『続狂短歌人生論』39 一読法の復習


○ 一読法 かくも復習するわけは どんでん返しの結論だから


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ゆうさんごちゃまぜHP「続狂短歌人生論」   2024年01月17日(水)第39号


 『続狂短歌人生論』39 一読法の復習

 突然ですが、今号は「日本的カーストを補強している日本語」について語る予定でした。
 が、急きょ前号の内容に関して「一読法の復習」をはさむことにします。
 前置きに入れて済まそうと思っていたけれど、独立させたってことです。

 独立号とした理由の一つは相変わらず「ぼくの悪い癖」(杉下右京)で復習がえれえ長くなったこと(^_^;)。しかし、復習しないと読者の多くは前号を正しく理解できないであろう、そのままスルーするであろう。そもそもわざとそのような書き方をしているので、補足・解説は必要なのです。

 と同時に前号を書き終えた後、ある大切なことに気づきました。そこで「こりゃあ単独号として配信せねば」と思ったわけです。
 こちらの方が重いので、狂短歌も作成しました。

 一読法の復習なんだから別に狂短歌はなくていい(筆者から言うとつくる必要はない)。
 しかし、詠みました(^_^;)。「ある大切なこと」をほのめかすためです。
 狂短歌を読めば「なんじゃこりゃ?」とつぶやくでしょう。
 つぶやくのは一読法のかなめ[要]です。大いにつぶやきながらお読みください。


12月20日 変えることに成功――エネルギーを与え合う
 〇 エネルギー 与え合うことなきドラマ 変えてうれしい花いちもんめ(^_^;)

12月27日 前著結論「エネルギーを与え合う」
 〇 お互いがエネルギーを与え合う その生き方に いま進むべき

01月04日 変えることに失敗――あなたを襲う悲喜劇と絶望
 〇 変えようと思って歩み始めたが 変えられなくて元の木阿弥

01月10日 山頂前最後の難所――日本的カーストという絶望
 〇 美しき伝統 それは上と下 これぞ我らが日本の誇り(?)

01月17日 一読法の復習 ――――――――――――――――――本号
 〇 一読法 かくも復習するわけは どんでん返しの結論だから

01月24日 日本的カーストを補強する日本語
 〇 日本では親や先生部課長を「お前」と呼ばぬ 礼節の国



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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 一読法 かくも復習するわけは どんでん返しの結論だから

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****************** 「続狂短歌人生論」 ***********************

 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』39 一読法の復習 】

 この狂短歌の意味がわかる方は稀代の名探偵の一人として歴史に名が残るかもしれません(^.^)。『続編』最後の謎解き――「作者なぜ?」の課題として挑戦してみてください。

 続編後半になって一読法の復習が増えたことにお気づきと思います。
 実は筆者自身が「どうしてこんなに一読法の復習が増えたのか」と不思議に思っていました。「おいおい」てか(^_^;)。

 最近ようやくそのわけに気づき、そうなると前置きで済ますつもりだった一読法の復習は「一節として独立させる必要がある」と考えました。

 かくして「作者なぜ」の課題が生まれます。それは「作者はなぜ『続編』後半になって一読法の復習を増やしたのか。そして、とうとう一つの節として独立させるまでになったのか?」という疑問です。

 よって、この謎解きの答えは「どんでん返しの結論」とは何か。それを推理することでもあります(^_^)。この結論がわかると、「なるほど、だから一読法の復習が増えたのか」と納得できるわけです。

 とまー執筆裏事情はさておき、前号「日本的カーストの絶望」について。

 まず前号の前置きと後記を再掲しながら、一読法ならつぶやいてしかるべき「感想や疑問」を(点線の下に)書いていきます。本文全体も再掲したいけれど、さすがに煩わしいので、そこは省略して(出るであろう)感想を少し書きます。「作者なぜ?」もあります。
 なお、原文を小分けして先頭にABC…をつけました。

 前置き
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A 年末書いたように、山頂前二つ目の難所です。あるいは、千尋の谷に突き落とされて、見上げればとても登れそうにない峻険な崖があると感じるかもしれません。
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・千尋の谷とか、峻険な崖とか大げさだ、オーバーじゃないか。
・一体、どんな内容なんだ? 読んで暗い気持ちになるのはいやだなあ。

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B だが、私はこの絶望を克服できる希望、解決策があると信じています。
 どうするか、どう生きるか。1パーセントの希望を近々語り始めます。
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・なるほど1パーセントの希望か。克服法・解決策を次号あたりから語り始めるんだな。
・ずっと四タイプを変えることは難しいと書かれていた。今回も同じなんだろうか。

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C ――とでも書いておかないと、絶望感のあまり生きる意欲をなくされることは私の本意ではありません。世界から戦争や飢餓、分断と宗教的民族的対立がなくならないとしても、1パーセントの希望は捨てたくない。
 パンドラの箱はすでに開けられたとしても、閉じた箱から「私も出してください」と希望がささやくように、本稿にも希望のどんでん返しがある(!)と予告しておきます(^_^;)。
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・これもちょっと大げさだな。生きる意欲をなくすまではないと思うが…。
・それにしても、希望のどんでん返しって何なのだろう。
・確かに世界の戦争や飢餓はなくなることがない。だが、それがない社会が来てほしいと思う。

 そして、前号の表題は「山頂前最後の難所――日本的カーストという絶望」であり、狂短歌は以下。

 〇 美しき伝統 それは上と下 これぞ我らが日本の誇り(?)

 本文は「現代日本身分制度五か条のご誓文」という日本的カーストの実態が書かれています。これらを読んだ感想・つぶやきの例が以下、
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・確かに親子、学校、会社や団体・政党など我々は上と下の意識を持って生きている。
・美しき伝統って宝塚音楽学校の話題から取ったな。ジャニーズ性加害はボスに抵抗できない子供たちの例だ。
・対等の関係などない。この状況を変えられないと思えば、絶望的な気持ちにもなる。
・「なんと素晴らしいカースト国家だろう」など、皮肉っぽい表現が多いなあ。「上意下達」というのも上と下だな。

・だが、これが日本だ。別にカーストと言うほどのことではない。努力しさえすれば、社会で成功できるし、学校はそのための訓練の場と思えばいい。最終的にボスになることは我々の夢ではないか。それが日本の実態だとしても、弱弱しすぎる。もっと強くならなきゃ。
・最後は「1パーセントの希望はある。99パーセントの絶望を99パーセントの希望に変える簡単な方法がある。どうすれば良いのか?」と疑問で終わっている。それは次号から語られるんだろうな。
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 このように賛同される方と批判的な感想を持たれる方に分かれると思います。
 そして、「どうすれば良いのか?」の疑問をもって本文は終わる。

 ところが、後記でちょっとした異変が始まります。
 ここが前号のポイントです。

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D 後記:次号において「日本語そのものがこの身分制度を補強している」ことを語り、最後に「この絶望感を希望に転換する方法」を提起します。
 難問? いえいえ、とても簡単な方法です。
 来週までに考えてください――と言いたいところながら、直ちに結論を書きます(^_^)。
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・おやっ、次号からと思っていたのに、ここでもう解決策が提示されるんだ。
[作者なぜ=どうしてすぐに解決策を書いたのだろうか?]

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E それは上の位置に立つ人が《変わる》ことです。
 上の意識を捨て、下の者と対等を意識して交流する。それしかないではありませんか。
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・なるほど、上の人が変わることかあ。そりゃ確かにそうだろう。
・しかし、解決策などと大見え切った割にはえらい簡単な、あっさりした解決策だな。
・これこそ絶望的な気持ちにさせる提言だ。だいたい、上の人が変わってくれりゃ苦労はないよ。

・上が変わらねばならないという主張だが、そんな必要があるのか。長幼の序とか上の人に敬意を持つのは日本の美しい伝統じゃないか。
・「上の人」に対して「下の者」と書いている。上が下を「見下す」というように軽蔑した感じを出したいのかもしれない。

 そして後記最後が以下、
----------------------------------------
F 子どもと親、児童生徒と先生、下級生と上級生、後輩先輩、年下と年長、恋人、夫と妻、妻と夫。組織や会社の部下と上司。議員の1、2期生と連続当選者。派閥の下とボス。
 全ての上に立つ人が上という意識を捨て、対等を心がける。それしかないと思うのです。
----------------------------------------
・本文全体をまとめて「対等」の大切さを訴えているな。
おやっ、今までは「親と子ども」とか「先輩後輩・上司と部下」など「上の人」を先に「下の者」を後に書いていた。ここは逆転させている。何か意味があるのかな?
[作者なぜ=語句の前後を逆転させたのはなぜか?]

 以上、一読法読者ならつぶやくであろう感想や疑問を例示しました。
 実は前置きと後記を再掲載したのは、後記の疑問・「作者なぜ?」の答えが前置きにあるからです。

 後記における二つの「作者なぜ?」は以下の通り。

(D) 1パーセントの希望となる解決策は「次号より」と書いていながら、どうして後記ですぐに解決策を提示したのか? それも(E)「上の人が変わること」などと誰でも言いそうな、しかし実現不可能な提言じゃないか。

(F) 後記最後の部分で「上と下」を逆転させたのはなぜか?

 Fに関しては「ここで立ち止まってほしい、考えてほしい」との思惑をかなり出した一文になっています。
 この部分文章作成に長けた人なら「ちょっと下手な文章だ」と思った可能性があります。
 例示した親子、生徒と先生〜派閥の下とボスなどは先頭に「下の者」が置かれています。後が上の人です。この場合、次の一文は主語が下の者から書き始めるのが普通です。
 たとえば、「下の者は上の人に対して反抗しよう」とか「下の者は上の人に上下の意識を変えてくれと抗議しよう」とか。ところが、実際は「全ての上に立つ人が上という意識を捨て……」とEの繰り返しになっています(筆者から言うとわざとそのように書いた)。

 これは敢えて妙な数行を書くことで、読者に「なんかへんだぞ」と感じてほしい。「どうしてここは上下の順番を入れ替えたのだろう」とつぶやき、そのわけを考えてほしい――そのような思いから書きあげた文章なのです。

 この答えが前置きABCにあります。
 ただ、試験問題として解こうとするなら、この答えを《原文を読み返す》ことで考えるのは時間の無駄。重要部分や語句に傍線を引き、つぶやきを書き込んでおいて、そこを読み返すのが一読法。すると、D「作者なぜ?」の答えに到達します。

 以下ABCの「つぶやき」部を再掲すると、

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・千尋の谷とか、峻険な崖とか大げさだ、オーバーじゃないか。
・一体、どんな内容なんだ? 読んで暗い気持ちになるのはいやだなあ。
----------------------------------------

----------------------------------------
・なるほど1パーセントの希望か。克服法・解決策を次号あたりから語り始めるんだな。
・ずっと四タイプを変えることは難しいと書かれていた。今回も同じなんだろうか。
----------------------------------------

----------------------------------------
・これもちょっと大げさだな。生きる意欲をなくすまではないと思うが…。
・それにしても、希望のどんでん返しって何なのだろう。
・確かに世界の戦争や飢餓はなくなることがない。だが、それがない社会が来てほしいと思う。
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 おわかりでしょうか。後記のDEFは読者がつぶやくであろう、このような感想・疑問に対して筆者(である私)が補足したり反論した部分なのです。
 よって、DとFの「作者なぜ?」に関してはこのつぶやきの中に答えがあります。「次号より克服法・解決策を語る」と書きながら、直ちに結論を書いたわけ。しかも、それは(E)「上の人が変わること」など誰でも言いそうな答えを提示した理由。

 なぜ後記で直ちに解決策を提示したのか。
 もしも読者が前号を読んで絶望を感じたなら、一週間それに浸って暗〜い気持ちで毎日を過ごすかもしれない。それは筆者の本意ではない。ここは「すぐに解決策を示そう」、そう思ったからです。

 そして、その解決策が読者を失望させることも筆者はわかっています
 読者が「上の人が変わること」との解決策を読んで、「なーんだ」と思い、「そりゃ不可能だ」と感じたとしても、私は意に介さない。なぜなら1パーセントの希望だと断っているからです(^.^)。

 親や学校の先生、上級生、(自分が上だと思っている)友人、恋人、夫婦。会社の上司、政党・組織の上役、ボス。彼らが自分を変えようと思い、変えてくれる確率は1パーセントくらいしかない(であろう)と語っています。

 そうなると、読者はさらなる絶望感にとらわれる
 前号を読んだ翌日、学校や職場に行けば、正しく周囲は上の意識を持って自分に迫る人ばかり。うんざりしてもっと深い絶望を感じる……かもしれない。
 つぶやく言葉は「これこそ絶望的な気持ちにさせる解決策だ。だいたい上の人が変わってくれりゃ苦労はないよ」であろうと(^_^;)。

 そこで私はもう一つ、さらなる絶望感を払拭できる解決策というか、考え方を提示したいと考えました。それがFを追加して「上と下の語順を入れ替えたこと」です。

 これによって「1パーセントの希望が2から3に増え、やがて10から50に増え、90に達する可能性がある」ことをほのめかしたのです。

 ここで読者のつぶやきが聞こえます(^.^)。
「意味不明。どーいうこと? 上下の語順を入れ替えただけで、どうしてそんなことが言えるんだ?」と。

 難しいと思います。それでも「自力で考えてみよう」と言う読者のために、またも空白の数行を設定します。

 もう一度Fを再読すれば、わかるかもしれません。
----------------------------------------
F 子どもと親、児童生徒と先生、下級生と上級生、後輩先輩、年下と年長、恋人、夫と妻、妻と夫。組織や会社の部下と上司。議員の1、2期生と連続当選者。派閥の下とボス。
 全ての上に立つ人が上という意識を捨て、対等を心がける。それしかないと思うのです。
----------------------------------------









 では答えです。
 もしも上級生や先輩、親とか会社の上司、組織のボスが宇宙人か地球外生命体(の人型アンドロイド)だったら、99パーセント変えることは不可能でしょう。

 だが、みんな人間です。人である限り、彼らは突然親になったり上司やボスになったりするわけではない。みんな人の赤ん坊として生まれ、幼児を経て学校に行く。小学校では最下級生から始まって最上級生の6年生になる。が、中学校では再び最下級生に落ちる。そして中2、中3と上がっていく。高校以上も同じ。社会に出れば、今の上司もボスも新採用の新人からスタートした。政党の議員も初当選の1年生議員からスタートした。そして、幹部となりボスとなった。

 つまり「親と子ども、先生と児童生徒」の言葉は上下関係を表しているけれど、「子どもと親、児童生徒と先生」はその順に成長することを表現している。子どもが成長して結婚・パートナーを得て子どもを産めば親になる。学校の先生は誰でも児童・生徒・学生時代を経て先生になる。全てそう。

 これは何を意味するか。
 要するに、上の人はみんな下の者として生きてきた経験を持っているということです。

 下の者だったとき、我慢したことがあった。上への反発があった。自分だったらこんなことはしないとか、自分だったらこうするといった思いを抱いて生きてきた。だからこそ下の者の気持ちがわかるはず

 ならば、変えることはできる。上の人が「上位の意識をもって下の者と接することは良くない。対等の気持ちを持って接することだ」と感じることができるはず。

 私が後記に書いた解決策は「上の人が変わってくれる可能性なんぞ1パーセントもない」と感じたかもしれません。
 いやいや、そんなことはない。上の人が下であったときの感情さえ思い起こしてくれれば、下の人と対等に付き合える。それはやがて50パー、90パーに達する上の人を生み出すことができる。その思いを表現したのです。

 日本の身分制度五か条のご誓文は決して千尋の谷ではない、見上げて登れそうにない絶壁ではない。
 単に山道をちょっとずり落ちたようなもの。ケガさえなければ再び山登りを再開できる。その程度の絶望感なのです。

 どうでしょう。ちょっと明るい気持ちになりましたか?(^_^)

「まーそう言えるかもしれないが、上の人が下の時の気持ちを思い出してくれるかどうか。やっぱり難しそうだなあ」とつぶやいたかも。
 おやおや(^.^)。

 それからもう一つ。私の解説を聞いて(読んで)読者が最後につぶやいた言葉が聞こえます。
どうして前号『後記』にこのようなことを書かないのだろうか」と。

 理由は二つ。一つは前号が「これだけ分長くなる」こと。短くするためには詳しく書かずほのめかしたりするのが執筆テクニックだから。

 もう一つは「あれっとかおやっとつぶやいて立ち止まり、自分で考えてほしい」から。
 今号の内容を前号後半に書き込めば、確かにわかりやすいでしょう。
 たとえて言うなら、私がでこぼこ道をならして平坦にするようなもの。読者はすーっと通り過ぎていきます。つまり、頭に残らない(^.^)。
 道がでこぼこのままだったら、歩くのは大変。山登りの道は歩きづらい分とてもよく覚えています。つまり、道が悪いほど頭に残る。私はわざとつまづきやすい道をつくっているのです。

 再度書きます。下手な文章、めんどくさい文章に見えるのは「一読法」実践のためであり、すなわちこれは読者への愛なのです(^_^;)。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:さすがに今号の「後記」はございません。次号は予告通り「日本的カーストを補強する日本語」について語ります。日本語の上下意識として有名なのは敬語。だが、敬語だけではありません。


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