四国室戸岬双子洞窟

 『空海マオの青春』論文編 第 3

「空海の前半生」前期

 本作は『空海マオの青春』小説編に続く論文編です。空海の少年期・青年期の謎をいかに解いたか。空海をなぜあのような姿に描いたのか――その探求結果を明かしていきます。空海は何をつかみ、人々に何を説いたのか。私の理解した範囲で仏教・密教についても解説したいと思います。

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『 空海マオの青春 』論文編    御影祐の電子書籍  第79―論文編 第3号

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           原則月1回 1日配信 2013年 7月 1日(月)

『空海マオの青春』論文編 第3

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 本号の難読漢字
・延暦(えんりゃく)・入唐(にっとう)・崩御(ほうぎょ)・阿刀大足(あとのおおたり、空海の母方の叔父)・聾瞽指帰(ろうこしいき)・三教指帰(さんごうしいき)・蝦夷(えみし)・太龍山(たいりゅうざん)・求聞持(ぐもんじ)法・藤原葛野麻呂(かどのまろ)・最澄(さいちょう)・橘逸勢(たちばなのはやなり)・西明(さいみょう)寺・醴泉寺(れいせんじ)・梵語(ぼんご)・恵果(けいか)阿闍梨(あじゃり)・胎蔵(たいぞう)界・金剛(こんごう)界・灌頂(かんじょう、密教儀式)・顕彰碑(けんしょうひ)・判官(はんがん)・高階遠成(たかしなのとおなり)・神仏習合(しゅうごう)・三教融合(さんきょうゆうごう、儒道仏の三教を融合する試み)
 ※注「神仏習合」……神仏混淆(しんぶつこんこう)とも言われる。奈良時代以後日本の仏教が日本古来の神祇(じんぎ)信仰、修験道などと混ざり合っていたこと。明治の神仏分離令まで続く。
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 『空海マオの青春』論文編――第3「空海の前半生」前期


 さて、まずは空海マオの前半生――生誕から入唐帰国までを眺めてみたいと思います。

 空海の幼名は真魚。マオとかマイオと呼ばれたようです(私はマオを採用しました)。
 西暦774[宝亀5年]6月15日、讃岐の国多度郡(現在の香川県)善通寺のあたりで生まれました。父は郡司の佐伯タギミ、母は阿刀家のアコヤ。第五子として生まれ、兄が三人、姉が一人いました。

 前半生において空海と桓武天皇は切っても切り離せない関係にあると言えます。
 マオが物心つく七歳のときに先代光仁天皇が崩御。桓武天皇が即位して年号は延暦となります。そして、空海が帰国の途に就く二十五年後、桓武天皇は崩御しています。
 この間空海と桓武天皇に直接の交流は見られないものの、空海の母方の叔父阿刀大足が天皇の次男伊予親王の家庭教師をしています。

 この二十五年間に帝都は平城京奈良から長岡に移り(空海十歳)、さらに「鳴くよウグイス平安京」で有名な七九四年(空海二十歳)には平安京に遷都しています。
 国内は不作、飢饉、干害、また東北蝦夷との内戦など不安定な時代でした。空海マオはそのような時代に多感な少年期・青年期を過ごしたのです。

 私たちは一人の人間として生きつつ、時代の動きと無縁に生きることはできません。空海マオも時代の波にもまれて前半生を過ごしたはずです。そういう意味で「空海伝」を書こうと思ったとき、時代背景を取り入れること――それは必須の条件だと思いました。

 以下七歳以後は年譜風に箇条書きします。

 [空海前半生年譜]
781年7歳−[延暦元年、光仁天皇崩御、桓武天皇即位]
 天童としての資質を発揮しつつあったか。父母親族は「貴(とうと)もの」と呼んでいたとも。「子曰く」の『論語』を学び始めた。
784年10歳−[延暦3年、平城京より長岡京に遷都]
786年12歳−[延暦5年]
 讃岐の「国学」(地方官吏養成期間)で2年間儒学を学んだと思われる。
788年14歳−[延暦7年]
 帝都長岡京に上京、母方のおじ阿刀大足の元でさらに「四書五経」を学ぶ。
791年17歳−[延暦10年]
 日本に一つの《大学寮》に入学するも、一年後か二年後に退学。南都仏教(奈良大安寺)に入門する。
794年20歳−[延暦13年、平安遷都]
 この前後から山林修行に入り、四国太龍山、室戸岬にて求聞持法百万遍修行を二度実践する。室戸岬では明星が口に飛び込む神秘体験を得る。
797年23歳−[延暦16年]
 12月「儒教・道教・仏教」を比較して仏教こそ最上位とする『聾瞽指帰』執筆。『三教指帰』と改題して公表する。

 ……この後6年間消息不明……

803年29歳−[延暦22年]
 4月16日藤原葛野麻呂を大使とする遣唐使船四艇が出発、嵐にあって帰還する。最澄は乗船するも、空海は乗っていない。
804年30歳−[延暦23年]
 この年得度・受戒したと言われる(諸説あり)。5月12日、遣唐使船再出発。空海、そして留学生橘逸勢は大使の第一船に乗船。最澄は博多にて副使の第二船に乗り込む。
 7月6日肥前松浦を四船揃って出港。第二船は9月1日予定の明州に到着。第一船は漂流した後9月26日福州長渓県に着岸。第三、四船は遭難して入唐できず。
 11月3日大使、空海、橘逸勢ら23名は長安に向けて福州を出発。12月23日入京を果たす。
805年31歳−[延暦24年]
 2月11日空海は西明寺に入る。5月密教の殿堂青龍寺の恵果阿闍梨を訪ね、「待っていたぞ」と入門を許される。
 6月上旬胎蔵界灌頂、7月上旬金剛界灌頂を受ける。この灌頂儀式で投じた花が二度とも大日如来の上に落ちて周僧を驚かせた。
 8月上旬、伝法阿闍梨位(免許皆伝)の灌頂を受け「遍照金剛」の灌頂名を授かる。12月15日恵果入滅。
806年32歳[延暦25年、桓武天皇崩御、平城天皇即位。大同元年]
 1月17日弟子を代表して恵果阿闍梨顕彰碑文を読み上げる。
 2月判官高階遠成を長とする遣唐使船一隻が入唐、長安に入る。空海と逸勢は帰国を願い出て許される。
 3月空海と逸勢、遣唐使一行は長安を出発。8月明州を出港して10月九州博多に着岸する。

 以上です。この大筋はまず間違いのない史実として認知されています。しかし、その間空海マオが何を考え、何を感じたか、その詳細は全くわかっていません。空海自身が語っていないし、歴史的資料もほとんどないからです。

 この空海前半生における謎をまとめると、大きく七つに分かれます。

 1 空海マオが幼い頃から仏教に進むと思っていたなら、なぜ官僚養成の大学寮に入ったのか。なぜ退学したのか。
 2 奈良仏教に入門して何を考え、何を感じたか。なぜ山岳修行に走ったのか。
 3 「聾瞽指帰」は空海にとってどのような位置にあるのか。なぜ三教を比較する必要があったのか。
 4 二度の百万遍修行によって何をつかんだのか。改訂「三教指帰」と「聾瞽指帰」はどのような関係にあるのか。
 5 二十代空白の六年間に何があったのか。
 6 突如遣唐使の一員となった経緯。
 7 入唐わずか一年で密教阿闍梨位を得たわけ。そもそも空海はいつ得度したのか。

 ここで早くも青春前期――1〜4について私の結論を披露しておきます(^_^)。以下の通りです。

 1 空海真魚が大学寮に入ったのは天皇側近の官僚を目指していたからであり、退学した理由は進路に絶望し、大学に失望したから。仏教に進んだのは「官僚の道をあきらめるか。ならば仏教に行ってみるか」と言われたから。

 2 山岳修行に走ったのは経済活動に励む寺院・僧侶に失望し、書物と空理空論の南都仏教にうんざりして「新しい仏教」をつくろうと思ったから。

 3 「聾瞽指帰」は父母や親族に大学寮を退学した経緯を説明する弁明の書であり、儒教・道教・仏教の狭間で揺れ動いた空海の内面を表している。同時に神仏習合に陥った仏教から《純粋な仏教》を取り出そうとする試みでもあった。
 また、『聾瞽指帰』は仏教へのこだわりが残った段階での執筆であり、それゆえ書き上げたとしても公開されることはなかった。理屈としては仏教が最も素晴らしく、仏教に進むしかないとわかっている。だが、これで本当に良いのだろうかと、感情ではいまだ仏教を受け入れていなかった。山岳修行はその問いに対して答えを求める活動でもあった。

 4 仏教への迷いとこだわりは太龍山と室戸岬の求聞持法修行によって溶かされる。これによって理屈だけでなく感情においても仏教を受け入れ、心から仏教に進むと決意できた。その後書き直したのが「三教指帰」である。ここには三教融合の芽生えも見られる。
 改稿が微少にとどまったわけは、作品が(理屈としては)すでに完成していたからである。問題は自身の感情面だけだったから、それが解決してみると、特に書き直すところがなかったのである。

 以上が青春時代前期の謎解きです。後期は次号に回したいと思います(^_^)。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。(御影祐)
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