本作は『空海マオの青春』小説編に続く論文編です。空海の少年期・青年期の謎をいかに解いたか。空海をなぜあのような姿に描いたのか――その探求結果を明かしていきます。空海は何をつかみ、人々に何を説いたのか。私の理解した範囲で仏教・密教についても解説したいと思います。
2017年、今年もよろしくお願いいたします。m(_ _)m
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早速ですが、前号以下の部分にミスがありましたので訂正いたします。
「また、諸仏・菩薩と天人との違いは前者に寿命がなく、永遠の存在であるのに対し、天人には寿命があり、死の直前に地獄以上の苦しみがあるとされています」
仏は永遠の存在ですが、菩薩は寿命があるので天人の一員です。しかし、この文では「前者」が「諸仏・菩薩」を指すことになり、菩薩も永遠の存在であるかのように読みとれるので誤りです。以下のように訂正いたします。
「また、諸仏と天人との違いは前者に寿命がなく、永遠の存在であるのに対し、天人には寿命があり、死の直前に地獄以上の苦しみがあるとされていることです」
これでは菩薩について言及していないように見えますが、その直後に「菩薩は寿命がある」として触れています。
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本号の難読漢字(今号は本文中にかなりふりがなを付けています)
・声聞(しょうもん)縁覚(えんがく)・十善戒(じゅうぜんかい)・屠殺(とさつ)・蟷螂(とうろう)の斧(おの)
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第35「仏教回帰」その5 極楽に行くための「十戒・八正道」
年始めから考え出すと眠れなくなる話題から入ります(^_^)。
現代科学は(まだ少人数ながら)人が宇宙に行って暮らせるほどに発達しました。コンピューターやロボットの進化もめざましく、武器・弾薬、核兵器を捨てることができたら、地球は素晴らしい世界になるだろうに、と思います。
しかしながら、科学はいまだ魂とか人は死んだらどうなるのか解明できていません。結果、多くの人はこの件に関して「死後の世界なんてないんだ」と言ってすましているのではないでしょうか。
ところが、多くの宗教は地獄・天国を言い、仏教も死後の世界として「地獄・極楽がある」と説いています。
これまで六道、声聞縁覚、極楽について考察し以下のようにまとめました。
人は人間界・社会の中で生きてゆく限り、苦しみから逃れることはできない。出家して仏道修行に励めば、とりあえず苦しみから脱することができる。だが、修行を続けたとしても菩薩や仏になることはなく、死後ようやく極楽へ行ける(かもしれない)と。
もっとも、のんべんだらりと生きるだけでは極楽にいけない。では、どのような生き方をすれば死んで仏になれるのか、極楽浄土に生まれ変わることができるのか。
仏教はこの問いに対して十の戒律を守って生きること、さらに八つの正しい道を歩みなさいと説いています。
十の戒律とは以前「仏教回帰その3」で取り上げた「十悪」の禁止形です。
まず人が犯す十の悪を再掲すると、
《人の十悪》
・殺生(せっしょう、生き物を殺す)
・偸盗(ちゅうとう、ものを盗む)
・邪淫(じゃいん、よこしまな恋情を抱く)
・妄語(もうご、うそをつく)
・綺語(きご、見栄を張って飾り立てた言葉をはく)
・悪口(あっこう、人の悪口を言う)
・両舌(りょうぜつ、二枚舌を使う)
・貪欲(どんよく、あらゆるものを必要以上に求める)
・瞋恚(しんに、激しい怒りや恨み、憎しみを持つ)
・邪見(じゃけん、誤った見方、考え方にらわれる)
仏教では人間の全体像を「身口意(しん・く・い)」の三つに分けてとらえます。
大ざっぱに言うと「身」は身体や行動、「口」は口から出る言葉、そして「意」とは心であり、精神・感情です。
十悪は三・四・三で身口意に分かれており、業を付けてまとめています。
1 身業(行動)=殺生・偸盗・邪淫
2 口業(言葉)=妄語・綺語・悪口・両舌
3 意業(感情)=貪欲・
改めて感心するのはこの分け方というか、人間存在のとらえ方は見事です(^_^)。
意――つまり心の中では「あれがほしいこれがほしい、自分だけはいい目を見たい、人から嫌われたくない」と思う。しかし、現実は「愛されない、ほしいものが手に入らない、自分だけ悪い目を見ている」気がする。それが言葉として表れると、うそをついたり、悪口や愚痴が出る。ひどい言葉を吐いて相手を傷つける。さらに行動として表れると、むやみに生き物を殺したり、弱い人間をいじめたり、えらぶったりする。最悪物を盗み、人を傷つけ殺す。
これら言葉と行動の根底にあるのが「貪欲・
人は何をするかわからない。特に肌の色が違う、民族が違う、国が違う、主義・宗教が違う人間は平気で襲ってくる。だから、武器を捨てるなんてとんでもないと。
この不安と恐怖を克服しないと、武器も核もなくならないのでしょう。
そして、この十悪をせぬよう各項目の前に「不」を付けると、それがすなわち「十善戒」となります。
《仏教十善戒》
・不殺生(生き物を殺さない)
・不偸盗(ものを盗まない)
・不邪淫(よこしまな恋情を抱かない)
・不妄語(うそをつかない)
・不綺語(見栄を張って飾り立てた言葉をはかない)
・不悪口(人の悪口を言わない)
・不両舌(二枚舌を使わない)
・不貪欲(あらゆるものを必要以上に求めない)
・不
・不邪見(誤った見方、考え方にとらわれない)
最後の不邪見は仏教の教えである因果応報や六道輪廻などを否定する誤った見解を持たないとの意味です。
仏教はこの十善戒を実践することが菩薩・仏に至る道であり、死後六道輪廻を離れて極楽浄土に生まれ変わる生き方だというのです。
ここには入っていませんが、「不飲酒(酒を飲まない)」も仏教の戒律の一つです。酒好きな人は「そりゃ無理だ」と直ちに言いそうです(^.^)。
さて、みなさんはこの十善戒、どう思われるでしょうか。
一言で言えば「あまりに難しすぎる」ではないでしょうか(^_^;)。「人の物を盗むな」とか「不倫・浮気をするな」は実行できたとしても、「生き物を殺すな」や「うそをつくな」はほぼ不可能でしょう。
たとえば、蚊や蝿を殺したことのない人間はいないだろうし、自分が直接手を下さなくとも、牛肉・豚肉・鶏肉を食べていれば、屠殺をする人に殺してもらっています。魚貝類を含めて我々は間接的ながら生き物を殺してその肉を食べているのです。
また、飼い犬・飼い猫は捨てられると保健所に捕獲され、引き取り手がいないと毒ガス室で殺されます(厳密に言うと炭酸ガスによる窒息死か麻酔注射等による死)。よって、ペットを捨てる人は犬猫を殺しているのと同じ事です。
ちなみに、毎年ほぼ四万頭の犬が捨てられたり、飼えなくなったと保健所に持ち込まれます。うち三分の一は返還され、三分の一は譲渡され、残り三分の一、1万5千頭前後が殺処分されるそうです。地獄が存在するなら、殺処分された犬の元飼い主は間違いなく地獄に堕ち、飼い犬の顔を持つ地獄の鬼から辛い責めを受けることでしょう。
また、口業である「妄語・綺語・悪口・両舌」を使うなも辛い戒めです。家族・友人・恋人・同僚や上司の間で、思うことを正直に大胆に発言していたら、とても穏やかな人間関係を営むことはできません。「私はいまだかつてうそをついたことがありません」と言えば、それこそ最大のうそです。
ここでも人間界を離れ、無人島に一人で暮らさない限り、十善戒の実践はほぼ不可能と言っていいでしょう。
さらに、仏教は八つの正しい道――八正道(八聖道)を歩みなさいと説きます。
それが以下。
《八正道》
1 正見(しょうけん、正しく物事を見る)
2 正思惟(しょうしゆい、正しく物事を考える)
3 正語(しょうご、正しい言葉を使う)
4 正業(しょうごう、身口意の三業を正しくととのえる)
5 正命(しょうみょう、正しい仕事をする)
6 正精進(しょうしょうじん、正しく励み精進する)
7 正念(しょうねん、仏道を常に心に思い念ずる)
8 正定(しょうじょう、上記全てをととのえて心身を安定させる)
ここではごく簡単な意味にとどめましたので、詳細な解説はネット事典をご参照ください。
八正道の内容を知ってみると、誰でも当然のようにある疑問が浮かびます。
そもそも「正しい見方・考え方、正しい言葉・正しい行動ってなんだ?!」と。
やや怒気をこめて聞きたくなるはずです(^_^)。
たとえば、人を殺そうとすることは間違った見方・考え方であり、悪行でしょう。
しかし、それは平和時のみのこと。ひとたび戦争となれば、敵国兵士を殺すことは正義とされます。日常生活で人を三人殺せば殺人鬼ですが、戦争で敵兵を三十人殺せば英雄として賞賛されます。
また、人をののしって平手打ちを食わせることはとても正しいと言えません。しかし、年老いた母親が悪いことばかりやっている息子をののしって平手打ちすることは間違いと言えるかどうか。
私がいたころの教員社会では「生徒を殴ったり、汚い言葉で激励するのは正しい」と思う先生が結構いました。彼はそれを正見・正語・正業だと言うでしょう。
この件に関してはいつかまた考えることにしてとりあえず、仏教で言う「正しい」とは、このような《相対的なものではない》と言っておきます。どうやら「偏りがないこと・中道であること」を《正しい》と見なしているようです。
つまり、世の中の様々なことに対して偏見をもって見たり考えたりしているなら、それは正見ではなく、正思惟ではない。差別的発言をするなら、それは正語ではない。また、人をだまして生計の資を得ているなら、それも正しい仕事とは言えない――そのような意味の《正しさ》だと理解してください。
さて、空海は『三教指帰』の中で十善戒を実践することの難しさを次のように述べています。
「『五戒』すなわち不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒の五種の戒めによる悟りの世界への小舟も荒波に漂わされ」、「十種の善行による精進の車も強大な邪悪の力に引きずられて悪魔鬼神の近くへと、音すさまじく駆けてゆく」と。
十善戒を実行し、八つの正しい道を歩もうと思っても、世俗社会の「強大な邪悪」を前にしては、蟷螂の斧同様、敗北は必至。とてつもなく難しいと認めています。
それならどうするか。答えはあるようですが、長くなったので次号といたします。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
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