第三の人生


○ 退職後それが第二の人生なら第三の人生歩む人もあり



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ゆうさんごちゃ混ぜHP「狂歌教育人生論」        2004年 6月16日 第20号

 (^_^)今週の狂短歌(^_^)

20 退職後それが第二の人生なら第三の人生歩む人もあり

(^O^)ゆとりある人のための6分エッセー(^O^)  

第三の人生

 前々号のメルマガで退職後第二の人生について、砂漠に木を植えた日本人の話をしました。
 その続きではありませんが、今号はさらに先――退職後の人生に続いて第三の人生さえ踏み出した高齢者日本人のお話を紹介します。

 テレビでNGO(非政府組織)の指導者中田正一氏(1991年死去)が取り上げられていました。
 その前にまずNGO活動に参加する日本人高齢者が紹介されていました。
 その人はネパールで現地の人に稲作を教えている農業指導員の男性でした。標高1300米の高地で稲作を試み、数年前初めて世界最高峰稲作に成功したのです。その人の年がなんと80歳(・o・)。とてもその年には見えませんでした。インタビューで、どうしてそんなことをと聞かれ、彼は言いました。
 「社会に役立つことの喜びをしみじみ感じたいんだ」と。
 日本より、貧しい国の方が教えがいがあると言っているようでした。
 素晴らしい言葉、素晴らしい活動だと思いました(^o^)。

 そして、中田正一氏もまた同じような高齢者でした。彼は78歳で千葉に「風の学校」というNGO活動家養成のための学校を作ったのです。

 彼は若い頃日中戦争で兵隊として中国の鉄道や建物等の破壊工作に従事した。帰国後はその反省から農業関係の仕事に就く。しかし、高度経済成長で破壊される日本の農業に嫌気がさし、1960年代後半から、依頼されてアフガニスタンの農業指導者となった。
 その頃のアフガニスタンは緑豊かで、昔ながらの農業が行われる穏やかな国だったとか。だが、1979年のソ連侵攻以後、アフガニスタンは荒廃する。彼はその前に任務を終えて帰国していた。
 その後妻に先立たれた中田氏は、今度はバングラデシュに赴き再び農業指導に従事する。そのときの年齢が72歳。そこで同じくNGO活動家として、学校で子供達を教えていた女性(42歳)と知り合う。そして、翌年彼女と結婚する。これも驚き。中田氏は再婚とは言え、年の差30!
 そして1984年、中田氏は78歳で風の学校を設立した。

 奥さんは当初そんな物好きは来ないと言ったが、ぽつぽつと入学者が集まり始める。ところが、中田氏はろくに教えない。自分たちでただ農業をやらせるばかり。貧しい国に行ったときは、全て自力でやるしかない。彼は「自力で解決するたくましさ」を身につけて欲しいから、敢えて教えなかったそうだ。
 その中田氏が一転貧しい国に必要なものは水、井戸掘りを教えたいと勉強し始めた。そう決心したときが驚きの80歳(・o・)。
 彼は苦労した挙げ句、日本古来の「上総(かずさ)堀り」の井戸掘り法を知り、工夫と改良を経てやっと井戸掘りのやり方を完成させた。そして1989年にはフィリピンの貧しい地区で井戸掘りを始めた。
 その年ソ連がアフガニスタンから撤退。中田氏は荒廃したアフガニスタンで井戸掘りをしようと隣国パキスタンへ飛ぶ。しかし、アフガニスタン政権は外国人を入れようとしない。二度試みて失敗、三度目は現地の人に変装してまで入国しようとするが、結局達成できずあきらめて帰国した。
 その直後中田氏は脳腫瘍で倒れ、1991年10月に亡くなった(享年85歳)。その頃彼の弟子達がフィリピンで井戸掘りをしている。彼は病床からその様子が撮影されたビデオを眺めていた。だが、井戸掘りが成功したビデオを見ることはできなかった。
 その後中田氏の弟子達はアフガニスタンで井戸掘りを始めた。だが、その施設も米軍のアフガン戦争空爆によって破壊されてしまった……。

 もうここまで来ると、第二の人生なんてものではなく、私には第三の(しんどいかもしれないが)素晴らしき人生という気がしました。あるいは、引退なき人生なんでしょうか。
 かたや隠居生活で盆栽いじりして静かに死を迎えるも人生。老人ホームや養護施設で老いぼれるも人生。一方、貧しい国へ赴きその国の人たちの役に立って生を終えるも、また人生なんだなあと思います。

 中田氏も素晴らしい言葉を残しています。
「今日一日自分でできることを精一杯やる。そうすれば、明日は今日より少しだけいいものになるだろう」と。
 私は思うのですが、これらのご老人たち、そんな生き方が好きで、そして楽しいからやっているんだろうなと思います。義務ではなく使命でもない。ただ好きなこと、楽しいことをやりたくてやっている。だから、彼らは若々しく見えたのでしょう。


 ○ 退職後それが第二の人生なら第三の人生歩む人もあり

 ○ 第三の人生身体が動くなら貧しい他国で生きるも楽し?


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:長崎でまたも小6女児による悲惨な同級生殺害事件が起こりました。その週の土曜日私は八ヶ岳山麓にある友人の別荘を訪ね、たき火やバーベキューを楽しみました。夜たき火を囲みながらその話題も出ました。(突然飛躍しますが)私は今回のもかつての不可解な事件も、文明病の一つなのではと考えています。パソコンがなければ、ケータイがなければ、文明の機器と社会システムがなければ、悲惨な事故や殺人は起きなかった――そういうことって多いのではないでしょうか。文明の便利さ・楽しさを獲得してしまうともう元には戻れない、とよく言います。しかし、なーにいつでも元へ戻れるのではないか――たき火を囲んで疑似(ぎじ)原始生活を送りながら、そう思いました。(御影)



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