『続狂短歌人生論』55 『杜子春』を一読法で読む 後半 その4-1


○ 仙人はまさかのタイムトラベラー(?) 過去を訪ねたその目的は


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ゆうさんごちゃまぜHP「続狂短歌人生論」   2024年04月01日(月)第55号


 『続狂短歌人生論』55 『杜子春』を一読法で読む 後半 その4-1

 峨眉山の試練も、地獄の責めも最初は杜子春の決意を確かめるためだった。だが、そのうち「仙人になりたい」との夢をあきらめさせることに変わった。人の心の痛みがわからないような人間が仙人になれば、多くの人を不幸にする。そんな怪物を生み出すくらいなら、ここで殺してしまおう――と鉄冠子は考えた。

 こう推理すれば、鉄冠子が杜子春を「殺すつもりだった」理由、わからなくもありません。
 が、それでもなお「あんたに杜子春を殺す権利があるのか」と言いたくなる。
 何があろうと人間に他の人間を殺していい理屈はない。それを強行することはテロの発想ではないかと。

 それにこの推理では「なぜ杜子春なのか」説明できません
 仙人・鉄冠子は春のある日たまたま都を訪れた。たまたま西門の外でため息をつく杜子春を見出した。
 それはまーあるかもしれない。だが、黄金のありかを教え、二度目に都を訪ねたとき、またもたまたま杜子春を見出し、彼が黄金を使い切ったと知ってまたも黄金のありかを教えた。
 これ全てたまたまと言うのか。あの杉下右京なら「偶然とは思えませんねえ」とつぶやくでしょう。

 なぜそれほどまでに杜子春にラッキーを与えるのか。気まぐれも度が過ぎると言いたくなる。さらに、たまたまの三度目で、なおもう一度黄金のありかを教えようとした。まるでその日そのとき杜子春がそこにいると知っていたかのように。
 しかも、それだけひいきにしながら、「こいつはほんとに仙人になるかもしれない、危険な人間だ」とわかったら、「殺すつもりだった」なんて……「ええかげんにせえや」と怒りたくなる。

 そこでもう一つ、別の理由を考えてみました。
 それは仙人が未来から来たタイムトラベラーと考えることです(^_^;)。

 これまたSF小説・SFアニメの読み過ぎ、見過ぎのような「突飛な空想」と言われかねない。もちろん作者にそのような意図はなく、私の単なる妄想に過ぎません。
 しかし、こう考えると、鉄冠子がたまたまのように杜子春と出会う事、さらに杜子春を殺そうという理由が納得できるのです。

 なお、長くなったので、二つに分けて配信します。
 本号は前半タイムトラベル理論まで。
 次号仙人・鉄冠子タイムトラベラー説について。

 青空文庫『杜子春』は→こちら


3月13日(水) 47号 『杜子春』を一読法で読む 前半その1
 〇 続編の掉尾を飾る具体例 それは『杜子春』 最適最高

3月15日(金) 48号 『杜子春』を一読法で読む 前半その2
 〇 過ちを繰り返すこと二度三度 愚かなれどもそれが人間?

3月18日(月) 49号 『杜子春』を一読法で読む 前半その3
 〇 痛い目にあってようやく変えられる 三度目ならばまだ救われる

3月20日(水) 50号 『杜子春』を一読法で読む 前半その4
 〇 やさしさと弱さゆえに変えられぬ 絶望の中希望はあるか

3月22日(金) 51号 『杜子春』を一読法で読む 前半その5
 〇 三度目に変わることなく 四度目を 迎えたならば命を失くす

3月25日(月) 52号 『杜子春』を一読法で読む 後半その1
 〇 かなえたい夢が我らを強くする されど命とどちらを選ぶ?

3月27日(水) 53号 『杜子春』を一読法で読む 後半その2
 〇 夢のため耐えて唇噛みしめる 自分を 人を 犠牲にしても

3月29日(金) 54号 『杜子春』を一読法で読む 後半その3
 〇 [狂短歌は本文末尾に掲載]

4月01日(月) 55号 『杜子春』を一読法で読む 後半その4-1―――――本号
 〇 仙人はまさかのタイムトラベラー(?) 過去を訪ねたその目的は



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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 仙人はまさかのタイムトラベラー(?) 過去を訪ねたその目的は

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 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』55 『杜子春』を一読法で読む 後半 その4-1 】

 まず初めにどうしても語っておきたい……タイムトラベル理論があります。
 SF好きの方はよくご存じでしょうが、興味ない人にとっては退屈な記述なので、さーっと通読されて結構です(^.^)。

 私が退職後初めて執筆、自費出版した小説『ケンジとマーヤのフラクタル時空』と(完結編となる)『時空ストレイシープ』はタイムトラベル小説です。だけでなく主人公の少年ケンジが心を成長させる物語でもあります。

 二冊合わせて原稿用紙1000枚の長編。とても一冊にはできないと前後編に分けました。長いし中身も妙だし、世の評判になることなく初版止まりもむべなるかな(^_^;)。
 作品の感想としてあの名作映画『バックトゥザフューチャー』に「似ている」と言われたことがあります。「そうですね」と応じたけれど、実はちょっと違います

 その前に有名なタイムトラベル理論について少々。
 タイムマシンは決して発明されないと言われます。我々は空間を飛ぶことはできるけれど、時間を超えて過去や未来に行くことはできない。時間と空間は全く別のものだから。

 たとえば、ある科学者がタイムマシンを発明して自分が生まれる前の父に会いに行く。彼の目的は(かつて虐待された)自分の父親を殺すこと。しかし、それは不可能である。なぜなら、父を殺すことができたとしても、その瞬間彼は消え失せる。だが、彼は生きて数十年後に存在する。ゆえに、絶対に父を殺すことができない。タイムパラドックスとも言います。

 ちなみに『バックトゥザフューチャー』は本稿のテーマと大きく関係しています。「変わるため、変えるためには何が必要か」という点です。
 主人公は「チキン(臆病者)」と呼ばれるとすぐカーッとなる若者。彼には現在いやなことが多々起こっている。ある日親友でもある変人科学者が車型タイムマシンを発明したと知り、それを手伝う途中「デロリアン」に乗って父と母が高校生だった30年前に時間移動する。

 すると、母が主人公に恋して二人が結ばれない事態が発生しかける。主人公はこれはやばいと二人を結ばせるため悪戦苦闘して……成功する。現在に戻ると事態はとても良い方向に変わっていた。続編はそれが未来に行き、三作目はもっと昔に行って……主人公はようやく「チキン」と呼ばれても冷静でいられる人間に変わったというお話です。

 バックトゥザフューチャーでは時間はつながっている。だから、過去を変えれば現在が変わる。現在を変えれば未来が変わるし、もっと昔を変えれば、現在も未来も変わる。変えれば元の正しい時空に戻るというタイムトラベルです。
 ゆえに、高校生の父と母の恋が実らないと、主人公の兄姉が写真から消えかかる。彼の姿も次第に透明になるという不思議な現象が起きます。

 私はこのタイムトラベル理論に対して多次元時空理論を採用しました。「今の時空は無限大にある時空の中の一つに過ぎない」と考えるのです。
 現在という時間は存在しないので、無限大の未来は0時空の現在を経て一つの過去に収斂(しゅうれん)する。虫眼鏡で集めた太陽光が一点に集中するようなもの。「∞の0乗=1」がその方程式(^.^)。

 よって、確定した過去に行くことはできるが、未来は見ることしかできない。過去は一つだけれど、未来は無限大にあるのだから、明日普通に生きて暮らす未来があれば、交通事故で大けがを負っている、地震と津波に飲み込まれて死んでいる未来だってある――となります。

 この理論ではタイムトラベラーが過去に旅してそこに降り立った瞬間、新しい(別の)時空が始まると考える。このことは言葉が証明しています。未来人は「未来からやって来た」と過去形で語る。すなわち、未来人が住んでいた世界はこの時空の《過去》にあるのです。

 とまれ、未来人は今の世界を生きて活動する。最初こそ自分がよく知る過去の事実が起こる。だが、そのうち違う出来事が起こり始めて未来人は不思議に思う。これも別の時空に飛び込んだと考えれば当然の事態である。
 新しい時空が始まった以上、この先何が起こるか全くわからない。よって、彼はこの世界で自分の父親を殺すことができる。自分が生まれる前の父を殺しても彼自身は消えない。

 私の作品はもう一つ生身の人間はタイムトラベルできないけれど、「魂」なら過去に行けるのではないか、との理屈も採用しました。輪廻転生の逆バージョンです。
 未来人「マーヤ」はある日中三の少年「ケンジ」の前に現れる。マーヤはタイムトラベルに成功したと思っているけれど、実はある少女の心の中にもぐりこんだとの構想です。

 そこからケンジとマーヤの交流が始まる。マーヤにはある目的がある。それはひ弱でいいかげんで、うそをつくは万引きをするはのケンジを変えること(なぜ変えたいのかは最後にわかります)。
 ところが、ケンジはなかなか変わらない。マーヤは「やっぱり確定した過去を変えることはできないんだ」とがっかりしつつ、ある日を境にケンジが変わり始めたことに気づく。ただ、それはケンジ自ら変わっているようであってマーヤはわけがわからなくなり、後編では自衛隊が絡んで大変な事件が起こる……といった感じで話は展開します。
 一読法を学んだ読者各位ならついてこられるかもしれません。いずれメルマガ配信を、と考えています。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:「さーっと通読されて結構」と書きながら、一読法でじっくり読んでいれば、「どーいうこと?」とつぶやいた箇所が一つあったのではと推察します(^.^)。

 多次元時空理論について語ったところに「今の時空は無限大にある時空の中の一つに過ぎない〜〜現在という時間は存在しないので、無限大の未来は0時空の現在を経て一つの過去に収斂(しゅうれん)する」とあります。この「現在という時間は存在しない」って妙な言葉ですよね。

 でも、「私たちは現在という時間を自覚できるだろうか」と考えれば納得できます。
 たとえば、時計を見ながら早口で「現在だ!」と言って見てください。叫んだ瞬間1秒経っています。つまり、過去になっている。とても「この1秒が現在です」とは言えない。100分の1秒としても同じ。現在と自覚した瞬間時間は過去になっています。つまり、現在という時間はない、0である――というわけです。

 なお、文中『ケンジとマーヤ〜』・『時空ストレイシープ』について書いていますが、CМではありません。2冊はすでに絶版となっているし、中古書店でもなかなか手に入らないでしょう。
 もしも「(本を)読んでみたい」と思われるなら、私の家に何十部か残っているので、送料受取人払いにてお送りします(代金不要)。以下[E-MAIL]宛てご連絡ください。

E-MAIL:mikageyuu@@yahoo.co.jp (@マークを1ヶ外してコピペしてください)


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