『久保はてな作品集』9号

7 課題「丸木美術館」を描く



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ゆうさんごちゃまぜHP「久保はてな作品集」   2025年11月26日(水)第09号

 文芸部久保はてな君の作品7。課題「丸木美術館」を描く

 前号に「もしも小説を書いてみたいと思うなら、最も簡単に書けるのは私小説――自分の体験をそのまま書くこと」とありました。

 文芸部の課題「遠足を書く」や「芸術鑑賞の日を書く」、「博物館を訪ねてそのことを書く」などはいわば私小説を書く訓練と言えます。

 文芸部に入部するくらいだから、彼らは文章を書きたい、書くのが得意、すでにいくつか小説らしき作品を書いている。そのような生徒が集まっています。
 なので、こうした初歩的訓練を「小学生じゃないぞ」とでも言いたいようで、わざわざフィクションにしている部員がいました。するとどんな作品が出来上がるか。
 フィクション部分が多く、実体験はおかずと言うか刺身のツマ程度。おいおい。
 まー親の心子知らずみたいなもんです(^.^)。

 これらの課題は訓練だし、ある一日の出来事なので、それほど難しくありません。
 しかし、(前説を真っ向打ち消すようで恐縮ながら)いざ自分の体験を私小説として書くなら、それは《とても難しい》と言わねばなりません。

 なぜって? やってみればわかります(^.^)。

 簡単に書けるはずと高を括っていたら、意外に苦しい、辛い。
 最初に感じることは「自分の体験は語る価値があるのだろうか」ということ。
 ある程度書いた自作を読んでみると、「自分の体験のように感じない」歯がゆさ、切なさ(?)に襲われる。「自分の体験はこんなじゃない」と思う。

 不思議ですね。最もよく知っている(はずの)自分が書いたのに。
 うまく書けない理由は表現力の乏しさがあるけれど、基本言葉とは「みんなのための言葉」であって「個人専用の言葉」ではないからです。

 たとえば、私が失恋の体験を次のように書いたとします。
「この間また何回目かの失恋をした。そのとき〈こいけたまめんものかち〉と感じた」と。
 この〈こいけたまめんものかち〉を理解できる人はこの世に存在しません。
「あなた何言ってんの」と険しい顔をされるのがオチ。

 だから、人に通じる言葉を書かねばならない。たとえば、「悲しかったよ」とか「がっかりだ」などと。しかし、この言葉は私の心理を――他の誰でもない、私だけの心情を説明していない。
 感じたのは〈こいけたまめんものかち〉だから(^.^)。

 だけでなくもっと大きな理由もあります。
 それは「自分の体験だからよく知っている。が、そのことが逆に書きにくさを生む」ということ。
 たとえば、久保はてな君の作品『失恋博物館』を読んで、みなさんどう感じたでしょうか。
 まず「長い、長すぎる」、ついで「だらだら植物や農機具、小さな生き物の名を連ねている。どーでもいいこと書き過ぎる」ではないか(^.^)。

 私――いや、はてな君は博物館内をメモを持ってめぐっていました。そして、メモにいちいちの名前を記入していた。だから、彼はそれを小説に書けた。
 他の部員でそのような活動をしている人はいませんでした。
 これは新聞記者が実践している「取材」に当たります。記者にメモとペンは必須。

 すると、次なる問題と言うか課題が生まれる。取材したことをどこまで書くか。
 体験や取材によって得た事実が100あるとするなら、いくつ書くか。
 これは悩ましいテーマです。

 さすがに100全ては書かないし書けない。では50? いやいや20?
 どれも痛切な体験として100あるとしたら、あなたはそれを20に減らせますか。
 そこで50は書く。作者にしてみれば半分に減らした。

 ところが、完成した作品を読む人(読者)はどう思うか。
「長(なげ)えよ。もっと短く知ろ」とか「だらだらどーでもいいこと書き過ぎだ」とつぶやく(^_^;)。じっくり読む人はいない……あらま。

 おわかりでしょうか。私小説(的作品)は長くなるのです。

 では、それを20に減らし、忙しい読者を慮って10に減らすか。
[「慮って」読めなければ検索を]。
 分量を減らせば、読者だって読んでくれるかもしれない。
 が、これはこれで作者にとって大いなる不満が生まれる。
「こんなもの自分の体験じゃない、体験が描かれていない」と。

 以前どこかで書いたことがあります。
 広島や長崎の原爆体験。東日本大震災の津波体験。
 語り部が自分の悲痛な体験を1時間かけて語るとしましょう。
 それを聞く人は「長いです。10分に縮めてください」と言うことはない。
 1時間じっくりしっかり聞いてくれるはず。
 とかく長くなりがちな私小説的作品はそれに似ています。

 さて、今号は2年6月の活動。埼玉県東松山市にある「丸木美術館」を訪ねてそのことを書く課題です。
 丸木美術館には広島の原爆を体験した丸木位里、丸木俊夫妻が描いた「原爆の図」が展示されています。

 文芸部2年生の修学旅行は前年生徒へのアンケートによって北海道と決まっています。もしも広島か長崎であれば、この企画はなかったでしょう。
 顧問自身も話に聞いていたけれど訪ねるのは初めて。私も部員も見学して衝撃を受けました。久保はてな君はその体験を「霊気を発する絵たち」と題して書きました。

 なお、当館は今年9月末から長期改修に入っており、リニューアルオープンは2027年5月5日頃とのこと。記憶に残っていれば、ぜひ訪ねてください。




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【 久保はてな作品集9 】課題「丸木美術館」を描く

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 霊気を発する絵たち    久保はてな


 細い描線。まるで素描のような絵。黒い線と燃え上がる朱。そして、無彩色の空間。折り重なり、逆さになり、奇妙に曲がった人間の身体たち。
 赤い炎の中の女性と幼な子。水面に浮かんだ裸、裸、裸。女の死体をモッコに担いで運ぶ痩せた男。道ばたで呆けたように座る男や女。抱き合って泣いているような姉妹。赤ん坊を抱いた女。赤ん坊は死んでいるのか。あるいは母親がこと切れているのか……。

 全て物言わぬ人間たちの絵。それはぼくを嫌な気持ちにさせる。絵の中の人間は大多数女性。そして、子どもと赤ん坊。女性はほとんどみんな裸だった。そこにはギリシア彫刻の滑らかな白、ルネッサンス絵画のしっとりとした肌、印象派絵画の明るくふくよかな裸、そんな人間の美しさは微塵もない。
 部屋の壁全面に掲げられた計八双の屏風絵。それが「原爆の図」だった。

 ぼくは嫌だった。大人はなぜそれを強要する? なぜそれを見せたがる?
 ぼくらは戦争を知らない。原爆を知らない。それでいいじゃないか。「ヒロシマ」を、「ナガサキ」を、「原爆の図」を見ることによって、ぼくの中の何かは変わるのだろうか。変わりはしない。

 先生が「原爆の絵がある丸木美術館を見に行こう」と言ったとき、ぼくは心の中で反発していた。ただそれだけのために、S市からはるばる埼玉まで行くなんて、とぼくは思った。
 だが、ぼくの思いを大画面の絵たちはうち砕く。ぼくのうすっぺらな思いは絵によって蹴散らされた。等身大の裸像が屏風の中に張り付いている。

 それは描かれたというより人がたが貼り付けられたかのように見える。苦しみと絶望の声が聞こえてきそうなニンゲンの絵だ。
 もちろん声が聞こえるはずはない。もしここにうめき声が流れていたら、作り物だと思ってかえって安心したかもしれない。物言わぬ無音の世界だけに息苦しい。絵たちはぼくを圧倒した。ぼくの気を砕いた……。

 丸木美術館にたどり着いたときは午後一時近かった。六月第二土曜日。梅雨入りして早二週間。この日もしとしとと冷たい雨が降っていた。
 東武東上線森林公園駅を降りて一時間以上も歩き、土地の人に何度となく道を訪ねながら、ぼくらはやっと丸木美術館に到着した。美術館は表通りの道からさらに入った、こんもりとした林の中にあった。

 入場券を買って入り口の扉を押す。中に入ると湿気と生暖かい空気がよどんでいた。矢印の順路は二階を指している。ぼくは狭い階段を二階に上った。部屋は薄暗かった。そして、巨大な「原爆の図」はそこにあった。
 屏風一双は高さ二、三メートル、横幅七、八メートル。八つの画面から成っている。それは正に屏風。床から一段高いところに立った状態で置かれていた。部屋は二つに仕切られ、「原爆の図」はそれぞれの壁際に四双づつ配置されていた。

 部屋に入ったとき、もあっとくる空気が顔を襲った。冷房はかかっていない。どうしてこんなに薄暗いのか、見上げて訳がわかった。天井にあるのは小さな赤色灯だけで、屋根の中央が採光用のガラスになっている。今日は梅雨模様で小雨が降る曇天。それで薄暗いのだった。
 そんな中ぼくは屏風の絵を一面一面ゆっくり眺めていった。暫くいると次第に息苦しさが増してくる。室内は暑くないし、寒くもない。ただ、何となく肌寒さを感じた。

 部屋の中央には横長椅子があった。そこに座っていると、自分の周囲ぐるりが屏風になる。まるで被爆女性たちに――横になり、逆さになり、折り重なるように死んだ多くの人々に囲まれているような感じ。
 広島の原爆はもう五十年以上も前の出来事。しかもここは広島から遠く離れた関東の地。しかし、この部屋には五十年前の世界そのままのような空気がある。
 これらの絵は何か――霊気のようなものを漂わせている。ぼくにはそう感じられた。

 数年前両親に連れられ岩手県の遠野市を訪れたことがある。展示された民家「曲がり屋」の奥に「おしら様」が飾られた四畳半ほどの部屋があった。
 そこには何千、何万という数の小さな馬の形をした人形が集められ、うず高く積み上げられていた。子どもを亡くした親がおしら様の人形を買ってその部屋に置いていくのだ。

 そこに入ったときも、もあっとした空気が顔面を覆ったことを覚えている。目に飛び込む赤や白、黒の布模様が不気味だった。狭い部屋は空気が重くよどんでいた。今日この部屋に入ったとき感じたのも、それと同じ空気、それと同じ息苦しさだった。重い空気は絵が発する霊気なのか。

 丸木夫妻は被爆体験者ではない。夫は丸木位里、夫人は俊。解説によると夫妻は八月六日の三日後、広島に入ったとある。二人はてっきり被爆しただろうと思っていたので意外だった。夫妻は被爆を直接体験したわけではなかったのだ。
 それならば、なぜこの絵たちは息苦しい程の生の霊気を発散しているのだろうか。

 解説を読んで納得した。広島は丸木位里氏の故郷。爆心地から二キロの彼の実家は焼け残り、多くの人が助けを求めてやって来た。位里、俊夫妻はそこで救助活動と屍体の処理をしたようだ。被爆者と共に食料を求めて広島のまちをさまよったともある。

 そうして位里氏は原爆でおじとめいを亡くし父を亡くした。その五年後夫妻は「原爆の図」を描き始めた。その間何百人という被爆者の話を聞いたらしい。
 モデルの中にはもちろん被爆者もいた。その人たちの思いがこの絵に乗り移ったのか。あるいは、被爆直後の広島を目にした丸木氏の憤り、悲しみが絵に閉じこめられたのか。

 約五十年前丸木夫妻は大きな真っ白の屏風紙を前にして、どんな思いで最初の一筆を描き入れたのだろう。その後完成までどんな思いで、どんな風に描いていったのか。鬼気迫るといった感じで筆を走らせたのか。あるいは、静かに黙々と描いたのか。

 一階の展示室には壁面全部に掲げられた、大作「アウシュビッツの図」と「南京大虐殺の図」もあった。白と黒だけで描かれたそれらの作品も、人々のうめき声が聞こえるかのような迫力があった。
 ドイツのアウシュビッツ、中国の南京大虐殺、いずれも丸木夫妻が直に体験したわけではない。人間の痛みを感じ取る夫妻の「想像力」がこのような大作を生みだしたのかもしれない。

 一階奥のコーナーまで進むと休憩用のソファがあった。部員連中が薄暗い中でぐったりと固まっていた。先生も疲れたように座っていた。
 一人の女子部員が「書けないよぉ」と呟いた。同意の声が漏れた。みんな何だか黙りがちで、誰も「原爆の図」の感想を話そうとしない。ぼくもそうだ。
 言葉を口にすると、あの絵の重さに対してあまりに軽すぎる気がする。それがわかるから言葉にし辛いのだ。

 先生が「今回は単純に感想を書いたら」と言った。誰も返事をしなかった。
 先生が出した課題は「丸木美術館を描く」だ。一体丸木美術館の何を描くのか。描くとしたら、やはり「原爆の図」しかないだろう。しかし、あの絵たちを文字で描くことなど不可能だ。文字にした途端に屏風絵が持っている霊気は逃げてゆくに違いない。

 それからなお暫くぼくたちはソファに座り込んでいた。そして、タクシーを使って帰ることにした。先生がタクシー会社に電話する。ぼくらは先に美術館を出た。
 外は結構明るかった。何だかほっとする明るさだ。まるでタイムマシンに乗って五十年前に飛び、やっと現在に戻ったような安心感さえあった。
 ここの二階には五十年前のアトリエが――その空気がそのまま残っている。ぼくにはそんな風に思えた。結局「丸木美術館」を描くとしたら、ぼくが感じ取った霊気のことを書くしかないのかもしれない。

 ぼくらはタクシーが来るまで外の休憩所に座って待った。目の前の美術館は何の変哲もない壁と外見。壁にいくつか描かれた鳥のようなものが「平和」を象徴する鳩なのか。
 十分程してタクシーがやって来た。ぼくらはタクシーに分乗して森林公園駅に戻った。そして、東武東上線の急行に乗って帰路に就いた。

 電車に揺られながらぼくはぼんやり外の景色を眺めた。雨は相変わらずしとしと降っている。緑の多い住宅街の景色が段々少なくなり、電車は都心に近づく。
 ぼくはなぜか車内の掲示広告や窓外のビルの広告を、一つ一つ丹念に読んでいた。(了)


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:年の瀬を前に(郷土)大分県で11月18日大変な災害が発生しました。関サバや関アジで有名な大分市佐賀関の大規模火災です。建物170棟以上が延焼したとのこと。
 年始の大地震もつらいけれど、大晦日を自宅で過ごせないのも悲しすぎます。被災者に心よりお見舞い申し上げ、自分にできるささやかな支援をしたいと思います。


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