成功を祈ることもなく、ただ呆然と眺めておったんじゃ。今考えてみると、千載一遇のチャンスに「お願い」を言い忘れたとは。全く信じられんノー天気ぶりだったということじゃな。年はとりとうないもんじゃて。ぶつぶつ……


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 上記N君へのメール交換に関連して思ったことをもうひとつふたつ記しておきたい。

 あるいは、私のシシ座流星群観測記メールが、彼がたまたま見かけた流れ星、そして、そこから答えを得たことに関わった(流れ星の前日金曜に彼と一杯やっていろいろ語っていた)のであれば、嬉しい限りだ。
 考えてみると私は彼と飲んだとき、シシ座流星群を見に行くなどと一言も話していなかった。正直土曜の段階では行くか行かぬか半々の気持ちだった。だから、私は彼にその件を話さなかったのだと思う。
 だが、私はM氏に誘われることで流星群を見に行き、その感動を彼に(メールで)書き送った。彼もまた偶然眺めた流れ星から感じたことを私に返信して寄こした。

 偶然は単なる偶然ではない。その偶然を通じて自分に必要な答えが得られる――それはおそらく真実だと思う。
 だが、どうやらそれは部屋の中でのんべんだらりと考えていても、湧いてこないようだ。つまり、確かに偶然(の出会いや出来事)が自分の疑問や悩みに関して答えをくれる。しかし、それは問いを抱えた自分自身が、何か誰かと関わることで答えを得るということだ。逆に言えば、何か、誰かと関わらなければ、その答えは得られないのではないだろうか。

 昨年以降自分に起こった様々な偶然、その都度答えを得ていったこと。それらは全て自分の問いを考え続けていると、その都度遭遇した人がその答えのヒントを与えてくれるものだった。しかも、相手が答えてくれたと言うより、自分で答えを見出す、答えが自分の中から湧いてくるといった感じだった。答えは既に自分の中にあったのだ。

 これは卵の殻を割ってヒナが外界へ出てくる話と似ている。ヒナは内側から殻をこつこつと割り始める。そのとき、親鳥が外側から殻をこつこつと叩いてやり、ヒナが出てくるのを手伝う。そうすると、ヒナはより早く外界へ飛び出せる。
 つまり、悩みや疑問を抱いたとき、答えは既に自分の中にある。だが、本人はなかなかそのことに気づかない。誰かと関わり、自然の事象と関わることによって、外界からの刺激と殻へのこつこつを受けるのだと思う。そうすると殻が割れて自分の答えを見出す。
 現在かなり多くの引きこもりが問題となっている。不登校もそうだ。しかし、部屋の中にこもっていても、自分が抱える悩みや問いへの答えは出て来ないだろう。外に出て、大地と触れ合い、自然や人と語り合う。そうすることで、その人独自の悩みや疑問に対する答えが見つかるような気がする。 ―了―

(2001年11月)



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