四国室戸岬双子洞窟

 『空海マオの青春』論文編 第 45

「室戸百万遍修行」その3


 本作は『空海マオの青春』小説編に続く論文編です。空海の少年期・青年期の謎をいかに解いたか。空海をなぜあのような姿に描いたのか――その探求結果を明かしていきます。空海は何をつかみ、人々に何を説いたのか。私の理解した範囲で仏教・密教についても解説したいと思います。

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『 空海マオの青春 』論文編    御影祐の電子書籍  第122 ―論文編 45号

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           原則月1回 配信 2018年 2月10日(土)

『空海マオの青春』論文編 

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 本号の難読漢字
・磐座(いわくら)・『三教指帰』(さんごうしいき)・勤念(ごんねん)・求聞持法(ぐもんじほう)・称名(しょうみょう)・拙(つたな)い・『聾瞽指帰』(ろうこしいき)・金峰山(きんぷせん)・結願(けちがん)・易行(いぎょう)・悟達(ごたつ)・虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の化身(けしん)・求聞持(ぐもんじ)堂・魑魅魍魎(ちみもうりょう)
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 『空海マオの青春』論文編――第45「室戸岬百万遍修行」その3

 「室戸岬百万遍修行」その3――双子洞窟百万遍修行追体験(三)

 二〇〇四年六月、一二二年ぶりに金星の日面通過が発生。約一二〇〇年前の七九七年五月二十四日も金星と太陽が重なりました。それは空海二十三歳、室戸岬で百万遍修行を達成した年でした。

 当時の日本人がそのような天文学的知識を持っていたとは到底思えません。しかし、目ざといと言うか観察眼ある人なら、「今年の明星はいつになく光っているなあ」と感じたかもしれません。
 七九七年は五月三十一日から明けの明星に入り、その後年末までずっと明けの明星でした。百万遍修行を実践するには絶好の年であり、なおかつ金星の日面通過が起こる年は例年になく明星が光り輝く。

 私はその事実を知ったとき、空海二度目の百万遍修行達成、その神秘と感激は宇宙規模の偶然と大きく関わっていたのだと思いました。
 そして、空海を研究する自分にも同じ偶然が起こった。ならば、「謎に満ちた空海の真実をきっと解き明かせるはず」と大いに励まされたものです(^.^)。

 そんなわけで、翌七月太龍山と室戸岬に行き、空海の百万遍修行を(わずか二日ながら)追体験しました。
 太龍山は北の舎心岳、南の舎心岳という磐座を持つ聖地であり、室戸岬双子洞窟の頭上も磐座、そこは聖地の気配を漂わせていました。

 百万遍修行は深夜から未明にかけて行われます。その心境を感じ取るには昼間訪ねるだけでは不充分。それゆえ草木も眠る丑三つ時に行きました(^_^)。太龍山ではダイヤモンドのようにこうこうと輝く明けの明星を眺めて大感激しました。

 一方、二夜ともこれまでの人生で味わったことのない恐怖を覚えました。
 南の舎心岳では現地に着くまでが恐怖の連続。向こうの立木が襲ってくると感じ、道ばたの石仏がひょいと動き出したらどうしようと思って固まりました。
 かたや室戸双子洞窟は灯台の明かりによって着くまではなんでもなかったけれど、真っ暗闇の洞窟に入ると、身体の震えが止まりませんでした。夏なのに寒気がして「洞窟の奥は冥界とつながっているのではないか、魔物がすぐ後ろにひそんでいるのではないか」との想像が頭から離れず、逃げて帰りたくなりました。

 それらの恐怖は私の頭がこしらえたものであることは明らか。昼間だったら「そんなアホな」と言える。科学的知識はそれをたやすく否定できる。しかし、深夜一人で闇の中にいると妄想を否定できない。99パーセント、いや99.9パーセントそんなことはない。だが、残り0.1パーセントの可能性を否定できず、妄想がふくらむのです。

 私は般若心経真言の「ギャーテー、ギャーテー」や求聞持法真言「ノウボウ、アキャシャー」をとなえ、頭からその妄想を追い払うことで、ようやく恐怖が薄れてそこにいることができました。

 このときわかったことがあります。それは心から本当に集中してとなえなければいけないということです。うわの空でとなえたり、何か他のことを考え出すともうダメ。また、まがまがしい妄想が心に浮かんで鳥肌が立つ。私は必死の思いでとなえました(^_^;)。

 なるほどこれが念仏をとなえる効果・効能かと思いました。
 両親が亡くなった後の法事で、菩提寺の住職はよく「南無阿弥陀仏の念仏をとなえましょう」と言っていました。
 その頃の私はそれを聞いたからといってとなえるはずもなく、意味のないことと思っていました。そもそもお坊さんはどんな効能があるのか説明してくれませんでしたし(^_^;)。
 しかし、百万遍修行追体験によって「確かに効果があるんだ」と思いました。

 と同時に妄想を取り払うのであれば、となえる言葉はなんでもいいのだと思いました。ここらが信仰心のない無宗派人間たるゆえんでしょう(^_^;)。
 私はいろいろ言葉をとなえてみました。落語「寿限無」の「じゅげむ、じゅげむ、ごこうのすりきれ……」も全部覚えているのでとなえました。とても効果的でした(^_^)。

 空海の場合は私なんぞと違って真面目で信仰心篤い人だったでしょう。彼も求聞持法をとなえることで恐怖を克服できたなら、「これが真言の力か、仏教の効力かっ!」と大感激したことと思います。

 私は追体験によって舎心岳の百万遍修行と双子洞窟のそれは何かしら違うと感じました。であれば空海マオもまた双子洞窟の百万遍は南の舎心岳と違うと感じたはず。どう違ったのか。四国から帰宅後思いをめぐらせました。

 ここでも空海が残した言葉からそれを推理しようとすると、ヒントは『三教指帰』のわずか二行しかありません。

 ・阿波の国太龍岳によじのぼり、土佐の国室戸岬にて勤念した。
 ・「谷不借響、明星来影」……谷響きを惜しまず、明星来影す。

 せめてもうちょっと語って欲しかった。大学国文科で「『三教指帰』序の二行から原稿用紙五枚のレポートを書け」などと言われたら、学生は教官室に怒鳴り込んで抗議するでしょう(^.^)。昔の私も当然書けるはずないけれど、今なら書けます。

 私はまずこの二行を分析してみました。普通に読むと、これは太龍山と室戸岬の百万遍修行について、ただ全体的な感想を書いた――かのように見えます。
 しかし、これが漢文で有名な対句表現であることは一目瞭然。対応させると以下のようになります。
 ・阿波の国太龍岳――谷響きを惜しまず
 ・土佐の国室戸岬――明星来影す

 マオが求聞持法をとなえたとき、明けの明星を見ることは両方に共通しています。よって、「明星来影」は太龍山でもあったはず。そこで、この部分を我ら凡人が書くと以下のようになりそうです。
 ・阿波の国太龍岳によじのぼったときはこだまが谷に響き渡り、明けの明星が光り輝いて感動的だった。また、土佐の国室戸岬で勤念したときも明星が強く輝いて私に迫った……とでも。
 うーん、平々凡々(^.^)。対句のかけらもなく文学的表現でもない。むしろ同じ言葉を繰り返して下手の極みではないか。
 よって、空海の感慨は対句的文学的表現のため、太龍山南の舎心岳のまとめでは、語句が重なる「明星来影」をカットした――かのように見えます(^.^)。

 しかし、(また私の拙い体験から推しはかると)、太龍山は初めての百万遍修行であり、初めての求聞持法です。深夜暗闇の中で真言をとなえ始め、やがて東の空に輝き始めるダイヤモンドのような明けの明星を見た……なら、その感動をカットするでしょうか
 たとえば、反対にしてみるとどうなるか。
 ・阿波の国太龍岳――明星来影す
 ・土佐の国室戸岬――谷響きを惜しまず

 これは事実としてあり得ない対句です。なぜなら、海岸沿いの室戸岬双子洞窟周辺に山々はなく、称名に応えるこだまはないからです(洞窟内の反響はあったでしょうが)。つまり、「谷響きを惜しまず」という称名の声が山々からこだまとして返ってきたのは、南の舎心岳のみであって室戸岬の事実ではありません

 ということは空海は太龍山では明星来影をカットして「谷響きを惜しまず」――山々から返ってくるこだまを取り上げたことになります。つまり、太龍山では明星来影より「こだまの方がより強く心に残った」と言うことができます。

 わずか二行の感想ながら、南の舎心岳で印象的だったのは明けの明星であるよりむしろ、「称名に応える連山のこだまだった」と読めるのです。そして、室戸岬双子洞窟の百万遍修行では称名よりむしろ、「光り輝く明けの明星が心に残った」と解釈できます。

 後に「空海は室戸岬において明星が口に飛び込む神秘を得た」と言われます。これも太龍山の話ではありません。やはり極め付きの神秘――明星との関わりは室戸双子洞窟において生起したのです。
 要するに、空海マオが南の舎心岳で感激したのは称名のこだまであり、室戸双子洞窟では「明星来影」であると。彼はそれを素直に対句として表現したと見るべきでしょう。
 これって私の追体験と正反対です。私は太龍山でダイヤモンドのように輝く明けの明星に大感激した。しかし、大声で真言をとなえなかったので、こだまは聞くことができなかった。一方、室戸岬では明けの明星に前夜の輝きがなかったため、明けの明星を見ても、さほど感激することはなかった……。

 私がどうしてこれほどまでにこだわるかと言うと、最初に書いた通り空海の百万遍修行が何年のことであり、そのとき明けの明星がどう見えていたか突き止めたからです。

 以前検証したように、百万遍修行が春から秋にかけて明けの明星を見ながら実践する場合、空海にとって可能だったのは二十、二十二、二十三歳の三年でした。

 [空海マオ百万遍修行の年]

 年 齢  明けの明星の 期 間 =  可 宵の明星の期間

 19歳 

 01月01日〜04月03日= ×  4月から12月末

 20歳 

 03月14日〜11月30日= ○  1月から2月末と12月(平安遷都794年)

 21歳 

 10月21日〜12月31日= ×  1月から9月末

 22歳 

 01月01日〜07月07日= △  8月28日から12月末

 23歳 

 05月31日〜12月31日= ○  1月から5月18日 (金星の日面通過)
 23歳11月末 改題『三教指帰』完成

 十七歳の大学寮進学、退学→仏教入門と勉学→儒教・仏教の「聾瞽指帰」草稿執筆→金峰山・石鎚山登拝修行→道教を取り入れた「聾瞽指帰」完成→太龍山百万遍修行→室戸岬百万遍修行……。
 仏教入門後の濃密な流れを考えると、とても二十歳の年に太龍山百万遍修行が行われたとは考えられない。しかし、七九四年は春から秋にかけて八ヶ月も明けの明星であり、百万遍修行者にとって最適の年でした。私はマオの金峰山・石鎚山登拝修行はこの年であり、そのとき山中で百万遍修行に励む「一沙門」に遭遇したのではないかと推理しました。その後『聾瞽指帰』を完成させ、百万遍修行に入ったと。

 よって、太龍山百万遍修行は二十二歳の春三月頃から六月末まで。室戸岬百万遍修行は翌二十三歳の六月から十一月ころであろうと結論を出しました。その後寺に戻って「聾瞽指帰」を改稿、十二月一日『三教指帰』として完成させたという流れです。

 この推理が正しいとすると、二十二歳の太龍山百万遍修行はかなり窮屈であることがわかります。春まだ浅い(寒い)三月一日から始めたとしても、 結願(けちがん)は六月末。四ヶ月一二〇日しかありません。翌年なら六月一日から十一月末としても六ヶ月、たっぷり一八〇日あります。

 この違いは何を生み出すか。私はマオは太龍山では「自力」を、双子洞窟では「他力」を学んだのではないかと考えました。

 自力・他力は仏教で大きな意味を持つ言葉です。それだけで本が一冊書けるほど深い言葉ながら、ここではごく簡単に意味を書いておきます。
 自力……厳しい修行を積み、自分の努力によって悟りに達しようとすること。
 他力……人間の力だけで悟りに達することはできず、仏の慈悲にすがり念仏をとなえることで救われようとすること。

 前者は座禅、滝行、山行登拝、極めつけは比叡山延暦寺の千日回峰行でしょう。常人にはかなり難しい修行です。後者は浄土宗や浄土真宗など、念仏をとなえさえすれば誰でも極楽浄土に往生できると説きます。それなら軟弱者の私でもできる。
 よって、自力は難行、他力は易行(いぎょう)とも言われます。求聞持法を百日間もとなえる百万遍修行は難行に入るでしょう。

 ならば、二度の百万遍修行を貫徹した空海は自力のすごさを学んだ、そう思われます。
 私は確かに太龍山では自力を学んだだろう。しかし、室戸岬では他力も学んだのではないかと思いました。根拠は「明星来影」の言葉です。
 たとえば、私なら「二度も百万遍修行をやって貫徹した。何かしら悟るものがあった」とでも書きます。
 漢文なら「我貫徹百万遍、有悟達之思(我百万遍を貫徹す。悟達の思い有り)」とでもなるでしょうか(^_^;)。
 ところが、空海マオはそう書かなかった。あくまで室戸岬では「明星来影ス」と書いた。そこで、以下私の推理です。

 まず南の舎心岳では「真言百万遍をとなえること・貫徹すること」が目的だったのではないか。初めての百万遍修行です。果たして貫徹できるかどうか、かなり不安があったでしょう。その結果、彼は自力で真言百万回に到達した。わき起こる恐怖は真言をとなえることで克服した。

 ところが、室戸岬双子洞窟においては自力だけでは困難があったのではないか。マオは「頼るもの」を求めた。そのとき闇の中から光り輝いて彼を助けてくれたのが明星
 明星とは虚空蔵菩薩の化身です。心の底からわき起こる恐怖を真言だけでなく、明星に頼ることで克服した。ここでマオは《他力》の意味を学んだ――と言うか体感したのではないかと思います。

 現在の太龍寺には「求聞持堂」なる建物がありました。当然百万遍修行を実践するためのお堂でしょう。私はそれを見たとき、「あれっ、百万遍修行って外で明星を見ながら行うのではないのか」と思いました。

 それはまー理屈。おそらく降雨や台風など、外の実践が難しいときは室内で真言一万回がとなえられる日もあるのでしょう。曇って明星が見られなければ、わざわざ外でとなえることもありません。真言を百万遍となえることが大目標なら、そうなります(あくまで門外漢の推理ですが)。以前も書いたように、それなら一人でなく集団で行うこともありでしょう。

 で、考えました。もしかしたら、あのお堂はかつて百万遍修行が行われた頃もあったのではないかと。さすがに昔でも雨天荒天下、外で真言一万回をとなえるのはしんどいはず。明星も見えないことだし、だったらお堂内でやればいい。

 しかし、そうなると明星は関係ないことになります。ひたすら真言をとなえる――それが大目的となるでしょう。百万遍修行は通常一日一万回の称名ですが、二万回となえて五十日で一気に貫徹することもあるそうです。そうなると、明星はますます関係なくなり、真言をとなえて百万回に到達することが最大最終の目標となります。

 その際頼るのは何でしょう。私は自力だと思います。頼ると言うより、自力でやるしかありません。食事は誰かが援助してくれるかもしれないけれど、修行は自力でやるしかない。
 くじけたら山を下りる。こんなもの何の役に立つと疑っても山を下りる。日々の修行は自分との闘いであり、貫徹すれば自分の力。根性というか、暗闇の恐怖を克服する勇気。あるいは、単純な繰り返しを耐え忍ぶ忍耐力(^_^;)。なんにせよ自力で百万回に達する――この修行は自力以外の何ものでもないと思います。

 ならば、マオは室戸双子洞窟で何を学んだか、何を感得したか。それが「他力」ではないかと思います。自分一人の力で成し遂げる、貫徹できると思ったとき「そんなことはないぞ」と天が言う、自然がつぶやく。
 真っ暗な洞窟の中で感じた恐怖。それはこの穴が黄泉の国とつながっているのではないかという身の毛もよだつ空想です。昼間なら「そんなアホな」とたやすく否定できる。しかし、深夜真っ暗闇の洞窟ではなかなか否定できない。洞窟の奥に背を向けて座れば、背後に魑魅魍魎や魔物がうごめいていると感じる。この穴は冥界につながっているのではないかとの思いにとらわれる。
 そのとき「ギャーテー、ギャーテー……」の般若心経真言、「ノウボウ、アキャシャー……」の求聞持法真言は果たして役立っただろうか。

 私はさほど効果がなかったのではないかと思います。自分一人の力ではいかんともしがたい。そう思ったとき洞窟の入り口である窓に、明星がこうこうと輝き始める……
 「虚空蔵菩薩が自分を守ってくれる」と思ったとき――心からそう感じたとき、マオは魔物や魑魅魍魎を追い払えたのではないか。洞窟の奥の冥界に連れ去られる恐怖を克服できたのではないかと思います。
 これは自力でしょうか。いや、自力ではない。明けの明星を頼りにした他力だと思います。

 マオは太龍山では自力で真言百万回に到達した、曇って明星が見られない日でも、山々はいつもこだまで応えてくれた。それは自分を励ます声であり、達成したときには称賛の声と感じたのではないでしょうか。よって、まとめると「谷響きを惜しまず」となった。

 一方、室戸岬の百万遍は真言称名よりむしろ明星との交感を重視した。前年不充分だったのはそれだから、おそらく雨天曇天ではとなえることをやめたのではないかと思います。常に明星を見ながらとなえた。そして、明星のおかげで恐怖を克服し、明星を見ながら百万回に到達した。「明星来影」とは虚空蔵菩薩との交流・交感を意味し、自力以上に《他力》も必要であることを学んだ――それを表現しているように思います。

 この思いが『三教指帰』の二行、
 ・阿波の国太龍岳→谷響きを惜しまず。
 ・土佐の国室戸岬→明星来影す。
 ――という事実と実感を表す対句表現になったのでははないでしょうか。

 南の舎心岳では曇った日など必ずしも明星が見られるわけではなかった。特に最終盤の六月は梅雨の季節です。それでも期限が迫っているから毎日毎夜やらざるを得ない。そうなると明けの明星が見えることより、となえたこと、称名の声が連山からこだまとして返ってきたことがより強く心に残った。

 そして、翌年室戸岬双子洞窟では雨天・曇天の場合求聞持法をとなえなかった。時間は年末までたっぷりあるから、必ず晴天の日に実行した。こちらに山々から返ってくるこだまはない。
 明けの明星が輝く前からとなえ始め、明けの明星を見ながらとなえ、薄くなる頃終えた。常に明けの明星を見ながらとなえた。だからこそ「明星来影」とまとめた。
 そして、貫徹したときには明星が口の中に飛び込んでくるような――幻覚かもしれないけれど、この上ない感動を覚えた。

 そのとき空海マオは「もう間違いない。これが仏教なら私は仏教を心から信じ、突き進むことができる。きっと新しい仏教を生み出してみせる」と感じ、決意したのではないかと思います。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:参考までに落語『寿限無』の長すぎる子どもの名は以下の通りです。
 みなさんにも暗唱を勧めます。読んでみれば似た言葉をつなげ、覚えやすくする工夫がこらされています。

「じゅげむじゅげむ ごこうのすりきれ かいじゃりすいぎょのすいぎょうまつ うんらいまつ ふうらいまつ。くうねるところにすむところ やぶらこうじ(の)ぶらこうじ。ぱーいぽぱいぽ ぱいぽのしゅーりんがん しゅーりんがんのぐーりんだい ぐーりんだいのぽんぽこぴーのぽんぽこなーの ちょうきゅうめいのちょうすけ」

 私がこれを暗唱しようと思ったのは「声を出して声帯を使うため」です。よく高齢者に声がかすれた男性がいます。あれは喋ることをしなくなった結果、声帯にすき間ができるからだそうです。それを防ぐにはよく喋ったり、カラオケやったり、本や新聞を朗読することです。おばあさんに声がかすれた人が少ないのは茶飲み友達とよく喋っているからでしょう。
 私は一人暮らしだし、目の関係で新聞類が読めなくなったので、覚えて暗唱することにしたというわけです。『般若心経』の暗唱を始めたのも同じ理由からでした(^_^)。

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