秋の実り(その2)


○ 秋の実りギンナン・栗に柿を得てご褒美来たと喜ぶ自分(^.^)


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ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」        2005年 11月 11日(金)第65号


 (^O^) ゆとりある人のための5分エッセー (^O^)


 【秋の実り(その2)】

 (^_^)今週の狂短歌(^_^)

○ 秋の実りギンナン・栗に柿を得てご褒美来たと喜ぶ自分

 私の子ども時代、季節の推移は「もいで食う実や果実で感じた」話を、前号で紹介しました。今日もその続きです(^_^)。

 その子ども時代、私が最も好きだった果実は渋柿です。
 我々は子どもの頃この柿を、おちんちんに似ているということで○○○柿と呼んでいました(^.^)。
 もちろん渋柿をそのまま食べるわけではなく、渋抜きをします。一番有名なのはつるし柿ですね。つるし柿の場合、私は干からびて固くなったやつではなく、十日ほどたって熟柿程度の柔らかさとなった頃が一番好きでした。軒下にずらりとぶら下がったやつをよく食っていたものです。とろりと柔らかくて甘くてこれが絶品(^o^)。「まだ早い、食べるな」と叱られたもんですが(^_^;)。

 つるし柿より好きだったのは、当地で「あおし」と呼んでいる渋柿です。これは渋柿を焼酎で渋抜きした柿のことです。
 渋柿が色づくと、大量に取ってきて、へたの部分に焼酎を付け、あとはでっかいカメに入れて密封するだけ。すると、2週間ほどで甘くておいしい柿が食べられるのです。これがうまくてうまくて、私の大好物でした(^o^)。

 しかし、秋に帰省することがなくなって以来、とんとご無沙汰で、もうかれこれ三十年以上、アオシを食べていませんでした。
 今度父と田舎暮らしをすることになったとき、秋にはぜひアオシを作りたいものだと思っていました。

 そして十月半ば、富有柿や小さな甘柿が食べられる時期になりました。渋い○○○柿も色づき始め、私は何度か父に「アオシ」のことを話そうと思いながら、どうにも話さないまま日が流れていました。ちなみに、これは伏線です(^_^)。

 さて、ギンナンご飯を満喫してしばらく後、親戚から栗を少々もらいました。
 これも栗ご飯にしたのですが、1回目は水が少なすぎて固い栗ご飯ができ、2度目は水が多すぎて今度は柔らか栗ご飯となってどうもうまくいきませんでした(^_^;)。

 それから数日後父の友人が立派な栗をもってきました。
 これは一個一個の粒が大きく、刻んで栗ご飯にするのはもったいないほどの実りようでした。
 私は以前父が栗の渋皮煮(渋抜きした栗を渋皮付きのまま砂糖煮する)をしていたことを思い出し、それがとてもうまかったので、「渋皮煮にしたら」と言いました。
 すると父も「そうじゃのう」と言って、渋々じゃなく喜々として(^.^)渋抜きを始めました。

 ところが、久しぶりに作ったせいか、この渋皮煮は大失敗でした。
 重曹で何度もゆがいて渋を抜くのですが、渋抜きが足りないまま砂糖煮を始めたので、いざ食べてみると渋が渋いの渋くないの(^_^;)。とても食べられたものではありません。
 そこで、砂糖を大量に追加して再度煮詰めると、今度は栗が固くなり、しかも渋みは抜けていない(-.-)。
 結局、二人でなんとか食べましたが、父はかなりがっかりしていました。

 そこで「ぐらぐらこいた」父は、もう一度渋皮煮をしようと方々に栗を探し求めました。しかし、どこにもなかったので、立派な栗をもらった友人に、再度聞いてみました。すると幸いにもまだ栗が残っているとのことで、父は大急ぎでそれをもらいに行き、また渋皮煮に挑戦しました(^_^)。

 この間私はその栗で三度目の栗ご飯です。これはようやく程良い固さの、いい栗ご飯ができ、二人でそれを満喫することができました(^o^)。

 一方渋皮煮の方は、慎重に渋抜きを繰り返し(それはかなりうまくいったようで)、いよいよ砂糖煮を始めました。
 ところが、しばらくして父は気落ちした口調で言いました。
「だめじゃ。今度は煮込みすぎて渋皮に穴が開いてしもうた」と。
 確かに、煮上がった栗は方々穴が開いていました。渋抜きをやりすぎたようです。
 しかし、渋みは完全に取れていたし、とてもうまい渋皮煮となっていました(^o^)。

 「もう一度やればうまくいくでしょう」と慰めを言いましたが、それは来年の秋にお預けとなりました。親も子も三度目でうまくいくとは、よう似ているもんだと思いました。

 と、そんなこんながあって数日後、いつも温泉を借りている親戚の伯母から「○○○柿があるけど、あんたいらんかい」と電話がありました(^_^)。

 私は伯母に渋柿のことも、アオシのことも全く話していなかったので驚きました。
 聞けば、自家の渋柿を自分では始末できなくなったので、切ってしまった。だから、大量にあるというのです。伯母は高齢で、その家に富有柿があるのは知っていましたが、渋柿があるとは全く知りませんでした。

 私は意外な展開に驚き、同時に、ほーら私の願いがかなったじゃないか、と思って嬉しくなりました(^o^)。

 さっそく渋柿を百数十個もらい受け、その日のうちに焼酎でつけ込み、数十個は父と一緒に皮むきしてつるし柿としました。父もアオシにつるし柿と久々の秋の実りに、これまた喜々として作業していました。

 私は久しぶりに故郷で秋の実りを実感でき(^.^)、満足感に浸ったものです。

 もちろんこれらはとても些細なことです。
 しかし、私にはたまたま訪れた大いなる楽しみであり喜び、そして自分に対するご褒美かなと思いました(^_^)。


 ○ 秋の実りギンナン・栗に柿を得てご褒美来たと喜ぶ自分


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:これで終わりにしてもいいのですが、この喜びに満ちたエッセーで、書かなかった不如意と不愉快事項も報告しなければ、片手落ちと言うものでしょう(^_^)。次回その3(最終回)で、その件を書きたいと思います。(御影)



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