「半年の文通」(投稿入選作)


○ 十代の甘く切ない思い出を赤面なくして語る我かな(^_^;)


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ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」        2016年 12月27 日(火)第 177号


 久方ぶりに「空海論」ではなく、狂短歌人生論の配信です(^_^)。
 大分のある菓子メーカーが今年初め「甘く切ない大切な思い出」というテーマでエッセーを募集していました。入選5作で5000円の商品券が賞品でした。
 ある人からそのことを聞き、応募したところ、あらま入選してしまいました(^.^)。

 せっかくなので、みなさんに紹介したいと思います。狂短歌はもちろん付け足したものです。
 ぎゃっと叫ぶような赤面ものの回想エッセーですが、おひまなら読んでみてください。原稿用紙二枚半だからすぐに読み終えると思います。
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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 十代の甘く切ない思い出を赤面なくして語る我かな(^_^;)

 (^O^) ゆとりある人のための10分エッセー (^O^)

 【 半年の文通 】

 昭和四十年代の半ばころ、私は山間(やまあい)の中学校から大分高専に入学して寮生活を始めた。
 携帯とかメールのない時代、流行(はやり)は文通だった。親元を離れたことだし、私も誰かと手紙のやり取りをしたいと思った。

 相手として思い浮かんだのが中学校で三年間同じクラスだった女の子だ。昔風の言葉で言うと、優しく清楚な美少女で、地元の普通高に進学していた。
 私はダメモトの気持ちで「文通してほしい」と手紙を書いた。すると、「私で良ければ」と嬉しい返事があって手紙の交換が始まった。意外なことに、彼女も文通は初めてだった。

 夏休みには隣町で会って喫茶店で言葉を交わし、神社を散策した――顧みれば、あれはデートだった。八月末には彼女が事故で入院したと聞き、バナナを一房抱えて病院まで見舞いに行ったこともあった。

 その後順調に文通が続いた十月、突然「私を理想化していませんか」と書かれた手紙が来た。私が熱くなっていたのかもしれないし、高専が合っていないと悩んでいたから、それが絡んでいたかもしれない。
 しかし、純粋だったのか、当時の私はその言葉が許せず、「理想化などしていない。もしもそう感じたとすれば、それはあなたのせいだ。これで文通は終わりにしよう」と赤ペンで書いて絶交した。

 その後私は三年で高専を中退して大学の文学部に進学した。そして、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』や福永武彦の『草の花』を読み、「ああ、あのとき確かに自分は理想化していた」とわかった。「あれが自分にとっての初恋だった」とも思った。

 いつか再会したら、最後の手紙について謝りたい。そう思いつつ時は流れ……二年前の秋、別府で行われた還暦を祝う会で、私は久しぶりに彼女と会った。お孫さんがいたけれど、彼女は昔の面影を充分残して美しかった。
 私はその場で十分ほど言葉を交わした。しかし、その後のこととか最近の話題に終始して文通のことを話せないまま別れてしまった。

 宴会を終え、枯葉の舞う街路を歩きながら、私はなぜ話せなかったのだろうと考えた。そんな昔の話をいまだに覚えているのか、と思われることが恥ずかしかったし、「そんなことあった?」と言われるのが怖かったからだと思った。私にとっては初恋だったけれど、彼女にとってそうでなかったなら、たぶん忘れているだろう。
 大切な思い出というのはきっと自分の中だけに閉じこめておくべきものなんだ――私は自分に言い聞かせるように、そうつぶやいていた。


 ○ 十代の苦く切ない思い出をときに語るも良しとするか(^_^;)


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:12月23日(金)の朝、NHKで高専ロボコン本大会の様子が放映されていました。なんと大分高専が過去最高の準優勝でした。年を取ってくると、郷土の若者が活躍する様子を見るのは嬉しいものです。作品を公表するかどうか迷っていた気持ちの後押しとなりました(^_^;)。(御影祐)


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