四国室戸岬双子洞窟

 『空海マオの青春』論文編 第 7

「大学寮入学後の失望と絶望」

 本作は『空海マオの青春』小説編に続く論文編です。空海の少年期・青年期の謎をいかに解いたか。空海をなぜあのような姿に描いたのか――その探求結果を明かしていきます。空海は何をつかみ、人々に何を説いたのか。私の理解した範囲で仏教・密教についても解説したいと思います。

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『 空海マオの青春 』論文編    御影祐の電子書籍  第84 ―論文編 7号

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           原則月1回 1日配信 2013年11月 1日(金)

『空海マオの青春』論文編 

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 本号の難読漢字
・明経(みょうぎょう)科・太政官(だじょうかん)・『三教指帰』(さんごうしいき)・訓詁注釈(くんこちゅうしゃく)・『文選』(もんぜん)・暗澹(あんたん)・藤原緒嗣(おつぐ)・安殿(あて)親王・殿上人(てんじょうびと)・舎人(とねり、官職名)・少初位(しょうそい)・藤原百川(ももかわ)・造宮使(ぞうぐうし)・内舎人(うどねり、官職名)・封戸(ふうこ、俸給)・賜与(しよ)・侍従(じじゅう)・蔭位(おんい)の制(官位・任官において世襲、家柄によって優遇される制度)
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 『空海マオの青春』論文編――第7「大学寮入学後の失望と絶望」

 7 大学寮入学後の失望と絶望

 空海マオが帝都長岡の大学寮に入学したのは満十七歳、西暦七九一年のことでした。大学寮は九年制で日本に一つしかなく、卒業後は官僚になることが想定されています。今で言うなら、国家公務員上級職養成機関でしょうか。マオは儒学を学ぶ明経科に入ったようです。
 現代でも「キャリア」と呼ばれる国家公務員I種(上級)試験合格者は昇進が早く、各省庁の事務方トップになります。しかし、ごく一部を除いて政治家、そして大臣になるわけではありません。
 それは空海の時代も同様で、大学寮を出たからといって天皇側近の政治家――つまり、太政官になれるわけではありません。現在省庁の大臣は国会議員が務めるように、奈良時代の各部署トップは門地が重視され、天皇(朝廷)による任命制でした。現代の都道府県知事にあたる国司も任命制。簡単に言うと、親が高位なら子どもや孫が優遇される社会であり、逆に言うと、いかに能力が高くとも、親が高位でなければ、任官・昇進において不利を受ける社会でもありました。
 官位昇進の発表は年中行事としてだいたい1月に行われました。かくしてその前には「有力者への付け届けが欠かせない」となってあるいは、これがお歳暮の始まりでしょうか(^.^)。

 大学寮で空海マオがどのような生活を送っていたか。いつ頃退学したか。やめた理由は何か。詳細は全くわかっていません。
 ただ、『三教指帰』の序に「立身出世や世俗の栄達をうとましく思うようになった。忠孝に背くと言われた。だが、出家の思いを押しとどめることはできなかった」とあって一応なるほどと思わせます。

 しかし、これは定型のような出家の理由であり、その告白です。空海は大学寮に入学したのです。そして、やめて仏教に飛び込んだ。大学寮での生活とか感慨、なぜ退学しようと思ったのか。根本の理由は語っていないように思われます。

 たとえば、この話を現代の大学新入生に置き換えて「期待と希望に満ちて入学したけれど、やめたいと思うようになった」場合を考えてみましょう。前号で述べたように、私は空海の時代も現代も感情面においてさほど違いはないだろうと考えています。

 ちまたで有名なのは「五月病」です。受験勉強による累積疲労の反動もあってやる気をなくすのでしょう。そこには大学の講義・授業への失望が大きく関係しています。

 現在の大学は一時期教養学部と専門学部に分かれていました。二年間は教養学部で教養科目を学び、三年目から専門科目を学ぶ――というわけです。すると、一年目の講義はほとんど高校で学んだ科目の繰り返しになります。英語・数学・理科・社会。国語に体育、音楽か美術選択……というわけです(^.^)。

 これがまず新入生を失望させます。猛勉強のあげく、やっと目指す大学、学部に入ってこれから専門科目をどんどん勉強したいと思っている。ところが、現実の講義・授業は高校時代と同じ。それでは意欲を失って当然でしょう。
 大学の一般教養は専門の先生による講義なので、高校時代の科目より深みがあるにしても、新入生にとっては「同じ授業を繰り返している」としか思えません。

 私が大学国文科に入学した頃は一年時から少々専門科目がありました。しかし、教養科目も必修でしたから、必ず受講しなければなりません。
 仕方なく選択した科目の中で生物と音楽は今でも覚えています。どちらも高校のように全体に渡って勉強するのではなく、生物は一年間「ヤドカリ」の話ばかり(^.^)。先生はヤドカリの生態とか、どうやって自分の体に合う貝殻を見つけだすか――についてぼそぼそと語っていました。
 また、音楽でも半年間ひたすらベートーベンの『運命』でした。指揮者によっていかに違った演奏になるか、『運命』のレコードを聴き続けたのです。試験は当然「『運命』について書きなさい」でした(^_^)。

 どちらも後で振り返ってかなり面白い授業だったとわかり、「もっと真面目に聞けば良かった」と反省したものです。しかし、当時はつまらないと思ってさぼるは、代返を頼むは、出席してもよく居眠りしていたものです(^_^;)。

 空海マオはすでに儒学を相当学んでいます。彼が「子曰く」の論語から始まる大学寮の授業に失望したことは想像に難くありません。昔も今も学生の感情は同じです。

 もう一つ大きな問題は大学寮の講義が《訓詁注釈》であったことです。

 訓詁注釈とは教材を学ぶに当たってひたすら古人の解釈を学び、それを丸暗記するような授業です。新入生が感じる教材への疑問とか新しい解釈などは一切受け入れられません。ひたすら昔の解釈ばかり学ぶのです。
 私の大学時代でもまだ一人か二人そういう講義をする先生がいました。単位を取るために仕方なく勉強したものの、これも面白くありませんでした。

 この訓詁注釈型講義が創造的タイプの人間にとっていかに「耐え難いものであるか」――これもたやすく想像できます。新しいものが全くないのですから。
 たとえば、教授に「この部分の解釈はおかしくないですか」とか、「ここはこう解釈すべきだと思います」と言っても、受け入れられない。大学寮の助教や教授達は訓詁注釈を学び、それによって先生になったのであり、同じやり方を学生に下ろすだけだったろうと思います。

 かたや学生達も官吏登用の試験には訓詁注釈問題しか出ないことを知っています。「俺たちは大学寮で学んだら、官吏になるんだから当たり前だ」と思っています。
 空海マオがこのような大学寮に異和感を覚え、失望したことは想像できると思います。

 私的話題で恐縮ですが、私は中学卒業後地元の普通高ではなく高専(国立工業高等専門学校、5年制)に入学しました。数十年前のことです。
 当時高専の倍率は3倍でした。私は田舎中学ではトップクラスだったものの、全県模試で中位しか取ったことがなく、「どうせ落ちるだろう。力試し」のつもりで受験しました。
 ところが、なんの手違いか合格してしまって高専に進んだのです(^.^)。エンジニアの意味さえ知らないまま機械科に入りました。

 一年目のクラスは各校トップクラスの連中ばかりが集まっているだけにエリート意識ぷんぷん。私はかなり劣等感にとらわれたものです。
 そのときクラスに一人だけ英検準2級を持っている生徒がいました。高専は英語に力を入れており、外人教師が講師の英会話授業がありました。今ではどの高校でも一般的ですが、当時の高校としてはかなり珍しいことでした。
 外人教師は中年の女性でドロシーさんと言いました。多くの生徒が彼女との会話に四苦八苦する中、英検準2級の彼だけはぺらぺらと英語を喋り、彼女と対等に会話ができるのです。我々は羨望の眼差しで彼を見上げたものです。

 この話は空海マオと周囲の学生に応用できると思います。空海マオの場合はすでに大学寮の講義内容を数年間に渡ってみっちり勉強しています。よって彼が英検準2級生のような秀才ぶりを発揮したであろうこと――これも間違いないと思います。

 マオはおそらくすらすらと原典を読みこなし、他の学生が知らない昔の解釈書もなんなく読める。あるいは、教授が「この部分はある漢籍から引用されたものだ。出典が何かわかるか」と問えば、マオは「それなら『史記』のこの部分、『文選』のあそこにあります」と答えられる(『三教指帰』に引用された文献を見るとわかります)。
 いわば、空海マオの頭の中には儒学検索専用パソコンが一台入っているようなものです。同級生は空海の優秀さに驚き、あきれたことでしょう。

 しかし、空海マオにとってはつまらない、新しいものは何もない大学寮であり、講義だったろうと思います。彼は「この授業をこれから九年間もやらねばならないのか」と思って暗澹たる気持ちにとらわれたのではないでしょうか。

 さて、大学に入って受ける大きな刺激に学友の存在があります。現在でも中学、高校、大学に進むにつれ、友人との絡みは様々な感情を生み出します。大学の現状や社会、政治について討論することもある。それはいつの時代でも同じではないでしょうか。友との会話や議論の中で時に優越感を覚え、時に劣等感に浸ることもある……それも同じでしょう。

 空海マオの十代にそのような友人があったかなかったか、残念ながら全く伝えられていません。あるいは、空海は孤独な若者だったかもしれません。
 しかし、それでは小説になりません。私は空海マオが大学寮に失望するとともに「田舎者の自分はどんなにがんばっても天皇側近の政治家にはなれない」と絶望する何かが空海の周囲にあったのではと想像しました。そして、この探求の結果を第二章最初の「1失望・2鷹狩り・3宴の若者たち」で描きました。
 ここで登場するのは藤原北家真夏と冬嗣兄弟、藤原式家緒嗣といとこの仲成。同じく式家の皇太子安殿親王です。マオと真夏、緒嗣、仲成、安殿親王は全く同じ年の生まれです。
 ここでは五人の関係についてまとめた本作の一部を抜粋して天皇側近の官僚を目指したマオがいかに絶望したか、その説明に代えたいと思います。

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 佐伯マオ、藤原真夏、緒嗣、仲成、安殿親王。この五人が全く同じ年に生まれたことは単なる偶然でありながら、不思議な星の縁と言えるかもしれない。
 五人を比べるなら、藤原式家安殿親王が皇太子であり、次代の天皇となることが約束されている。同じく式家の緒嗣と仲成は父の死があったとは言え、すでに殿上人の一員である従五位下を授かっている。そして真夏は北家藤原内麻呂の長男として将来の幹部候補生である。真夏も安殿親王の東宮舎人として出仕を始めた。一人マオのみ大学寮学生であり、讃岐郡司のこせがれである。
 マオは五人の中で最も高い能力を有していたかもしれない。だが、彼は朝廷――政権から最も遠い位置にいる。
 マオは地方郡司の子でしかなく、九年後大学寮を卒業したとしても、普通の成績ではただちに仕官できるわけではない。官位は少初位下から始まり、少初位上に進む。そして大初位下→大初位上、従八位下→従八位上、正八位下→正八位上……と昇進を重ねる。殿上人である従五位下の位に到達するには官位十六階を昇らねばならない。明経科数百人の中で成績最上位の数人だけが辛うじて正八位下に叙せられた。
 また、めでたく従五位下の殿上人に到達しても、そこ止まりという者も多い。現在の政治家とでも言うべき天皇側近となるには、最低でも従四位下より上の身分となる必要があった。
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 私は小説を盛り上げるため、この頃五人が鷹狩りを通じて関係を持ったと描きました。それはあくまでフィクションです。
 しかし、大学寮にいるマオや学友達の間で、式家の仲成、緒嗣の二人は必ず話題に上ったに違いありません。
 なぜなら、この二人は十七歳にして従五位下の身分という、通常あり得ない昇進を果たしていたからです。それは桓武天皇の鶴の一声だったでしょう。

 まず緒嗣は藤原百川の長子です。姉は桓武天皇の夫人。百川は光仁・桓武二代の天皇即位に尽力した後、七七九年に病気で亡くなっています。緒嗣が五歳の時です。
 また、仲成の父は藤原種継。長岡遷都を主張し、造宮使に任命されながら、七八五年に暗殺されました。この年仲成は十一歳。
 仲成には直ちに正六位上が叙位され、同年十一月に従五位下が与えられています。これは父親の忠義と非業の死に報いるための特例的措置でしょう。
 一方、緒嗣の方は十四歳の元服時に正六位上内舎人に任じられ、封戸百五十戸を与えられています。このとき桓武天皇自ら加冠と帯剣の賜与が行われたと言われています。
 さらに六年後、五人が十七歳になった四月、緒嗣は従五位下侍従(天皇の秘書官)に任命されています。

 つまり、空海マオが大学寮に入学した年、同期生の一人、仲成はすでに従五位下であり、四月には緒嗣も従五位下侍従に昇進して天皇のお側に仕えるようになった。こんなことはかつてなかったことです。
 空海マオが「これが門地を重視する蔭位の制であり、官位昇進の仕組みだった。能力・実力がいかにあったとしても、それが発揮される場が開かれていない」と感じ、官僚への道に絶望したとしてもまったくおかしくないと思えます。

 大学寮に失望し、進路にも絶望したとき、人はどのようになるか。今も昔も同じ、堕落の道が始まるのではないでしょうか。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。(御影祐)
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