『続狂短歌人生論』09「愛の獲得競争 その1」


○ 愛されたい 自分だけが愛されたい そこがスタート 子どものドラマ


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ゆうさんごちゃまぜHP「続狂短歌人生論」   2023年5月03日(水)第9号


 『続狂短歌人生論』9 愛の獲得競争 その1

 今号より連続で幼子における《愛の獲得競争》について語ります。

 前著『狂短歌人生論』第4章「エネルギーの獲得と消失」のところで触れたように、人は生きていくためにエネルギーを必要とします。
 エネルギーの一つと言うか、最大のものは自然のエネルギー。私たちは動物であれ植物であれ、他の《命》を食べることによって生き続けられるし、日々の活力を得る。美しい自然を眺めるだけでも、「生きていて良かった」と思い、明日へのエネルギーが湧いてきます。

 もう一つは人が与えてくれるエネルギー。激励されたり、誉められたり、ねぎらってくれると、私たちは何となく元気になるような気がする。私はこちらを「愛エネルギー」と名付けました。

 また、スポーツ・囲碁将棋・トランプ・ゴルフ・論争、口げんかにジャンケン。どんなことでも私たちは人に勝つと、楽しくて気持ちいい。スポーツなどもっと強くなろう、がんばろうと思う。だが、負けると平静を装いつつ、心は暗く沈んで元気が出ない。
 これは人が持っていたエネルギーを勝った人に奪われた――と見なすことができます。

 さて、人は人の子として生まれ、大人――主として父と母―から育てられる。それは本能と呼ぶべきでしょう、幼子は親の愛エネルギーをほしがる。簡単な言葉でいえば「私をもっと愛してよ」という気持ちを前面に出すことです。

 本節ではまず子どもが親の愛エネルギーを求めてどのような子どもを目指すか。次に二人目の子どもが生まれたとき、同胞(きょうだい)間で「自分をもっと愛してよ」と愛エネルギー獲得競争を始める。この詳細を語ります。
 これによって脅迫・批判・傍観・受容の原性格が身についていく経緯がよくわかると思います。

 なお、本節は一つの章でもあり、六つに分かれています。
 狂短歌と公開日を掲載しておきます。その6は前著にて公開済みですが、本来ここに入れていたので、再掲載いたします。


 5月03日
 愛の獲得競争 その1「親が望む良い子を目指す」―――――――――本号
 〇 愛されたい 自分だけが愛されたい そこがスタート 子どものドラマ
 〇 親が思う 良い子になれば愛される 子どもせっせと良い子を目指す

 5月10日
 愛の獲得競争 その2「親が嫌いな子どもを目指す」
 〇 親が嫌う 批判タイプを目指すのは 親の注目 愛を得るため

 5月17日
 愛の獲得競争 その3「同胞の三角関係」
 〇 弟妹が生まれたときの三角は 私と親ともう一人
 〇 親は言う 等しく我が子を愛すると しかし子どもはそう思えない

 5月24日
 愛の獲得競争 その4「姉妹の三角関係を眺める」
 〇 母さんは妹だけを愛してる 私をもっとかわいがってよ
 〇 妹は姉と一緒の両親から 離れて一人遊びにふける

 5月31日
 愛の獲得競争 その5「愛されない一人っ子」
 〇 一人っ子 愛はたくさん来るけれど 親と祖父母が子の奪い合い

 愛の獲得競争 その6「母思慕の男たち」
 〇 永遠の母を求めて三千里 批判の母に 母の愛なし



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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 愛されたい 自分だけが愛されたい そこがスタート 子どものドラマ

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 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』9 愛の獲得競争 その1 親が望む良い子を目指す 】

 子どもはまずとてもかわいらしい存在として生まれる。私たちは内外を問わずどんな赤ん坊を見ても「かわいい」と声を出す。動物の仔を見て思わず「かーわいー」と叫ぶ。
 生まれたての生命を見て笑みが浮かび、可愛いと思い、愛したいという気持ちが芽生えるのは、おそらく造物主が全ての生き物に与えてくれた公平な賦与であろう。

 普通(母)親は生まれた我が子を見て可愛いと思い、愛をもって育て始める。平和で飢餓もなければ、多くの赤ん坊は親に愛されすくすく育っていくことだろう。そして幼児期になったとき、この子は親に対して「もっともっと愛して」という愛の獲得競争を開始する。その根本は子どもの心の中にある愛されたいという欲求、自分に愛エネルギーを与えてほしいという欲求であろう。

 子どもは家の中で親の愛と注目を得るため様々な行動に出る。おそらくほとんど本能的であり無意識だと思われるが、子どもはその欲求に基づいて二つの型を選択する

 一つは親のタイプに合わせて、親が期待する子どもに自分を作り上げてゆく型である。
 簡単に言えば、親が思う良い子になれば、間違いなく親から愛される。親の期待に応えることで親の愛エネルギーがどんどん子どもにやってくるのである。

 もう一つは子が親とは違うタイプになることによって親の愛エネルギーを獲得(奪取)しようとする型である。これは特に親から「愛されていないのではないか」と感じた子が選択する生き方と言ってもいい。

 そして、この二つのやり方こそジェームズ・レッドフィールド氏の言う「コントロールドラマ」の開始である。親との間に交わされるこのドラマによって、子どもの性格が形成され成長し、やがてその性格に磨きをかけ、脅迫・批判・傍観・受容の原性格ができあがる。その後自我に目覚め大人になってゆくのである。


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 〇 親が思う 良い子になれば愛される 子どもせっせと良い子を目指す

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 子が親のタイプに合わせるドラマとはどのように形成されるか。
 子どもはまず最初は全てのことにおいて親の言うことを聞く。根源の感情は親から愛されたい、注目されたいという欲求である。この欲求によって子はまず自分を親の期待する人間像に作り上げてゆこうとする

 あなたが人の子の親なら、我が子が自分の言うとおりに行動してくれれば、限りなくいとしく可愛いと感じるはずだ。この愛しく可愛いという感情こそ愛エネルギーそのものである。子どもは親からそのエネルギーを得ると安心して元気になるから、ますます親の思う良い子になろうとする。

 たとえば何度も述べているように、父親がすぐ暴力を振るう脅迫者タイプであれば、子は全てにおいて逆らわず何でも言いなりである。それが脅迫者の親から愛される(正確に言うと、ぶたれないための)唯一の方法である。脅迫者は自分に絶対服従する人間を求めているからだ。

 この父は何でも言うことを聞く我が子を「かわいい、かわいい」と言って愛するだろう。だが、子にとって全てにおいて逆らえないということは、受容者としての人生を歩み始めることを意味する。我が子を受容者タイプの性格にするのは正に脅迫者の親なのである。

 もしも脅迫者の子が男の子で腕っ節が強くけんかっ早ければ、この子は強い父には絶対服従するものの、同年代の子どもの間ではガキ大将、つまり脅迫者のボスとして君臨するだろう。暴力的な子の性格を決定づけたのも脅迫者の親なのである。

 たとえば、アニメ『ドラエモン』のジャイアンくん。彼は身体の大きなガキ大将、すなわち脅迫者タイプである。彼はいつも乱暴で、のび太をいじめ迫害する。
 しかし、ジャイアンくんは脅迫者タイプの父親には全く頭が上がらない。八百屋の親父さんから頭をぽかりと殴られると、「えーん」と泣いている。

 ところが、このジャイアンが『ドラエモン』映画版やテレビ特別編になると、しばしば冒険先でとても頼もしい、悪と闘う勇気ある子どもとして描かれていることは面白い。ジャイアンは脅迫者タイプの悪しき面と良き面を併せ持つ存在である。
 藤子不二雄氏はいじめっ子の良い面――活躍の場が与えられさえすれば、勇気ある行動をとれる点を見抜いていた。さすがである。

 また、親が完璧主義で優秀な批判者タイプなら、子は親の高い要求に応えてはじめて愛される。
 批判者の親は子が一〇〇パーセントの仕事(礼儀・生活態度・勉強)を成し遂げたとき、やっと満足して可愛がってくれるタイプである。子どもはいろいろなことを完璧にできるよう努力する(努力しようとする)人間となるだろう。

 もしも子の能力が高ければ、かなり完璧に仕事や勉強ができるようになる。親は我が子を自慢するだろう。外見は「大したことじゃない」といった態度を見せながら。内心は「自分に比べればまだまだ」と思いながら。

 だが、この子は成長するにつれて自分のミスを自分で許せなくなる。また、仲間や他人に対しても完璧であることを求める。最低限平均以上でないと不満を感じるようになる。
 この子が次第に周囲の人間は不完全で能力が低いと許せなくなり、いろいろなことに対して腹を立て批判的になっていくのはまず間違いない。つまり、批判者タイプの我が子を生みだしたのは批判者タイプの親に他ならない。

 ところが、子どもがあまり能力が高くないか、学校の勉強面ではまだ能力が開花しないと、親はこの子に失望し、あまり可愛がらなくなってしまう。または、そんな子を《愛している》からこそ我が子に努力を強いる。

 批判タイプの親は子に対して叱責と厳しい注意を重ね「もっと勉強しなさい、努力しなさい」コールを浴びせる。
 実はこの親自身がかつて批判者の親から厳しく言われて育ち、努力を積み重ねて勉強や仕事をこなしてきた。だからこそ子に対しても同じやり方を踏襲するわけだ。
 確かにあなたは能力が高かったから成功したかもしれない。だが、あなたのお子さんがそうだとは限らない。

 もしもこの子がどんなに頑張っても平均点以上を取れないとなると、批判者の親から誉める形の愛エネルギーは与えられない
 そのうちこの子は頑張ることに疲れる。頑張ってやる喜びを感じられない子に育つ。勉強も遊びも。
 なぜならどんなに頑張っても平均点しか取れないと、親はそれを誉めてくれないからだ。批判者の親から愛エネルギーはちっともやって来ない。

 たとえば、子どもが試験で三〇点を取った後、次の試験で五〇点を取れば親は誉めるかもしれない。だが、子どもは知っている。親がもらすため息としかめっ面を。
 親は五〇点に満足していない。もしも今回の平均点が七〇点と知れば、批判者の親のため息はもっと深くなるだろう。平均点が七〇点だと、この親は八〇点でも誉めることはない。

 やがてこの子は頑張ることをやめる。事態に関わらず引っ込み思案な子に育つ。
 この子は確実に傍観者の人生を歩み始めるだろう。

 このように子どもに現れた批判と傍観、その二タイプの性格を決定づけたのは批判者タイプの親である。さらに、子の傍観的性格に磨きをかけていくのも、間違いなく日々同居している批判者の親である。

 そして哀しいことに、保育所や幼稚園、学校の先生方もほとんどは批判者タイプである。だから、この子の傍観ぶりはもっと磨き上げられるだろう。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

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