四国室戸岬双子洞窟

 『空海マオの青春』論文編 第 38

「仏教回帰」その8


 本作は『空海マオの青春』小説編に続く論文編です。空海の少年期・青年期の謎をいかに解いたか。空海をなぜあのような姿に描いたのか――その探求結果を明かしていきます。空海は何をつかみ、人々に何を説いたのか。私の理解した範囲で仏教・密教についても解説したいと思います。

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『 空海マオの青春 』論文編    御影祐の電子書籍  第115 ―論文編 38号

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           原則月1回 配信 2017年 4月10日(月)

『空海マオの青春』論文編 

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 本号の難読漢字
・弘布(ぐぶ)・元の木阿弥(もくあみ)・「聾瞽指帰」(ろうこしいき)・行脚(あんぎゃ)・梵釈寺(ぼんしゃくじ)・慈(いつく)しみ・安寧(あんねい)・求聞持法(ぐもんじほう)・陀羅尼(だらに)・本地垂迹(ほんじすいじゃく)
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 『空海マオの青春』論文編――第38「仏教回帰」その8

  第38「仏教回帰」その8 「仏教弘布の悩み」

 今号も若干の雑談から入ります(^_^)。
 みなさん方は「試されている」と感じたことがあるでしょうか。たとえば、今まで知らなかった新しい考え方とか生き方、読んだ本の示唆とか感銘を受けたことなど、何かしら獲得したものがあったとします。すると、まるでそれが「本当に身に付いたか」試されるような出来事が起こるのです。

 特に自分の性格や生き方に悩んでいると、人の言ったこと、書物に書かれたことを実践しようとします。ところが、それがなかなかうまくいかない。そして、うまくいかないと思うから、心に隠して実行しないこともある。「そのうち身に付いたら実行しよう」と思って。なのに、「お前が獲得したものは本物か」と問われるかのような事態が出現するのです。

 私の場合多感な高校時代から大学時代が正にそれでした。前号で書いたように、私には主義も信仰もなく、自分に全く自信が持てませんでした。そういう人間って人の意見に振り回されやすいものです。そして、人生指南書の類を読みたがります(^_^;)。
 その中には偉人伝とか宗教入門書、社会・共産主義に不可欠な唯物論的物の見方などが含まれます。そのうち「これだ」と思ったものを見付け出し、そこに書かれた生き方、物の見方や考え方を実行しようと思う。ところが……

 それがうまくいかないのです。たとえば、誰か(主義とか信仰にどっぷり浸かった人)と議論を交わせば、たやすく負けてしまう、言い負かされる。こうしよう、こんな風に言おうと思っていたのに、うまくできない。結局、「これもダメだったか」と嘆息して元の木阿弥になる(^.^)。
 要するに、試しに耐えられないという結果になりがちです。私は当時それを不思議に思っていました。一体なぜだろうかと。

 今振り返ってみるなら、獲得したものの見方・考え方、生き方などが心底身に付いていなかった。上辺だけと言うか、芯になっていなかった。心の底からの自信として身に付いていなかった――これに尽きるようです。

 そのような情けない私を、偉人空海と比較するのは僭越なことです(^_^;)。
 しかし、空海マオだって仏教という思想・生き方を身につけた時は同じだったのではないかと想像します。

 特に空海の場合、まず儒教から入っています。幼少期から儒教道徳にどっぷり浸かって育てられました。すなわち、空海の根底には儒教があります。仁義忠孝を信条として官僚か学者、うまくいけば天皇側近の政治家を目指して大学寮に入学したのです。

 しかし、いかに能力があっても、田舎郡司のせがれでしかない彼に望むような将来は訪れない。マオは進路に絶望し生活は乱れ、結局退学を決意する。そして、叔父大足の勧めに応じて仏教に進路変更する。乱れた仏教界を正し、新しい仏教を創始しようとの思いを抱いて。
 その後一心に仏典を研究して一つの結論とも言うべき原「聾瞽指帰」(儒教と仏教対比の草稿)を完成させた。

 だが、まだ儒教を否定できない。新しい仏教を仏典から見いだすことができない。そこで山岳修行(修験道)に進む。そこで得られたのが自由と無為自然の道教。それによってようやく儒教を否定できた。
 そのまま道教に進むこともあり得たけれど、道教と仏教を比べるなら仏教の方がより素晴らしいと思った。そこで儒教、道教を経て仏教に到達したとの趣旨で『聾瞽指帰』を完成させた。

 では、空海マオは諸国を行脚して大衆に「仏教は儒教・道教より素晴らしい。仏教とはかくかく、六道輪廻とはしかじか。地獄や極楽はこういうものである。極楽を目指し、十善戒を守って八正道の正しい生き方を実践しよう」と訴えたでしょうか。それはうまくいったでしょうか。

 マオは『聾瞽指帰』の中で、仮名乞児の仏説を聞いた蛭牙公子、兎角公、儒教亀毛先生、道教虚亡隠士の様子を描いています。
 彼らは歓喜して「仏教とはなんと素晴らしい教えであるか」とひれ伏し、「今後は仏教を悟りの世界に向かう船とも車ともして生きたい」と誓う。儒教・道教信奉者は「周公・孔子の儒教や老子・荘子の道教などは、なんと一面的で浅薄なものか」と言って仏教への宗旨替えを宣言する。
 マオが仏教を説いた時、現実の人々はこのような反応を見せてくれたか……と問われるなら、私の答えは「とても疑わしい」です。

 日本に仏教が入ってすでに三百年近く経過しています。当初は外来思想・宗教として排斥の動きがあったけれど、結局、天皇(朝廷)は「日本を統治するには仏教こそ最適」として人民に勧めました。国分寺・国分尼寺が全国につくられ、総国分寺の東大寺には巨大な仏像まで建造されました。空海マオが幼児の頃、人々に「立っているときも座っている時も歩いている時も、般若心経を暗唱しなさい」と布告されています。

 ここで以前も紹介した仏教礼賛の勅令を再度掲載しましょう。延暦十四年(マオ二十一歳)時、「梵釈寺」の創建を宣言する九月十五日の勅令です。
 まず仏教について「ありがたい仏教、このうえなく勝れている仏教」であり、「暗やみを照らす松明」のような教えであると賞賛します。そして、梵釈寺創建によって「宝界(浄土)が尊さを増し、下は仏教の教えが全国に及び、よく治まり、すべてが喜ばしく」なる。仏教によって「内外共に安楽で冥界も現世も長く幸福」となり、「慈しみの雲を見つつ迷いの世を出て、日光のような仏教の知恵を仰ぎ、悟りの道を進むことになろう」と言うのです。

 また、これも以前書きました。もしもマオが『聾瞽指帰』を手にして朝廷のお偉方に「私の本を読んでください。仏教の素晴らしさをうたい、人々に仏教を勧めています」と言ったら、どんな反応が返ってくるか
 朝廷は「そんなことはわかっとる」と答えたでしょう。勅令の最終責任者である桓武天皇も当然そうおっしゃる。「朕は仏教の素晴らしさをよく知っておる。我々は人々に仏教を勧め、国家安寧を願っておるんじゃ」と。

 上がそのような状況であるなら、下はどうか。こちらも「そんな話はよく知っとる」と言われたのではないかと想像します。
 もちろん仏教を信仰し、在家信者として慎み深く生きている人たちは多かったと思います。その人たちに仏教の素晴らしさを訴えれば、「よくわかっています。私も仏教を信仰しています」と答えたでしょう。

 しかし、問題は「仏教なんぞいらない、地獄はない」と言うやからであり、「極楽を目指しても、これまでさんざん悪いことをやって来た。どうせ地獄に堕ちるに違いない」と言って改めようとしない無信仰なる人間です。
 空海は彼らを説得できたでしょうか。仮に布教活動を始めたとすれば、彼は日々試しにかけられ、相手を論破、説得できない苛立たしさを感じたのではないかと思います。

 『聾瞽指帰』の仏教編にはマオが親戚から「儒教に戻れ」と言われ、言い負けた話が出ています。その後相手に手紙を書くけれど、「この手紙はまだ自分の心を充分述べ尽くしていません。後日改めて説明したいと思います」とあるように、仏教をうまく説明できないと感じている。そして、「大たわけの私はこれからどのように生きたらよいのか。ただ途方に暮れ、ため息をつくばかり」と嘆いています。

 そもそも信仰とは理屈ではありません。恋愛が理屈でないのと同じことです(^.^)。
 どんなに口すっぱく「私はあなたを愛している」と訴え、相手の素晴らしさ、自分の素晴らしさを並べ立てても、「ごめんなさい。あなたを好きになれない」の一言で終わりです。
 逆に言うと一目惚れの言葉があるように、一度会っただけで「待っていたのはこの人だ」と運命的な愛を予感する場合もあります。もっとも、相手も同じことを思ってくれなければ、単なる片思いに終わりますが(^_^;)。

 あるいは、羊と泉の話もあります。羊を甘露のような泉に連れて行っても、水を飲むかどうかは羊が決めること。無理矢理飲ませることはできないのです。

 結局、『聾瞽指帰』を書き上げたとき、空海マオは感じたはずです。仏教はいまだ自分のものになっていない。何かが足りない。真に自分のものとするためには何かが足りないと。さらに、新しい仏教を提示できなければ、上も下も変わることはない。自分はまだ新しい仏教を獲得できていないと。

 そのとき思い出されたのが修験道修行の最中(さなか)見かけた「求聞持法百万遍修行」ではなかったか、と私は推理します。
 名も知らぬ沙門が行っていた百万遍修行。それは仏教の名で行われている山岳修行だった。戸外で明けの明星を見ながら、ただ一つの陀羅尼(呪文)を一日一万回となえる。百万遍修行は空海が読んだ仏典のどこにも書かれていない。しかし、修験道・道教の修行とは違う。理屈は何もわからない。そんなことをやって何か得られるものがあるのか、それもわからない。しかし、もしかしたら体験してみれば、何かを感得できるかもしれない……そう考えて「百万遍修行をやってみよう」と決意したのではないかと思われます。


 さて、これをもって仏教回帰編はひとまず終わりにしたいと思います。
 ひとまずと言う訳はまだ仮名乞児が語る仏説で説明しておきたいことがいくつかあるからです。それは本地垂迹であったり、華厳経の「一即多・多即一」であったり、「仏が様々な姿に変化(へんげ)して大衆の前に現れる」などです。また、『聾瞽指帰』から『三教指帰』と改題された意味についても触れねばなりません。これらは百万遍修行の解説が終わった後、再度考察したいと思います。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:文中「羊と泉」の話を取り上げました。執筆後念のために調べたら、どうもこれは「馬と水」の勘違いだったようです。英語のことわざに「馬を水辺に連れて行くことはできる。しかし彼に水を飲ませることはできない」というのがあるようです。『聖書』には羊飼いを神に、羊を民衆にたとえるお話があります。どうもそれとごっちゃになっていたようです。しかし、馬と水より羊と水の方が合っている気がするので、本文はそのままにしておきます(^.^)。

 以上です。なお、来月はわけあって休刊といたします。次号は6月です。

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