『続狂短歌人生論』18「子捨て、親捨てのドラマ」3


○ 幼子の泣き声それは甘えなの? それとも怖いことが起こるから?


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ゆうさんごちゃまぜHP「続狂短歌人生論」   2023年7月05日(水)第18号


 『続狂短歌人生論』18 子捨て、親捨てのドラマ その3

 本日は「子捨て、親捨てのドラマ」その3。
 詩集「小さなユリと」より三篇目の詩「僕を責めるものは」を取り上げます。
 授業報告がちょっと長いので、立ち止まりつつお読みください。
 後半は以前『一読法を学べ』実践編でも語ったテーマ――「幼子が目の前でこけたとき、親はすぐ助けるか、自分で起きなさいと言って突き放すか」を取り上げています。


6月28日
子捨て、親捨てのドラマ その1「詩『夕方の30分』」
〇 捨てられる不安と戦う子どもたち 埋められないと心に穴が

子捨て、親捨てのドラマ その2「詩『9月の風』」
〇 ちちははの心を思いやる幼児 どちらが大人かわからぬほどに

7月05日
子捨て、親捨てのドラマ その3「詩『僕を責めるものは』」―――――本号
〇 幼子の泣き声それは甘えなの? それとも怖いことが起こるから?

7月12日
子捨て、親捨てのドラマ その4「親捨て」
〇 親捨てはかつて田舎で始まって 今は都市でも親を見捨てる

子捨て、親捨てのドラマ その5「詩『伝説』」
〇 ちちははの思い出をただ くりかえし くりかえし子に 伝えることで……



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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 幼子の泣き声それは甘えなの? それとも怖いことが起こるから?

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 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』18 子捨て、親捨てのドラマ 3 】

 その3 「詩『僕を責めるものは』」

 最後に「僕を責めるものは」を取り上げる。問いは全部で6つ。

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  僕を責めるものは     黒田三郎

 僕を責めるものは誰もいない
 隣近所のおかみさんは
 にこにこ顔であいさつする
 勤め先のたれかれは
 奥さんが入院して大変だろうなあと言う
 にこにこ顔やねぎらいの言葉が激しく僕を鞭打つ

 小さなユリが寝入るのを待って
 夜毎夜更けの町を居酒屋へ走るのは
 誰なのか
 深夜に酔っぱらって帰って来ては
 大声でユリを呼んで泣かすのは
 誰なのか

 あの健気なユリはもういない
 いっしょにふとんにはいるとき
 今ではきっと念をおすのだ
 「夜中にどっか行っちゃいやよ」
 幼稚園へ送ってから勤めへゆく父親を
 今では泣いて呼び返すのだ

 父親を呼ぶユリの泣声は
 一丁行っても二丁行っても僕を追いかけてくる
 五人の保母さんが代る代るなだめてもすかしても
 二階へ連れてっても砂場へ連れてっても
 小さなユリは泣き止まない
 途方に暮れて父親の僕が引返してくるまで

 保母さんたちに見送られて
 小さなユリと僕は今来たばかりの道を
 家へ帰る
 紋白蝶のとんでいる道
 生垣の間から日まわりののぞいている道
 夏の朝の人影もない自い道を

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問1「にこにこ顔やねぎらいの言葉が激しく僕を鞭打つ」のはなぜか?
問2 なぜ「僕」はユリが寝入った後、居酒屋に酒を飲みに行くのか?
問3 酔っ払って帰って来て「大声でユリを呼ぶ」のはなぜか?
問4 ユリは幼稚園でなぜ「父親を泣いて呼び返す」のか?
問5「僕」は幼稚園に引き返そうと思った。それはなぜか?
門6 君たちはこのようなとき幼稚園に引き返せるか?


 私は授業で女子(例えば花子さん)に次のような質問を浴びせる。
私:もしもきみのお父さんが夜中に酔っぱらって帰ってきて「花子ー花子ー!」って、既に寝入っている君の名を呼んで起こしたらどう思う?

 花子さんは即答で「ヤダ!」と答える。
 ほとんど全ての女子生徒も「イヤだー」って声をそろえる

私:じゃあこのお父さんはなぜ大声でユリを呼んで起こすの?

 この質問はとても難解のようで、なかなか答えが返ってこない。
 ユリちゃんが三歳であることを思い起こさせると、
「ホンっトに、ひどいお父さん! そんな小さい子を放ったらかしにして、自分だけお酒飲みに行くなんて許せない。最低っのお父さん!!」とますます非難ごうごうである。今なら「育児放棄、ネグレクト」と言われかねない例だろう。

 私は「まあまあ怒るな怒るな」となだめ、
なぜお父さんは/夜毎夜更けの町を居酒屋へ走る/のだろうか」と方向転換する。

 これは答えが返ってくる。
「会社で面白いことがなかったのだろう」とか、
「嫌なこと、むしゃくしゃしたことを解消するために酒飲みに行く」などなど。
「それにユリちゃんのめんどうを一人でみなけりゃならないし、大変だと思う」
「ユリちゃん連れて居酒屋に行けないし、起きているときは家にいなきゃならないから」
「あっそうか。だからユリちゃんが寝た後、酒を飲みに行ったのか」
「でも、家で飲めばいいじゃないか。ユリちゃんをほったらかしにして外に酒飲みに行くなんて、やっぱりひどいよ」といろいろ意見が出る。

 ここで一連目に描かれた「僕」の《自己嫌悪》について触れる。
 彼は周囲から「大変ですね。がんばっていますね。えらいですねえ」と言われる。
 だが、自分はちっともえらくない、がんばっていない。だから「にこにこ顔やねぎらいの言葉が激しく僕を鞭打つ」と告白している。

 そして、次のように説明する。
「確かに家で酒飲めばいいかもしれない。でもね、大人にとって家で一人酒飲んだってつまらないんだ。それに何時間も飲むわけじゃないだろう。たぶん1時間くらい。それならユリちゃんが起き出すことはないだろうと思って」などと言って、辛いお父さんの立場を何とか弁解する。
 そして本題に戻る。酔っぱらって帰ると、お父さんはなぜユリちゃんを起こすのか。そんなことしなきゃ、いなくなったことはばれないのに。

 私は「では、もしもこの場にお母さんがいたらどうだろう」とか、「病院の一件でお父さんにとってユリちゃんはとても健気で大きく強く見えている。お父さんは辛くってさみしくって仕方がない。外で酒飲んでもホントはそんな気持ちはなくならないんだ。だから、家に帰って誰かにィ……」などとヒントを出していくと、ようやく生徒から「甘えたいんだ」という答えが返ってくる。

私:そう。落ち込んでいるお父さんは家に帰って誰かに甘えたい。酒を飲むと、押さえつけていた内心の感情が解放されて飛び出すものなんだ。
 もしもお母さんがいれば、お父さんはお母さんに甘える。けれど、今家の中にはユリちゃんしかいない。しかも、このユリちゃんは健気で大きく見えたユリちゃんだ。
 妙な言い方だけど、ここでお父さんは子どもに返っている。まるで親子が逆転したかのように、お父さんが子どもでユリちゃんが親のように感じている
 それに一人で帰って一人で床に就く。それもさみしい。そばに誰かいてほしい。自分の内心を聞いてほしい。わかってほしい。だが、家にいるのはユリちゃんだけ。だから、お父さんは「ユリー、ユリー」って起こしてしまった。

 もちろん小さなユリちゃんに、お父さんのそんな気持ちなどわかるわけがない。だから、泣くしかない。しかも、父は自分を置き去りにして酒を飲みに出ていった
 ユリちゃんの心には不安がどんどん芽生えてくる。だから「あの健気なユリはもういない/いっしょにふとんにはいるとき/今ではきっと念をおすのだ/夜中にどっか行っちゃいやよ」と言うわけだ。

 これでユリちゃんは子どもに返った。お父さんは大人の親に戻り、ユリちゃんをものすごく傷つけたと後悔する。でも、職場や近所の人は「奥さんが入院して大変だ」と言ってくれる。そんなことはない。自分はがんばっていない。情けない父親だ。そう思うから「にこにこ顔やねぎらいの言葉」はかえって鞭のように感じられる。

 ここで私は「わかってくれたかな」と念押しして再度同じ質問を女子生徒に発する。

私:じゃあ君たち女の子に聞くけど、もしも君のお父さん、または将来のお婿さんが夜中に酒飲んで帰ってきて、何々ーって君の名を呼んで起こしたら、膝枕して甘えさせてやるかい?

 すると女子生徒、これまた例外なく「やっぱりイヤダー!」って叫ぶ。
 私は「ふーっ」とため息をつく……(^_^;)。

私:では、最後の質問。今度はユリちゃんが「幼稚園へ送ってから勤めへゆく父親を/今では泣いて呼び返すのだ」とある。これはなぜだろう。
 ユリちゃんはなぜお父さんを泣いて呼び返すのだろうか?

 これもかなり難しい質問のようで、生徒からなかなか答えが返ってこない。
「さっきのお父さんと同じく甘えたいんだろうか」と水を向けると、
「違うと思う……」という答えがぼそぼそ返ってくる。
 そこで私は次のような別の質問を発する。

私:将来君たちが結婚して赤ん坊が生まれ、その子がよちよち歩きを始めたとするよね。そして公園デビュー。お外を散歩する。そのとき幼子が何かにつまづいてこけてしまう。子は手をついたまま立ち上がらない。そのときどうする?
 つまり、助けに行くか。または「起きなさい」と言って、自力で立つまで待つか

 この問いに関してはいろいろ意見が出てくる。
「私は助け起こす」とか、「私だったら自分で起きあがるまで待つ」などと答えが返ってくる。
 私は次のように説明して違う質問を発する。

私:子育てとか人生の様々なことに関して正解なんてないことが多い。いろいろな答えがあり、どれを選ぶかは一人一人が決める。だが、この状況だけは正解がある。それは「あるとき助けてあるとき助けない」ってことだ。

 幼い子がこけたとき、いつもいつも助け起こしていたら、その子は母親に甘えるばかりで自立した子に育たない。
 しかし、いつもいつも突き放して「自力で立て」と言ったのでは、この子は何て冷たい親なんだ。自分をちっとも助けてくれないと感じる。
 だから、あるときは助け起こすけど、あるときは「がんばれ」と励まし支えてやったり、あるときは「自力で立ち上がれ」と言って突き放すんだ。

 じゃあ、それはどうやって判断すると思う。つまり、あるときは優しく助け起こしてやり、あるときは厳しく突き放す。それはどこで判断するんだろう?

 この質問も生徒にとってかなり難解なようで、なかなか答えが出ない。

 私が「その子をよーく見ていればわかる」とか「しっかり聞いていればわかる」とヒントを与え、「もしもその子がこけたとき手か腕を骨折したりしていたらどうだろう」と話すと、やっと「泣き声?」という答えが返ってくる。

私:そう。泣き声なんだ。子どもがどこか怪我をしたときの泣き声、甘えたいときの泣き声。お母さんならきっとわかる。怪我をしているときはとても激しい泣き声だ。甘えたいときには「えーん」て感じで、どこかしらああ甘えているなとわかるものなんだ。

 子どもがとても傷ついている時には、お母さんはすぐ抱き上げてやらなきゃならない。逆にそうでもない、子どもが甘えたいときには、お母さんは厳しく「立ち上がりなさい」と言ったりする。
 でも、甘えたいとわかったからといっていつもいつも突き放していると、さっきも言ったように、子どもは親の愛を疑う。だから、甘えたいんだとわかっても、あるときは優しく抱き上げて甘えさせるんだ。

 さて、そうするとユリちゃんの場合はどうか。「夜中にどっか行っちゃいやよ」と言い、「幼稚園へ送ってから勤めへゆく父親を/今では泣いて呼び返す」。
「父親を呼ぶユリの泣声は/一丁行っても二丁行っても僕を追いかけてくる/五人の保母さんが代る代るなだめてもすかしても/二階へ連れてっても砂場へ連れてっても/小さなユリは泣き止まない……このせっぱ詰まった泣き声が「甘えたい」から起こした泣き声でないことはわかるよね。
 じゃあこの泣き声は一体何か。なぜユリちゃんは「お父さーん、お父さーん」って呼ぶんだろうか?

 こう問いかけてやっと、一人の女子生徒から答えが返ってくる。
生徒:ユリちゃんはお父さんがもう自分を迎えに来ないんじゃないかと思っているんじゃないでしょうか。夜中にお父さんは自分を置き去りにして出ていった。それと同じように自分を幼稚園に置き去りにしてしまうのではと感じている。それが怖くて泣いているんじゃないかしら。

私:そうなんだ。ユリちゃんが泣くのは親から捨てられる恐怖なんだ。既にユリちゃんはお母さんに捨てられた。もちろんお母さんは病気で入院しただけ。でも、ユリちゃんが困ったり何か怖かったり、悲しいときそばにいてくれない。助けてくれない。それはユリちゃんにとってお母さんから捨てられたようなものだ。

 そして、今またお父さんさえも、自分を置き去りにして夜中どっかへ行ってしまう。お父さんはユリちゃんを幼稚園にあずけていく。お父さんはもう二度と自分を迎えに来てくれないかもしれない。ユリちゃんの心の中はその不安と恐怖で一杯だ。
 だから、ユリちゃんは激しく泣いてお父さんを呼ぶ。「五人の保母さんが代る代るなだめてもすかしても/二階へ連れてっても砂場へ連れてっても/泣き止まない」んだ。

 そして、このお父さんの素晴らしい点はそれに気づいたことだ。「父親を呼ぶユリの泣声は/一丁行っても二丁行っても僕を追いかけてくる」とある。
 二丁って約二百二十メートルくらいだ。家の陰になってしまえば、子どもの泣き声ってそんなに遠くまで聞こえるもんじゃない。でも、お父さんにはユリちゃんの泣き声が耳に焼き付いて離れなかった。「二階へ連れてっても砂場へ連れてっても泣きやまない」ユリちゃんの姿が目に浮かんだんだ。

 この泣き声は何か違う。せっぱ詰まったぎりぎりの泣き声だ。そう思ったとき、お父さんは勤めへ行くことをやめて幼稚園に戻った。
「保母さんたちに見送られて/小さなユリと僕は今来たばかりの道を/家へ帰る」とある。たぶんユリちゃんは泣きやみ、お父さんの手のぬくもりを感じながら歩いているだろう。
 二人は紋白蝶が飛び交い、日まわりが咲く「夏の朝の人影もない自い道」を歩いて帰る……。
 取りあえずユリちゃんの「捨てられる恐怖」はぬぐい去られた。ユリちゃんはきっとお父さんから「愛されている」と思えただろう。

 このように説明すると、多くの生徒は納得してくれるけれど、一人の生徒から次のような質問が出る。

生徒:幼稚園に戻ったお父さんは確かによく戻ったと思えるけど、果たして素晴らしい人でしょうか。むしろ夜中ユリちゃんを置いて酒飲みに行くなんてことをしなけりゃ、ユリちゃんを傷つけることはなかったはず。

 これはとてもいい質問で授業ではさらに話し合う(もしも質問がなければ、私から問題提起することもある)。生徒とのやり取りは省略して私が語る結論は以下。

私:先ほど「このお父さんの素晴らしい点」と言ったけど、娘をほったらかしにして酒飲みに行くようなことをするから、ユリちゃんを傷つけたし、そんなことになった。このお父さんはちっとも素晴らしくないと言うかもしれない。確かにその通りだ。

 でも、我々はいつも過ちを犯すことなく完璧に生きているだろうか。君たちも親子の間で、または友人同士で「しまった。こんなこと言わなきゃ良かった」とか「しなきゃ良かった」と思うことはないかい。心のおもむくままにやったことで相手を傷つけることはある。だが、もはや過去に戻ることはできない。

 ここで大切なことは自分のやったことを後悔したり反省できるかどうかだと思う。それがあれば同じようなことが起こったとき、同じ過ちを犯さずに済む。ユリちゃんのお父さんが幼稚園に戻れたのは後悔があったからだと思うんだ。

 このように内容を深めたのち、最後の問6「君たちはこのようなとき幼稚園に引き返せるか?」を取り上げて次のようにまとめる。

私:こうした状況は君たちが将来子どもを保育所に預けたとき一度はあるはずだ。あるいは、小学校入学後かもしれない。それは普段は起こらない。何らかの非常事態が起こったときだ。
 例えば子どもがいじめられているとか、父と母がケンカばかりして何か怖いことが自分に起こりそうだとか。子どもはとにかく捨てられる恐怖、親に愛されていないのではという不安にとらわれたとき、親となった君たちを呼ぶ。激しく泣いて君から離れようとしないこともあるだろう。
 そのとき君たちは戻れるだろうか。いや、その前に我が子の泣き声がいつもと違うと気づくだろうか。せっぱ詰まった不安や恐怖の泣き声だと気づくだろうか。ぜひ気づいてほしい。そして、戻ってほしいと思う。

 だが、難しい面もある。一度なら戻れるかもしれない。でも、これが二日、三日、一週間と続いたとき果たして戻れるだろうか。一度戻っただけで解決するとは限らないからだ。ユリちゃんは翌日も泣いて父を呼んだかもしれない。

 君が仕事に就いていればなかなか戻れないと思う。戻らなかったら子どもの心には親に捨てられた傷が刻まれたままだ。
 もちろん親は夕方になってちゃんと迎えに行く。でも、子どもの心の傷は埋まらない。それは親から捨てられたと思いこんだ傷。親が自分を助けてくれなかった傷。親は自分を愛していないと思い知らされた傷だ。それが子捨てのドラマ。子どもの心に穴を開けたブラックホールだ。

 でも、仕事に就くなと言いたいのではないよ。子どもが起こす行動を甘えだと決めつけないでほしいということなんだ。せっぱ詰まったときにどうするか。
 子どもが保育所や幼稚園に行きたくないと言い始めたとき、それは甘えなのか、せっぱ詰まったものなのか。そのとき親の自分はどういう態度・行動を取るか、それを考えておかなきゃならない。

 幼いころは泣くかもしれない。親に何らかの不安やトラブルを訴えるかもしれない。だが、ある年齢以降になると、もはや泣かないことが多い。子ども自身がそれを甘えと思ったり、親に迷惑かけたくないと思ったりして打ち明けない。親が「どうした元気がないな」と声を掛けたら、「なんでもないよ」と答えるかもしれない。気づくためには子どものことをよく見ていなけりゃならない
 そして一つ言えること。もしも子どもがせっぱ詰まったぎりぎりの時、親が戻ってやらないと、親が助けてやらないと、子どもは心に大きな傷を負うということだ。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:以前(第11号後記において)「日本にはハグの習慣がないから、幼子のころは抱いてやるけれど、十歳前後になると抱きしめることをやめる」傾向がある……「私は『まだまだ甘えさせた方がいい』と思う」と書きました。
 そのとき「では、いくつくらいまで甘えたり甘えさせてもいいのだろう」と問題提起しました。
 この答えとなる《私の考え》が本節にあります。気づきましたか?
 お気づきでなければ、再読(もしくは最初からさーっとスクロール)することをお勧めします。きっと「ここかっ!」と叫ぶことでしょう(^_^)。

 えっ、「さーっとスクロールなんかしていいのか」ですって?
 さーっと読むな、ぼーっと読むなとさんざん言ってきましたからね(^_^;)。

 でも、最初の読みを一読法で実践しているなら、二度目は「さーっとスクロール」して良いのです。スクロールしては止まり、スクロールしては止まる。すると「甘え」の言葉が目に留まるはず。その部分に到達したら、前後をもう一度再読する――これも立派な一読法読書術です。


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