『続狂短歌人生論』16「かけがえのない個人」


○ かけがえのない個人とは 30代5億人がつないだいのち


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ゆうさんごちゃまぜHP「続狂短歌人生論」   2023年6月21日(水)第16号


 『続狂短歌人生論』16 かけがえのない個人

 本日は「かけがけえのない個人」について語ります。
 私は教員時代このことを算数クイズによって生徒に説明しました。
 そのクイズが以下。

「君に宝くじが当たった。賞金は分割払いだが、次の二つのうちどちらか選ぶことができる。
 A 一日100万円で30日間もらう。
 B 今日は1円、明日は2円、明後日は4円のように倍々に増えて30日間もらう。

 読者各位はどちらを選びますか。10秒以内に答えてください(^_^)。



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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ かけがえのない個人とは 30代5億人がつないだいのち

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 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』16 かけがえのない個人 】

 相田みつを氏に次のような詩がある。

 自分の番 いのちのバトン     相田みつを

 父と母で二人
 父と母の両親で四人
 そのまた両親で八人
 こうしてかぞえてゆくと
 十代前で千二十四人
 二十代前では――?  なんと百万人を越すんです
 過去無量の
 いのちのバトンを受けついで
 いまここに
 自分の番を生きている
 それが
 あなたのいのちです
 それが わたしの
 いのちです


 相田氏は二十代前まで遡って計算しているが、私は同じようなことを生徒にクイズとして出題したことがある。
 ある日の授業中、太郎君に向かって、
「君に運良く宝くじが当たったとしよう。ただし賞金は分割払い。次の二つのうち好きなやり方でもらうことができる。どちらか選んでくれ」と。

 太郎君架空の話ながら結構にやにやして喜んでいる。私はさらに説明する、
「一つは一日100万円で30日間もらえる。もう一つは今日は1円、明日は2円、明後日は4円のように倍々に増えていって、30日間もらうやり方だ。さあ、どっちを選ぶかい? 10秒以内に答えること」

 すると太郎君、頭で一生懸命計算している。が、刻々とテンカウントが刻まれる。
 近くの生徒が「倍々だよ倍々……」などとささやく。
 太郎君「でも最初は1円だぜ1円」とかなんとか呟いている。
 倍々がいいと教えた方だって、最後まで計算していないので本当はよくわからない。
 とうとう10秒経って太郎君は決心した。
「100万円で30日の方! 全部で3000万だもんな」と叫ぶ。

 私は「では倍々の方をやってみよう」と言って黒板に計算していく。
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 1日目 2  3  4  5   6   7  8   9  10日目
 1円  2  4  8  16  32  64  128  256  512円
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「わかると思うけど、10日目に512円もらうんじゃないよ。前日の分は引くから10日目にもらうのは256円だ。初日1円だけど、2日目も1円なんだ。

 片方の受け取り方だと100万円で10日だから総計1000万円。こちらの10日目総計は512円。何だかとほほと言いたくなるような金額だね。
 振込だったらいいけど、「銀行に行って直接もらってください」なんて言われたら、交通費の方が高くつくよ。

 さて11日目は1024円なんだが、計算を単純にするため千円としよう」
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 11日目 12 13 14 15   16  17  18   19   20日目
 千円  2  4 8 1万6千 32千 64千 128千  256千 51万2千円
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「二十日経ってもまだ51万ぽっち。片方は早2000万円。おいおい追いつくのかねー。
 21日目の総額は102万4000円なんだけど、ここも100万として計算しよう」

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 21日目  22   23   24   25  26日目
 100万  200万 400万 800万 1600万 3200万
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「おおっ25日目に1000万を超えたぞ! しかも翌日はその倍で3000万も超えた!
 もうこっちの方が得することは明らかだ! では27日目以降……」

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 27日目     28        29        30日目
6千400万  1億2千800万  2億5千600万  5億1千200万円!
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「素晴らしい! 30日後には5億円だ。かたや1日百万は30日で3000万円。
 わかったかい、初めが1円でもこっちの方が圧倒的に多いということだ」

 太郎君初め生徒はちょっと呆気にとられている。
 1日目の1円が30日後には5億になるのだから、倍々というのはすごいことだ。
 そして、私はもう一つのことを生徒に話す。

「実はパソコンを使って正確に計算してみると、30日後は5億3千687万912円になるんだ。
 さて、私たち人間のことを考えてみよう。私という一人の人間が生まれるためには父と母2人の人間が必要だ。そして、父と母が生まれるためにはそれぞれの祖父祖母4人。さらにその上に行くと8人の男女が必要。つまり、倍々に増えていかなければならない。

 ということは私たち一人が生まれるためには30代で5億3千687万912人の人間が必要ということだ。そのうち半分は女性、半分は男性。どこか一人でも欠けたら、この逆ピラミッドは成り立たず、私たちは存在しない。
 つまり、私たち一人一人は約5億人の逆さピラミッドの頂点にいることになる……わかるだろうか、かけがえのない存在ってこういうことなんだ」

 相田みつを氏の言う通り、私たちは「過去無量の/いのちのバトンを受けついで/いまここに/自分の番を生きている」。
 今現在を生きている私たちは30代5億人の人間の「いのち」を引き継いで生きている。大袈裟に言うなら、私たちは5億人の愛を背負っているのだ。

 一代平均25年(25歳で子を生み、その子がまた25歳前後に子を生むとしたら)と考えると、30代は約750年。昔は20歳前には結婚して子を生んでいたようだから、平均20年とするなら、せいぜい600年。
 日本の歴史をひもといてみると、1400年とは足利幕府三代将軍義満の頃。100年後には戦国時代に突入する。

 私たち庶民は30代の系図なんぞ持たないけれど、想像の中でずうっと系図をたどってみる。
 すると戦国時代、日本の片田舎に住む一組の男女にたどり着く。二人が結ばれ、生まれた赤ん坊が三十代前の「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい……おじいちゃん」。同じころ隣村で生まれ、やがて夫婦となる娘が「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい……おばあちゃん」だ。

 もしも二人が結ばれていなければ(例えば山賊に殺されていたら、足軽になって戦場で死んでいたら)、その子は生まれない。ずーっと下って自分も存在しない。
 おお、これって映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』じゃないか!

 そして、江戸時代から近現代にかけてどこかで誰かがその鎖を切っても、私たちは存在しない。
 さらに昔、50代60代まで遡るなら、もう必要な人間の数は一兆を超え、天文学的数字となるだろう。
 ……それは石器時代。どこかの洞穴で獣の肉を食っている父親。そのそばで母に抱かれ、骨をしゃぶりながら「母ちゃん腹減ったよー」と泣いているガキ。それが百代前の自分の祖先なのかもしれない。

 そして現代に戻り、一転して未来を見渡すなら、私たちがやがて結ばれて一人の子を生めば、それがこの後数十代に渡って続く「いのちのバトン」となるわけだ。

 それを思うとき、かけがえのない個人を「決して殺してはいけない」とつくづく思う。
 他者を殺してはいけないし、自分で自分を殺してもいけない。日本だけでなく地球上の全ての人間一人一人が、その背後に30代5億人の命を受け継いでいるのだから。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:このことを語る以上、いのちのバトンをつなげなかった自分について考えざるを得ません。私は生涯独身だったため子どもを得ないままでした。すなわち、自分で命のバトンを断ち切ることになるので、一抹のさみしさを感じます。
 私は最初から子供がいなかったので「一抹」にとどまっているけれど、子どもを得たのに、その後いろいろな事情で失って年老いた方はもっと痛切に「自分で終わるさみしさ」を感じると思います。

 ただ、これは自然界ではよくある姿。たとえば、奄美の縄文杉とか神社の樹齢数百年のケヤキなど、全ての枝葉が残っているわけではありません。枝葉は毎年生まれては落ちてゆく。長く伸びた枝でさえ雷に撃たれて落ちることがある。
 つまり、人を一本の大木にたとえるなら、太く高く伸びていく幹があれば、途中で落ちてしまった枝葉がある。私は後者ということでしょう。いのちをつないだ5億人の外に落ちた枝の数はこれまた天文学的数字となる。自分はその一人であったかと受け入れ、さみしく朽ちるかなと思うこの頃です(^_^;)。


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