『久保はてな作品集』12号

「さみしさ」をテーマに小説を書く



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ゆうさんごちゃまぜHP「久保はてな作品集」   2025年12月17日(水)第12号

 文化祭冊子課題 「さみしさ」をテーマに小説を書く

 前号に「私はできるだけ高校生の感性や文体を使って書き上げたので、彼らは意外に 顧問の作とわからず」とあっさり書いています。
 が、当時顧問と文芸部員はほぼ四半世紀の年齢差があり、所謂ジェネレーションギャップがないわけありません。
 しかし、私には「原始時代も古代、中古、中世、近世も人の感情は変わらない」との観点があります。もちろん現代も。

 若者が抱く怒りや憤り、悲しさ、ほのかな恋愛感情。それはいつの時代でも変わらない、と考えています。
 ゆえに、課題作は自分の高校時代の感情を書けばいい。自分が今高校生として生きているとしたら、どう感じ何を考えるか。そこに背景として(現代の)社会、風俗を取り入れる――という手法で書いたわけです。

 もっとも、今振り返って読むと、97年夏の『透明な叫び』こそ神戸連続児童殺傷事件を取り込んでいるものの、他の作では「あまり背景が描かれていない」と感じています。

 それはさておき、タイムマシーンに乗って1998年に戻ると(^.^)、
 夏休みに突入した7月末、連作小説を書く合宿を終えると、部員10名に今後の予定を話しました。9月下旬に文化祭があり、文芸部冊子『百八煩悩』を発行する。
 以後夏休みに合評はなく冊子に掲載する作品を書くための小説を執筆すること。冊子のテーマは4月に「さみしさ」と決めています(顧問の独断で(^.^)。

 部員にはすでに1年後半以降の作品が多数あるので、全員必ず一作は冊子に掲載される。しかし、テーマ作品は「優秀作になる」ことも告げました。
 そして、9月末には全員北海道に修学旅行に行く(顧問も2学年の副担任だったので同行)。それも「修学旅行を描く」課題になると。

 今号は「さみしさをテーマに小説を書く」課題に応えた久保はてな君の作品です。『はてなのヒロシマ』と題して半分私小説風、半分フィクション。前年夏執筆『透明な叫び』の続編です。
 作品内の時代背景は1998年5月から8月6日。
[ここで一読法読者なら、「終わりがずいぶん限定されているな。広島の8月6日ということか」とつぶやいていいところです。]

 文化祭冊子『百八煩悩』に掲載するつもりがないので、書きに書きまくったら、なんと原稿用紙200枚にも。もちろんここに掲載できないので、冒頭と「あらすじ」のみとします。作品全体は以下のPDFファイルをご覧ください。これまで課題作として書かれたものも取り込んでいます。

 なお、「公園を描く」、「丸木美術館を描く」など私小説部分があるけれど、夏休みの「連作小説をつくる」件はカットされています。含めるとあと100枚は増えるからです(^_^;)。
 以下PDFファイル。↓

 「さみしさ」をテーマに小説を書く 久保はてな『はてなのヒロシマ』



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【 久保はてな作品集12 】文化祭冊子「さみしさ」をテーマに小説を書く

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 はてなのヒロシマ  久保はてな


  [1]

 文芸部顧問のS先生が「今年の文化祭、文芸誌の共通テーマは『さみしさ』だ」
 ――そう宣言したのは五月になってすぐのことだ。
 さらに先生は「これが文化祭号の巻頭言だ」と言って、この詩らしきものをみんなに紹介した。
 ぼくらは一瞬ぽかんとしてしまった。去年の夏は文芸部全員に文化祭の共通テーマを考えさせながら、最終的には先生が『叫び』に決めた。今年ははなっから先生がテーマを出してきたことになる。それも「さみしさ――これで行くぞ」と来た。いよいよもって独裁的だ。
 部員連中は何か文句を言いたそうだったけど、「えー!」とか「なんでー」なんて声を上げつつ表立った反論はなかった。ぼくも反論のしようがなかったので黙ってしまった。

 先生は続けて「さみしさというテーマは通奏低音みたいなもんだ。だから、去年みんながそれぞれ提案したテーマに基づいて書いていい」とも言った。つまり、自分個人のテーマに共通テーマ「さみしさ」をからませろってわけだ。
 たとえば、「戦争―さみしさ」、「そば(ホット)―さみしさ」、「縁は異なもの味なもの―さみしさ」等々――というわけだ。「戦争・そば・縁は異なもの〜」は去年部員が共通テーマとして挙げた言葉だ。
 何だかミスマッチって言うか妙な付け合わせだ。自分のテーマに基づいて自由に書いていい、ただし「さみしさ」と関係づけなさい。そういう理屈らしい。こう言われると、ますます反論し辛くなった。

 実際の話、去年の文化祭では各自共通テーマ「叫び」の作品と、自由作の二作を出すことになっていた。ところが、先生は部員が提出した自由作のいくつかを「叫び」の方に入れた。
 先生曰く「叫びのテーマなんて何か書いてりゃだいたい関係してくるからいいんだ」などと語っていた。ずいぶんいいかげんだと思ったけれど、ぼくらはそれ以上何も言わなかった。それで今回にしても、結局うまくまるめこまれたって感じだ。

 ただ、部員が先生の提案に強く反論しなかったのは別の理由もある。
 Y高文芸部は顧問のS先生が次から次に繰り出す(強引な?)課題と、その制作でもっているようなところがあって課題は絶対なんだ。
 Y高文芸部は一昨年まで二年間部員ゼロだった(S先生談)。昨年四月、ぼくら一年生だけ八人で再スタートした。先生が出す「課題」をこなすというのは文芸部復活の最低条件だった。(以下略)


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 ※「はてなのヒロシマ」あらすじ

 98年4月ぼく(幸二)は2年に進級した。顧問のS先生は文化祭冊子のテーマを「さみしさ」とするから9月までに書き上げるようにと宣言した。
 前作では明かさなかったけれど、ぼくは一人っ子ではなく大学生の兄貴がいる。それとY高音楽コースの生徒だ。ただ、多くの生徒がピアノや声楽で音楽大学を目指す中、自分はギターが弾けるくらい。作曲が趣味で楽譜は読めたけれど、ソルフェージュなど毎回ヒトケタ得点の劣等生だった。

 それから前作で一つ年上のいとこ、のん子との出来事を私小説風に書いたが、かなりフィクションが混じっていた。のん子は『透明な叫び』を読んで怒り、報復小説を書くとメールで伝えてきた。その後彼女と喫茶店で会って完成作を読んだ。意外と穏やかな自伝的作品だった。そのときのん子がたくさん食べるのでへんだなと思った。
 彼女の母親とぼくの母は姉妹でどちらも離婚の危機に陥っていた。のん子は後日おばさんと家を出てぼくの家は母さんが実家に帰ってしまった。父さんは仕事で忙しく、ぼくは今一人暮らしみたいなもんだ。

 5月末中間試験の最終日、文芸部恒例の「公園を描く」活動があった。学校近くの公園を男女ペアで散策してそのことを書く課題で、ぼくはくじびきによってペンネーム「マーヤ」こと綾部摩耶さんに当たった。昨年の秋「博物館を描く」課題のとき「先に行ってみようよ」と誘われ、すっぽかされた女子部員だ。
 あれ以来ぼくはマーヤに惹かれていたので有頂天になった。公園を歩きながらぼくとマーヤはいろいろ語り合った。彼女はかつてバンドを組んでボーカルだとわかった。簡単な楽譜なら読めるとも言った。
 帰宅後ぼくはこの日のことを「強制デートはるんるん気分」と題して書いた。だが、はしゃぎ過ぎと思って「てっせんの花」に変えて提出した。それでも部員はすぐにぼくの作と見抜いてあきれていた。

 6月文芸部は埼玉県東松山市にある丸木美術館を訪ねた。丸木夫妻の「原爆の図」がある。
 この学年の修学旅行は北海道なので、広島や長崎に行くことはない。S先生は「高校時代原爆について考えてほしい」との思いで設定したと説明した。原爆の図はとても衝撃的で、ぼくは「霊気を発する絵たち」と題して書いた。
 合評の後マーヤはぼくに驚くべき計画を打ち明けた。「夏休みに文芸部員だけで広島に行って原爆ドームや資料館を見学しないか」と言うのだ。部員は当初乗り気だった。ぼくはのん子にどうするか聞いたり、時刻表を見て検討した。だが、一泊二日で費用数万円はかかるとわかり、みんな引いてしまった。マーヤだけはぜひ行きたいと言い、ぼくは五分五分の気持ちだった。

 その夜自宅にいるとのん子から電話があった。「助けて」と言うので、ぼくはすぐタクシーでZ市のマンションまで行った。部屋は食べ物の袋などゴミであふれ、彼女は冷蔵庫を背にがつがつ食べまくっていた。止められないという。やがてトイレに行って食べたものを吐くと、のん子は落ち着いた。そして、「ママが帰って来るから」と部屋を片付け始め、一時間ほどで部屋はきれいになった。ぼくはあっけにとられた。
 やがてのん子のママが帰宅したので、ぼくは彼女の過食症を話した。だが、あまり心配してくれない。「何を食べるかは彼女の自由」と言われ、ぼくは怒りを抑え切れずおばさんを責めた。彼女はのん子の腕や手を触ってようやく異変に気づき、病院に連れて行くことになった。

 文芸部の広島旅行は風前の灯火だった。夏休み前ぼくとマーヤはS先生に呼び出され、秘密計画がばれてしまった。だが、先生はぼくとマーヤを広島に連れて行くと言ってくれた。そして8月5日、横浜駅から夜行特急に乗って岡山に向かった。車中でぼくとマーヤはいろいろ語り合い、ぼくが作った歌を見せた。
 翌6日早朝広島につくと、平和記念式典に参加した。その後原爆資料館を見学し、原爆ドームにも行った。ドーム近くでは5人組のバンドが反戦の歌を歌っていた。
 マーヤは突然「はてな、君がつくった歌をここで歌おうよ」と、まさかの提案をしてきた……。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:御影祐のホームページには「CPUSAN作曲集」というページがあります。
 その中の「[二] 70年代フォークソング風楽曲」の「4」に作中歌「ノーモアヒロシマ」があります。17歳のころ御影祐が作詞作曲したものです(編曲は2004年)。
 よろしければ訪ねてみてください。ただし「MUSIC ON!!」をクリックしても、「安全でないダウンロード」とか「保護されていないなんたらかんたら」などと警告が出ます。無視して(も大丈夫なので)「安全でないファイルをダウンロード」して(^_^;)ファイル名をクリックすれば音楽ソフトがスタートして曲を聞くことができます(目下修復中)。歌詞は正常に動作しますが、文字は曲に合わせて少しずつ出るようになっています。

  「CPUSAN作曲集」[二] 70年代フォークソング風楽曲

 追記 その後次のことが判明。
 「MUSIC ON!!」をクリックして「ダウンロード用の小窓」が出るときは「保存」を先にクリックして数秒後先頭の「ファイル名(no more.mid)」をクリックすれば、音楽用ソフトが自動で立ち上がるようです。


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