『続狂短歌人生論』19「子捨て、親捨てのドラマ」4・5


○ 親捨てはかつて田舎で始まって 今は都市でも親を見捨てる


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ゆうさんごちゃまぜHP「続狂短歌人生論」   2023年7月12日(水)第19号


 『続狂短歌人生論』19 子捨て、親捨てのドラマ その4・5

 本日は「子捨て、親捨てのドラマ」その4、その5。
 前節までは主として「子捨てのドラマ」について語りました。
 今節は4において「核家族は親捨てである」と述べています(詩の引用はありません)。
 最初に書いた通り「子捨て、親捨てのドラマ」は『続編』に入れるか大いに迷いました。中では本節が最も「公表はやめようか」と考えた部分です。

 子捨てに関してはそれを子捨てと思わず、気づかない親御さんが多いだろう。だから、『小さなユリと』の詩を使って解説しました。捨てられる不安や恐怖は子どもの心に深い傷を残す。それを意識して子どもをしっかり見つめてほしい。その思いから『続編』掲載を決めました。

 一方、核家族と言う親捨ての方はそれを「親捨て」と言われたからといってどうしようもできない。もはや(ごく一部でしか)大家族は存在しないし、「親御さんと一緒に暮らしましょう」と提言するのも空しい。つまり、解決策がない……と思って公開に二の足を踏んだ、ってところです。

 しかし、(かつて授業でやった)ある詩人の詩をふっと思い出し、それを追加することで公開しようと決めました。それが会田綱雄の詩『伝説』(1957年)です。
 これも現代詩ですが、難しい箇所はありません。子捨て、親捨ての解決策になっているかも、と思って引用します。


6月28日
子捨て、親捨てのドラマ その1「詩『夕方の30分』」
〇 捨てられる不安と戦う子どもたち 埋められないと心に穴が

子捨て、親捨てのドラマ その2「詩『9月の風』」
〇 ちちははの心を思いやる幼児 どちらが大人かわからぬほどに

7月05日
子捨て、親捨てのドラマ その3「詩『僕を責めるものは』」
〇 幼子の泣き声それは甘えなの? それとも怖いことが起こるから?

7月12日
子捨て、親捨てのドラマ その4「親捨て」―――――――――――――本号
〇 親捨てはかつて田舎で始まって 今は都市でも親を見捨てる

子捨て、親捨てのドラマ その5「詩『伝説』」
〇 ちちははの思い出をただ くりかえし くりかえし子に 伝えることで……



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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 親捨てはかつて田舎で始まって 今は都市でも親を見捨てる

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 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』19 子捨て、親捨てのドラマ 】

 子捨て、親捨てのドラマ その4「親捨て」

 核家族とは何であろうか。父親と母親、子どもが一人か二人――それが典型的な核家族。さらに、かつて専業主婦世帯が多かった日本だが、近年は専業主婦世帯3割、共稼ぎ世帯7割と言われる。それほど両親ともに働く「共稼ぎ」世帯も日本の典型的家族となった。

 核家族とは「親捨て」であり、共稼ぎとは「子捨て」であると断言すると、読者は相当の不快感を持たれるかもしれない。しかし、私は敢えて断言したい。これは「親捨て・子捨て」の家族であると。

 都市では核家族という名の典型的家族が満ちあふれ、田舎では年老いたじいちゃんばあちゃんが二人で暮らしている。
 じいちゃんばあちゃんはやがて一人暮らしとなり、やがて人生を終える。田舎を出てきた都市の人々――すなわち大人たちは田舎に「働き口」がないからだと言う。田舎に職さえあれば都会に出てこなかったとも言う。だが、それは本当だろうか

 人の四タイプについて考察してみると、次のような推理が導かれる。
 子どもたちは脅迫者・批判者の父と一緒に暮らしたくなかったから、家を出て都市に向かったのではないか。
 あるいは田舎のべったりとした共同体、プライバシーのない集団主義と閉鎖性――それは受容者タイプの母に代表されるような共同体である。それへの嫌悪感から田舎を捨てたのではないかと。

 子を溺愛する母から自立するには母を捨てるしかない。または親が傍観者タイプなら、子はこの親から愛されていると感じない。子はすぐに自立して家を出ていく(と前著で触れた)。

 つまり、親が子を支配することしか頭にない、がちがちの脅迫者・批判者だったから、子は家を出た。親が子どもに関心のないこてこての傍観者だから、あっさり親を捨てた。そして、親(特に母)が自分にまとわりついて離そうとしない、べたべたの受容者だから、子どもは振り切るように家を出たのである。

 もちろん高度経済成長、豊かな都市への憧れなどを否定しない。しかし、四タイプの原性格に固執する、脅迫者・批判者・傍観者(の父)、受容者(の母)とともに暮らしたくない。そう思ったから子どもたちは親を捨て、故郷を捨てたのではないか。「自由」はそれを後押しした。そして「親のめんどうをみなければならない」という道徳・宗教・慣習・信条・心情・世間様=大支配がなくなったことで、それはさらに加速された。

 最初田舎を出たのは長男以外の子どもたち。その後は長男も田舎を捨て、親を捨てた。過疎となった田舎は人口が減り、子どもも激減して人々は淋しさを感じている。
 一方、田舎の人間関係・共同体の煩わしさを捨て、都市の稀薄な人間関係を選択した人々は、今その人間関係の薄さに苦しみ、都市の雑踏の中で一人の孤独、家族の孤独にさいなまれている。

 ところが、今や都市でさえ新興住宅街で過疎が始まっている。都市で暮らす父母の子どもは核家族第二、第三世代として、親の元を離れアパートや新居暮らしを始めた。
 かつて子どもたちの騒がしい声、嬌声と笑い声の絶えることがなかった新興住宅街。そこは今ゴーストタウンと化して静まり返っている。まるで子どもたちがハーメルンの笛吹きに連れて行かれたかのように。

 それは都市における過疎――つまり親捨てではないか。都市周辺に仕事があってもなお、子は家を出ていく。それは喜ばしい自立なのだろうか。

 都市で家を出る子どもたちは「両親が望んでいることだから」と言う。若い夫婦が共稼ぎをする。おじいちゃん、おばあちゃんに孫のめんどうを見てほしい――すると年老いた父母は「そんなことは嫌だ」と言う。
 一緒に暮らすにしても若い者、孫と食事は合わない、時間が合わない。嫁姑の対立もある。だから、別々に暮らした方がいいと。

 かくして、親と子ども夫婦は離れた。あるいは、一つの家で同居をしても祖父母と子夫婦は別々のフロアで食事をする。会いたいときだけ会えばいい。それは二世帯住宅という名の親捨て――私はそう思う。

 しかも、このとき親と一緒に暮らしたくない若夫婦の心中にある感情は何だろうか。それは批判者の母と一緒に暮らしたくない、傍観者の父と一緒に暮らしたくない――という思いではないか。

 嫁と姑の対立にしたって昔と事情が違う。今この対立は批判者の母(姑)と批判者第二世代の娘(嫁)の確執である。
 批判者同士が同じ家にいれば相手の悪い点しか見えないのだから、口げんかになるのはまず間違いない。
 ああ、歴史は繰り返す。かくして子は都市の中でさえ、親と一緒に暮らしたくないのだ。

 結局、親が四タイプの原性格のままに生きる限り、子は親を見捨てる。親捨てのドラマは永遠に続きかねない。大支配さえ存続していれば、親捨ては起こらないかもしれないが、もはや大支配はなくなってしまった。復活することもないだろう。


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〇 ちちははの思い出をただ くりかえし くりかえし子に 伝えることで……

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 子捨て、親捨てのドラマ その5「詩『伝説』」

 子捨て親捨てのドラマの最後に、もう一つ現代詩を紹介したい。
 会田綱雄(1914-1990年)の詩『伝説』である。この詩も自主教材として授業で取り上げた。質疑応答など授業経過は省略する。

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  伝 説      会田綱雄

 湖から
 蟹が這いあがってくると
 わたくしたちはそれを縄にくくりつけ
 山をこえて
 市場の
 石ころだらけの道に立つ
 蟹を食うひともあるのだ

 縄につるされ
 毛の生えた十本の脚で
 空を掻きむしりながら
 蟹は銭になり
 わたくしたちはひとにぎりの米と塩を買い
 山をこえて
 湖のほとりにかえる

 ここは
 草も枯れ
 風はつめたく
 わたくしたちの小屋は灯をともさぬ

 くらやみのなかでわたくしたちは
 わたくしたちのちちははの思い出を
 くりかえし
 くりかえし
 わたくしたちのこどもにつたえる
 わたくしたちのちちははも
 わたくしたちのように
 この湖の蟹をとらえ
 あの山をこえ
 ひとにぎりの米と塩をもちかえり
 わたくしたちのために
 熱いお粥をたいてくれたのだった

 わたくしたちはやがてまた
 わたくしたちのちちははのように
 痩せほそったちいさなからだを
 かるく
 かるく
 湖にすてにゆくだろう
 そしてわたくしたちのぬけがらを
 蟹はあとかたもなく食いつくすだろう
 むかし
 わたくしたちのちちははのぬけがらを
 あとかたもなく食いつくしたように

 それはわたくしたちのねがいである

 こどもが寝いると
 わたくしたちは小屋をぬけだし
 湖に舟をうかべる
 湖の上はうすらあかく
 わたくしたちはふるえながら
 やさしく
 くるしく
 むつびあう

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 どこか遠い時代、遠い山奥にひっそりたたずむ湖。そのほとりの集落で営まれている貧しい暮らし。正しく「伝説」の題名がふさわしい。
 そこは冷たい風が吹き「草も枯れる」ほどの地。稲は育たない。おそらく唯一かもしれない、湖で育つ蟹を獲って米と塩に換える。
 最初の方に「蟹を食うひともあるのだ」と何気ない一言がある。この地の人たちは蟹を食べない。それは「ちちとははのぬけがらを食いつくした」蟹だから。

 文中何度も繰り返される「わたくしたち」・「わたくしたちのちちはは」は目で見ないとひらがなとわからない
 ただ、漢字「私たちの父母」と比べてみれば、違いが確かにあると感じる。

 ひらがなになることで、さっと読めない。とつとつと一文字ずつ確認するような読み方になる(ならざるを得ない)。つまり、ひらがなにすることによって、ちちははの思い出を我が子に語る、ちちははの思いがより強く子どもに――我々に語り掛けられるような気がする。

 私的感想ながら、この詩を読んだとき不思議に思ったことが一つある。

 夜のくらやみの中で、ちちとははは「ちちははの思い出を/くりかえし くりかえし/わたくしたちのこどもにつたえる」とある。彼らに語るほどの思い出があるのだろうかと。

 だが、私たちが生きている現代と『伝説』の時代にどれほどの違いがあるか。
 着るもの食べるものに住むところ。文明の装いを取り払えば、根源のかたちは同じような気がする。生まれて生きて誰かと結ばれ、子が生まれれば育て、年老いてやがて土にかえる。彼らが語ることは一つだけ。

 わたくしたちのちちははも
 わたくしたちのように
 この湖の蟹をとらえ
 あの山をこえ
 ひとにぎりの米と塩をもちかえり
 わたくしたちのために
 熱いお粥をたいてくれたのだった

 どんな時代であっても「ちちとはは」は「わたくしたちのために/熱いお粥をたいてくれた」――それだけは間違いない。
 30代5億人のちちははは同じ生活を送り、同じ思い出を子どもたちに語ったのかもしれない。

 先ほど「語るほどの思い出があるだろうか」と書いた。詩を何度も読めば「子どもに伝えたのは詩の全て」だとわかる。
 湖の蟹をとらえること、縄にくくって山を越え、市場に行けばそこは石ころだらけの道であること。蟹を売ってひとにぎりの米と塩を持ち帰ること。やがてそれは子どもたちの仕事になること。年老いたら湖に痩せほそったちいさなからだを捨てに行くこと。それはかるくかるく できること。
 もう一つ……は語ったかどうか。

 こどもが寝いると
 わたくしたちは小屋をぬけだし
 湖に舟をうかべる
 湖の上はうすらあかく
 わたくしたちはふるえながら
 やさしく
 くるしく
 むつびあう

 この「ちちとはは」には不平も不満も文句も愚痴もないように思える。
 支配も服従もなく、理想も夢もないように思える。
 だが、子捨てはなく、親捨てもない。時が来れば親は自ら捨てに行く。
 自分と周囲をあるがままに受け入れて生きる、ヒトが持つ原初のような姿。

 いつからか生きることはとても重いものになった。

 かるくかるく生きることは不可能なのだろうか。
 かるくかるく死ぬことは難しいのだろうか。

 文明は平和より争いと戦争に貢献してきた。
 生きることはつらいと思わせる文明なんぞ必要なのだろうか。

 ――そんなことを思わせる詩である。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:私たちは30代5億人の先祖を語ることはできません。せいぜい父と母、父方母方四人の祖父母を語れるくらい。
 本節末尾の「思い出を語って子どもに伝えることで「親捨て」ではないつながりを生み出せるのかもしれない」について次節にてもう少し解説します。

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