「癌宣告と余命」


○ 突然の癌と余命の宣告も 思い出つくれる 貴重な時間



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ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」        2013年 5月 21日(火)第 154号


 妙に暑かったり、妙に寒かった5月もようやく初夏のおもむきです。
 田植えも始まって季節の流れを感じます。

 さて、今号は先月号に続いて3月の話題です。3月27日女優の坂口良子さんの訃報が報じられ、同じころたまたま見出したネットの記事から、癌宣告と余命について考えてみました。
 最近の私は癌と宣告されることについて「悲惨なことではないかもしれない」と感じつつあります。
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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 突然の癌と余命の宣告も 思い出つくれる 貴重な時間

 (^O^) ゆとりある人のための10分エッセー (^O^)

 【 癌宣告と余命 】

 東京では4月に歌舞伎座がリニューアルオープンしました。その舞台に立つことなく亡くなった二枚看板――中村勘三郎、市川団十郎のお二人はさぞかし無念だったことでしょう。
 勘三郎さんは57歳、食道癌から肺炎になっての、団十郎さんは66歳、血液の癌と言われる白血病と闘った上でのご逝去でした。

 しかし、3月27日に急逝した女優の坂口良子さんもくやしく悲しい別れだったと思います。享年58歳。結腸癌を患い、最後は肺炎による死でしたが、余命は1年ほどだったかもしれません。

 逝去翌日にはTBSで昨年8月の結婚式の模様が再放送され、私も見ました。
 プロゴルファーの尾崎健夫氏と再婚した模様で、娘さんとのことなど涙なくして見られない感じでした。あの幸せそうな笑顔と涙がわずか7ヶ月後には二度と見られないことになったのですから。

 私も両親を癌で亡くしたので、本人とご家族の気持ちがよくわかります。母は発病後1年半、父は9ヶ月の余命でした。あのとき癌と余命を知った私たち家族は「どうやって最期の思い出をつくろうか」と話し合ったものです。

 坂口さんもいきさつはいろいろあったようですが、あの結婚式はわかった上での《思い出づくり》だったかもしれません。

 同じころたまたまネットで『がん名医が末期がんに…それでも「治療しない」と語る理由』なる一文を読みました。
 元ネタは週刊誌で、67歳の医師が末期の肺癌であることが判明、しかし治療を拒否して余命を過ごしているとの内容でした。

 彼はこれまで癌患者に対して「延命ではなく“自分らしい人生”を送ることに重点を置いた治療」を行ってきた。そして自分が癌になった以上、「独居老人が自宅に戻って充実した最期を迎えるにはどうすればいいのか。どんなサポートが必要なのかという答えを見つける」べく、敢えて一人暮らしを始めたそうです。
 ところが、「今年2月に脳への転移が発覚。“独居闘病生活”の試み」は断念せざるをえなくなった。今は奥さん、娘さんと一緒に過ごしているとのことです。

 この文章の末尾に奥さんの言葉があります。
「実は24時間ずっと主人が家にいる生活なんて、結婚して30年で初めてのことなんです。がんになったのは残念ですが、その反面、いま初めて主人がいつも家にいる。娘にすれば『パパがいる』生活なんです。きっと神様が最期に幸せな時間を与えてくださったんじゃないでしょうか。そう思うようにしています」と。

 世の中には「思い出づくり」も何もできないまま、愛する人との死別が突然やって来ることがあります。
 それを思えば、どんなに短くとも、思い出づくりを持てる時間があるというのは幸せなことなのでしょう。
 坂口良子さんも「神様が最期に幸せな時間を与えてくださった」と思って逝かれたかもしれない――そう思うとちょっとほっとします。

 ただ、私の母と父は果たしてそう思って逝ったかどうか。

 母には癌であることを告知しませんでした(それは父の意志でした)。だから、母は具合がどんどん悪くなったとき「なんでかねえ。なんでかねえ」とつぶやいていました(薄々気づいていたかもしれませんが)。

 父の時は私と兄が癌宣告を医師から聞き、話し合って父に告知してもらいました。
 だから、父は具合がどんどん悪くなっていったとき、「それは癌のせいだ」とわかっていたはずです。
 ところが、父も「なんでかなあ。なんでかなあ」とつぶやいていました。不思議なことです。

 二人とも状態が良い段階では小旅行などに行けました。しかし、そのうち行けなくなり、母は茶飲み友達との雑談、父は畑仕事と趣味など、日々の暮らしを送るくらいしかできなくなり、やがて入退院を繰り返し……と続きました。
 余命期間に「どんな思い出を残してあげられただろう」と振り返ると、なかなか思い出づくりは難しいものだと思います。

 私も遺伝子から考えてたぶん癌が来るだろうと覚悟しています。
 どうやって余命を過ごすか――今後の課題ですね。
 癌宣告を受けた後体調不良になったら、私も「なんでかなあ」とつぶやいているかもしれません(^_^;)。


 ○ 突然の癌と余命の宣告も 思い出つくれる 貴重な時間


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:本文で取り上げた『がん名医が末期がんに…それでも「治療しない」と語る理由』のネット原文は以下のサイトです。ご参考までに。

がん名医が末期がんに…それでも「治療しない」と語る理由(現在リンクできません)

 それから次号6月は都合によりお休みいたします。梅雨休みの走りとでも言いましょうか(^.^)。 (御影祐)




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