『続狂短歌人生論』31 なぜ変えられないのか

 その4「愛してくれるから」前半


○ 四タイプ それがあなたの愛ならば 人は続けてほしいと思う


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ゆうさんごちゃまぜHP「続狂短歌人生論」   2023年11月29日(水)第31号


 『続狂短歌人生論』31 なぜ変えられないのか その4「愛してくれるから」前半

 前号後記の答え。敢えて選べば父か母、どちらが必要か。
 私の父は十代のころこの問題について友人と議論した。
 友人は「そりゃ父だよ」と主張し、私の父は「いや、母だ」と反論した。

 友人はなぜ「父だ」と言い、私の父は「母だ」と言ったのか。
 ヒントは「なーんだ」と思えるような理由。
 これを読めば答えが出たのでは?

 そのわけは友人は幼いころ実父を亡くしていた。
 私の父は逆に生母を亡くしていた。
 つまり、二人は自分の体験に基づいて「父だ、母だ」と主張していたのです。

 これは一般化することができます。私たちは《自分にないものをほしがる》と言えるのです。
 もちろんこの件は今号に関係します。

 さて、脅迫・批判・傍観・受容の四タイプはなぜ変えられないか。四つ目の理由。
 これまでそれが長所と思えば、変わろうなどと考えない、尊敬されていると思えば、変わる必要を認めないことを語りました。

 そして、前号において「人はそもそも《認められたい、誉められたい、愛されたい》と思って子ども時代をスタートする。そのために脅迫・批判・傍観・受容という生き方を身につけた。言わば子どものころからしみついた癖であるなら、変えることは容易でない――ことを追加しました。これらは全て本人の側の考えであり感情です。

 対してこちら側。つまり、四タイプと一緒に暮らす人、特に子どもは親に対してどう思うか。
 相手に対して「変わってほしい」と思わない。むしろ変わらなくていいと感じる――不思議な、あるいは当然の(?)感情について語ります。
 こちらが変わってほしいと思い、その気持ちを伝えなければ、四タイプは変わることがない。その機微について語ります。

 なお、いつもの悪い癖で今号も長くなりました。
 前後二つに分けて配信しますが、内容が絡んでいるので1週間空けないで翌日の配信とします。


11月08日  なぜ変えられないのか その1「長所と信じるから」
 〇 四タイプ それが長所と信じれば 変えなければと思うことなし

11月15日
 なぜ変えられないのか その2「尊敬されるから」
 〇 三タイプ 誉められ認められるなら 変えようなどと思いもしない

11月22日
 なぜ変えられないのか その3「愛してほしいから」
 〇 幼子は人を愛することよりも 愛してほしいと思う生き物

11月29日
 なぜ変えられないのか その4「愛してくれるから」前半―――――――本号
 〇 四タイプ それがあなたの愛ならば 人は続けてほしいと思う

11月30日
 なぜ変えられないのか その4「愛してくれるから」後半

12月06日
 なぜ変えられないのか その5「感情と理屈が結びついているから」
 〇 人間は性善なのか性悪か 溶け合っている理屈と感情



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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 四タイプ それがあなたの愛ならば 人は続けてほしいと思う

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 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』31 なぜ変えられないのか 】

 その4「愛してくれるから」前半

 実は本号の狂短歌、末尾に前号同様「生き物である」とつけたかった。
 たとえば、「〜愛ならば 続けてほしいと思う生き物」とでも(^.^)。
 一緒に暮らす人(子ども)は四タイプの生き方が「人を愛する姿だ」と思えば、変わってほしいと思わない。
 むしろその生き方を続けてほしいと思う。「何が悪いの?」とつぶやいて四タイプを擁護する……生き物である。狂短歌はさすがに下手さかげんがひどくてやめました。

 ――とそんな裏話はどうでもいい、本論開始。

 前置きで取り上げた問題――我々に必要なのは父の愛、母の愛のいずれか。
 両親が健在なら、普通「どちらも必要だ」と答えるのではないでしょうか。
 父には父の、母には母の役割があると。

 私が子どもの頃、この二項対立を表すキャッチフレーズとして「父は厳しく、母はやさしく」がありました。父は厳格に子どもを導き、母は父を補助して優しく子どもに接すると。

 内助の功とか「山内一豊の妻」なんて言葉がもてはやされた時代です。戦前の女性には「三従の礼」なる徳目も勧められていました。
 女性は幼きときは父に従い、嫁いでは夫に従い、老いては子に従う。その生き方こそ称賛される……なんて今では誰も主張しないでしょう。
 もっとも、一部の男性政治家は内心こう思っているようです。特にお年寄りが。
 そういう人に早く引退してもらうのは選挙民の仕事だと思います。

 トーゼンのように妻は「専業主婦」の時代でした。専業主婦が多かった時代、離婚はとても少なかった。夫の稼ぎが高かれ低かれ、夫が不快と嫌悪を催す人間であろうがなかろうが、妻は夫の元を離れて生きていけない。ある意味当然でしょう。

 しかも、戦前など多子社会でした。私の父は兄弟姉妹が6人、母は5人。母の叔父夫婦には9人の子がいます。その末っ子は私の同級生でした。私は彼をいとこだと思っていましたが、母のいとこなのです。
 母が亡くなった時、通夜の場に見たことのない親戚が数十人来ていました。
 父に「あの人たち誰?」って聞くと、「みんなオレのいとこだ」と答えたので、驚いたものです。

 そのような多子社会では父が働き、母が家を守って子どもを育てる――となって不思議ではありません。
 しかし、現代は共稼ぎが世帯の7割を占める時代になりました。夫がいなくても生きていけると考えれば、離婚が増えるもむべなるかな。しかも子どもは一人か二人の少子社会です。

 余談ながら、政治家や官僚は過去と現在をしっかり勉強して未来を読んでいるだろうか、と疑うことがあります。
 少子社会が問題で多子社会にしたいなら、専業主婦を増やせばいい。だが、働き手が少ないから「奥さんも働いて」と共稼ぎを奨励した。やがて奥さんも働かないと中流生活を維持できない。多忙で疲れている夫婦は子どもに関わっておれない。
 両親の姿を見て子どもは思う。結婚しても共稼ぎでやるしかない。子どもは一人か二人しか育てられない。いや、もう子どもは産まない方がいい。結婚もしない方がいい……と。やれやれ(?)。

 また脇道にそれました。元に戻って子どもに必要なのは父の愛、母の愛のいずれか
 この質問に対して現代人はどう考え、どう答えるか。みなさん方はどうですか。

 選択肢は次の四つです。
 1 父の愛が必要
 2 母の愛が必要
 3 どちらの愛も必要
 4 どちらの愛も不要

 こうやって整理してみると、現代の夫婦・親子関係における諸問題があぶり出されるような気がします。それぞれについて考えてみます。

 3 どちらの愛も必要

 一般的には「4なんてとんでもない。3のどちらの愛も必要だ」が多いでしょう。
 なのに、結婚した夫婦の半分は家庭内別居のようになり、さらに半分が離婚すると言われます。たとえば、厚労省2019年の統計によると、約60万組の婚姻に対して離婚したのは21万組。すなわち離婚率35パーセント。

 もっとも、3割という数字は2019年に結婚した夫婦の将来における離婚可能性を示しているわけではありません。この年離婚した夫婦には過去数十年にわたる婚姻数が含まれているからです。
 1年も経たずして離婚する夫婦があれば、真珠婚式後の熟年離婚、死後離婚だってある。[「真珠婚式って何年?」と思われた方はネット検索を]。
 そう思いつつ、2019年に婚姻した60万組が今後30年、40年、50年の間に離婚0なんてあり得ないし、全て離婚するわけでもない。離婚可能性「2割はあるんじゃなかろうか」と感じます。

 先日私の姪(10歳と5歳の子持ち)から、「おじさんが結婚式に言ったお祝いの言葉がすごく心に残っている」と言われました。
 私はすっかり忘れていたので、「何て言ったんだ?」と聞くと、
「今後どうなるかはわかりませんが、とりあえずおめでとうと言っていた」そうです(^.^)。
 みんな「いつまでも」とか「共白髪」など祝いの言葉を述べる中で「おじさんだけは違っていた」と笑います。
 幸い姪は何度か危機がありながら、四人の生活をまだ続けています。
 しかし、今後はわかりません。

 父と母の愛、どちらも必要との考えは《理屈と感情》面から眺めることもできます。
 人がよく言う「子どもにとって父と母二人の愛が必要」というのは理屈であり、「もうこの人と一緒に暮らすことはできない」という感情に負ける。だから、離婚がなくなることはない。
 かと言って(以前も書いたように)子どものためだと仮面夫婦を続けること、毎日口げんかばかりしているくらいなら、早く離婚した方が子どものためだと思います。

 1 父の愛が必要 2 母の愛が必要

 もしも離婚して母が一人で子どもを育てていれば、2を選び「父など不要」と思う。同じく離婚して父が子どもを育てていれば、1を選び「母なぞいらない」と思う――可能性が高い。
 いや、そう思わなければやっていけない。自分一人で子育てしようと思わないでしょう。当然再婚しようとも考えない。「もううんざり」だから(?)。
 ドラマ的には「熱愛の末結ばれた伴侶を突然亡くし、あの人以外愛する人はいない」と思えば、再婚しないまま子どもを育てる人もいるでしょう。

 離婚したシングルマザー・ファーザーで問題なのは子どもが共に暮らす親と同じことを思う――それを自分に強いることです。
 父のいない家庭で母は別れた夫の話をしたがらない。子どもはそれを感じ取って父の話題をタブー視する。同様に父が育てる場合も別れた妻の話題はタブーとなる。

 だが、先ほど書いたように、人は自分にないものをほしがる。親は必要ないと思っても、子どもの内心は違う。父が不在の家で、子どもは父を理想化する。母が不在の家で、子どもは母を理想化する

 死別でない限り、子どもは離婚した父(または母)とときどき再会するでしょう。
 理想通りなら「なぜ別れたのだろう」と疑問が膨らむし、「別れて当然の父(または母)」と思ったら、結婚に対して嫌悪を感じるかもしれない。

 人はだいたいたまにしか会わないと「いい人」を演じる。「なぜ別れたのか」の疑問が心に閉じ込められたままだと、その後の人生に影響を及ぼす可能性が高い(と思います)。
 よく「親が離婚した子どもは結婚しても離婚する」と言われます。原因はこのへんにありそうです。

 別れて当然と思う父・母に関しては養育費の問題があります。
 離婚しても子どもがいれば別居する父(母)は原則20歳まで養育費を出さねばならない。だが、養育費を受け取れていない家庭は非常に多く、2021年の調査によると、母子家庭のうち約6割が、父子家庭の場合は9割近くが、離婚後一度も養育費を受け取っていないそうです。

 経済的な事情はもちろんあるでしょう。しかし、最低限の責任さえ果たそうとしない親の子に生まれたことを、子どもは呪い、男・女(=人間)への絶望にとらわれるかもしれません。ひとり親家庭の内訳はほぼ9割が母子家庭。貧困率は5割と言われます。貧困家庭の子どもは大学進学をあきらめるでしょう。

 そのような離婚後の状況を放っておく政府、立法化しない議員がよくまー「子どもをたくさん産みましょう」などと言うもんです。口から出まかせ「後は知らん」の典型みたいな発言ですね。「離婚してもしっかり養育費を払わせます。ひとり親世帯となってもフォローします。だから、安心して子どもを産んでください」と言うべきだし、そういうシステムを構築するべきです。

 日本の人口が数十年後には半減すると騒いでいます。現代は少子社会なんだから、多子社会に生まれた祖父母・曾祖父母たちが亡くなれば、人口減は当然の帰結。
 それを防ぐ方法は二つしかない(と私は思います)。一つは多子社会に戻すこと。もう一つは移民をどんどん受け入れて減った分をカバーすること。
 移民の方々は何年か経って日本に住み続けたいと思うなら、(日本語が未熟でも)国籍を与えて日本人とする。純潔日本人が半分になった時、移民日本人と混血日本人があと半分を占める(?)。

 日本のリーダー、国会議員はどちらの策も国民に提起できないようです。
 もはや多子社会には戻れない。そこには「女は子を産む道具であり、高等教育は必要ない」との理屈がついて回るから。戦前の日本がそうであり、今でも某国タリバンが主張し、日本の老政治家もぽろりともらす。

 かと言って日本は難民さえ難癖付けて受け入れない国。「移民を増やそう」と言えない。だから、「奥さんも働いて」と共稼ぎを奨励した。今(そして今後)「労働力不足だから、お年寄りも働いて」と言う。「移民を増やしましょう」と口が裂けても主張しない。

 かくして日本のリーダーたちはただ事態の推移を眺めることしかできない。彼らが無能だからではなく、純潔日本人だからであり、それを維持したいと考えているから。
 そして、多くの純潔日本人(?)が多民族社会の日本を受け入れようとしないことも知っているから(と思うのは私だけでしょうか)。

 話が飛躍しますが、なぜ女系天皇を認めないのか。もしも女性天皇が「私は愛した外国の人と結婚します」と言って産まれた混血の子を天皇にしたくないから(と推理しています)。
 もちろんこれは男性天皇・皇太子も同じ。彼に恋愛・結婚の自由はない。何しろ皇室の一員が「妙な相手と結婚したら、やめろと言う資格がある」と考えている方々ですから。

 閑話休題。
 一体日本の子どもたちに英語を勉強させているのは何のためか。
 世界で活躍するため? 英字新聞・英語小説を読むため?
 真の狙いはやがて来る多民族社会日本に備えるためではないのか。

 小中高(大)で10年英語を学んでも日本人の多くは英会話ができません。私は『一読法を学べ』第48号(提言編Uの4)において「英語教育を英語圏小6レベルの英会話教育に転換すべき」と提起しました。それは日本の未来を多民族社会と予測するからです。

 すでに観光地でインバウンドを迎える日本人は日常英会話を使っています。訪日外国人はかつて西欧ばかりだった。今は中国・韓国・東南アジアからも来る。彼らはほぼ英語を喋っている。それは某局「ユーは何しに〜」を見ればよくわかります。
 必要に迫られて日常英会話を学ぶのではなく、小中高の英語教育を英会話中心にするべきだと思うのです。

3 どちらの愛も必要

 また脱線しました。元のレールに戻って「父の愛、母の愛、どちらも必要」について。
 離婚したけれど、「一人親は良くない。母子家庭・父子家庭は経済的に大変だし、子どもにとっても良くない」と思えば、3「どちらも必要」を選んで再婚を考える。

 しかし、再婚すると継母、まま父と子どもの間はうまくいかないことが多い
 特に親がまだ若く子どもが小学校くらいのころ、再婚した両親に次の子(弟か妹)が生まれれば、親の愛はその子に移り、先妻の子は「自分には居場所がない」と感じやすい。
 この子は独立すると、4「どちらの愛も不要」を選ぶかもしれません。

 私の父は実母を早くに失くし、母が必要と言った。母の死後祖父はすぐ再婚したそうです。
 父は次男で男3人、女3人の兄弟姉妹でした。6人の子を抱えていればすぐ再婚するのも当然でしょう。戦前の話です。
 友人と議論したとき、父には再婚した母がいた。父にとって継母は「必要な母」ではなかったことになります。

 後妻に子は産まれなかったけれど、父は二十代の頃、兄と図って継母を追い出そうとしたことがあったとか。理由は「義母が漬物を勝手に捨てた。そんなことじゃ困るから」と語っていました。
 たぶん高菜漬けだと思います。昔は貧しい暮らしのおかずとして大量に作られた。高菜漬けは古くなると、腐ったような匂いがする。が、炒めればまだ食べられる、と父は考えたのでしょう。

 ちなみに、私も子どもの頃高菜漬けの油炒めが嫌いでした。一度母に「腐ったものを食べさせるな」と文句を言ったことがあります(^.^)。後に誤解と分かり、今では好きな副菜です。
 父が継母を追い出そうとした理由は「何それ?」ですが、それまでの軋轢があったのだと思います。

 さて、ここまで語ってきたことは前号最後に提起した問題について考える基礎と言うか、材料を提供するためです。テーマはこうでした。
 私たちは相手のどのような言動を受けて「ああ愛されている」と感じるか
 逆に「これでは愛されていない」と感じるか――。

 次号後半において「愛されている」と感じるパターンを詳しく語ります。
 自分の生き方が周囲・子どもから尊敬され愛されていると感じれば、そりゃあ誰だって「変わろう」などと思わないでしょう。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:ここで別件。日本の(世界の?)「おめでとう」について。
 アメリカ大リーグ、2刀流大谷翔平さんがア・リーグのМVPに選出されました。一昨年に続く2度目で、今回も満票。これは大リーグ初とか。
 無縁の人間ながら「おめでとうございます」と祝辞を献呈いたします。

 かたや悲惨の一語がイスラエルのガザ爆撃。病院まで攻撃しました。
 病院の地下に通路や部屋があるのはたぶん事実でしょう。だが、病院内で「武器が見つかった」というのはでっちあげだと思います。反撃にあってもいないのに、病院内の施設を破壊する……。
 かつて中国の皇帝が敵方、謀反の家臣の親族、赤ん坊まで殺害したことと重なります。

 ウクライナも含めて「戦争やめろ!」と言いたい。
 リーダーの決定に従ったハマスの戦闘員がこの事態を引き起こした。
 報復だ、攻撃だ、病院だろうが何だろうが殲滅しろと命令するリーダー。

 兵士よ、リーダーの命令に絶対服従するな!
 一人一人が武器を捨てれば、戦争は終わる!



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