四国室戸岬双子洞窟

 『空海マオの青春』論文編 第 46

「室戸百万遍修行」その4


 本作は『空海マオの青春』小説編に続く論文編です。空海の少年期・青年期の謎をいかに解いたか。空海をなぜあのような姿に描いたのか――その探求結果を明かしていきます。空海は何をつかみ、人々に何を説いたのか。私の理解した範囲で仏教・密教についても解説したいと思います。

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『 空海マオの青春 』論文編    御影祐の電子書籍  第123 ―論文編 46号

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           原則月1回 配信 2018年 3月10日(土)

『空海マオの青春』論文編 

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 本号の難読漢字
・黄泉(よみ)・最御崎(ほつみさき)寺・磐座(いわくら)・邁進(まいしん)・求聞持(ぐもんじ)法・魑魅魍魎(ちみもうりょう)・調伏(ちょうぶく)・礫(つぶて)・瀕死(ひんし)・駆逐(くちく)・茣蓙(ござ)・燦然(さんぜん)・鎮(しず)める
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 『空海マオの青春』論文編――第46「室戸岬百万遍修行」その4

 「室戸岬百万遍修行」その4――双子洞窟百万遍修行追体験(四)

 二〇〇四年七月十五日未明、双子洞窟の西側みくろど窟に入り、ライトを消して奥に背を向けました。入り口は(灯台の明かりのせいで)はっきり見えたけれど、周囲は真っ暗。背後に何かいるように感じ、黄泉の世界に連れて行かれるのではと思って恐怖の極みでした。私は求聞持法真言「のうぼうあきゃしゃー」を必死にとなえました(^_^;)。
 やがて入り口に明けの明星が輝き始め、薄くなり消えるまで見届けてからホテルに戻りました。この年は金星の日面通過が起こり、七月十五日は明けの明星が最も光り輝く、それを知っての百万遍修行追体験でした。
 これで目的は果たしたし、成果は充分以上にあった。二日に渡ってほぼ半徹夜状態だったから、さすがにばてばて。この日はのんびり徳島まで戻り、一泊して翌日東京に帰る予定でした。

 室戸を出発する前もう一つ行きたいところがありました。それは「空海一夜洞窟」の伝承がある洞窟です。マオが室戸岬で百万遍修行に励んでいるとき、一夜にして掘りあげたと言われます。双子洞窟の南に昔の遍路道があり、登れば最御崎(ほつみさき)寺に至る。空海の一夜洞窟はその途中にあると確認していました。

☆ 「遍路道入り口の標柱」

 双子洞窟の南に中岡慎太郎像があり、その近くに遍路道の入り口がある。私は朝食後車を像の駐車場に止め遍路道を探しました。道のそばに案内標柱があって「四国第二十四番霊場東寺最御崎寺登口」と書かれていたので、すぐにわかりました。
 そこから百メートルも歩いたでしょうか、くだんの洞窟は林の中にありました。その場所から海は見えず、潮騒も聞こえませんでした。

☆ 「空海一夜洞窟(伝承)」

 洞窟は入り口の高さ二メートル、幅三メートルくらい。奥は浅く十メートルあるかどうか。とても小さな洞窟でした。突き当たりに基壇があり、かつては仏像が安置されていたとか(今は最御崎寺の宝物館にあるようです)。
 空海一夜洞窟は双子洞窟と比べれば単なる小洞窟。巨大な磐座もないし、聖地とは言いがたい(^.^)。
 ただ「掘った」という伝説が生まれた訳はわかりました。入り口がきれいな長方形になっているからです。後世手を入れていないとすれば、確かに誰かが掘ったかのように、形のいい洞窟でした。
 もっとも、固い岩盤の洞窟だから、空海が一人で、しかも一晩で洞窟を掘るのはさすがに不可能でしょう。

 大分県中津市には「青の洞門」というノミと槌だけで掘られたトンネルがあります。菊池寛の小説『恩讐の彼方に』で有名になりました。十八世紀初め遍路中の禅海和尚が村人のためにと発願して掘り始めたトンネルです。人力故か百メートル掘るのに三十年かかったとか。十メートルなら三年。
 室戸の方は単なる洞窟なのに、なぜ「空海が一夜で固い岩を掘って洞窟をつくった」かのような伝承が生まれたのか。考えてみましたが、旅行中に答えを見出すことはできませんでした。

 ちなみにこの件は百万遍修行追体験の後日談――というか当日談(^.^)であり、本号の伏線でもあります。帰宅後伝承が生まれたわけを思いつきました。

 さて、ここから本論。空海は二度の百万遍修行で何を得たか、何を学んだか
 私の追体験からも、まずは念仏の効能――真言をとなえることで不安と恐怖を克服した。それは太龍山南の舎心岳において感得できた。マオは真言称名に応えるこだまを「谷響きを惜しまず」と書いた。それは自力以外の何ものでもなかった。
 しかし、太龍山では(結果的に)百万遍修行貫徹が目的となり、明星との交感は少なかった。それがもう一度百万遍修行をやろうとした最大の理由だった。
 翌年――金星日面通過の年、マオは室戸双子洞窟におもむき、再び百万遍修行に入った。そして、明けの明星=虚空蔵菩薩との交感を果たした。真言をとなえた百日間はほぼ晴れの日だったであろう。結果、恐怖の克服には明けの明星の助けも必要だと実感した。それは自力だけでなく他力の確認でもあった。その思いを「明星来影す」の一言にまとめた……私はそのように推理しました。

 四国から帰宅後、空海一夜洞窟のことを考えつつ、「他に何か得たものはないだろうか」と、『三教指帰』や史書『日本後記』の七九七(延暦十六)年六月から十二月までを読み直しました。
 真言をとなえることで暗闇の恐怖を克服したとき、マオは「これが仏教の力か! 呪文の効能かっ!」と叫んで大感激したに違いない。その後も室戸岬で百万遍修行を続けたなら、彼はどう感じ、何を考え、何をしただろうか。

 何度も書いているように、百万遍修行に関して空海の言葉は『三教指帰』序の「谷響きを惜しまず」と「明星来影す」の二つしかありません。本文の中で一切触れることなく、それとつながりそうな文言も見いだせない。入唐帰国後この件を振り返っての言葉も皆無。正直途方に暮れました。
 しかし、私の内部では「まだ何かある。これだけではない」とささやく創作の神がいました(^_^)。
「これで終わりではない」と彼はつぶやいていました。

 こうなると一般論として考えるしかありません。これまで何度も書いてきたように、古代も中古中世戦国時代も、江戸時代も明治大正昭和から現代に至るまで、人の感情は変わらない。時代の波に揉まれ、ひとりひとり悩み多き人生を歩む。しかし苦しみばかりではなく、楽しいこと、喜ばしいことも多々ある。誤解曲解すれ違いも結構ある。人は何らかの力を得たと思ったら、その後どう生きるだろう……と考えてみました。

 思いついたのは「試し」です。人は物理的・精神的な《力》を獲得したら、それを試してみたいと思うのではないか。その衝動と言うか、誘惑に駆られるのではないかと思いました。

 たとえば、小柄で弱々しい若者が一念発起して空手を習うとします。必死に練習して段位も得た。これまでは強そうな相手に面と向かうことなどできなかった。だが、自分は力を得た。どこまで通用するか、試してみたい……そう思いはしないか。
 そこで(禁じられているけれど)、街角でたむろしている不良相手にケンカを仕掛ける。あるいは売られたケンカを買う。結果相手をこてんぱんにやっつけたなら、「オレは強くなった」と胸を張るでしょう。近くの女の子はうっとりしたまなざしで見る(^.^)。力の獲得は人に自信を与えます。

 あるいは、私自身の例ですが、十代半ばころ私は人付き合いが苦手で、自己嫌悪に陥ってぐずぐず悩むような少年でした。それが唯物史観というのを知り、哲学書などを読んで変わりました。それまでは人と議論を交わしても負けることが多かったけれど、唯物論を身につけてからは議論に勝てるようになり、自信も芽生えました。当時の私にとって唯物的な物の見方というのは一つの武器であり、力の獲得でした。

 若き空海マオも百万遍修行を通じて真言称名の力を体得した。求聞持法真言をとなえ、明けの明星の助けを得て恐怖が克服された。それによって(比喩的表現ですが)洞窟に巣くう魔物や魑魅魍魎を追い払うことができた。ならば、それ以外にどんなことができるか。「呪文の力を使ってみたい、試してみたい」と思ったのではないか。その誘惑に駆られた可能性は高い。「この力はどこまで通用するか」と考え、「何かで試してみたい」と思ったなら、室戸岬においてそれを試す機会があったのではないか、と考えました。

 そのとき『日本後記』の短い記述に目がとまりました。八月十四日平安京で「地震と暴風」があり、「左右京内を区切る門や百姓の家々の多くが倒壊した」とあります。
 これはあくまで地震であり、その後暴風が吹いたことを記しているに過ぎません。ただ、地震直後大火が発生すると強風が吹きやすいけれど、大火の記述はありません。そうなると「暴風」とは台風による強風だったのではないか、と想像がふくらみました(豪雨があったと書かれていない点は引っかかりますが)。

 もしも、平安京――京都に台風が襲来したら、当然その西や南も台風が通過したはず。特に南紀、四国南岸は「台風の通り道」として有名。それは今も昔も変わらないでしょう。私は同日室戸岬を台風が通過したかもしれないと考えました。

 あるいは、マオは室戸岬で夏から秋まで半年近くを過ごした。その間台風が全くなかったとは言いづらい。八月十四日当日でなくとも七月から九月、十月のある日台風が襲来したかもしれない……と思いをめぐらせていると、
「そうか。だから一夜洞窟か!」とつながりました
(^_^)。

 台風が来たとき、マオは別の住みかを求めたのではないか。双子洞窟は海のすぐそばにあり、東に向かって開いている。入り口に扉を設けたとはとても思えないから、豪雨や強風が吹き込んだに違いない。そうなると別の住みかがほしい。それもあばらやみたいな小屋ではなく、暴風雨に耐える頑丈な住みかを……。
 つまり、「空海一夜洞窟」とは台風や豪雨が襲ったときの避難場所ではなかったか。林の中なら暴風雨はかなり軽減される。一夜洞窟の入り口は小さく、あれくらいなら木々や枝葉で塞ぐこともできただろう。

 また、「避難場所」と考えると、あの洞窟の形の良さも納得できる。空海が訪れる前、漁師達がすでにあった洞窟を、人が住めるよう形を整えていたのではないか。嵐などで船が岬の突端に着岸したとき、しばらくあの洞窟に避難していたのではないかと思いました。
 マオもまた嵐の時は双子洞窟を離れ、「一夜洞窟」で一晩だけ過ごした。それが時代を経て「空海が一夜で洞窟を掘った」という超能力伝説に変わったのではないか。
 逆に言うと、「空海一夜洞窟」の伝承があるということは、修行中の室戸岬に間違いなく嵐がやって来たことを教えている。私は「室戸の台風襲来」を確信しました。

 ならば、マオは台風を前にして何をしたか。何をなすこともなく、洞窟内にひそんでやり過ごしたか。
 二度目三度目の台風ならそうしたでしょう。しかし、初めて台風を迎えたときは違うのではないか。求聞持法真言称名の力を試そうとしたのではないか。真っ暗闇の洞窟で真言をとなえ、「魔物よ。魑魅魍魎よ立ち去れ」と叫べば魔物は姿を消した。ならば、真言は嵐も調伏できると考え、豪雨と強風吹き荒れる双子洞窟で百万遍修行を実行した……。

 私はこの構想に基づき「台風襲来」と題して以下のように「真言称名の力を試すマオ」を描きました。
 なお、八月十四日は旧暦だから厳密にはひと月ほど前です。あくまで「台風に立ち向かうマオ」という設定でお読み下さい。

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 第四章十節 台風襲来        (『空海マオの青春』より)

 八月十四日早朝、地震があった。四十万回目の求聞持法を終えようとする頃である。かなり大きく揺れたものの、すぐにおさまった。その後南の空に沸き立つ雲の固まりが見えた。風が次第に強くなり、生暖かい空気を運んでくる。「嵐だろうか」とマオはつぶやいた。

 正午を過ぎると、黒雲が空を覆い尽くした。降り始めた雨は一気に土砂降りとなり、猛烈な風が岬に吹き付ける。高波は燃え上がる炎となって巨岩に襲いかかった。強風にあおられ、荒波は高さ三丈にもなる。マオは慌てて東側の洞窟に逃げ込んだ。

 洞窟には戸がない。強風は枯れ枝や草々を巻き上げて中まで吹き込んで来る。雨は礫(つぶて)となってマオを襲った。
 マオは食料や寝具を奥に運んだ。だが、雨風は容赦なく洞窟の奥まで侵入する。それはまるで意志を持った風であり、マオを押しつぶさんとする鉄のような雨であった。
 マオは恐怖を覚えた。自分に瀕死の事態が起こっても、誰も助けに来る者はいない。一人でこの嵐に立ち向かわねばならないのだ。

 これまで暗闇で一人になるたび、何度も魔物に襲われた。魔物と言っても、所詮心に潜む妄想に過ぎない。求聞持法をとなえれば、心から追い払うことができたからだ。しかし、今目の前で荒れ狂う風雨は妄想ではない。現実の脅威であり、実在の魔物である。どす黒い雲はあばたのような顔を持ち、室戸岬を両腕に抱きかかえて見下ろしている。求聞持法がこの嵐に通用するとはとても思えない。
 だが、マオは「面白い。やってみよう」とつぶやいた。求聞持法は嵐という魔物を駆逐できるのか。試す価値はあると思った。

 マオは茣蓙を敷き、入り口を向いて座った。そして、風雨に逆らうように声高く求聞持法をとなえ始めた。
 のうぼうあきゃしゃーきゃらばや、おんありきゃまりぼりそわかー
 のうぼうあきゃしゃーきゃらばや、おんありきゃまりぼりそわかー
 のうぼうあきゃしゃーきゃらばや、おんありきゃまりぼりそわかー
 ところが、マオの声は全く広がらない。懸命に張り上げているのに、強風に押し戻されてしまう。足を踏ん張り、前のめりになって真言をとなえた。風雨は激しく顔を叩き、針のような雨が口の中に飛び込む。マオは息苦しさにあえいだ。まるで水中で溺れているかのようだ。

 マオはさらに高く、さらに大きく真言をとなえた。
 のうぼうあきゃしゃーきゃらばや、おんありきゃまりぼりそわかー
 のうぼうあきゃしゃーきゃらばや、おんありきゃまりぼりそわかー
 豪雨という魔物、強風という魔物に対抗しようと腹の底から声を絞り出した。

 一千、二千、三千、四千……荒れ狂う魔物はおさまることを知らない。全てを流し、全てを押しつぶそうとする。夜になったのか、洞窟の外はもはや暗黒の世界である。
 マオはさらに求聞持法をとなえた。五千、六千、七千、八千……マオの心からやっと嵐の恐怖が消えた。求聞持法は恐怖を心から押し出した。
 ならば、この嵐を室戸から追い払ってしまいたい。マオはなお懸命に求聞持法をとなえた。称名は九千を超え一万に達した。また一からとなえた。大声を続けたせいだろう、声が枯れ始めた。

 一千、二千、三千……やがてマオは身体がとてつもなく重くなるのを感じた。真言をとなえつつ、となえる声を自分は聞いた。自分がとなえているのに、まるですぐそばの誰かがとなえているような感覚だった。そうして、マオは前のめりに倒れ……眠ってしまった。

 どのくらい経っただろうか。ふとマオは静寂の中で目を覚ました。あたりは真っ暗で、しんとして静かだ。まるで夢であったかのように嵐が消えている。
 マオは目を凝らし、耳をすませた。強風も豪雨の音も聞こえない。荒れ狂う高波の音ではなく、さざ波が海岸にうち寄せている。穏やかな波の音が遠く小さく聞こえる。あれから何時間経ったのか。嵐は一体どうなったのだろう。
 暗がりの中で、マオはさらに目を凝らした。身の周りは自分の着衣も含めて全てびしょ濡れである。確かに嵐は室戸を襲った。夢ではない。
 松明をつけようとして「しまった」とつぶやいた。奥に移したたき火が濡れそぼって消えている。うかつだった。種火はしっかり確保しておかねばならなかったのだ。

 マオは洞窟の外に出た。すると、あの嵐がうそのように、上空を静かに天の川が流れている。幾千幾万もの星々がきらめき瞬いている。
 そして、東の空に燦然と輝く一つ星……明けの明星がぽっかり浮かんでいた。
 それは室戸岬で初めて求聞持法をとなえた日のように、満月の大きさを持ち、澄み切った夜空に針のような光輝をまき散らしている。

 マオは見つめながら涙がこぼれた。求聞持法は心の魔物だけでなく、現実の魔物でさえも駆逐した。この晴天が、この静けさが、そして、あの明星の輝きがそれを証明しているではないか。
 そのとき星が一つ流れた。明星の上を斜めに走り、光跡を残して消えた。
 マオは叫んだ。心の底から雄叫びをあげた。
「私は魔物に勝った! 求聞持法の真言は現実の魔物までも調伏したのだ!」
 その後マオは西の洞窟に入った。そして、明星を見つめながら再び求聞持法をとなえ始めた。

〜中略〜

 それから三十分後、空は黒雲に覆われ、再び激しい風雨が岬を飲み込んだ。明星も分厚い雲の中に隠れてしまった。
 やがて夜明けとなり、あたりが明るくなっても嵐は続いた。そして昼過ぎ、ようやく風雨はおさまった。海は凪ぎ、穏やかな波が寄せては返す岬に戻った。
 マオは不思議な思いで海を眺めた。「あの晴れ間と静けさ……あれがうわさに聞いたことのある嵐の目なのだろうか」と声に出した。室戸岬がたまたま台風の目に入ったようだ。
 求聞持法がまさか現実の嵐を鎮めるわけはない。さすがにそこまでの力はない……そう思いつつ、マオは別に失望しなかった。深夜晴れ間に満天の星と明けの明星を見いだしたとき、自分は確信した。心の中の魔物も、現実の魔物も、求聞持法によって調伏できる。誰がなんと言おうと、それが信じられる気がした。
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 私がここで描こうとしたのは、空海マオが求聞持法真言による力を現実に試したという構想です。そして、それが有効だと確認した。しかし、嵐を調伏したと思ったら、実は勘違いで台風の目に入っただけだった――それをオチとして描きました(^_^)。

 先程のたとえで言うなら、弱々しい若者が空手を学んで、その力を試せば、確かにケンカに勝って「オレは力を獲得した」と思うかもしれない。しかし、相手がナイフを持っていれば、そのケンカは危険だし負ける可能性が高い。
 あるいは、十代の私は唯物史観を学んで精神的な強さを得ました。しかしその後、唯物論に徹底できず、かと言って宗教に行くこともできず、また悩みを深め、自信をなくす自分を見出しました。

 そのように空海マオも真言称名の力を確認し、それが有効であることを知って感激したとしても、全てに有効であるわけではない。現実は厳しい(^.^)ことも学んだのではないか。そういう意味で「実は台風の目に入っただけだった」というオチを付け加える必要がありました。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:冬季ピョンチャンオリンピックはいろいろ豊富で感動的でした(^_^)。メダルを獲得した日本選手のキーワードは前回、前々回の雪辱、大きなけがを克服、メダル確実と言われるプレッシャーを乗り越えた言行一致。そして、個人の能力は低くとも技術とチーム力でトップに立つなど素晴らしいと思いました。いがみ合い、憎み合う関係より、助け合い、たたえ合う関係の方が絶対良いことなのに……というのも痛感させられました。難しいけれど《全肯定》で平和を目指してほしいものです。(御影祐)


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