四国室戸岬双子洞窟

 『空海マオの青春』論文編 第 11

「蛭牙公子=空海マオ」論 その4

 本作は『空海マオの青春』小説編に続く論文編です。空海の少年期・青年期の謎をいかに解いたか。空海をなぜあのような姿に描いたか――その探求結果を明かしていきます。空海は何をつかみ、人々に何を説いたのか。私の理解した範囲で仏教・密教についても解説したいと思います。

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『 空海マオの青春 』論文編    御影祐の電子書籍  第88―論文編11号

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           原則月1回 1日配信 2014年3月 1日(土)

『空海マオの青春』論文編 

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 本号の難読漢字
・兎角公(とかくこう)・蛭牙公子(しつがこうし)・亀毛(きもう)先生・虚亡隠士(きょもういんし)・仮名乞児(かめいこつじ)・傲然箕踞(ごうぜんききょ、足を投げ出し傲然と座る様子)・三教指帰(さんごうしいき)・聾瞽指帰(ろうこしいき)・舅(ここは「おじ」)・甥(おい)・表甥(ひょうせい)・外甥(がいせい、どちらも母方の甥)・阿刀(あと)家大足(おおたり)・放蕩(ほうとう)息子・業(ごう)の報(むく)い・狎(な)れて侮(あなど)る・傲岸不遜(ごうがんふそん)
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 『空海マオの青春』論文編――第11「蛭牙公子=空海マオ」論 その4

 11「蛭牙公子=空海マオ」論 その4 蛭牙公子の戯画化

 さて、今号はいよいよ《蛭牙公子=空海マオ》の牙城を攻略したいと思います(^_^)。

 その前に、前号で「亀毛先生だけでなく、道教虚亡隠士、仏教仮名乞児にも戯画化が施されている」と書きました。
 しかし、虚亡隠士、仮名乞児として描かれた外見は戯画化ではなく、そのものずばりを書いていると見た方が良いかもしれません。二人の様子は空海マオが感じた道教論者への皮肉、そして仏説を聞く大衆に対する皮肉がこめられているような気がします。

 道教論者が「あぐらをかいたまま傲然と語る」言葉は無為自然と仙術修行です。君主をかすやぬかみたいなものと言い切る彼らは「親孝行? くだらん。立身出世? 名誉と財産? そんなもの、仙人になれば全てかなうのだ」と言い切ったでしょう。マオは彼らが語る言葉の端々に、営々と生きる人への軽蔑の視線さえ感じ取ったと思います。
 マオは虚亡隠士を「傲然箕踞」(足を投げ出し傲然と座る様子)と描きました。それは尊大な道教信奉者への皮肉であり、マオの鋭い観察眼から生まれた表現だと思います。

 かたや仮名乞児を乞食坊主と描いた点には大衆に対する皮肉が見て取れます。どんなに素晴らしいことを語ろうと、人は外見や身分で判断しがちであり、特に仏教を説く人に対してそうであると。
 仏教編の初めに仮名乞児が「たまたま市場の中に足を踏み込むと、瓦や小石が雨のように投げかけられ、渡し場を通りかかると、馬のクソが霧のように降ってきた」とあります。これは諸国を放浪した私度僧空海の実体験だったでしょう。
 大衆は無名にして外見ぼろぼろの乞食坊主が語る仏説には耳も貸さない。むしろ小石や馬のクソを投げつけて「村から出ていけ」とどなる。
 ところが、立派な袈裟を着て朝廷に出入りするような高位の僧なら、ひれ伏し、拝礼してうやうやうしく仏説を傾聴する。その高位の僧が属する寺院が高利貸しのようなことをやっている点は見もしない。
 今で言うなら、一部の寺院が葬式仏教や高い法事、墓代でしこたま稼ぎ、その上節税・脱税するようなものでしょうか(^.^)。

 では、今号です。自堕落な若者蛭牙公子のモデルは若き空海マオであることを証明したいと思います。

 私が初めて『三教指帰』を読んだとき、妙な異和感を覚えたのは蛭牙公子を「表甥・外甥」と呼んでいることでした。
 それはまず序に登場します。「復有一表甥」(また一表甥あり)と。
 次いで本編儒教編の初めにも「於是兎角公之外甥、有蛭牙公子者」(ここに兎角公の外甥、蛭牙公子なる者あり)と書かれています。

 「表甥・外甥」なる言葉は当時「母方の甥」として知られる言葉でした。原版『聾瞽指帰』では本編に出現するだけで、序では使われていません。もう一つ叔父大足の名も『聾瞽指帰』にはなく、『三教指帰』で初めて登場します。

 うがった見方をするなら、『聾瞽指帰』を改稿したとき、母方の甥であることを言うのに、本編だけでは足りず「序」にも追加したと見ることができます。阿刀家大足の名を出すとともに、まるで「蛭牙公子は母方の甥ですよ。母方の甥ですよ」と強調しているかのようです。

 私が最初に抱いた疑問はこうでした。空海マオは自堕落な放蕩息子蛭牙公子を、なぜわざわざ《母方の甥》としたのだろうかと。
 たとえば、三教を比較して仏教こそ最上位と主張する論文を書くなら、それを学ぶ人物は普通の人で充分です。「ここに一人の若者がいる。彼はギャンブル凶で因果の道理をわきまえず、年長者を敬うこともないダメ人間だ」と書けばいい。わざわざ「母方の甥」と断る必要はありません。あるいは、兎角公の息子としても良いのです。なぜ「母方の甥」と断りをいれたのか。

 マオが大学寮を退学して修験道から仏教修行に励むのは二十歳前後のことです。彼にギャンブル凶の甥がいたとは到底考えられません。兄弟姉妹に息子がいたとしても、まだ数歳でしょうから(^.^)。
 となると、マオのいとことか遠い親戚にそのような人物がいたかもしれません。司馬遼太郎氏は『空海の風景』の中で、この「甥」は事実「母方のいとこ」かもしれないと推測しています。実証されていないけれど、可能性としてはあり得ます。

 本当にヒルのような若者が空海マオの周辺にいたなら、それは事実をありのままに書いたのだから、別におかしくありません。しかし、事実でないなら、かなり引っかかりを覚えます。自堕落な若者を「母方の甥」とすることは母親の家系を軽蔑するような表現です。母や母方の親戚縁者にとって聞き捨てならない言葉でしょう。マオにとって母親の親族とは他ならぬ阿刀家を指しています。
 空海は『三教指帰』の中で(引用句とは言え)父母の恩は五山より高く四河より深いと記しています。それは単なる美辞麗句ではなく、儒経を学んだ心底からの気持ちだと思います。母を、母方の家系を軽蔑するとは到底思えません。

 となると、儒教大家である大足叔父への反感が考えられます。大足は空海マオの母方の叔父であり、二人は叔父、甥の関係です。
 たとえば「あなたは天皇家の家庭教師として優秀な儒学者であり、人格者かもしれない。しかし、あなたの身内からダメ人間が生まれているではありませんか」との気持ちがこめられているかもしれません。現在でも品行方正な教育家から不肖の息子が生まれる例は多々あります。
 これもそれが事実であるなら、マオは大足に痛烈な皮肉を浴びせていることになります。叔父の家庭内トラブルを暴露したことにもなるでしょう。なのに、『三教指帰』の序では大足の実名を出しています。
 よって、この推理も全く的外れと言わざるを得ません。マオに近代私小説の暴露癖があったとは到底思えないからです。おそらく叔父の息子にそのような人物は存在しない。実在しないから阿刀家大足の名を出せるのです。

 マオはまず『聾瞽指帰』を書き、儒教編の初めに「蛭牙公子は母方の甥」と記した。数年後いよいよ発表する段になったとき、『三教指帰』と改題して序を書き直した。同時にまるで念押しするかのように、序でも「母方の甥」と付け加え、「外氏阿二千石〜舅(おじ)」と叔父の実名まで公開した。

 これは大足が『聾瞽指帰』を読んで儒学者亀毛先生を笑い飛ばしたことを意味します。「叔父は滑稽な儒学者として描かれたことを怒るのではないか」と案じたマオの不安は一掃されました。
 なおかつ、叔父は言ったはずです。「私の名を出しても構わんぞ」と。大足の許可がなければ、阿刀の名を出せるはずがありません。
 要するに、ダメ人間蛭牙公子を「母方の甥」と明記しても、母も叔父も怒ることなく笑って読み過ごしてくれる。それがわかったからこそ空海は序を書き直し、叔父の名を出し、堂々と「蛭牙公子は母方の甥」と書いたのです。

 もうおわかりだと思います。当時の空海周辺で「おじと母方の甥」にあたる関係者は大足と空海マオしかいません。マオは《自由奔放に生きる自分自身を戯画化》して描いた――それが蛭牙公子なのです。
 マオは大学寮をやめることは正しいと思っている。しかし、人から見ればそれはダメ人間の行動である。そこで、叔父を亀毛先生として戯画化したように、マオも自身を戯画化して描こうと決めた。
 最初は叔父の名を出すつもりはなく、自身を描いたとするつもりもなかった。しかし、叔父が「私の名を出してもいいぞ」と言ってくれた。二人のことをよく知っている読者なら亀毛先生が大足の戯画化であるとすぐにわかる。ならば、蛭牙公子もマオ自身の戯画化であるとわかるようにすべきだろう。
 そこで改訂版では阿刀家大足の名を出し、蛭牙公子は「母方の甥です」「母方の甥ですよ」と強調した。まるで推理小説のように「この自堕落な若者は他の誰でもない。私のことです」との暗号を残したのです。

 序では「外氏阿二千石〜舅(おじ)」と書き、本文儒教編では「兎角公之外甥〜蛭牙公子」と記す。「外氏・外甥」――母方のおじさんとおいを表す「外」の字を(私には)強調しているように見えます。
 阿刀の大足のおいが空海なら、兎角公のおいが蛭牙公子である。自堕落な若者蛭牙公子とは大学寮をやめ、乞食坊主のような格好で街をうろつく空海その人ではありませんか。

 「三教指帰」に描かれた蛭牙公子は、典型的なダメ人間として描かれています。
「その心は狼のようにねじけ、人から教えられても従わない。心が凶暴で、礼儀など何とも思わない。賭博を仕事にし、狩猟に熱中し、やくざでごろつきのならずもので、思いあがっている。仏教でいう因果の道理を信ぜず、業の報いを認めない。深酒を飲み、たらふく食べ、女色に耽り、いつまでも寝室にこもっている。親戚に病人があっても、心配などしないし、よその人に対応しても、敬う気持ちもない。父兄に狎れて侮り、徳のある老人を小馬鹿にする」ような人間です。

 この全てがマオ自身の実像であるとは到底思えません。しかし、亀毛先生同様、相当の誇張と戯画化が施されていると考えれば、全く問題ない表現です。

 天才的な人間がしばしば陥りがちな、傲岸不遜と言う悪癖。それは若いマオになかっただろうか。人から教えられても従わない、礼儀など何とも思わない、思い上がってなれなれしい。目上の人を敬う気持ちはなく、徳のある老人を小馬鹿にする――それは若き空海マオに少なからずあり得た資質ではなかったか。
 本人にそのつもりはなくとも、天才的人間とは周囲からそう見られがちです。彼もしくは彼女は他の人間にはなかなかできないことを軽々とやり、言いにくいことをずばりと発言する。それを見て人は思う。「あいつはすごいやつだが、謙虚さがない。生意気だ」と(^.^)。

 なおかつ彼は大学寮に入った頃ごく普通の青年、田舎者にしてエリート意識旺盛な若者だったはず。マオ自身が考えたことや古典への新しい解釈などを教授らに主張することもあったと思われます。大学寮は訓詁注釈型講義だから、学生と教授が議論して古典の理解や解釈を深めるといった授業は行われていません。他の学生はそれにすぐなじんだでしょう。
 しかし、マオはそうではなかった。自分の解釈に自信があるからこそ主張せざるを得ない。マオが手を挙げて発言し始めれば、教授や学友はうんざりしたかもしれません。そして「あいつはKY、空気が読めないやつ(^.^)」と思われ、「目上の人への敬意が欠けている」と見られて不思議ありません。

 たとえば、現在の高校大学においても、頭の切れる学生たちはしばしば先生をバカにします。そのような風潮が当時なかったと言い切れません。
 もちろん多くのエリート学生は真面目に勉学に励んだでしょう。だが、マオは一、二年で大学寮を飛び出す。私にはそのときの彼がまっすぐ仏教に進んだとはとても思えません。彼はただ単に大学の授業に失望し、儒教の教えにうんざりして逃げ出したのだと思います。

 そう考えれば、うんざりした期間の中にギャンブルだって女遊びだってあったかもしれません。現在の学生も「大学なんてやめたい」と思えば、授業をさぼり、夜更かししてテレビゲームや麻雀に明け暮れ、パチンコ・競馬に手を染める――そのような姿と重なります。
 蛭牙公子はあくびばかりしていたとあります。現代の学生が授業中居眠りをするように、この点だけは間違いなくマオの実像だったと思われます。読書家が夜更かしをするのはよくある話で、朝寝をして起き出さない蛭牙公子とは、深夜まで古書を読みあさるマオその人の姿だったでしょう。大足は「徳のある老人を小馬鹿にする」とのくだりを読んで、失笑したと思います。

 マオの両親も大足も「聾瞽指帰」のこのくだりを読み、「お前はここまでひどくはないが、大学を辞めたいと言ったり、放浪して好き勝手なことをやってよく似ているね」くらいは言ったかもしれません。
 この推理なら、母方の家系をバカにしたことにはなりません。なぜならマオ当人を描いているからです。それをわからせるために「蛭牙公子は母方の甥」としたのです。

 なおかつ、佐伯家、阿刀家当事者以外の親戚・縁者から見れば、自由気ままに振る舞うマオは間違いなく蛭牙公子と同タイプに見えたことでしょう。田舎者としては破格の待遇が約束される大学寮に入りながら、ドロップアウトしようとするマオ。親戚連中は彼をどうしようもないダメ人間と見なしたはずです。
 こう考えれば、蛭牙公子を矯正せんとする兎角公には大足の一面が投影されていることになります。兎角公の甥が蛭牙公子であるように、大足の甥とは正にマオをさしているからです。

 空海マオの母も父も、叔父の大足も「聾瞽指帰」を読んで、ただただ苦笑するしかなかったでしょう。そして、蛭牙公子ことマオが儒教から道教、さらに仏教世界へと進む心の動きを否応なく知らされたはずです。

 最後に、この関係を公式化してみると(^.^)、
 儒学者阿刀の大足+戯画化=亀毛先生
 堕落者蛭牙公子−戯画化=大学寮を退学せんとする空海マオ――とまとめることができます。

 よって、『聾瞽指帰』に登場する五人のうち、初めの三人のモデルは以下のようになります。

 1.蛭牙公子=大学寮退学前後の空海マオ
 2.兎 角 公=甥のマオをどうにかしようと腐心する叔父の大足
 3.亀毛先生=儒教を説く大足

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 最後まで読んでいただきありがとうございました。(御影祐)

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