○ 死に神に勝とう勝とうと苦しんで、もういい負けた。死に神消えた?
ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」 2005年 7月 8日(金) 第57号
今号は今から3年前に見た、あるテレビ番組のお話しです(^_^;)。来年冬季オリンピックの時に発表しようと思っていましたが、ちょいとわけがあって今から公開いたします。
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(^_^)今週の狂短歌(^_^)
○ 死に神に勝とう勝とうと苦しんで、もういい負けた。死に神消えた?
あるテレビ番組で、長野オリンピック直前に胃ガンで早逝した選手のことを取り上げていた。
その人の名は森徹選手25歳、モーグルスキーの候補選手である。彼の兄もまた複合ノルディックスキーの選手である。
兄弟は互いをライバル視して頑張ってきた。そして、兄弟共に長野オリンピック代表となる。だが、弟はオリンピック前年の8月、代表に内定しながら胃ガンを発病した。
両親は彼に告知して手術を受けようと言った。彼は「とんでもない、手術はオリンピックの後だ」と主張した。だが、癌は既に末期状態で、手術しなければ3ヶ月の命だと宣告される。
スポーツ選手としてさわやかに活動し、兄弟でオリンピック代表という頂点を迎えながら、なぜそのような病気になるのか。彼は苦しんだだろう。だが、まだ24歳。次のオリンピックがある。そう思って胃の摘出手術を受けた。
しかし、そのとき既に癌は他の臓器にも転移していた。医師の診断は余命数ヶ月。
彼は苦しみながら癌と闘ったが、ベッドの上でどんどんやせ細っていった。
翌年長野オリンピックが開催された。
徹さんは病院を抜け出し、兄や仲間を応援した。そしてオリンピック終了後、無理を押して全日本モーグルスキー大会に出場する。しかし、それを最後に二度とスキー板をはくことはできなかった。
その後の闘病生活も空しく、夏を迎えた頃、森徹さんは長野の療養施設で短い一生を終えた。
彼は最後の頃死を悟り、穏やかに優しくなった。それまではとても苦しんでいたという。
一人の女医さんが彼から「あとどれくらい生きられるか」と聞かれたとき、「もう闘うことはやめましょう」と諭(さと)したと言う。
その後彼は穏やかになった。父母に向かって「どこか旅行でもしてきたら。自分は一緒に行けないけれど」と言うこともあった。
番組のパネラーたちは「何て美しい死に方なんだろう」と感想を述べていた。
確かに死の直前彼はどこか静かな境地に達していた。だが、それまではものすごいどろどろした感情にとらわれていたようだ。絶望感とか憤りとか怒りでどうしようもなかったに違いない。
彼の短い人生は闘いの連続だった。オリンピック代表を目指す闘い。ライバルとの闘い。弟として兄との闘い。そして、病魔との闘いであり、自分との闘い。それをやめたとき初めて平穏がやってきた。
死を前にして病床や車椅子に座る彼の姿が写真におさめられていた。
もともと細面の顔がもっとやせ細ってがりがりの顔や身体になっていた。だが、視線は穏やかで確かに何かを悟ったような、澄んだ優しいほほ笑みを浮かべていた。
ちなみに彼の兄はソルトレークオリンピックでも、複合ノルディックスキーで再度日本代表となった。兄は胸ポケットに弟の写真を入れてオリンピックに出場した。「弟も一緒にソルトレークに行きます」と言って。
○ 逝(い)きし者に残されし者 それぞれがそれぞれの意味を持つ
一人一人が闘っている。どんな人だって闘っている。闘いに勝った者、負けた者。それぞれが心の中にどろどろしたものをため込むだろう。癌に侵されれば病床での闘いが始まる。
なぜ自分だけが負けるのか。負け続けるのか。なぜ自分にこんな不幸や不運がやって来るのか。その思いと闘わねばならない。勝とう勝とうとして負け続ける。
もういい、闘うことをやめよう。そう思ったとき心の平和がやってきた。
それって、あるいは死に神に勝ったことを意味しているのかもしれない。
たぶん死に神は人間が苦しみ悶え、絶望に打ちひしがれ、生きたい生きたいと目をらんらんとさせているとき、ひそかにほくそ笑んでいるのではないか。あるいは、虚無の暗闇の中で、あきらめ打ちひしがれふさぎ込み、自然の美しさを見ようとせず、何の喜びも楽しみも感ずることなく生きている――そのような人間を見ては、勝ち誇って大笑しているような気がする。
しかし、人間が闘うことをやめ、「死に神さん。あんたの勝ちだよ」と思ったとき、死に神はふっと消え失せ、安らかな気持ちが訪れる。
死に神に負けていいと思ったとき、人は死に神に勝てる――私は森徹さんの死からそんなことを思った。
○ 死に神に勝とう勝とうと苦しんで、もういい負けた。死に神消えた?
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
後記:話が古くてすみません(^_^;)。ところで、当時上記内容を日記に書き留めた翌日、傘回し、コマ回し曲芸の海老一染太郎・染之助のお兄さん(「おめでとーございます」で有名な方)が、やはり胃ガンのため七十歳で亡くなりました。こちらは胃を切除後、闘病中でありながら、死の十日前までよろめきながら舞台に立った――という壮絶な死でした。これもまた一つの生き方であり、死に方でしょうか。(祐)
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