四国室戸岬双子洞窟

 『空海マオの青春』論文編 第 5

「マオの朝立ち」


 本作は『空海マオの青春』小説編に続く論文編です。空海の少年期・青年期の謎をいかに解いたか。空海をなぜあのような姿に描いたのか――その探求結果を明かしていきます。空海は何をつかみ、人々に何を説いたのか。私の理解した範囲で仏教・密教についても解説したいと思います。

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『 空海マオの青春 』論文編    御影祐の電子書籍  第82―論文編 5号

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           原則月1回 1日配信 2013年9月1日(日)

『空海マオの青春』論文編

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 本号の難読漢字
・阿刀大足(あとのおおたり)・『三教指帰』(さんごうしいき)・舅(ここは「おじ」)・槐市(かいし、
大学寮)・而立(じりつ、三十歳)・禄高(ろくだか)・小野小町(おののこまち)・坂上郎女(さかの
うえのいらつめ)・「来む・来ぬ・来じ」(読みは全て「こ」)・和泉式部(いずみしきぶ)・与謝野晶子
(よさのあきこ)・東歌(あずまうた)・信濃路(しなのじ)・墾道(はりみち、開墾中の道)・刈株
(かりばね、切り株)・吾(わ)が背(せ、夫)・防人(さきもり)・藤原義孝(ふじわらのよしたか)
・勝(まさ)れる・山上憶良(やまのうえのおくら)・憂(う)し(ここは辛い)・井原西鶴(いはらさい
かく)・放蕩(ほうとう)
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 『空海マオの青春』論文編――第5「マオの朝立ち」

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 翌朝マオは本堂から流れる読経の声で目を覚ました。あたりはまだ薄暗い。大足はすでに起きており、顔を洗いに部屋の外へ出た。
 マオは先に起きねばと思いつつ、ふとんの中でもじもじしていた。目はとうに覚めている。だが、股間が突っ張っておさまらないのだ。一、二年前から毎朝のように感じる不如意であり、男として自然なことと思いつつ、すぐにふとんから出られない。どうにも恥ずかしさを覚える事態だった。(『空海マオの青春』より)
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 これは『空海マオの青春』一「上京」の一節です。本書を読まれた方が最初に感じる異和感かもしれません。
いくら少年時代とは言え、真言宗開祖空海の朝立ちを描くなどとんでもない」と(^_^;)。
 しかし、これが私の空海伝執筆の基本スタンスです。生身の空海を描きたいのです。

 空海マオが母方の叔父阿刀の大足とともに帝都長岡に上京したのは彼が十四歳(西暦七八八年)、数えで十五歳のときでした。

 男性の読者なら十四、五歳のころ、朝の目覚めは股間が立つことから始まった記憶があろうかと思います(^.^)。
 男の朝立ちとそれによって発生するむくむくと燃え上がるような感情は女性にはまずわからないでしょう。妊娠・出産によって女性に起こる感情が男には決してわからないのと同じように。あるいは、毎月一度血を流す少女の感情も少年には決してわからないと思います。

 空海二十三歳の著書『三教指帰』の序に次のような記述があります。

 余年志学、就外氏阿二千石…舅〜二九遊聴槐市〜
[余志学の年、外氏阿二千石の舅に就き、二九槐市に遊聴し]

 「志学」とは『論語』で有名な十五歳で、「二九」とは2×9=十八歳。「外氏」は母方を意味し、「阿」は阿刀の「阿」です。「槐市」は大学。つまり「私は十五歳のとき母方の叔父阿刀の大足(二千石)に就いて(儒学を学び)十八歳のとき大学に入学した」と訳せます。

 志学を『論語』から引きながら、十八歳を表す上品な言葉が見つからず、単なるかけ算を使ったのは面白いところです(^_^)。論語では十五の次は三十(而立)に飛びますからね。
 阿刀の大足の禄高は二千石であり、別資料から桓武天皇の次男、伊予親王の家庭教師であったことがわかっています。
 勉強とはもちろん「儒学」であり、「大学」は当時日本に一つしかなかった大学寮のことです。

 よって、大学寮入学前のマオを一言でまとめるなら「大学寮で学ぶ儒学をひたすら勉強していた」となります。おそらく七歳くらいから『論語』を読み始め、上京前は讃岐の「国学」で学んだろうと思われます。
 そして、勇躍上京して叔父の元で本格的に儒学を学び始めた。今で言うなら予備校とか個別家庭教師のようなものでしょう。大学寮は日本の最高学府東大でしょうか。

 満年齢でまとめておくと、空海マオは十四歳のとき、叔父に連れられ帝都長岡に上京、叔父から儒学を学び、十七歳のとき大学寮に入学した――となります。
 上京や入学が何月だったか、わかっていません。私は上京を九月として二人が古都明日香から奈良に寄り道すると構想しました。そして、マオの《朝立ち》を描きました(^_^;)。

 二人は飛鳥近くの寺に泊まる。翌朝マオは本堂から流れる読経の声で目を覚ます。叔父はすでに起きている。けれども、マオはもじもじしてふとんから出られない……。男なら必ず覚えがある状態です。

 これについてもう少し説明する前に読者各位へ質問があります。

 みなさん方は現代と五十年前、百年前、三百年前、五百年前、そして一千年前は《違う》とお思いでしょうか、それとも《同じ》でしょうか
「なにバカなこと言ってるんだ。同じものなど何もないよ」と答えますか?
 私は「同じものがたくさんある」と思っています(^_^)。

 もちろん政治・社会体制・経済・習慣など人間を取り巻く状況は違うでしょう。
 しかし、根本の部分ではかなり似ているのではないか。特に感情面においては全く変わらないと考えています。

 たとえば、今の人間の恋と江戸時代の恋、戦国時代の恋、奈良平安時代の恋は違うでしょうか。
 男が女を見そめ、あるいは女が男に惚れ、お互い相手を受け入れて恋に落ちる。そして、ある流れを経て抱き合いセックスする。結果、子どもが生まれる――ことがあれば、生まれないこともある。

 平安の小野小町は《思ひつつ寝(ぬ)ればや人の見えつらむ》と歌いました。「あなたのことを思って寝たから夢に出てきたのでしょうか。覚めないでほしかった」とため息をつきます。現代の女性が恋する人を夢に見るなら、平安時代の女性も夢に見たのです。
 万葉の坂上郎女は「来む・来ぬ・来じ」と「来る」の言葉を五ヶも使って「逢いに来てほしい」気持ちを訴えました。待つ身の辛さは今も昔も同じでしょう。

 どの時代にも淡い初恋があり、片思いがあり、かなわぬ恋があり、不倫がある。
 平安の和泉式部は《黒髪の〜まずかきやりし人ぞ恋しき》と独り寝のせつなさを歌い、明治の与謝野晶子は《やは肌のあつき血汐にふれも見で》と、鈍感な男に対して大胆に恋を説きました(^_^)。底に流れる思いは和泉式部と同じだと思います。

 男の歌を探すなら、平安の藤原義孝は《君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな》と歌いました。「君のためなら命さえ惜しくない。しかし、いざ愛し合うようになってみたら、ずっと長く生きていたいと思うようになった」の意味です。この気持ち、とてもよくわかりますね(^_^)。
 義孝は二十一歳で夭折しています。それを知ると彼の思いがより強く胸に迫ります。義孝の思いは今の恋する若者と全く同じでしょう。

 昔の恋の歌は「貴族・高貴な身分の方でしょ?」と言うなら、庶民だって夫や妻を思う歌を詠んでいます。
 万葉集「東歌」は名もなき東国庶民の歌です。その中に防人となって遠く九州に旅立つ夫を見送る妻の歌があります。
 妻は《刈株(かりばね)に足踏ましなむ くつはけ吾が背》と歌いました。開墾中の道は切り株だらけ。足をケガしないよう「くつをはいてね」と。今のように底が厚いクツではありません。クツをはく余裕がなかったかもしれません。
 防人は往きの旅費は出してくれるけれど、帰りは自費だったとか。戻って来られないかもしれない兵役だったのです。

 逆に「防人の歌」には防人となった男達の歌が多数収められています。
 ある防人は寒い冬の夜、妻を思い出して《七重着る衣に増(ま)せる子ろが肌はも》と歌っています。「七重にも重ねた夜具よりお前の肌の方が暖かかった」というのです。
 明治の与謝野晶子は日露戦争に出征する弟を思い、「あゝおとうとよ、君を泣く 君死にたまふことなかれ」と詩に書きました。
 命令一つで出征しなければならない庶民の辛さ、見送る家族の気持ちは今も昔も同じでしょう。

 生まれた子どもは幼年期、少年・少女期を経て大人になる。初めは親の言うことに従いながら、やがて自我に目覚める。しかし、社会が個人の自我など認めない時代、江戸時代のように身分差別がある時代はそのときのルールに従って生きるしかない。ルールに従えない人間はドロップアウトする。その悲喜劇はどの時代にもあります。

 いつでも親孝行な人間がいて親不孝な人間がいる。江戸時代の井原西鶴は『本朝二十不孝』を書きました。そこに描かれた親不孝な放蕩息子、うろたえあわてる親の様子はそのまま現代の親子です。
 あるいは、若者の立身出世への思い、親への思い、親となっての我が子への思い……奈良時代の山上憶良は「子どもは黄金にも白玉にもまさる宝物」と歌いました。

 憶良は生きることのつらさ、苦しさを長歌『貧窮問答歌』でせつせつと歌っています。
 妻や子を持てば、まず家族を養わねばならない。この世を生きることはつらく、苦しい。逃げたいと思っても、妻や子、年老いた親がいれば、彼らを捨てて飛び立つことなどできるわけがない。憶良はその思いを《飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば》と歌いました。それは現代を生きる三十代、四十代の父親と同じでしょう。

 これら人間が持つ思いや感情は平安時代であっても、江戸時代、明治時代であっても同じではないか。人間の根本の感情は時代によって変わらない。私はそのように考えています。

 ここで空海に戻って「生身の空海を描きたい」――そう思ったとき、いかな天才空海でも、普通の人間が持つ感情、生身の男が持つ思いや感情は今と変わらないだろうと思いました。これが空海伝の基本スタンスです。

 このようなわけで空海青春伝の最初に置いたのが《朝立ち》でした(^_^)。
 それは健康な男なら十代で必ず始まる性的目覚めであり、生理反応です。今を生きる少年全てに朝立ちがあるなら、若き空海にだって朝立ちがあっただろう。今後空海マオの性欲について触れないわけにはいかない。ならば、朝立ちは当然のように書かねばならない生身の空海でした。

 朝立ちはだいたいおちんちんに毛が生えるころから始まるようです。
 自分の体験を白状すると(^.^)、中学校に入学した頃から朝立ちが始まりました。そして、二十代半ばまで朝立ちは毎朝続きました。特に十五、六歳の頃は目覚めれば必ず立っており(^_^;)、それがおさまるまで数分から十分くらいふとんの中で静かにしていなければなりませんでした。

 本稿の表題「マオの朝立ち」を見て「ふざけた表題だ」と思われたかもしれません。
 しかし、朝立ちが始まった少年にとってどんなに学問に励もうと決心しても、抑えきれず隠しきれず、立つものは立ち、もやもやとした感情に包まれる――それを表現したかったのです(^_^)。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。(御影祐)
後記:以下本文で取り上げた和歌の出典です。

・思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを
〈あの人を思って寝たから夢に現れたのでしょうか。夢とわかっていたら覚めなかったのに〉(小野小町『古今集』)

・黒髪のみだれも知らずうちふせば まずかきやりし人ぞ恋しき
〈独り寝のこんな夜は黒髪をかきやってくれたあの人が恋しい〉(和泉式部『後拾遺集』)

・来むといふも来ぬときあるを 来じといふを来むとは待たじ 来じといふものを
〈行くよと言っといて来ないときがあるのだから、行かないよと言うのを「来るかも知れない」と待つのはやめよう。来ないって言ってるんだから〉(坂上郎女『万葉集』)

・やは肌のあつき血汐(ちしお)にふれも見で さびしからずや道を説く君
〈熱い血潮が流れる私の柔肌に触れもしないであなたは道を説くばかり。さみしくないの?〉(与謝野晶子『みだれ髪』)

・君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな
〈君のためなら命も惜しくない。でも愛し合ってみると、いつまでも生きていたいと思うようになった〉(藤原義孝『 後拾遺集』)

・信濃路は今の墾道(はりみち) 刈株(かりばね)に足踏ましなむ くつはけ吾が背
〈旅立つ我が夫へ。信濃路は開墾中の道です。切り株が至るところにあるでしょう。踏みつけてケガしないよう、クツを履いてね〉(『万葉集』東歌)

・笹が葉のさやく霜夜(しもよ)に七重着る 衣に増(ま)せる子ろが肌はも
〈霜が降りる夜は笹の葉がさやさやと聞こえる。こんな寒い夜はお前と添い寝した暖かさを思い出す〉(『万葉集』防人の歌)

・銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに 勝(まさ)れる宝 子にしかめやも
〈白銀に黄金、白玉が何だというのだ。我が子に優る宝物などこの世にありはしない〉(山上憶良『万葉集』)

・世の中を憂(う)しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば
〈生きることはつらく苦しい。逃げたいと思っても、家族を捨てて飛び立つことなどできはしない。私は鳥ではないのだから〉(山上憶良『万葉集』)

 なお、与謝野晶子の「君死にたもうことなかれ」はネット検索で見ることができます。読んだことのない人はご一読下さい。
 中に「戦争をしろと命令する人は自ら戦場に行くことはない」という痛烈な一言があります。中国・韓国との間できなくさい空気が漂っている今こそ、読まれるべき詩だと思います。

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