カンボジア・アンコールワット遠景

 御影祐の小論

一読法を学べ 第 12号

「実践編 二 社会(文化史)」




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『 御影祐の小論 、一読法を学べ――学校では国語の力がつかない 』 第 12号

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           原則月3回 配信 2019年 6月28日(金)



 本節は小分けした方が良いくらい長くなりました。しかし、例題二に関係しているので分割できません。そこで、以下のように小見出しをつけました。
 一度で読み切ろうとすると、ぼーっと読む通読で終わります。今日は1、2、翌日1、2をさあっと再読して3、4に進む――という部分の二度読みをしつつ読み切ることを勧めます。

  社会(文化史)[小見出し]

 (1)例題二「三大宗教の世界的分布」
 (2)試験問題は「解ければそれでいい」のか
 (3)一読法による解き方とつぶやき例
 (4)応用問題に弱い理由
 (5)講義型授業の弱点
 (6)項目暗記主義は脳内のパソコンに過ぎない
 (7)地域独自の学習と「答えのない」授業


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 実践編 目 次
 実践編前置き(1)
      前置き(2)
 一 社会(日本史)
 二 社会(文化史)――――――――本 号
 三 誤答率四割の原因を探る
 四 挫折に終わった一読法授業
 五 実践編の「まとめ」

 理論編・実践編の後書き

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 理論編 目 次
 前置き
 一 国語(現代文)の授業は三読法
 二 人の話を三読法で聞けるのか
 三 結末に早く到達したいと考える悪癖
 四 結論が大切か途中が大切か
 五 一読法の読み方
 (1)題名読みと作者読み
 (2)つぶやきと立ち止まり読み
 (3)予想・修正・確認
 (4)共感・賛同・反発
  読み終えたら……
 (5)記号をたどって作品を振り返る
 (6)短い感想を書く
 六 まとめ(その1)・(その2)


 本号の難読漢字
・容易(たやす)く・忘却(ぼうきゃく)・偏(かたよ)る・跳(は)ね上がる・邁進(まいしん)・琉球(りゅうきゅう)・蝦夷(えぞ)
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************************ 小論「一読法を学べ」*********************************

 『 一読法を学べ――学校では国語の力がつかない 』 12

 二 実践編、社会(文化史)

(1)例題二「三大宗教の世界的分布」

 今号も国立情報学研究所による「読解認知特性診断テスト」中の問題より社会の二例目です。一読法ではどのように疑問・感想をつぶやいているか、その点に注目してお読みください。
 もちろん前号冒頭に提示した「理論編で触れなかった『講義型授業』」のこと、「学校と塾や予備校との関係」についても頭の片隅に置いて読み進めてほしいものです。「応用問題に弱い理由」についても言及しています。
 それともう一つ。例題一の生徒の疑問・感想の中に以下のようなつぶやきがありました。
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・沿岸って日本の周囲は海ばかりだから、内陸の方が少ない。じゃあ、内陸の大名には何を命令したんだろう?
・沿岸の警備を命じられた大名とか家臣の武士は大変だったろうな。刀と槍、弓矢に鉄砲。大砲なんかも備えたのだろうか。見回り用の船を造ったかもしれない。その費用は幕府が出してくれたんだろうか?
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 これを読んで「生徒がこんなことつぶやくかなあ」と異和感を覚えた方がいらっしゃるかもしれません。「これは作者の創作だな」と。
 もちろん私の創作ですが、生徒全員とは言わなくとも、一部地域の生徒からこういったつぶやきが出てもおかしくないと考えて掲載しました。この点にも注意して今号を読んでください。

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 例題二 次の文を読んで、後の問いに答えなさい。

 「仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている。」
 問 オセアニアに広がっている宗教は何か、答えなさい。 [     ]
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 この例題の誤答率は中学校4割、高校が3割だったとのこと。おそらく読者は「どうしてそんなに間違えるんだ」とつぶやかれたのではないでしょうか。「オセアニアのすぐ前にキリスト教とあるじゃないか」と。
 さらに、この設問を誤答した原因として、例題一同様「文構造の理解不足」をあげることもできます。設問の例文は以下のように(広がっている)が省略されています。

・仏教は東南アジア、東アジアに(広がっている)、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに(広がっている)、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている。

 この文構造に気付いていないと、「オセアニアに広がっている宗教」を文頭の「仏教」と答えてしまうでしょう。
 しかし、私はこの説明に異和感を覚えます。

 と言うのは現役中高生だってこの例題一つだけを解くのであれば、誤答率は1割以下だろうと思うからです。実際はたくさんの問題を限られた時間内で解かねばならない。しかもこの「診断テスト」は定期試験と違って成績には全く無関係。生徒の真剣度・集中度はかなり低いだろうことが想像できます。
 かくして例題一同様「さあっと読んで、あまり検討することなく一番最初の仏教を選ぶ」誤答が多かったのではないか。通読の理解度三〇と誤答率三〇が重なります。

 例文は教科書に載っている文章をそのまま使っています。文化史と言うか宗教史と言うか、三大宗教と呼ばれる「仏教・キリスト教・イスラム教」の世界的分布について述べています。この例文を理解できているか、それを確認するため「オセアニア」の宗教は何か問うています。

 私は国語の教員でしたから、社会の授業でこのような記述がどう教えられているか、知りません。ただ、自分の日本史や世界史の授業体験から言うと、主流は「歴史的事実」の講義解説が多く、このような文化史的事実は「読んでおきなさい」と言われ、授業ではカットされていたような記憶があります。
 そうなると三読法だから、まず一度読み……二度は読まずに終わりでしょうか。そして、定期テストが近付くと(これも試験範囲だから)二度目の読みは《丸暗記》です。

 と言うのは試験で次のような問題が出たとき答えられるようにするためです。
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 問い [   ]に入れる宗教の名を答えなさい。
 仏教は東南アジア、東アジアに、[  ]教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、[    ]教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている。
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 日本史や世界史の試験はこのように穴埋め問題であることが多い――みなさんも「確かに」とつぶやかれるのではないでしょうか。

 前号例題の[幕府は、一六三九年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた]も、年号やボルトガル人のところを空欄にした設問に出会います。それこそ何度も繰り返しているように、項目暗記主義です。もしも授業でこの部分に使える時間があるなら、仏教・キリスト教・イスラム教について簡単にその内容を紹介する程度でしょうか。
 これが三読法講義型授業の流れではないかと思います。

 では、一読法でこの部分を読み、授業で行うときはどうなるか
 その前にこの問題を一読法によって解いておきます。


(2)試験問題は「解ければそれでいい」のか

 一読法では例文の冒頭「仏教は東南アジア……」を読んだとき、次に出る語句として「キリスト教かな?」と予想します。そして「キリスト教は」に至ると、「やっぱり出てきた!」とつぶやきます。予想的中です。
 さらに「イスラム教は」を読むと、ただちに「仏教・キリスト教・イスラム教」を□で囲みます。重要部を見える化するためです(ここでは【 】を使います)。

 次に出る疑問のつぶやきは中高生のみならず、大人でも「あれっオセアニアってどこだっけ?」でしょう。
 当然「オセアニア」に傍線を引き、そこに[?]を付けます。最後の「広がっている」にも傍線です。すると抜き書きや記号は以下のようになります。

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例題二 次の文を読んで、後の問いに答えなさい。

 「【仏教】は東南アジア、東アジアに、
                            ↓?
 【キリスト教】はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、

 【イスラム教】は北アフリカ、 西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに《広がっている》。」

問 オセアニアに広がっている宗教は何か、答えなさい。[     ]

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 このように三つの宗教を□(【 】)で囲み、オセアニアのところに[?]を付けておけば、設問の「オセアニアに広がっている宗教の名は?」と聞かれたとき、すぐに「キリスト教!」と答えられるでしょう。

 これは重要部に記号を付けて「見える化」する一読法の読み方であり、問題の解き方ですが、例題一同様「予備校的テクニック」とか「受験対策的読解法」と見なす方も多いと思います。

 確かにこの作業によって例題は容易く正答に達します。そして、塾や予備校なら「問題を解けたからこれで終わり」でしょう。せいぜい「ほらね重要語句を□で囲ったり、傍線を引くと簡単に解けるだろ」とテクニックの重要性を強調する程度でしょうか。

 しかし、一読法授業はこれで終わりません。本文全体に渡る疑問とつぶやきを開始します。
 と言うのは受験対策的読解法では正答したとしても、生徒が本当にこの文全体を理解して正解にたどりついたかどうかわかりません。

 予備校や塾なら解ければそれで終わりでしょう。だから、そこを問題としないだろうし、さらにこれ以上知識が広がることもないと思います(私は一浪だったので昔の予備校を意識して書いています。現在の塾や予備校が「そんなことはない」とおっしゃるようでしたら、ご容赦下さい)。

 ときには「これ全体を覚えろ」と言われることだってあります。試験のための項目暗記です。先程の穴埋め問題に対処するため《キリスト教、仏教、イスラム教が世界のどのへんに広がったか丸暗記する》――これが「勉強であり、学習であり、入試対策だ」と考えている人は多いと思います(かつての私がそうでした)。

 ところが、一読法は(一読法授業なら)項目暗記主義になりません
 一読法を実践すると、例文を読んだ生徒がどこを疑問としたか、何をつぶやいたか知ることができます。それによって生徒が本文を正しく理解して答えたか、さらに知識を拡大し深化させたか、そこを見極めることができるのです。


(3)一読法による解き方とつぶやき例

 では、ゆっくりじっくり読む一読法を具体的に進めます。

 まず仏教・キリスト教・イスラム教にABCの記号を付けておく。そして「仏教は東南アジア、東アジア……」と地名が出てきたとき、「頭の中に地球儀か世界地図を思い浮かべて地名に傍線を引きながら、思うところをつぶやこう」と指示します。この場合は地名に対して具体的な国名をあげてもらいます。

 A 仏教は東南アジア東アジアに……、
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・東南アジアってアジア東部を南に下ったところだ。確かベトナムとかカンボジアとかタイがそうかな? インドネシアってどうなんだ。仏教かな?
・東アジアは日本とか韓国、中国だ。北朝鮮はどうなんだろう?
・ぼくは韓国に行ったことがある。
・この文は仏教・キリスト教・イスラム教について書かれている。それぞれどんな宗教なんだろう、全く知らないなあ。
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 B キリスト教はヨーロッパ南北アメリカオセアニアに……、
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・ヨーロッパだから、イギリス、フランス、ドイツにスペインかな。
・南北アメリカだから、北はアメリカ合衆国にカナダとかメキシコ、南はブラジルが一番大きい国だ。あとチリとかアルゼンチンか。
・そう言えば、ブラジルはオリンピックがあったな。来年は日本だ。
・中南米とも言うけど、間の中部はどうなんだろう。やっぱりキリスト教?
・オセアニアってどこだっけ?
オセアニアの国名を問う問題が出たらまずいなあ
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 C イスラム教は北アフリカ西アジア中央アジア東南アジアに……
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・北アフリカってアフリカの北部だからエジプトか。おや、中部や南部について書かれていないぞ。中部・南部はどうなんだろう?
・西アジアってアジアの西か。具体的にはどこだ? イラクとかイランかなあ。サウジアラビアもそうか?
・中央アジアってどこらへんかなあ。モンゴル? 大相撲で有名だけど。
・あれ、ロシアはどこに入るんだろう? 中央アジアかな。北アジア? またはヨーロッパ東部?
・おやーここにも東南アジアがあるぞ。仏教のところにも東南アジアがあった。こりゃどういうことだ? 間違いか。それとも東南アジアには仏教とイスラム教の二つが広がっているのか?
・そう言えばアジアは「東・西・中央・東南」とあって南がない。アジアの南ってインドだろう。インドの宗教はなんだ? 
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 これらのつぶやきや疑問はもちろん私が(中高生のつもりで)つぶやいたものです。中高生でも、ある程度の知識があればつぶやけると思います。
 逆に地理が不得意なら、各大陸の名を聞いても、国名が全く浮かばない生徒だっているでしょう。元教員の私でも中央アジアはモンゴル、北アフリカはエジプトしか思い出せませんでした。

 国名が出ないようなら、ネットで世界地図(や所持している地図帳)を見ながら、一つ一つチェックする作業に入ります。つまり、この授業は[三大宗教の世界的分布+地理]が合体するという広がりを持てます。


(4)応用問題に弱い理由

 注意したいのは「オセアニアってどこだっけ? オセアニアの国名を問う問題が出たらまずいなあ」とつぶやいたところです。例題一でも「沿岸って何?」とつぶやく生徒がいるだろうと書きました。

 教師や大人から見ると、「それくらい知って当然」の言葉を「知らない」生徒はかなりいます。それは例文をさあっと一度読むだけでは先生に把握されません。一読法によって生徒が疑問やつぶやきを書き込み、それを発表することによって初めて「そんなことも知らないのか」とわかります

 そうなると、例題二の設問に対して、
「オセアニアに広がっている宗教は[キリスト教]」と取りあえず正答を書けたとしても、「オセアニアってどこだ? オセアニアの国名を問う問題が出たらまずいなあ」とつぶやいた生徒は[○]をもらえても、これを「正答」と呼んでいいかどうか疑わしくなります。

 たとえば、もしも設問が
 (1)オセアニアに広がっている宗教と、
 (2)オセアニアの代表的な国を一つあげなさい

 ――という問題なら、(1)は[キリスト教]と答えられても、(2)は答えられないか、的外れの答えが書かれて不正解です。この生徒は「オセアニア」がどこか知らないのですから。

 もしも(2)の答えとして「インド」と書いてあれば、私なら(1)が「キリスト教」とあっても[×](不正解)にします。
 なぜなら、インドはオセアニアではないし、キリスト教でもないからです。
 ちなみに、かつてこれと似たことが国語のテストでもあって私が(1)も[×]にすると、生徒からよく「(1)は合っているじゃないか」と猛抗議を受けたものです。

 あるいは、この例題が世界地図と一緒に出題され、オーストラリアのところに矢印が引いてあって「この国のおもな宗教は仏教・キリスト教・イスラム教のいずれであるか、答えなさい」となっていれば、オセアニアの意味を知らないまま通り過ぎた生徒はやはり答えることができません。これは地理が合体した応用問題と言えるでしょう。

 生徒が「基礎問題はできるけれど、応用は苦手」と言うなら、主たる原因はここにあります。知識が広がりを持っていない。オセアニアの意味がわかっていないのに、それを置き去りにしてテストのために例文を《丸暗記》する。結果、ちょっとひねった応用問題が出ると、もうお手上げです。

 もちろん例題二はあくまで生徒が問題文を理解できるかどうかを問うているだけ。よって、これらの設問は無関係と言えます。
 しかし、例文は社会の教科書であり、実際の授業で取り上げられるべき記述です。いわば世界の文化・宗教史として。果たしてどの程度深く読まれて解説されていることか。
 今も書いたように、文化的な史実は「読んでおきなさい」で終わっている可能性が高い。しかし、試験には出る(ことがある)。だから、中身を丸暗記するけれど、試験が終われば忘却の彼方に消え失せてしまいます。

 そもそも生徒に疑問や感想を書かせれば、「この文は仏教・キリスト教・イスラム教について書かれている。それぞれどんな宗教なんだろう、全く知らないなあ」とつぶやくでしょう。大人でもそうではないでしょうか。

 私は高校で世界史を学び、大学受験でも世界史を選択しました。しかし、三大宗教と呼ばれる仏教・キリスト教・イスラム教について、授業で内容を教わったことは一度もないし、当時自ら進んで調べたこともありません。
 それは別に知る必要のない知識でした。なぜなら大学入試で「三大宗教の内容について書きなさい」という記述問題が出ることはなかったからです。史学科の入試でもこの問いが出るかどうか。せいぜい創始者の名を書かせるくらいでしょうか。


(5)講義型授業の弱点

 このように社会(や理科の生物・化学など)は項目暗記主義に偏りがちです。
 知識が本文だけにとどまって広がりを持たないと、先のような応用問題が出されたとき、生徒の正解率はぐんと下がります。
 しかし、生徒が疑問を提起してその答えを探し求める一読法授業なら、知識が広がりを持てる。これは項目暗記主義ではない。自ら疑問を出し、その答えを自分で探しているので、頭にしっかり定着します。オセアニアが世界のどこらへんか、具体的な国名も記憶に残るはずです。

 ゆえに、教師は生徒が疑問を持ったところ、どこが知らないかを把握して授業を展開する必要があります。
 例題二を社会(世界史)の授業で行うとき、先生は「オセアニアが世界のどのへんか、具体的国名を言えない生徒がいる」ことを意識して解説しなければなりません。
 ところが、教師中心の講義型授業はそこがおろそかになりがちです。と言うのは教師にとって「オセアニアが世界地図のどこにあるか」――それは常識だからです。

 先生は「オセアニアがどこか知らない生徒がいるかもしれない」と思えば、もちろん質問するでしょう。たとえば「オセアニアの別名、日本では何と呼んでいるか、また、具体的な国名をあげてごらん」と。
 生徒からは「豪州とか大洋州、具体的にはオーストラリアやニュージーランド」の答えが出るかも知れないし、「わかりません」と答える生徒もいて「こんなことも知らないのか!」と把握できます。
 しかし、先生が「これくらい知っているはず」と思えば、そこで立ち止まって質問することはありません。
 かくして生徒(の一部)はそこが不明のまま授業を終えます。帰宅して自分の疑問を調べようとする生徒はまず皆無。結果、試験でちょっとひねった問題が出されると、もう答えることができません。

 生徒がある教材についてどの程度知識を持っているか、それを把握するには生徒に疑問や感想をつぶやかせるのが一番です。さーっと一度読んで先生が質問し、生徒が答えて解説する――そういった三読法授業、講義型授業では生徒の実態に沿っているとはとても言えません。一読法を実践して疑問やつぶやきを発表させれば、先生は生徒が何を知らないか、どこを疑問としたか、すぐに把握できるのです。

 国語教科書の論説文やエッセーの中には社会や理科に関係した教材をよく見かけます。
 もしもこれらのつぶやきと疑問に答える形で授業を展開すれば、先生は大変でしょう。しかし、文章の理解度は間違いなく八〇に達すると思います。何よりも生徒自身が感じた疑問の答えを探す形で授業が展開されます。生徒の心にしみこむこと間違いないと思います。

 実は一読法を実践している私自身でも、今回例題二の一度読みでは気づかなかったところがありました。それは「仏教〜東南アジア……、イスラム教〜東南アジア」と「東南アジア」が重なっていたことです。いろいろつぶやきながら、もう一度読んだとき初めて気づきました。
 すぐに「あれっ、例文の間違いか?」と思いました。
 そして、考えました。もしかしたら誤字かもしれない、関係先に問い合わせてみようかと。
 しかし、その後「タイやカンボジアは仏教だが、インドネシアはイスラム教だ。だから、間違いじゃないだろう」とつぶやいたことです。

 もしも現役の先生がこの部分に気づかずやり過ごしていたらと思うと、ぞっとします(大げさですが)。「読んでおきなさい」で終わって定期テストでも出題しないと、入試に以下のような問題が出されたとき、答えることができないでしょう。
 たとえば、空欄穴埋め問題の逆パターン、本文を掲載せず「東南アジアには[  ]や[  ]の宗教が広がっている」とあれば、「えっ、一つは仏教だが、もう一つは何だ?」となります。

 これが生徒に疑問をつぶやかせる一読法授業なら、「仏教とイスラム教のどちらにも東南アジアがある」ことに気づく生徒が必ずいます。あるいは、インドがヒンドゥー教であることを知っている生徒からは「南アジアのことが書かれていない」とのつぶやきが提示されることだってあるでしょう。それを授業で確認すれば、単なる丸暗記に終わらない広がりと深みを持つことができます。


(6)項目暗記主義は脳内のパソコンに過ぎない

 もっとも、私としては詰まるところ項目暗記でしかない授業や穴埋め問題の試験に関して「そもそも」論を言いたくなります。

 内容を詳しく吟味検討していないのに、定期テストや入試に出題することに何の意味があるのでしょう。生徒はオセアニアがどこか知らないのに、「オセアニア=キリスト教」と頭の中にたたき込む。不充分な知識なのに、「仏教=東アジア・東南アジア」と丸暗記する。そして、中高の定期テストや入試はこれを穴埋め問題として出題する。それはまるでパソコンです。脳内パソコンにこの項目が入力されているかどうか、ただ単にそれを確かめているだけではないかと感じます。

 機械のパソコンなら壊れない限り記憶してくれます。質問すれば、すぐに正解が出力されます。しかし、人間の脳みそパソコンは項目暗記に弱い。それが定着するには痛みを伴うとか、身体が覚えているとか、前号の例題のような衝撃的事実とともに刻みつけられる必要があります。
 そして、ただ「読んでおけ」の授業、講義をぼーっと聞くだけの授業にはそれがない。だが、試験に出るから丸暗記する。試験が終われば忘れてそれっきり……私たちはこれが勉強だと思ってきました。せっせせっせと項目暗記に励み、試験が終わればころりと忘れました。

 では、生徒が項目暗記の勉強をやっているのはなぜか。その責任が生徒にないことは明らかでしょう。責任は講義型授業を無反省で行っている教師にある――と言うと、これも社会(や項目暗記教科)の先生に失礼です。
 なぜ講義型授業を行っているかと言えば、高校入試や大学入試が項目暗記主義であり、ある項目について深い知識や考察が求められていないからです。

 私の経験では項目暗記主義ではない授業を展開している先生もいました。しかし、それは時間がかかります。そして、求められているのは古代から現代までの浅く薄い知識です。教科書を一年間で全てやらなければならないから、ある事項だけ詳しく調べたり発表させたりする余裕などありません。
 なぜ全てやらなければならないかと言うと、(法律で決められていることもあるけれど)「どこが入試によく出るか」を生徒に教えるためです。生徒もそれを知りたい。だから、先生は古代から現代まで項目暗記主義の講義型授業を行わざるを得ないのです。
 そして、ここには大学と文部科学省の思惑もあるでしょう。ある事項だけ深く詳しくやる学習は大学で行えばいい。中学・高校にそれは求めていない。薄く広く事項を知っていてくれればそれで充分だと。だから、項目暗記の入試問題ができあがる。そして、中高の授業はそれにしっかり対応して項目暗記主義に邁進していると思います。

 私は本稿の表題として『一読法を学べ――学校では国語の力がつかない』とまとめました。この裏には三読法講義型授業、項目暗記主義への批判があります。むしろ表題には『学校の項目暗記主義・講義型授業では真の力がつかない』としたかったくらいです。
 責任は大学と大学入試にあると思います。入試が変わらなければ、高校・中学、予備校や塾の項目暗記主義――「入試にどこが出るかが重要」といった傾向も変わることはないと思います。


(7)地域独自の学習と「答えのない」授業

 最後にもう一つ。社会科二つの例文に関して地域によっては予想外の質問や疑問が出る可能性について触れておきます。

 私は例一、例二とも生徒の気持ちでつぶやきました。例一に記した以下のつぶやきについてみなさんはどう思われたか。冒頭で書いたように「生徒がこんなことつぶやくかねえ」ではないでしょうか。
 私は「ある地域の子どもたちならこんな疑問をつぶやいてもおかしくない」と思って例としました。

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・沿岸って日本の周囲は海ばかりだから、内陸の方が少ない。じゃあ、内陸の大名には何を命令したんだろう?
・沿岸の警備を命じられた大名とか家臣の武士は大変だったろうな。刀と槍、弓矢に鉄砲。大砲なんかも備えたのだろうか。見回り用の船を造ったかもしれない。その費用は幕府が出してくれたんだろうか?
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 ここで突然クイズです。日本で海岸に面していない内陸の都道府県がいくつあるかご存じですか。

 答えは長野・群馬など八県です。残り三十九が海に面している。

 もうおわかりでしょう。「内陸の県には何を命令したのだろう」の疑問は海に面していない県に住む子どもたちなら、出ても不思議ないつぶやきです。
 逆に鹿児島などには大砲の遺跡が海岸にあります。そのことを知っていれば、「大砲なんか備えたのだろうか」とか「費用は幕府が出してくれたのか」とのつぶやきが出る可能性がある。地域独自の疑問であり、当然調べることになるし、地域の歴史を知るきっかけとなるはずです。
 例題一に関連して「一六四〇年ポルトガル使節団皆殺し」の史実を知れば、新たに「ボルトガル船は日本のどこにやって来たのだろう」との疑問が芽生えます。答えとなる県に住む生徒は他県の生徒と違う思いを持つのではないでしょうか。その県のどこかで六十一名の処刑が実行されたのですから。

 今は「都道府県」だが、江戸時代以前は「旧国名」であることもここで学ぶことができます。現在の内陸8県は旧国名ならもっと増えるし、「自分が住んでいるところは何々だったのか」と新鮮な驚きも持てるはずです(すでに学んでいればさらに深まり定着します)。

 また、北海道と沖縄の児童生徒なら、「うちも幕府から何か命令されたのか」について全く違う答えが出てきます。
 当時沖縄は「琉球」として独立国であり、北海道は「蝦夷」としてアイヌ民族が独自の言語・文化を持って住み、江戸幕府の支配が及ばない地域だったことを始めて知るかもしれません。

 もっとも、こうした生徒の疑問やつぶやき全てに答えようとすると、先生は大変です。例二に関しても「この文は仏教・キリスト教・イスラム教について書かれている。それぞれどんな宗教なんだろう、全く知らないなあ」とか「そう言えばアジアは『東・西・中央・東南』とあって南がない。アジアの南ってインドやパキスタンだろう。宗教はなんだ?」といった疑問が提出されたら、授業でどこまで応じるか深めるか、考えねばなりません。

 一読法によって教科書を読めば、そして生徒が活発に疑問を提示するようになれば、教師の手に負えない疑問が続出する可能性があります。
 しかし、今なら「授業ではそこまで深くやらないけど、パソコン検索使って調べてごらん」と言って構わないと私は思います。
 以前も書いたように、人生は何でもかんでも答えがすぐ見つかるものではありません。誰かに答えを言ってもらうより、自分で探し求めることが大切なことも多々あります。

 最近のNHK・Eテレ(昔の教育テレビ)には感心しきりの児童・生徒向け教育番組があります。
 そこでは自然や科学のテーマから日常生活の出来事まで様々なことを「考えよう」というスタンスで番組が作られています。中には「答え(正解)があるだろうな」と思えるテーマもあります。ところが、番組は「考えよう」で終わって答えが明示されません。素晴らしいと思います。
 学校もまた「この先は自分で考えてごらん」と言って構わない。年号や項目をテストのために丸暗記するのではなく、自分で調べ、自分で考える――その方がどれだけ大切か。それこそ学校を離れ社会に出ても続けられる勉強、いや、続けてほしい勉強ではないでしょうか。

 ただ、そのためには自宅で調べたり、考えるための時間が必要です。その時間を確保するには、英語・高校古典など一部の教科を除いて「予習をしてきなさい」という指導をやめるべきだと思います。
 ここでも一読法授業なら、「予習はしないように。教科書は学校に置いておきなさい」と言います。復習も一読法授業なら一教科数分で終わります。

 どうして「一読法授業では予習をするな」と言うのでしょう。

 考えてください


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:前号の例題「幕府は1639年ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた」に関連して「1640年、マカオから通商再開依頼のためポルトガル船来航。徳川幕府、使者六十一名を処刑」の史実があると書きました。
 読者各位はその後ネットでこの件を検索なさったでしょうか。「忙しくてそんなヒマないよ」と言われそうですが、(失礼ながら)もしも興味関心が湧いたのに、その先に進まなかったのなら、それもまた三読法通読(一度読んで終わり)の犠牲者だと言いたくなります。

 私がいろいろ探した中では、以下長崎大学松竹秀雄氏の「寛永17年(1640) ポルトガル使節団長崎受難事件 (1)・(2)」が最も精緻に調べて書かれた論文だと感じました。なぜオランダとは交易したのに、ポルトガルはダメだったのか。島原の乱が関係していたこと、船に乗っていたのは実は七四名で十三名は殺されずマカオに戻ったこと。報復の戦争となってもおかしくなかったのに、マカオ市民はこの事件を知ってお祭り騒ぎになったこと。単に幕府の蛮行とだけは言い切れない経緯があったことなど、目からうろこの史実を知ることができます。
 先に(2)を読まれた方が事件そのものの経緯がよくわかります。なお、論文は[PDF]ファイルです。

「寛永17年 (1640) ポルトガル使節団長崎受難事件 (1)」(.pdf)

「寛永17年 (1640) ポルトガル使節団長崎受難事件 (2)」(.pdf)

 なお、7月中に完結させたいので、次週より週刊配信と致します。
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