『続狂短歌人生論』11「愛の獲得競争 その3」


○ 弟妹が生まれたときの三角は 私と親ともう一人


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ゆうさんごちゃまぜHP「続狂短歌人生論」   2023年5月17日(水)第11号


 『続狂短歌人生論』11 愛の獲得競争 その3

 幼子における《愛の獲得競争》その3。父と母と子どもの三角関係を振り返りつつ、同胞(きょうだい)の三角関係について語ります。
 二人目の子どもが生まれると、三角関係は親を頂点として同胞二人が底辺の三角に変わります。今度は子ども二人が親の愛と注目を求めて愛の獲得競争を始めます。


 5月03日
 愛の獲得競争 その1「親が望む良い子を目指す」
 〇 愛されたい 自分だけが愛されたい そこがスタート 子どものドラマ
 〇 親が思う 良い子になれば愛される 子どもせっせと良い子を目指す

 5月10日
 愛の獲得競争 その2「親が嫌いな子どもを目指す」
 〇 親が嫌う 批判タイプを目指すのは 親の注目 愛を得るため

 5月17日
 愛の獲得競争 その3「同胞の三角関係」―――――――――――――本号
 〇 弟妹が生まれたときの三角は 私と親ともう一人
 〇 親は言う 等しく我が子を愛すると しかし子どもはそう思えない

 5月24日
 愛の獲得競争 その4「姉妹の三角関係を眺める」
 〇 母さんは妹だけを愛してる 私をもっとかわいがってよ
 〇 妹は姉と一緒の両親から 離れて一人遊びにふける

 5月31日
 愛の獲得競争 その5「愛されない一人っ子」
 〇 一人っ子 愛はたくさん来るけれど 親と祖父母が子の奪い合い

 愛の獲得競争 その6「母思慕の男たち」
 〇 永遠の母を求めて三千里 批判の母に 母の愛なし



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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 弟妹が生まれたときの三角は 私と親ともう一人

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 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』9 その3 同胞の三角関係 】

 以前恋愛における三角関係、親子における三角関係について触れた。
 恋愛における三角関係はよく知られているけれど、夫婦に子どもが生まれたときの三角関係はあまり意識されないようだ。
 しかし、これも間違いなく三角関係であり、母と子は相思相愛だが、父が「妻の愛が半分に減ったと感じやすい」と述べた。

 この三角関係は子どもの側から眺めることもできる。
 心理学に「エディプス-コンプレックス」というのがある。男の子が母を思慕して父を憎む(女の子の場合は「エレクトラ-コンプレックス」と呼び、父を思慕して母を憎む)こと。
 ギリシア悲劇の『オイディプス』(エディプス王)は捨てられ成長した王子が父と知らずに王を殺し、実の母親と結婚する物語である(詳細はネット検索を)。

 これは三角関係が生み出す感情でもある。男の子にとって母の愛が父と自分への2分の1では我慢ならない。父がいなくなれば母の愛は10分の10全て自分にそそがれる。女の子の場合は母がいなくなれば、やはり父の愛が10分の10全て自分にそそがれる。
 かくして男の子は母のふところに入りたがり、女の子は父から抱かれたいと思う。
 この感情は克服されないと、将来精神疾患に陥ったり、マザコン、ファザコンになったりして自立できない人間に育つと言われる。

 日本にはハグの習慣がないから、幼子のころは抱いてやるけれど、十歳前後になると、抱きしめることをやめる傾向がある。ハグを甘えと見て「もう甘える年じゃないぞ」というわけだ。私は「まだまだ甘えさせた方がいい」と思うのだが……。

 それはさておき、父と母だってこの三角関係と無縁ではいられない。
 子が男の子であれば父が、女の子であれば母がビミョーな感情にとらわれる(と思う)。
 父は妻の愛が息子に全て注がれる(ように見える)と、機嫌が悪くなる。
 母は夫の愛が娘に全て注がれる(ように見える)と、何かしら不満を覚える。

 父にとって息子は妻の愛を争うライバルであり、母にとって娘は夫の愛を争う恋敵ってところだろうか。「そりゃあ言い過ぎだ。大人げない」と反論されそうだ。
 だが、これは理屈ではなく感情の問題。心の奥に否応なく湧き出る感情だ。

 たとえば、この気持ちがどういう情景として現れるかというと、父は息子に対して「人に甘えるな」と厳しく接し、母は娘に「父親に甘えすぎる」と批判する。
 そして、夫は妻に「お前は息子に甘い」と注意し、妻は夫に「あなたは娘を溺愛し過ぎる」と注文を付ける(^_^;)。

 ともに子どものためを思っての言葉だが、ウラの気持ちを推理すると、夫は妻に「息子よりオレのことをもっと愛してくれ」と言いたいのであり、妻は夫に「娘より私のことをもっと愛してよ」と言いたいのではないだろうか――と書けば、これも言い過ぎ(^.^)?
 とまれ、このように赤ん坊が男の子か女の子によって三角関係はビミョーに変化する。

 さて、父と母の子が一人で終わると次の三角関係はない。
 ところが、そこに二人目の男の子か女の子が生まれれば、今度は親を頂点として兄(か姉)と、弟か妹の間に新たな三角関係が発生する。

 次の子と数年の差があれば、物心ついた上の子は最初こそ「かわいい、かわいい」と赤ん坊をあやす。しかし、やがて自分への愛が半分に減ったと感じ、もやもやとかいらいらにとらわれるようになる。

 さらに、次の子が物心つく幼子になると、こちらは最初から親の愛は上の子と分け合って2分の1……だから問題は起こらないように思える。
 いやいや、下の子はこう感じる。「お父さん、お母さんは自分よりお兄ちゃん、お姉ちゃんの方を愛している」と。下の子は《公平》にとてもこだわる。きっちり2分の1でないと我慢ならない。
 もちろん上の子も何かあったときに「親は自分より弟・妹の方を愛しているのではないか」との不安にとらわれやすい。

 かくして子どもは親の愛を獲得するため同胞(きょうだい)間の競争を始める。
 これもまたドラマの開始である。


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 〇 親は言う 等しく我が子を愛すると しかし子どもはそう思えない

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 二人以上の子を持つどんな親に聞いても「我が子を平等に愛している、かわいがっている」と答えるだろう。
 だが、子どもは絶対そうは思わない。特に同姓の兄弟・姉妹において不公平感にとらわれやすく、「自分は愛されていないのではないか」と思いがちである。

 たとえば、母親が弟に対して「お兄ちゃんは年上だから」と兄に便宜を与えれば、弟は頬をふくらませる。また、弟を優先し、兄に対して「あなたはお兄ちゃんなんだから我慢しなさい」と言えば、今度は兄が口をとがらせる。

 もちろん聞き分けのいい兄や弟もいる。だが、それは「良い子」を演じているだけだったりする。前に書いたように、聞き分けのいい良い子でいれば、親から誉められ、愛エネルギーがもたらされるからだ。

 二人以上の兄弟姉妹は子ども時代のどこかで、必ず親の愛の獲得競争を始める。両親の愛を獲得するため――つまり父と母に可愛がられるため、お互い(無意識の)競争を開始するのである。

 これは兄と弟、姉と妹という同性の場合に最も激しく出てくる。
 とは言え、かなり注意して見ていないと、親でも気づかないことが多い。そして、そのまま幼年時代が過ぎてゆく。

 兄弟・姉妹が二人の時、得てして兄(姉)が明るく積極的で活発な子どもに育つと、弟(妹)はやや内向的でおとなしい子となりがちである。逆に姉がもの静かでおとなしい場合、妹はうるさいほど元気な子であることが多い。

 なぜそうなるかと言うと、親からより多く自分だけが愛されたいからである。両親の愛と注目を獲得するには、他の一人と同じ気質・性格ではダメだからだ。

 特に弟や妹はそれを本能的に悟って兄や姉と違う性格づくりをしていく傾向がある。そして上の兄(姉)も、弟(妹)の様子を見て、ますます違うタイプの性格を形成する。
 もしも子どもが異性の兄と妹、姉と弟なら、それはさほど顕著に出てこないかもしれない。

 もちろん父・母が子ども二人に対して公平・平等に愛を注いでやれば、子どもは愛の獲得競争に陥らずにすむ。だが、そんなことは不可能である(と思った方がいい)。特に兄弟姉妹では下の方がより強く「自分だけが愛されない」思いにとらわれるようだ。

 次節で姉と妹を例として姉妹における愛の獲得競争を眺めてみたい。
 どちらかが突然激しく甘えたり、ぐずったりしたとき、それは「私をもっと愛してよ」のサインであることが多い。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:文中ちょっと立ち止まって(考えて)ほしいところがありました。
 日本にはハグの習慣がないから、幼子のころは抱いてやるけれど、十歳前後になると、抱きしめることをやめる〜ハグを甘えと見て「もう甘える年じゃないぞ」というわけだ――のところです。
 最後に「私は『まだまだ甘えさせた方がいい』と思うのだが……』と点々つきで書きました。

 欧米の人がよく行っているハグは別に甘えなどではなく、スキンシップであり、親愛の情の交換ということで推奨されているようです。しかし、日本ではなかなか難しい。
 私はハグでなくとも《甘えたり、甘えさせることがあって良いのでは》と考えています。
 この点について読者とディベートしたい気持ちです。
 そして、もう一点。ではいくつくらいまで甘えたり甘えさせてもいいか。
 これについても考えてみてください。いずれ答えが出てきます。


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