本作は『空海マオの青春』小説編に続く論文編です。空海の少年期・青年期の謎をいかに解いたか。空海をなぜあのような姿に描いたのか――その探求結果を明かしていきます。空海は何をつかみ、人々に何を説いたのか。私の理解した範囲で仏教・密教についても解説したいと思います。
第51 『聾瞽指帰』と『三教指帰』その3――《全肯定》の萌芽
前節は『聾瞽指帰』・『三教指帰』の結論にあたる「十韻賦」の改稿を検証しました。
末尾の「何ぞ纓簪を去らざらんや」には、室戸岬百万遍修行を終えた空海マオの「出家の決意」がこめられている――これは誰しも指摘するところです。しかし、先頭の「(儒・道・仏)三教は愚かなる心を導く」はあまり注目されなかった気がします。
出家の決意と言ってもすでに仏教入門後四、五年経っています。ここはかんざしを差せるような頭を坊主にして「心から仏教邁進を決意した」と理解すべきでしょう。
空海は得度の時期が入門直後、二十代半ば、入唐直前と諸説あって不明です。その中に入門数年後「勤操を師として和泉国槇尾山寺で得度した」との説があります。私はこの説に半分賛成、半分反対です。
室戸岬百万遍修行後、心からの決意を頭を丸めることで果たしたと言う点では賛成。つまり、それまではせいぜい短髪ではなかったかと(^_^)。しかし、正式な得度ではなかったという意味で反対。
私は「空海は日本では得度しないままだった」との説を取ります。新しい仏教を求めて将来の入唐を意識するなら、日本で得度すると自由がきかない。遣唐僧に指名されたとき寺の指示を受けるからです。よって、空海は唐で得度しようと考えていたと思います。この件はいずれ一節設けるつもりです。
さて、『三教指帰』には全肯定の萌芽が見られる――この件について再度両著十韻賦の冒頭を書き下し、口語訳とともに掲載します。なお、表記できない漢字はひらがなとし、脚韻を意識した書き下しとしました。
『聾瞽指帰』十韻賦冒頭
心を作(な)して漁(あさ)る 孔教 ―― 脚韻
憶(おもい)を馳せて狩る 老風 ――[風]
雙(なら)びに営む今生の始め
並びに怠る 来葉の終 ――[終]
心をつかって孔子の教えをさぐり
思いをめぐらして老子の導きをもとめる
それらはともにこの世の始めだけを守って
あの世の終わりの守りを怠っている
『三教指帰』十韻賦冒頭
居諸(きょしょ)破る 冥夜(めいや) ―― 脚韻
三教ふさぐ 癡心(ちしん) ――[心]
性欲(しょうよく)多種あり
医王異(こと)にす 薬鍼(やくしん) ――[鍼]
日月の光は暗き夜の闇を破り
儒・道・仏の三教は愚かなる心を導く
衆生の習性と欲求はさまざまなれば
偉大なる医師・仏陀の治療法もさまざま
マオは『聾瞽指帰』十韻賦の冒頭にあった儒教・道教に対する批判の文言を削って長所の指摘に変え、「三教は我々を導いてくれる」と改稿。私はそこに《全肯定の萌芽》を読みとりました。それは空海が山岳修行から二度の百万遍修行を通じて獲得した境地であると思っています。
これまで述べてきたように『聾瞽指帰』と『三教指帰』の間には室戸岬の百万遍修行が入ります。四国から戻ったマオは「さて『聾瞽指帰』をどう書き直そうか」と読み返したことでしょう。
結果、不思議の感にとらわれたかもしれません。「本論は書き直す必要がないじゃないか」と感じたからです。ただ、序と結論(十韻賦)は改稿したいと思った。
序に書き込みたかったのは空海自身の履歴と二度の百万遍修行を紹介すること。そして、十韻賦に入れたかったのは「頭を丸めて心から仏教に突き進む決意」と「三教は人を導く」の言葉です。
前三者はまとめると、自分のことであり、作品全体の総括として「三教は人を導くとするのがいい」と思ったことを示しています。
『聾瞽指帰』の十韻賦は完璧に仕上がっていました。なのに、脚韻を変更して新たに五言古詩を一編作り上げた。日本の近現代詩ならいざしらず、漢詩だから最初を変えたら残り全て同じ脚韻に作り直さねばなりません。
二十三歳の空海はいともたやすくこれをやったように思えます。が、しんどい作業であることは明らか。つまり、それほどの思いをしてでも「書き換えたかった」ということになります。我々はその重みを感じ取らねばなりません。
余談ながら、現代人にこういう芸当は不可能でしょう。マオが現代の子どもだったら、彼は中国語(漢詩)に精通した「空海」になれたかどうか。なにしろ現代人は小学校入学から大学卒業まで五教科、実技四科目など勉強することがあまりに多く、一つだけ集中してやることが許されていませんから。
不登校も認知されつつあることだし、そろそろ全人的平準的没個性的集団教育(^.^)に対する見直しを考えてもいいのではないかと感じます。もちろん最低限の読み書きそろばんは必要だけれど、十歳から二十歳くらいまで、好きな科目を一つ一日中やる。そのような学校であっても良いのでは、と思います。
たとえば、授業内容を五分の四に減らして一週間五日のうち一日は本人の好きなことをやる。算数・数学、生物とか社会。あるいは、一日中絵を描く、楽器を弾く。小説を書いたり、漢詩や短歌俳句をつくる。茶道華道に野球やサッカー、ボルダリング。パソコンにテレビゲーム。テレビゲームなどはオリンピック種目になりそうなほどです。一日中遊ぶことがあっても良いではありませんか。
石川啄木に「不来方の お城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」なる和歌があります。
何もやらず一日ぼんやり空を見続けるのもありだと思います。なんだか学校に行くのが楽しくなりそうだと思いませんか(^_^)。
そして、その指導監督は学校外の人たち(特に高齢者)に任せ、先生は授業準備や雑務、会議に使う。これで教員の劣悪労働も軽減できるし、高齢者が生き甲斐を持つこともできる。一石二鳥、三鳥の施策だと思うのですが……。
閑話休題。ただ「三教は人を導く」を「全肯定」と呼ぶのはちょっと忸怩たる思いもあります(^_^;)。全肯定とは密教の根本概念です。
というのは、以前百万遍修行論の冒頭に「百万遍修行体験とはいわゆる《悟り》と呼ばれるような境地ではなかった――空海研究者たちはそう指摘し、私も同感です。後年到達する密教的境地でもなかったと言われます」と書いています(^.^)。
もっとも、「言われます」と記したように、これは既研究者による評価であって私は「もちろん密教そのものではない。しかし、芽生えとしての《全肯定ならあった》」と考えています。根拠としたのが「三教は愚かなる心を導く」の言葉です。いずれ本稿全体が完成したとき細部は書き直さねばなりません。
このように、書き物は再考すると書き直したいところがぞろぞろ出てくるのが普通です。ところが、空海は『聾瞽指帰』から決定稿である『三教指帰』に移る際、本論は(漢字交換を除いて)ほぼ書き換えなかった。これも不思議な話です。いちゃもん付けるなら、「序と結論を変えたのに、本論変えなくていいの?」と言いたくなります。
現代なら締め切りがあって「間に合いそうにないから本論はそのままにした」と言えなくもありません。しかし、売れっ子作家・研究者でもない二十三歳のマオに、時間はたっぷりあったはず。ここは「本論は変える必要がないと思った」と言うしかありません。次節にてこのわけを推理します。
さて、ここからやっと(本節の)本論です(^_^;)。
なぜ「三教は人を導く」が《全肯定の萌芽》と言えるのか、もっと詳しく語りたいと思います。
三教とはもちろん儒教・道教・仏教のこと。空海は儒教・道教を経て「仏教こそ最上である」と主張した。ならば「儒教はダメ、道教なんぞくだらない。仏教だけが人を導くんだ」と書いていいところです。
事実作品において道教を説く虚亡隠士は儒教否定の言葉を吐きます。「儒教は素晴らしいなどくだらぬ言葉だ。世に言う君子は道教では糟や糠みたいなものであり、仙術世界にとって瓦や小石程の値打ちしかない」とばっさり切って捨てます。
この他宗(他主義)を否定する言葉はおよそ世界の宗教・主義に共通した考えというか感情でしょう。信奉者は「我が宗教・主義こそ最高である。他の宗教・主義は小石だ、クソだ」と言っているはずです(^_^;)。だけでなく「他の宗教は邪教だ、異端だ。他の主義は間違っている」と敵視し、「オレの宗教・主義に変われ」と主張します。
たとえば、キリスト教はイスラム教を敵視する。イスラム教はキリスト教を敵視する。資本主義は共産主義を敵視し、共産主義は資本主義を敵視する。民主主義は独裁主義を敵視し、独裁主義は民主主義を敵視する。
結果、《正しい教義、正しい理論》に基づいて紛争・戦争が始まり、テロが引き起こされる。「自国が、全世界が一つの宗教、一つの主義の下に治められれば真の平和が訪れる」と高邁なる理想に基づいて戦争は続けられ、テロも絶えることがない……(-_-;)。
彼らはお互い同じことを言います。「お前達が信じている宗教は邪教だ、お前達の主義は間違っている」と。
別に大集団だけでなく、最小単位である家族――親子、夫婦の間でも対立すると、同じ言葉が交わされます。「あなたが間違っている」と。自分を肯定し、相手を否定するのが世の常と言うか、人間の根本的資質なのでしょうか(-.-)。
よって、空海も仏教の立場から、儒教、道教に対して同じことを言っても、なんら不思議ではありません。
「仏教が最もすぐれている。儒教、道教なんぞ三文の値打ちもない」と。
ところが、室戸岬百万遍修行を終えて『三教指帰』に改稿したときは、二教の欠点を長所に変え、「儒教・道教・仏教の三教は人を導く」と変えた。すなわち「儒教もいい、道教もいい、仏教もいい。中でも仏教が最もいい」と言ったのです。これこそ否定とは真逆の理屈、全肯定ではありませんか(^o^)。
『三教指帰』十韻賦一行目の「居諸冥夜を破り」は「日月の光は暗き夜の闇を破り」と訳されます。もちろんこれは比喩。「暗い夜の闇」とは人間の愚かさであり、無知無明であり、言うならば何も学ぶことなく、野性的本能的に行動するオオカミのような存在ということでしょう。
では「日月の光」とは何の比喩か。儒教だけを指すか、道教か。はたまた仏教のみを言うのか。いえいえ、次行「三教癡心を導く」を見ても、「光」が儒道仏三教を指すことは明らかです。儒教は光であり、道教も光。仏教ももちろん最大最輝の光明。
空海が『三教指帰』を完成させたのは二十三歳の十二月。室戸岬二度目の百万遍修行を終えた時点で、彼は早くも《全肯定》に達していた――その萌芽を得ていたと言えるのです。
しかしながら、事はそう単純ではありません。さらに深く読み解き、深く考察しなければなりません。
実は儒道仏について語られた本論もすでに「全肯定の萌芽」が見られるのです。ところが、マオは『聾瞽指帰』の結論(十韻賦)では儒教道教を批判する(すなわち否定的な)言葉を置きました。よって、以下のように言わねばなりません。
要するに、『聾瞽指帰』執筆段階ではまだ全肯定に達していなかった、もしくは「自作が三教全肯定を述べている」ことに気付いていなかった。道教は儒教を否定し、仏教も儒教・道教を批判しているからです。それが二度目の室戸岬百万遍修行を終えて全肯定の境地に達した、もしくは「自作が三教全肯定を書いている」ことに気付いた(この詳細は次節)。
だから、『聾瞽指帰』の結論である十韻賦冒頭の儒教道教を批判・否定する文言が(俗な言葉で恐縮ながら)「気にくわなかった」。
となると「脚韻を含めて全部作り直すのか。めんどくせえなあ」(^.^)と思いつつ、「変えるべきだ。十韻賦を変えよう」と決めた――このような心理経過です。
ここでようやく《理屈と感情》の言葉が出てきます(^_^)。私はマオが突き当たったのは理屈と感情の問題であったと思うのです。
これまで何度も書いてきたように、一見(一聞)正しい言葉は《理屈》です。たとえば、「いじめは良くない」とか「戦争は悪」の言葉が理屈でしかないように、「三教全肯定」――これもまた理屈でしょう。
キリスト教信者と話をすれば、「愛こそ世界を救う。白人も黒人も、イスラムの人とも仲良く暮らすべきだ」と言い、穏健なイスラム教徒と話をすれば、「テロリストは間違っている。キリスト教を信じている人とも平和に暮らすべきだ」と言うでしょう。資本主義信者と共産主義信者も同じことを言うはずです(こちら「主義」の方も敢えて《信者》と書きます^_^;)。
ところが、《感情》は違います。感情は「イスラム教を信じるお前たちはおかしい」と思い、かたや「キリスト教は間違っている」と感じている。
かたや資本主義国で暮らす人は「全体の平等など不可能。むしろ怠け者を生み出すだけで、やるべきではない。共産主義は誤りだ」と思い、かたや共産主義国の人は「資本主義は貧富の差を解消できず、むしろ拡大させている。金持ち優遇の非人間的な主義だ」と思っている。
つまり、心の底では相手を否定している。特に危険が迫ると、理屈より感情が噴き出して「あいつらはおかしい」と思う。そして「彼らが敵対行動を取るなら戦わざるを得ない。私の正しさを証明するにはあいつらを滅ぼすしかない」と感じる……(-_-;)。理屈は肯定だけれど、感情は依然として《否定》のままです。
空海に戻ると、彼は山岳修行中、道教信奉者が激しい言葉で儒教を否定したとき、内心そう思えなかったでしょう。「儒教にもいい点がある」と感じたはずです。儒教全否定の言葉に同調することはなかった。
しかし、論文として書くなら道教は儒教を否定し、仏教からも儒教・道教の欠点を指摘し、批判しなければならない。そもそも論文とは理論表明です。自らの良さ・正しさをアピールしたいなら、「他はダメだ」と言うのが常套手段です。
太龍山の百万遍修行を終えたとき、空海は「もう儒教、道教には戻らない。仏教こそ最上の宗教だ。私は仏教に突き進む」と結論を出したでしょう。だから、『聾瞽指帰』を完成させた。そこには二教批判・否定があるから、結論にも当然二教批判の「まとめ」を入れた。
だが、「本当にこれで良いのだろうか。私は心の底から仏教を信じ、突き進むことができるのだろうか」と感じた。それが理屈と感情の齟齬と言うか異和感です。
私は小説『空海マオの青春』で、『聾瞽指帰』を書き上げたマオに「どうにも得心できない。聾瞽指帰は未完だ」と言わせました。ほぼ完成しているけれど、どこか欠けている、何かが足りない。だが、それが何かはわからない。だから、もう一度百万遍修行に出かけることにした。
その結果、欠けていたのは「私自身のこと、心から仏教に邁進する気持ち」と「仏教だけでなく儒教道教をも肯定する三教全肯定だ」と気付いた。そこで、そのことを『聾瞽指帰』に盛り込むべく改稿に着手した……。
ここで突然現代作家の話に飛びます(^_^;)。私は卒論で志賀直哉を取り上げました。
志賀直哉こそ最大テーマは「理屈と感情」でした。彼はしばしば書いています。「理屈ではわかっている。だが、感情が許さないのだ」と。そして「拘泥する・こだわる」という言葉を至る所に書いています。
父との不仲、友人達との心理的確執、妻との微妙なすれ違い。「父親や友人とけんかするな。妻子と仲良く暮らしなさい」と言われる。しかし、それは理屈。感情がそれを許さない、しっくり来ない。小さなことにこだわってしまう。だから、父と口げんかをし、友人の無頓着な言動が許せず、妻に対してひどい言動を取ってしまう……。
父との対立、友人との確執はこだわりの原因が多々述べられ、よく知られています。奥さんへのこだわりの原因はなんだったか、あまり書かれていません。私は次のように推理しています。
志賀直哉の奥さんは再婚でした。直哉は生涯それについて何も触れなかったけれど、彼は妻が初婚でなかったこと、平べったく言うと処女でなかったことに「こだわっていたのではないか」と私は邪推しています。
戦前から戦後のある時期まで日本は自由恋愛より見合い結婚が主流でした。だから、男女とも結婚が初めての女性・初めての男性であることが多かった。特に女性が。そうなると、自身は芸者や女給遊びに耽っても、結婚相手には純潔を求めるような身勝手男が結構いたようです(^.^)。志賀直哉は戦前の男です。彼もまたそうではなかったかと。
人には決して言えないけれど、「妻の身体を別の男が通っていったと思うとなあ」とひそかに感じるような。「そんなことを思ってどうする、感じてどうする」と言われるだろう。だが、感じてしまう、こだわってしまう。それが理屈と感情。わかっているけど、感じてしまう……。
直哉にとって「理屈ではわかっていることを感情が認めない、許さない。どうしてもこだわってしまう」――それは生涯にわたる大テーマでした。「些細なことにこだわるな」と言われても、感情が許さなければ、父や友、妻との一体感、心の平穏は訪れません。
そして(結論を一気に書くと)、志賀直哉はその克服(理屈と感情の一致)を、長編『暗夜行路』で描いた、と私は考えています。
ああ、早く空海論を書き上げて志賀直哉論に進みたい……これはまーどうでもいい、私のこだわりの言葉です(^.^)。
二度目の閑話休題(^_^;)。
空海マオも百万遍修行前、同じ理屈と感情の問題に突き当たったのだと思います。
理屈ではもう儒教にも道教にも戻らない。仏教こそ最上である。自分は仏教に突き進むとわかっている。だが、感情はいまだそれを許していない、認めていない。「理屈と感情が一体となれる何かがほしい」と感じた。そのこだわりが二度の百万遍修行――とりわけ室戸岬の体験で溶かされた。
理屈でしかなかった「三教全肯定」は心からそう思えるようになった。だから、十韻賦を改稿して三教全肯定の思いを『三教指帰』の結論にしたのだと思います。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
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