四国室戸岬双子洞窟

 『空海マオの青春』論文編 第 54

「『聾瞽指帰』と『三教指帰』」その6


 本作は『空海マオの青春』小説編に続く論文編です。空海の少年期・青年期の謎をいかに解いたか。空海をなぜあのような姿に描いたのか――その探求結果を明かしていきます。空海は何をつかみ、人々に何を説いたのか。私の理解した範囲で仏教・密教についても解説したいと思います。

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『 空海マオの青春 』論文編    御影祐の電子書籍  第131 ―論文編 54号

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           原則月1回 配信 2019年 1月10日(木)



『空海マオの青春』論文編 

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 本号の難読漢字
・『三教指帰』(さんごうしいき)・『聾瞽指帰』(ろうこしいき)・溶融(ようゆう)・即身成仏(そくしんじょうぶつ)・磐座(いわくら)・求聞持法(ぐもんじほう)・黄泉(よみ)の国・沙弥(しゃみ)・調伏(ちょうぶく)・孝聖(こうしょう)・茣蓙(ござ)・雛麻呂(ひなまろ)・魑魅魍魎(ちみもうりょう)・嘲(あざけ)る・対峙(たいじ)・妨(さまた)げる
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*********************** 空海マオの青春論文編 ********************************

 『空海マオの青春』論文編――第54『聾瞽指帰』と『三教指帰』その6

 第54 『聾瞽指帰』と『三教指帰』その6――《全肯定》の萌芽をいかに描くか

 前節はちょっと脱線気味でしたが、『三教指帰』に「どうやって自信を獲得したか」が書かれなかったことは、ある意味同書の致命的な欠陥であり、触れないわけにはいきませんでした。

 以前も書いた通り、その心理経過を仏教編に書き込めなかったのは「百万遍修行体験の意味するところがわからなかった」からだと思います。彼がそれまで学んだ仏教――顕教の中に全く書かれていないからです。入唐後密教を知ることになって「百万遍修行は密教のかけらであったか」と気付いたはず。しかし、空海は改めて『三教指帰』を書き直すことなく、そのことを説明するでもなかった。おそらく「あれはもうあのままでいい。いずれ十住心論で詳しく触れよう」てなところでしょうか。

 空海は帰国後亡くなるまで『三教指帰』の解説を全く書いていません。私は以前「なぜ書かなかったのだろう」と思っていました。しかし、『三教指帰』が『十住心論』のひな形であることに気付いたとき、「『十住心論』は『三教指帰』の解説書であったか」と思うに至りました(^_^)。

 空海研究において「『聾瞽指帰』から『三教指帰』への改稿は入唐帰国後なされたのではないか」との説があります。『三教指帰』を、儒道仏三教肯定の書であり、後の『十住心論』の萌芽でもある――と理解するなら、わからなくもありません。
 しかし、もしもそうであるなら、もっと根本的に書き直すと思います。『三教指帰』ではなく、『四教指帰』としてもう一項目「密教論」を立てるとか。

 私はこの説を採りません。むしろ「これ以上書き換えることはやめよう」と思ったのではないかと推理しています。
 というのは空海は密教とはあくまで外来の新仏教であり、自身が日本にいたときその内容――精神面においてすでに密教的境地に達していたことを隠したと思われるからです。

 この件はいずれ詳しく語ることになります。今根拠の一端を書いておくと、日本人は今も昔も外圧に弱いというか、外からもたらされたものを貴び、ひれ伏すようなところがあります。空海が密教を日本で布教するとき、「実はこれらの説は日本にいたときかなり作り上げていました」と語ることは百害あって一利なしと思ったでしょう。むしろ「これまでの仏教にはない新仏教です。祈祷があります。神秘的です。とても難しいです。しかし、御利益抜群です」と宣伝することによって密教の価値を高めることができる。そう思えば、『三教指帰』をわかりやすく改稿することなど考えもしなかったと思います。「あれはもうあのままでいい」と。

 マオは南都仏教から山岳修行に進み、道教を知ったとき、儒道仏三教を並列する論文の草稿を書き始めたはずです。そのとき「自分はもう仏教に突き進むしかない」と思っていたでしょう。しかし、まだ自信がなかった。つまり、心の底からそう思えなかった。儒教に戻れと言う親戚と論争しても言い負け、「進むべきか退くべきか迷った」ところにそれが読みとれます。

 太龍山で一度目の百万遍修行を終えたとき「仏教が二教を凌駕する最高の宗教だ」と思い、自信も芽生えた。『聾瞽指帰』本論にそれを書き込まなかったけれど、作品を完成浄書した。だが、まだ三教全肯定ではなかった。『聾瞽指帰』の結論として「儒教道教には欠陥がある」と二教を否定的に書いたことがそれを示しています。この自信が本物となり、三教全肯定に達するには二度目の百万遍修行が必要でした。

 そして、室戸岬百万遍修行を終えたとき、心底――理屈と感情が溶け合って「三教全肯定だ、頭を丸めて心から仏教に邁進しよう」と決意できた。その思いを『三教指帰』結論部に「三教は我々を導いてくれる、剃髪しよう」と書き込んだ。

 この流れを逆算すると、空海マオが南都仏教に入門した当初、新しい仏教創始を目指して仏教を批判的に眺めていたこともあって「仏教に突き進むかどうか懐疑的だった」ことがわかります。
 しかし、二度の百万遍修行を終えて理屈だけでなく、感情も仏教に突き進む自分を認め許した。だからこそ『聾瞽指帰』から『三教指帰』への改稿があり、三教全肯定を結論としたわけです。

 ……と論文で書くことはさほど難しいことではありません。「空海マオは室戸岬百万遍修行によって心の底から三教全肯定に達した」と。
 私にとって問題は小説の方です(^_^;)。小説は論文ではありません。もしも室戸岬の百万遍修行に全肯定の萌芽があったなら、それを具体的に描かねばなりません。これは難題です。

 ただ、すぐに思いついた言葉があります。それは「自然との溶融」。
 たとえば、ここに一人の男がいる。彼はいろいろ人生に思い悩むことがあって苦しんでいる。だが、とある風光明媚なところに行って自然と溶け合う、一体感を覚える体験をする。これによって、否定的に眺めていた自分を脱却してあらゆることを肯定できるようになった……と描くことができます

 空海の名は空と海という正に大いなる自然をその名としています。室戸岬の自然の中で「自然との一体感を覚えた」と書いても良さそうです。しかし、私には「自然との溶融」が空海と一致しませんでした。

 そう感じた理由は三つ。一つには彼がそのことを全く書き残していないからです。
 今も書いた「『三教指帰』は『十住心論』のひな形であり、つまり『十住心論』は『三教指帰』の解説になっている」とのまとめですが、私はこのような見解にいまだお目に掛かったことがありません。これは空海全著書を相当読み込まないと出てこない結論だと思います。
 別に自画自賛しているつもりはありません。むしろ空海がどこかで一言そう書いていれば、『三教指帰』の読解や評価を誤ることはなかっただろうに、と思います。

 空海はあれだけ密教解説書をものしながら、『三教指帰』の解説は書かないままだったと言えます。密教解説書を書く空海を作家と考えるなら、彼は自身の思想形成を語るべきであり、語りそうなものです。しかし、語ることはなかった。

 密教の最奥を言語化した「即身成仏」でさえ、「簡単に言うとどういうことですか」というチョー簡単な質問にも答えてくれない(^_^;)。むしろ難しく、難しくしているように感じます。
 そこんところ、神秘感と言うか「手が届かないほど高価なんですよ」といったお宝感(?)を出そうとしたのではないかと私が勘ぐった理由です。もしも室戸岬百万遍修行において自然との溶融があったなら、彼はどこかにそれを書き残していそうなものです。

 次に私が空海と「自然との溶融」に異和感を覚えるのは彼が二度の百万遍修行について残した言葉からです。それは「谷響きを惜しまず、明星来影す」でした。
 もちろんこの言葉に「自然との溶融」を見出すことは可能です。場所は太龍山の磐座の上であり、室戸岬の双子洞窟。正に自然の真っただ中。しかし、問題はそれが深夜であること。真っ暗闇の中で果たして自然との溶融を感じたであろうか、との疑問がぬぐいきれません。

 たとえば、「自然との溶融」を描いたとされる志賀直哉の『暗夜行路』。その場面は以下のように描かれます。
 主人公時任健作は半病人となって大山中腹で一夜を過ごし、翌朝太陽が昇ると、山の影が遠く米子の市街地を動く様子を見ます。このとき全てのこだわりから脱却したようなすがすがしさを感じます。
 ここには空も山も、町の人々の営みも含めて自然が全て見えています。逆に言うと、自然が見えなければ、「自然との溶融感」はないのでは、と思えるのです。

 最後に私自身の体験を持ち出すと、「なにそれ?」と言われそうですが、他でもない私自身が深夜の太龍山と室戸岬の洞窟を訪ねて、自然との溶融を全く感じなかった。それが決め手です。私は自分を空海マオと重ね合わせて「マオが室戸岬で全肯定に達したのは自然との溶融ではないだろう」と感じました。

 私は深夜太龍山に登り、磐座の上に立って求聞持法をとなえました。また、翌日も深夜室戸岬の双子洞窟に入って同じように求聞持法をとなえました。
 そのとき私が感じたのはただただ《恐怖》です。太龍山ではかすかな月明かりがありました。それでもペンライトを消すと真っ暗闇。山々も周囲の景色も何にも見えない。つまり「自然」は見えなかったのです。

 また、双子洞窟の中はもっと真性の闇でした。十歩も歩けば、もう怖くて怖くて前に進めない。振り返るとぼんやり入り口が見えました。だが、外部の空や海は見えない。潮騒の音も聞こえない。ここでも、「自然」を体感することはできませんでした。体感できたのは《暗闇と恐怖》だけです(^_^;)。
 もしも昼間現地を訪ねるだけだったら、求聞持法をとなえたとしても、私は「自然との溶融」を空海全肯定として描いたかもしれません。

 そして、空海が書き残したのは「明星来影」の言葉だけでした。以前検証したように、この言葉は特に室戸岬二度目の百万遍修行において強く感じた境地です。ならば「全肯定の萌芽」は洞窟の中、闇の中、求聞持法をとなえているときにあったのではないか――私はそう思いました。

 ここで思い出されたのが空海の伝説的な逸話として知られる「室戸岬の洞窟で明星が自分の口に飛び込んだような気がした」との言葉です。もしもそこに全肯定の萌芽があるなら、それは何だったのか。この体験を小説化する以上、私はそれを具体的に描かねばなりません。

 私はこの内容として「恐怖という魔物との闘い」を選びました。マオは恐怖を克服しようと懸命に闘った、室戸岬では魔物が洞窟の奥に潜んで自分を黄泉の国に連れ去ろうとする――その恐怖と闘い、毎夜魔物との闘いに明け暮れた。

 それがふと転換する。たとえて言うなら、キリスト教信者がイスラム教を学んでみる。イスラム教信者がキリスト教を学ぶ。あるいは、資本主義を絶対視する人が共産主義を学ぶ。共産主義を絶対視する人が資本主義を学ぶ。敵対する相手の位置に立ったとき、「それもなかなかいいんでないか」と感じるような……。

 マオは室戸岬双子洞窟で百万回目の求聞持法を開始する。そのとき魔物の立場で自分を振り返ってみた……。
 これまでは恐怖を否定し、魔物を否定してきた。だが、百万遍に達したとき恐怖を受け入れ、魔物を肯定しようと思ったのではないか。私はそこを以下のように描きました。

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11 百万遍貫徹

 その後九月に入って二度嵐が襲った。だが、八月ほど大型ではなく、マオは林の洞窟に籠もって嵐をやり過ごした。嵐の間は修行も中断した。沙弥が言ったように、無理をすることはないと思った。
 台風の目を見たのはあの一度きりだった。当初は求聞持法が嵐を調伏したと思った。しかし、それは全くの勘違いとわかった。それでも、初めての挑戦で嵐は確かにおさまった。それが偶然であったとしても、一度は現実の魔物を調伏できたのである。奇跡のようなたまたまであり、嬉しい勘違いだと思った。

 室戸岬は夏の熱風が去り、爽やかな秋風が吹き始めた。求聞持法は九月十八日に七十万回、三十日に八十万回に達した。この間曇りや雨の日は修行を中断した。今年は年末まで明けの明星であり、時間はたっぷりある。マオは最後まで明星を見ながら求聞持法をとなえたいと思った。

 十月十二日九十万回、十三日九十一万回、十四日九十二万回。そして雨もなく、明星を眺めての求聞持法は十月二十二日、とうとう九十九万回に達した。
 夕刻マオは早めに晩飯を終えると、久しぶりに双子洞窟近くの泉に浸かった。求聞持法もいよいよ明日は最後の百万回目である。身を清めようと思った。泉はすでに真水が回復していた。秋風は心地よいものの、さすがに水は冷たい。

 泉に浸かりながら、マオはやっとここまで来たと思った。冷水がしみこむように満足感が身体に満ちてくる。疲れはある。だが、妙に目が冴えた感じもあった。今夜はこのまま仮眠を取らずに最後の求聞持法を始めるつもりだ。孝聖が百万回目は明けの明星を見ながら達成したと言っていた。それはいつもより早めに真言をとなえ始めることを意味している。
 それから数時間後マオは西の洞窟に向かった。東の夜空にはすでに三日月が浮かんでいる。

 洞窟に十歩も足を踏み入れると、いつものように無音の世界になる。どんなに目を見開いても何も見えない。そして、洞窟の奥に魔物が現れる。ここに至ってもその気配は消えない。入り口を向くと背筋に悪寒が走った。
 マオは茣蓙を敷いて座禅を組んだ。洞窟の入り口半ばに小さく月が見える。

 のうぼうあきゃしゃーきゃらばや、おんありきゃまりぼりそわかー
 のうぼうあきゃしゃーきゃらばや、おんありきゃまりぼりそわかー
 のうぼうあきゃしゃーきゃらばや、おんありきゃまりぼりそわかー

 求聞持法を開始するやいなや、魔物の気配が消えた。マオはほくそ笑むような思いで称名を続けた。
 一千、二千、三千。小休止の後再開して四千、五千……マオは真言をとなえつつ、讃岐より帝都上京後の日々を振り返った。
 初めての奈良、初めての長岡。儒学を学び大学寮に入学した。しかし、失意と堕落の日々。雛麻呂と遊び暮らし、ナツメを知った。結果大学寮を退学、仏教入門。だが、南都仏教にも失望した。そして修験道山岳修行、『聾瞽指帰』執筆。作品は完成したものの、何かが足りない。心から仏教に納得できない。そんなころ太龍山でたまたま沙弥と出会い、百万遍修行を知った。生駒山から太龍山での求聞持法修行。そして、ここ室戸岬の双子洞窟。闇夜や洞窟に潜む魔物を駆逐し、荒れ狂う嵐まで調伏した。求聞持法はとうとう百万遍に到達する。いよいよ自分は仏教に突き進む。もはや間違いはない……。

 このとき意外なことが起こった。この回想は雑念だったのだろうか。マオの背後に再び魔物と魑魅魍魎が居並び始めたのだ
 魔物はマオの耳元でささやく。求聞持法が百万遍に達しただと。それがなんだと言うのだ。空しい行ではないか。百万遍修行など高がしれている。お前がここで悟りに達したからと言ってそれでどうなる。何かが変わるのか。お前なんぞちっぽけな存在に過ぎぬではないか。それがまるで世界を変えでもしたかのように……魔物は嘲り笑っている。

 マオは魔物と対峙することにした。求聞持法が百万遍に達したからと言って、これは悟りとは違う。自分は確かに何事も変えていない。ちっぽけな存在だ。だが、これから何事かを成し遂げるであろう自信と予感が芽生えている。

 目を開けて洞窟の外を見た。明星はまだ浮かんでいない。月が一つあるだけだ。頼るべき明星がなければ、魔物と対決するのは控えるべきか。しかし、真言百万遍に達した今なら魔物と闘える。嵐でさえ調伏した自分なら、自力で魔物を追い払える……

 マオは「魔物よ、魑魅魍魎よ。立ち去れ。修行を邪魔するな」と口にした。
 声は洞窟内を飛び交った。同時に真言が途絶えた。
 すると魔物は今までにないすごみのきいた声で怒鳴った。
「立ち去れだと? ここは俺たちのすみかだ。俺たちの眠りを邪魔しているのはお前の方ではないか!」
 マオの背中の毛が逆立ち、二の腕に鳥肌が立った。自分の肩をつかんで激しく揺さぶるものがいる。魔物は本当に自分をつかんだのか。

 凍り付くような震えがマオの身体を襲った。そうかと思った。真言が百万遍に達しても、自分にはまだ魔物を追い払う力がついたわけではない。やはり真言だけでなく明星の力がなければ、魔物は追い払えないのだ。しかし、明星はまだ輝いていない。どうするか……。

 そのときふっと別のことを思った。魔物の言うことも一理あるではないかと。深夜の洞窟に踏み込んで、彼らの眠りを妨げているのは確かに自分の方だ。今までどうして気づかなかったのか。マオは自分の傲慢さを見た思いがした。
 マオは言った。「確かにお前の言うとおりだ。お前たちの眠りを妨げたのは私だった。許してくれ。長いこと迷惑をかけた。だが、それも今日で終わりだ。見守ってくれてありがとう」

 すると背後から魔物の気配が消えた。飛び回っていた魑魅魍魎も洞窟の奥に立ち去った。
 マオは再び目を開けた。依然として明星は輝いていない。今までにない不思議な安堵感だった。真言をとなえなくとも、明星の輝きがなくとも、自力で魔物を追い払ったのだ。いや、追い払ったのではない。魔物が自ら去ってくれたのだ。
 いつかそのわけを考えようと思いつつ、マオは求聞持法に戻った。

 のうぼうあきゃしゃーきゃらばや、おんありきゃまりぼりそわかー
 のうぼうあきゃしゃーきゃらばや、おんありきゃまりぼりそわかー
 のうぼうあきゃしゃーきゃらばや、おんありきゃまりぼりそわかー
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 この後「明星が口に飛び込む」様子を描きましたが、そこは前半のクライマックスであり、小説編を読んでもらうことにして省略いたします(^_^)。
 もっとも、私が描きたかったクライマックスはここです。マオが魔物を受け入れた、魔物の立場に立って自らを振り返ったところです。
 室戸岬百万遍修行において《全肯定の芽生え》があったなら、それはマオが魔物を受け入れたときこそふさわしい、と私は思いました。

 洞窟の奥の魔物。それはマオにとって敵対する存在である。得体の知れない邪悪な存在であり、人に危害を加えるまがまがしい存在――そう思って必死に闘ってきた。
 だが、冷静に振り返るなら、マオは魔物の実体を何も知らない。魔物はいつ起きていつ寝るのか、何を考え、何を感じているのか。魔物の子はいるのか、年老いた魔物の親はいるのか

 これまで魔物を敵視してきたけれど、彼から自分はどのように見えているだろう……そう思ったとき、「魔物の住みかに土足で踏み込んで、深夜ぶつぶつ呪文をとなえている自分、彼の眠りを妨げているのは自分だ」と気づく。
「魔物にとって私は安眠を邪魔する敵、得体の知れないやつだったかもしれない」と。

 マオがもしも「ごめん。悪かったのは自分だ。勝手に魔物を敵だと思っていたようだ。君はほんとは平和を愛する魔物だったんだね」とつぶやくなら、魔物はこう答えるでしょう。
「やっとわかったか。オレは静かに眠りたかっただけだ。謝ってくれるなら、私だって悪い気はしない。まーお前もようがんばった。感心だ」と。

 マオは初めて相手の立場から自分を見た。そして、魔物とは敵対する存在ではないことに気づいた。魔物を敵視していたのは自分自身だと気づいた……私はここに空海《全肯定の萌芽》を描きました。

 もちろんこの表現が世界の宗教信者と主義信者、そして戦争やテロによって事態の解決を目指す人たちに「気付いてほしい」との思いをこめていること、おわかりいだけると思います(^_^)。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:本年も『空海マオの青春』論文編をよろしくお願いいたします。
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