ゆうさんごちゃまぜHP「久保はてな作品集」 2025年10月15日(水)第03号
「久保はてな作品集」 課題「顔」を描く・「食べる」を描く
文芸部久保はてな君の作品1。今回は「顔」を描くと「食べる」を描く。
どちらも「直喩(〜)のような」を入れることを条件として設定。
いかに具体的に、詳細に描けるかがポイントの課題でした。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
===================================
*********************「久保はてな作品集」 ***************************
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ぼくが中学校2年のとき、クラスメイトに「チュー」と呼ばれる男子がいた。忠義の「忠」を名に持っていたけど、背が低くクラスで一番小さかった。目が細く鼻が低くて口はとがった感じ。そして、上の前歯2本が飛び出た――つまり出っ歯だった。
彼は一言で言うとネズミに似ていた。ぼくらは名前に「くん」を付けて話したけれど、彼のグループ内では「チュー、チュー」と呼ばれていた。
性格的に優しく弱々しい感じもあって彼のグループではいじめの対象だった。何にもないのにちょっかいを出されたり、ちょっと乱暴な男にプロレスの技をかけられたりした。
彼によくプロレスを仕掛けたやつは俊彦(仮名)と言った。顔がでかくひょろ長いスイカのような顔で、目が細くてつり上がったキツネ目だった。
チューは俊彦にプロレス技をかけられると、泣きべそのような笑顔を見せて「やめろよー」と言った。それを聞くと俊彦はもっと興奮するようで、「何ぃこのヤロー」と言ってさらにヘッドロックをかけたりする。
チューはいつもにこにこして怒ることはめったになかった。しかし、あまりにちょっかいがひどいと、何か原始的な声を出し、全身体当たりといった感じで俊彦や他の男連中にくってかかった。ネズミがタコになったかのように、顔を真っ赤にして湯気が出そうな剣幕で、彼はがーがーと声を張り上げる。クラス全員があっけに取られて彼を見たもんだ。
彼の言葉は聞き取れないことが多かった。「オレをなめんなよ」とか「いいかげんにしろ」と言っていたかもしれない。それは一年に数回(あったかどうか)。それにケンカになるはずもない(彼は誰にでも負けたから)。むしろ「チューが怒った怒った」とはやしたてられ、それさえもからかいの対象になっていた。
ただ、怒ったように見えるチューに対して肩を抱くように「チューよ、怒るな」となだめたのはいつもキツネ目の俊彦だった。するとチューの怒りはおさまる。
そんなときの二人はとても仲良しのように見えた。 (了)
===================================
*********************「久保はてな作品集」 ***************************
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
人はなぜ食事をするとき器を使うのだろう。主食の茶碗、副食の大皿、小皿に漬け物皿。吸い物用のお椀にコップ――と、大概食器を分けて食べたり飲んだりする。身体の中に入ってしまえば、みなごちゃ混ぜとなってしまうのに。
だから、最初っから大きなバケツを一つ用意しておく。その中にごはんとみそ汁、トンカツと千切りキャベツをぶち込む(もちろんトンカツソースをかけて)。
さらにきんぴらごぼうにポテトサラダ、モツ煮に揚げ豆腐にたくあん。キムチもいい。
ついでに昨日の残りのカレーも入れてぐちゃぐちゃかき混ぜる……。
家族みんなでそれを食べれば、後片づけなんかバケツ一個で済む――ではないか……。
「あのねー、それって豚のえさじゃん」
確かに。それが豚のえさと分かり、なおかつこんな話を聞いて顔をしかめるから、人間の文化の根幹は食事にあることがわかる。人類の生存は食べることなくしてあり得なかったのだから(大げさな!)。
おそらく食事を豚のえさ状態から器に入れ分けて食べ始めたとき、人間の文化が始まったに違いない。だから、豚の食事には文化がない。犬の食事にも猫の食事にも文化はない。ライオン、トラ、オオカミ、キツネ、肉食と雑食の、自然界の全ての生き物に文化はない(と思う)。
話変わって、子どもの頃ぼくもご多分にもれずカレーライスが好きだった。
カレーライスを食べるとき、両親はごはんとカレールーをスプーンですくって口に運ぶ。これ普通の食べ方。
彼らが持つスプーンの上で白いご飯はあくまで白く、ルーは濃い黄色か茶色。上下にくっきり分離されてきれいなもんだ(この後何が語られるか、直ちに推測できよう)。
ところが、ぼくはお皿の上でごはんとカレールーを混ぜ合わせて食べる。それも皿のカレーライスを全部混ぜる。
まずスプーンを使ってセメントと砂を混ぜ合わせるように、ルーとごはんを一体化していく。
ごはんとルーは次第次第にお皿の上でごちゃ混ぜ状態となる。白かったごはんは薄いおうど色に変色し、とろりとしたルーは固形の威厳をなくしてしまう。そして、その作業を終えると漸く食べ始めるわけだ。
親は顔をしかめて叱った。そんな食べ方をしてはいけないと。しかし、これが美味かった。心配がなかった。だってカレーライスというやつは混ぜていないと、あるときのスプーンはごはんが少なくルーが多い状態となり、またあるときは白いご飯ばかりでルーはほんの少し――なんて状態になるではないか。
カレールーが多いときはいいよ。カレーライスの美味しさを充分満喫できるから。
ごはんは少量でルーがたっぷり、なおかつその中に肉の固まりを見つけたりしたら、もう心は打ち震えるばかり。
いや、本当は肉がどこにあるか最初から目ざとく確認している。ただ、気づかないふりをしてさりげなく肉の隠れ家に突き進み、さらにさりげなくカレールーと肉の固まりをスプーンに乗っけるんだ。
そして、スプーンを口一杯にほおばれば、噛むごとに肉汁が溶けだし、カレーのうま味と肉のうま味が口の中一杯に広がる。ああ何て幸せなんだろう――てな気分になる。それはいいよ。
だが、ごはんが多くルーが少ないときの味気なさと言ったら。白さ際だつごはんがうらめしくなる。スプーンで皿の底にへばりつくように残ったルーをかき集めても無駄な抵抗でしかない。君も経験があるのではないだろうか。
だから、ごちゃ混ぜにしないときは、ごはんとルーがちょうどいい具合に終わるように、計算しつつ食べなきゃならない。
田舎食堂のようにご飯全体の上にカレールーがかかっている分にはいい。しかし、上品なレストランで、ごはんはお皿の半分、ルーが半分(いや、こういう所はなぜかルー三分の一ぐらいってのが多い)なんてことになると、もうお手上げだ。
ルーとごはんの配分を間違えて最後にお皿の隅っこに白々(しらじら)とごはんだけが残っている……そんなときはもう泣きたくなる(覚えがあるのでは?)。
だから、ぼくはその悲哀を味わいたくないがために、カレールーとごはんを混ぜていたのだ。決して豚のえさ状態にしたかったわけではない。
結局、今では躾が行き届いてカレールーとごはんを全部かき混ぜて食べることはしなくなった。
でも、たまにカレーライスにありつくと、お皿の端の方で一さじ分だけぐちゃぐちゃやって口に運んだりする。そうして幼い頃の自由とうま味を思い出している。
そう言えば友達や大人で時々同じような光景を見かけるから、結構みんな同じ心境だったのかもね。 (了)
=================
最後まで読んでいただきありがとうございました。
後記:先週来ノーベル賞が発表になり、なんと日本人が二人も受賞しました。
一人は生理学・医学賞の坂口志門氏、もう一人は化学賞の北川進氏。
坂口氏は「制御性T細胞の発見」など免疫研究の成果により、北川氏は「金属有機構造体」の作成が授賞理由。詳細はネット解説をご覧ください。
前者は花粉症の軽減や癌の治療に役立つことが期待され、後者は(活性炭のような)消臭や地球温暖化のCO2削減に貢献しそうです。
北川氏の研究は当初密度が均一な金属生成を目指していたけれど、作成されたものは極微な穴がきれいに並んだ金属有機物だった。つまり、目当ての実験は失敗に終わった。
ところが、それは今までにない金属物質で「これは使える!」と気づいた。たまたまから生まれたというのです。これこそ「偶然」から答えや成果を得る実例であり、素晴らしいと思いました。
実は今連載中の「久保はてな作品集」のラストに『Y高文芸部物語』を公開します。そこでも「偶然から答えを得る」ことが書かれています。大いに意を強くしたところです(^_^)。
以下のサイトよりメルマガ登録ができます(無料)。↓
Copyright(C) 2025 MIKAGEYUU.All rights reserved.