『続狂短歌人生論』38 日本的カーストという絶望


○ 美しき伝統 それは上と下 これぞ我らが日本の誇り(?)


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ゆうさんごちゃまぜHP「続狂短歌人生論」   2024年01月10日(水)第38号


 『続狂短歌人生論』38 山頂前最後の難所――日本的カーストという絶望

 年末書いたように、山頂前二つ目の難所です。あるいは、千尋の谷に突き落とされて、見上げればとても登れそうにない峻険な崖があると感じるかもしれません。
 だが、私はこの絶望を克服できる希望、解決策があると信じています。
 どうするか、どう生きるか。1パーセントの希望を近々語り始めます。

 ――とでも書いておかないと、絶望感のあまり生きる意欲をなくされることは私の本意ではありません。世界から戦争や飢餓、分断と宗教的民族的対立がなくならないとしても、1パーセントの希望は捨てたくない。
 パンドラの箱はすでに開けられたとしても、閉じた箱から「私も出してください」と希望がささやくように、本稿にも希望のどんでん返しがある(!)と予告しておきます(^_^;)。
 [本文は「である」体]


12月20日 変えることに成功――エネルギーを与え合う
 〇 エネルギー 与え合うことなきドラマ 変えてうれしい花いちもんめ(^_^;)

12月27日 前著結論「エネルギーを与え合う」
 〇 お互いがエネルギーを与え合う その生き方に いま進むべき

01月04日 変えることに失敗――あなたを襲う悲喜劇と絶望
 〇 変えようと思って歩み始めたが 変えられなくて元の木阿弥

01月10日 山頂前最後の難所――日本的カーストという絶望 ――――――本号
 〇 美しき伝統 それは上と下 これぞ我らが日本の誇り(?)



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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 美しき伝統 それは上と下 これぞ我らが日本の誇り(?)

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 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』38 山頂前最後の難所――日本的カーストという絶望 】

 SF的に物語るなら……ときは50年後の2074年。日本の人口がとうとう5000万を切ったと新年の話題になった。そのころ大分の実家に帰省した若者が曽祖父の書斎から一通の古文書を発見する。今や文字は全てスマホ・タブレット・パソコンで読み書きされる時代である。紙の書物や文書は図書館でしか見られない。
 古文書の表題には「現代日本身分制度五か条のご誓文」と書かれていた。

 五箇条の御誓文と言えば、1868年明治新政府が発布した、国としての基本方針が書かれた文章が有名。「広く会議ヲ興シ」とか、「上下心ヲ一ニシテ」で知られる誓いの言葉が並んでいる。
 だが、この古文書には「現代日本身分制度」とある。現代とはいつを差すのか、身分制度の誓いとは何か。若者は不思議に思いながら、古文書を読み始めた……。

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 ★ 現代日本身分制度五か条のご誓文

 いやしくも日本国国民たる者、以下のご誓文に従って生きるべし。
 この素晴らしき身分制度を子どもに教えるのは大人の義務であり、年長者の責務である。
 下の者は上の命に従い、ボスの意向を忖度して滅私奉公に励む。これこそ夢をかなえるための生き方であり、日本国民の使命と心得よ。

 一、家庭
 家庭においては親が上で子どもが下であることを教える。兄姉が上で弟妹が下であることを教える。子どもは親に従うことが正しいと教える。
 親が理不尽なことをしても言っても、子どもは従うべきだと教える。

 二、学校
 小学校中学校においては先生が上で児童生徒が下であることを教える。児童生徒には決める能力も権利もないことを教える。上級生が上で下級生が下であることを教える。
 強い部活は顧問がボスで、ボスが命令を下し、部員は忠実に行動するロボットであることを教える。先輩が上で後輩が下であることを教える。
 高校以上の学校においても上級生が上で下級生が下であることを教える。大学体育系部活動においては四回生が神で1回生は奴隷であることを教える。
 某女性だけの歌劇団も上が神であり、下は奴隷であることが明らかとなった。美しいキズナを今に伝える素晴らしい学校として称賛したい。
 歌って踊れる男子アイドルを目指す子どもたちには、ボスが夜毎ベッドにやって来ても「夢をかなえるためには耐えることだ」と教える。

 三、友人
 友人関係においては年長者が上で年下が《下》であることを教える。年上を敬い、自らの主張は控えて謙譲の美徳を発揮せよと教える。長幼の序を教えるのは先輩の務めである。

 四、恋人・夫婦
 恋人・夫婦においては男が上で女が下であることを教え……ようとするが、うまくいかないときは女が上で男が下であることを教える。夫が強ければ妻は従い、妻が強ければ夫は従うものだと教える。

 五、企業・団体・政党
 企業、団体・政党においては身分・役職上位が上で、下位の者が下であることを教える。忠義と滅私奉公がヒラの責務だと教える。「命令だ」と言えば、従うことが立派な人間だと教える。会社ぐるみ、組織の不正は法律より上位にあるから「やっていい」と教える。

 政党議員は派閥のボスが神で一期生は使い走りであることを教える。意見を言おうものなら「10年早い」と叱責する。同じ身分なら年長者が上であることを教える。派閥のボスや幹部には一切逆らえないことを教える。「大臣になりたい夢があるなら従うことだよ」と教える。

 以上五か条の誓いは「衆またこの旨趣に基づき協心努力せよ」――すなわち、下位の者が心の底からそう思うよう、社会全体が子どもや年下の者にしつけることが肝要である。

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 読めばよくわかる五か条であるが、蛇足気味の解説を少々。

 日本国身分制度のご誓文はどこにも成文化されていない。しかし、憲法より上位に位置する良識・分別として、日本人の心深くに書き込まれている誓いの言葉だ。

 日本ではこの身分制度を国民自らやってくれる。親が子にしつけ、先生が児童生徒にしつける。上級生が下級生にしつけ、部活動の先輩が後輩にしつける。下が上に対して対等の言葉を吐こうものなら「ため口」と言って非難され、叱責される。高校、各種学校、大学・短大に行っても、この状況は変わらない。

 そして、社会に出れば、会社・職場において向こうが上で、自分は下であることを思い知らされる。職場の上下は私生活においても相手が上で自分は下であると思わねばならない。
 部長一家が上で、課長・ヒラの自分一家が下である。ヒラの子は課長・部長の子に逆らってはいけないと教え、課長の子は部長の子に逆らってはいけないと教える。

 恋人、夫婦も男が上か、女が上という上下関係を心がける。相手にプロポーズさせれば、自分が上で相手が下である。結婚後はそれをほのめかして優位に立つのが夫婦のあり方である。

 夫婦における上下関係をもう少し詳しく眺めてみよう。
 夫婦が対等な関係を築けない理由の一つに儒教道徳の「男が上で女が下」がある。
 典型的な徳目は「幼いときは親に従い、嫁いでは夫に従い、老いては子に従う」という三従の教えである。父親が上、夫が上、子どもの成人後は息子が上である。

 かつて女性は嫁入りと言うように夫の家に入ることが多かった。夫の姓に変えることは夫の家が上で、妻の実家が下であることの表明である。「嫁いでは舅姑に従う」もある。嫁姑の対立は嫁いびりの言葉さえ生んだ。
 長らく女性は子を産む道具であり、事実子どもを四人も五人も産めば、妻は子育てに専念するしかなかった。働いて妻子を養うのが夫の務めとなった。夫が主人で妻は下僕か女中である。

 次にやって来た時代が共稼ぎ、子どもが一人か二人の核家族である。
 ここにおいても夫が上で妻が下の関係となることが多かったけれど、妻が上で夫が下という関係も現れるようになった。
 儒教道徳の影は薄れ、夫婦は対等という思想がかなり広まるようになったし、妻も働くことで独立・自存の意識が広がった。
 だが、感情は相変わらず上下関係を追求した。まるで夫唱婦随の反動であるかのように、妻は批判者となって自分が上であることを夫と子どもに思い知らせるようになった。

 これは「財布のひもをどちらが握るか」に関係している。夫が財布を持てば夫が上で妻と子どもが下、妻が財布を持てば妻が上で夫と子どもが下となる。
 端的な例として何か買ってほしいものがあるとき、我々は財布のひもを握る人に《お願い》する。そのときお願いする相手が上で、こちらは下――の意識を持たざるを得ない。上の人が「ダメだ」と言えば、さらに平身低頭しておねだりする。

 国の各省において最も強いのは財務省(かつての大蔵省)であることと重なる。予算の配分の最終決定権を握っているからだ(もちろんその上に総理がいるけれど)。
 かつて日本人は政府のことを「お上」と呼んだ。命令は「下される」ものである。典型的な上下関係だ。各選挙区においても議員が上で国民・選挙民は下である。応援・当選させた選挙民は議員に口利きをお願いする。
 が、選挙期間中だけは「国民が上で議員は下」とへりくだる。「当選させてください」と(壇上から)土下座する。土地の有力者にはウラ金持って頼むか、利益誘導をほのめかして支援を依頼する。当選すれば議員が上で国民は下――が復活する。

 このように、日本の隅から隅まで、ずず〜いと身分制度が行きわたっている。
 なんと素晴らしいカースト国家だろう。日本には対等の人間関係など存在しないのだ。

 さて、五か条のご誓文を読んで絶望を感じただろうか。
 あるいは、「どこが絶望なんだ? 普通の情景じゃないか」とつぶやいただろうか。
 もしそうなら、皮肉を皮肉と受け取れないほど、日本的カーストにどっぷり浸かっているのかもしれない。

 あなたはこのような国に住みたいと思うか。このような学校で我が子、我が孫を学ばせたいと思うか。このような社会に子どもを放り出そうと思うか。
 素晴らしい国、素晴らしい身分制度、美しい国の美しい国民と感じるだろうか。

 今やこの国に99パーセントの絶望を感じ、不登校や社会に出たくない引きこもりが増えている。それは本人の問題であり、親の責任だと言うような――言わないとしても思っている――政治家のいる国。それが日本だ。

 だが、1パーセントの希望はある。

 99パーセントの絶望を99パーセントの希望に変える簡単な方法がある。

 どうすれば良いのか?


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:次号において「日本語そのものがこの身分制度を補強している」ことを語り、最後に「この絶望感を希望に転換する方法」を提起します。
 難問? いえいえ、とても簡単な方法です。
 来週までに考えてください――と言いたいところながら、直ちに結論を書きます(^_^)。

 それは上の位置に立つ人が《変わる》ことです。
 上の意識を捨て、下の者と対等を意識して交流する。それしかないではありませんか。

 子どもと親、児童生徒と先生、下級生と上級生、後輩先輩、年下と年長、恋人、夫と妻、妻と夫。組織や会社の部下と上司。議員の1、2期生と連続当選者。派閥の下とボス。
 全ての上に立つ人が上という意識を捨て、対等を心がける。それしかないと思うのです。


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