カンボジア・アンコールワット遠景

 御影祐の小論

一読法を学べ 第 4号

「結末に早く到達したいと考える悪癖」




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『 御影祐の小論 、一読法を学べ――学校では国語の力がつかない 』 第 4号

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           原則月3回 配信 2019年 4月 8日(月)


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 目 次
 前置き
 一 国語(現代文)の授業は三読法
 二 人の話を三読法で聞けるのか
 三 結末に早く到達したいと考える悪癖 ――本号
 四 結論が大切か途中が大切か
 五 一読法の読み方
 (1)題名読みと作者読み (2)つぶやきと立ち止まり読み (3)予想・修正・確認 (4)共感・賛同・反発
  読み終えたら……
 (5)記号をたどって作品を振り返る (6)短い感想を書く
 六 まとめ


 本号の難読漢字
・悪癖(あくへき)・詳(くわ)しく・弊害(へいがい)・明瞭(めいりょう)・過酷(かこく)・把握(はあく)・軽蔑(けいべつ)・危惧(きぐ)
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************************ 小論「一読法を学べ」*********************************

 『 一読法を学べ――学校では国語の力がつかない 』 4

  三 結末に早く到達したいと考える悪癖

 我々は多忙な世の中にあって多くの文章を一度しか読まない。人の話は一度しか聞かない。だからこそ《読みと聞き》の両方に通用する読書術=一読法を学ぶべきと書いてきました。
 一読法の読み方は第五節に詳しく解説しています。その前にもう少し三読法の問題点を指摘しておきます。

 一読法はもちろん「長編小説の読み方」になります。長編小説こそ長くて長くて二度読む人はまずいない。ゆえに、一度読んだだけで、理解度六〇に達する読み方をする必要があります。
 逆に言うと、一読法を学んでいなければ、長編小説――だけでなく、中編短編小説でも満足に読むことはできません。さあっと一度「目を通す」だけだから、理解度・鑑賞度は三〇で終わっていることでしょう。

 そして、長い文章を読む際、次にわき起こる悪癖があります。それは「とにかく早く読んでしまいたい。早く結末を知りたい」という欲求です。
 三読法の一度目はさあっと読みます。途中でわからない語句が出てきても、ヘンだなと思っても、とにかく読み進める。ときには「つまんないことがだらだら書かれているなあ」と感じると、飛ばし読みすることがある。斜め読みとか、漢字読みという言葉もあります。論説文なら漢字だけ読んで時間を節約し、とにかく早く結末に到達しようとするわけです。

 なぜゆっくり読めないのか。その理由として私は二点考えています。

 一つは文字で書かれた文章を、絵画や彫刻と同じようなものと勘違いしていること。「まずさあっと読んで全体を把握しましょう」の言葉にそれが現れています。
 もう一つは三読法において「結論は何か、作者は何を言いたいか、作品のテーマは何か」と問う授業がもたらす弊害です。児童・生徒は《途中より結論や主張が大切なんだ》と思ってしまいます。

 まず一つ目の勘違いですが、読者は「二大芸術」なる言葉をご存じでしょう。人類が生み出した芸術――それは美術と音楽です。
 では、文学ともいわれる詩や小説を芸術と見なすなら、詩や小説は美術と音楽、どちらに近いか。ちょっと考えてみてください。

 すぐに答えられない人のために少々解説します。
 美術の代表は絵画と彫刻です。これは空間芸術と呼ばれます。簡単に言うと絵画や彫刻はぱっと一目見ただけで、すぐに全体像が把握できる。全体を見た後に部分を細かく鑑賞する。これが美術作品です。
 一方、音楽は作品を全て聞き終わらないと全体が把握できません。壮大なクラシックの交響曲であろうが、身近なポップス・歌謡曲であろうが、音楽作品は一目(ひと耳?)で全体を知ることは不可能。
 音楽が流れ始めたら、時間の経過と共に部分ばかり聞き続ける。最後まで聞き終えてようやく全体像が頭の中に生み出される。よって、音楽は時間芸術と呼ばれます。

 ただ、全て聞き終えても、「これが全体像だ」と明瞭に言えることは少なく、ぼんやりとしたイメージが残るだけです。たとえば、べートーベンの交響曲『運命』を聞いて「この曲には何々……が描かれている」と言える人はなかなかいないと思います。
 ここでしたり顔に「この曲は人間の運命の過酷さを描いている」とおっしゃるなら、「『運命』は後世の人が付けた通称であり、ベートーベンは『交響曲第五番』としただけですよ」と言えば充分でしょうか。

 では、文学作品と呼ばれる詩や小説は美術作品と音楽作品のどちらに近いか。もうおわかりと思います。
 詩や小説は一目で全体像を把握することができません。読み始めたら時間の経過とともに部分部分をたどっていくしかない。何分後か何十分後、長いと丸一日かけ、全て読み終えたとき、ようやく全体像がつかめます。
 つまり、文字で書かれた作品は音楽に近いのであり、芸術と見なすなら、時間芸術にあたります。
 ただ、音楽と違ってかなりはっきり全体像をつかむことができます。たとえば、「この作品には空海の青春時代が描かれていた」と言うように。

 次の質問です。みなさん方は録音されたテープやCDなどで音楽を聞くとき、2倍速にするでしょうか。あるいは――たとえば三十分の交響曲を、出だしの五分を聞き、途中を飛ばして真ん中へんの五分を聞き、ラストの五分を聞く……といった聴き方をするでしょうか。
 もしも「私は2倍速でベートーベンの交響曲を鑑賞しているよ」と言ったら、「アホじゃないの?」と軽蔑されるのがオチでしょう。
 何を言いたいか、もうおわかりと思います。
 この「アホじゃないの」と言われかねない鑑賞法を、詩や小説に対して行っている人が多いようです。

 じっくり読めば一時間かかる文学作品を三十分、いや十五分くらいでさあっと読む。それは名曲と呼ばれる音楽作品を2倍速、4倍速で聞くのと同じことです。途中を飛ばしたり、斜め読みとか漢字読みをして読みの時間を短縮するのも同じこと。
 危惧するのは国語三読授業における一読目、「通読はさあっと読みましょう」という指導がこの悪癖を生み出しているのではないかと感じることです。
 もっとも、三読授業の場合は必ず再読して部分を詳しく読むからまだいい。しかし、一人で読む場合、二度読むことはまずない。
 結局、個人的には文章をさあっと目で追う悪癖だけが積み重なる。私にはこのような人が文学作品を鑑賞しているとはとても思えません。

 ちなみに、音楽作品、絵画・彫刻は人類が生み出した素晴らしい芸術であり文化です。
 しかし、この二者には致命的な欠陥があります。それは個人にせよ、人類にせよ、歴史的経過を表現できないということです。個人や人類の断面なら表現できる。しかし、個人や地域、一国の長い歴史は表現できない。
 簡単に言えば、明治時代全体を絵画・彫刻、音楽では表現できません。『歴史』という形で――すなわち文字で書かれることで初めて表現できるのです。

 そして、言葉によって書かれたものは音楽美術で言うなら、音楽にあたる。よって、明治時代の歴史を読むなら、時間(年月)に沿ってじっくりゆっくり読む。それによって明治時代を理解できるし、「こういう時代だったのか」と感じ取ることができます。
 小説も全く同じ。頁に沿ってじっくりゆっくり読んでこそ、理解し味わうことになるのです。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:新元号が「令和」に決まりました。予想したほとんどの人が外したとか(^_^)。
 祝賀ムードに水を差す訳ではありませんが、「令」は令嬢の言葉があるけれど、令月の言葉は一般的ではなく(名月でしょう)、どうも命令の「令」が思い出されてイマイチ感があります。また、某大学教授が「巧言令色鮮(すくな)し仁」の「令」であり、「決していい言葉ではない」と指摘していました。巧言令色の四字熟語は漢文の教科書から消えるかもしれませんね。国書「万葉集」から取られたとの解説も、ほぼ同文が中国の古書『文選』に出ているそうです。
 私は六案の中では「英弘」が良かったのではないかと感じています。それにしても、お役所の年齢表記など数字は全て西暦にしてほしいもんだが……と思うのは私だけでしょうか。

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