『続狂短歌人生論』42 執筆意欲が失われた1月…(-_-)


○ 執筆の意欲なくしたそのわけは 元日能登の大地震ゆえ


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ゆうさんごちゃまぜHP「続狂短歌人生論」   2024年02月07日(金)第42号


 『続狂短歌人生論』42 執筆意欲が失われた1月…(-_-)

 一冊の本を読むことを登山にたとえるなら、読者は前号までに最後の難所を乗り越え山頂に到達しました。今号より「山頂のご来光」と題して『続編』の結論を語る予定でした。が……。

 本稿は週一配信を心がけているので、次の4週分はだいたいひと月前に執筆しています。
 つまり、1月に配信した山頂前の難所二つは年末には書き上げていた。自分を変え、相手を変えようとしたけれど、うまくいかない絶望。日本に蔓延する「上の人と下の者」というカーストの絶望。

 二つの絶望を読んで生きる意欲をなくされては困る。だから、「一読法の復習」を追加して絶望感の軽減をはかりました。「大丈夫。希望はあるよ」と。
 これらを新年1月からメルマガ公開しつつ、同時に2月分の原稿を書く……そう考えていました。

 ところが、年越しを兄宅で過ごし、実家に戻って1週間。そろそろ書き始めようと思って妙な気持ちに襲われました。新年から10日経っても書く意欲が湧かないのです。
 あれっと思ったけれど、意欲が失われた理由はすぐ思い当たりました。
 個人的体験では2006年父が亡くなったとき。書くどころか何もやる気が起きず、回復まで半年かかりました。
 もう一つは2011年。こんなことやってていいのかと思い、楽しいことをやるのに後ろめたさを感じました。それでもこの年『空海マオの青春』を完成させたから、立ち直りは早かったかもしれません。

 本稿は締め切り厳守の必要はない。夏休み同様、何も言わずに冬休みとしてもかまわない。
 書く意欲が復活するまでメルマガを休刊しようかと思いつつ、取りあえず現況を報告することにしました。



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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 執筆の意欲なくしたそのわけは 元日能登の大地震ゆえ

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****************** 「続狂短歌人生論」 ***********************

 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』42 執筆意欲が失われた1月…(-_-) 】

 昨年末構想していた『続編』最終章は以下のような見出しとなる予定でした。

※ 山頂のご来光――四タイプ統合の人格
  なぜ変えることに失敗したのか 43号
  四タイプ統合の人格を目指す 44号

※ どんでん返しの結論 その1 変えることを〇〇〇 45号

※ どんでん返しの結論 その2 □□□の訓練を積め(^_^;) 46号

 (空欄ヒント…〇〇〇はひらがな三文字、□□□は漢字三文字)

 大まかな内容はできあがっているので、本年1月中に細部を推敲しつつ書き上げる。
 そして、2月から最終章を順次公開してようやく『続編』にエンドマークを打つ……。
 それを予感して年越しの気分は「るんるん(^_^)」てなもんでした。

 ところが、1月半ばになっても執筆意欲が湧かないので参りました。
 パソコンの前に座ってもメルマガ原稿を開く気になれない。だらだらと他の下書きを眺めたり、ネットコラムを読んだり、好きな音楽をぼーっと聞いている。

 実は上記「山頂のご来光」の部分は前著『狂短歌人生論』の下書きにあります。「四タイプ統合の人格を目指す」とは下書きの結論でした。
 なので、この部分はやろうと思えばすぐにできるし、苦労なく公開版まで完成させることができます。意欲が薄れてもここは何とかなる。

 しかし、「どんでん返しの結論」1・2は前著下書きにはなく、続編執筆中に《思いついた》結論です(^_^;)。よって狂短歌もこれからだし、新しく原稿をつくらねばならない。これはそう簡単ではありません。
 頭の中ではほぼできあがっているけれど、それを文章として引き出すにはあるものが必要です。
 あるものとは「書くぞ、書き上げるぞぉ!」という《意欲》です。

 それが新年から1週間経ち、10日経ち、2週間が過ぎても意欲が湧きません。
 あれっと思いました。

 年末までは意欲満々でした。2023年中に起こった世界や日本の事件、出来事を取り入れつつ、ある種の怒り、憤りをもって執筆してきた。各号が長くなったのは意欲たっぷりであったことを表しています。
 そのうち「なぜ前著との間が空いたのか、なぜ今年(23年)続編を書いているのか」そのわけも気づきました(これは続編最後の「後記」で披露する予定です)。

 ところが、1月になって突然書く意欲が消えました。萎えたと言った方がいいかもしれません。
 疲れがたまると、なんとなく元気が出ない。やる気が起きないのと似ています。「よーし書くぞぉ」と思えない。ちょっとした危機発生です。

 ただ、こういうとき私はあわてません。
 執筆意欲がまた沸き起こるのを待ちます
 何かが「休め」と言っているなら――休んだ方がいいかなあと感じたときは休みます(^_^;)。

 本稿は別に締め切りがあるわけでなし。以前夏休みで休刊したように「突然ですがお休みします」とやって構わない。読者から文句も不満も出ることはない……からです。

 現に小説『空海マオの青春』は書き終えるまで7年かかりました。完成してからメルマガ公開したけれど、執筆に行き詰ると休み、復活すると書きつなぎ、また行き詰ると……を繰り返したからです。
 そして、『空海論文編』は2013年5月に書き始め、こちらはメルマガ公開しつつ執筆したので、前編終了までに6年。19年2月に(第55号)中断していつの間にか5年も経ちました。あらまー(^_^;)。

 読者各位は「そんな状態で執筆意欲が再燃するのか」と質問するかもしれません。
 本を読むことを登山に例えるなら、筆者にとって一つの作品を完成させることも登山に似ています。なんとなく筆が進まなかったり、「下手な文章だなあ」と嫌悪感が湧く。おそらく急坂の難所に来たということでしょう。小説家としての気持ちを語るなら、「生みの苦しみ」でもあります。

 余談ながら、学生時代から二十代にかけていくつか小説(習作)を書いていました。エンドマークを打てない、完成させられない生原稿がいくつもあって筐底(きょうてい)に仕舞われています。

 しかし、母が亡くなった年から本格的に習作を書き始め、3年後「作品にエンドマークを打てる」自信がついたとき、教員をやめて執筆活動を始めようと決意しました。
 それ以後時間はかかっても必ずエンドマークを打つことができています(自信を持てるようになったのはたまたま集まった文芸部新入生との深い交流があったから。この詳細はいつか語ります)。

 今思えば、何か事故や大病で人生のエンドマークを打っていたかもしれないのに不思議です。
 どうやら大いなるものは「作品を未完のままで終わらせるな。それまでは生かしておいてやる」と考えたようです(^_^;)。もっとも、いつ見放されることか。覚悟はしています。

 年末年始の数日間、私は兄の自宅で過ごしました。兄夫婦と姪一家(10歳と5歳の子ども二人)の7人で新年を迎えたわけです。
 姪は二人で彼女らが子どもの頃、つまり私と兄の両親が生きていたころは田舎の実家に計7人が集まりました。父と母、独身の私と兄一家です。

 それから数十年経って(母の死後)正月は兄の自宅で迎えることになり、それが30年近く続いています。この間兄夫婦には孫ができて祖父母となりました。
 ちなみに、もう一人の姪が参加すれば8人ですが、彼女は遠方で暮らし、事実婚状態で帰省しないので、兄宅に集まるのは7人というわけです。

 これだけ書けば、狂短歌も含めて私の執筆意欲が萎えた理由がおわかりと思います。

 1月1日、能登半島で震度7の大地震と津波が発生。翌2日には羽田空港で日本航空の旅客機と海保航空機の衝突炎上。衝突事故は海保が被災地へ救援物資を輸送するための航空機だったから、二次災害と言えるでしょう。私はこのニュースを兄宅で知りました。

 1月3日実家に戻って10日(水)発行予定だったメルマガ37号を4日に前倒ししてこの件と見舞いの言葉を書き、(語弊ある表現ながら)記述はこれで終わりとするつもりでした。そして、2月以降の原稿執筆に取り掛かるべく、毎日パソコンり前に座りました。

 ところが、先ほど書いたように意欲が湧きません。ニュースやワイドショーは連日被災地の情景を報道しています。阪神大震災とか東日本大震災ほどの被害ではない。津波も一部にとどまっていたことが徐々に判明します。

 しかし、家屋の倒壊は激しく、輪島では朝市の場所が焼け野原になっていました。何より多くの人がこの寒い時期に断水、停電、ガスもない自宅や避難所で暮らさねばならない。道路が崩壊して陸の孤島となった半島部では食糧・物資も行きわたらない。自衛隊は灯油や食料を背負って孤立地区に徒歩で向かっていました。

 年越しを家族・親族で迎えるのは田舎の伝統とも言えましょう。
 31日はみんなでテレビの紅白を見て「ゆく年くる年」で除夜の鐘を聞く。0時を過ぎると近くの小さな神社に初詣に行く。私も子どものころから父母の死まで同じような大晦日でした。翌日大地震が起こるなどと誰が想像しましょう。

 ところが、現実はめでたいはずの元旦の夜、まだ集まっている家族・親族の家を大地震が襲い、家が倒壊して一気に避難生活となる。生き埋めとなった家族・親族の死を知らされる。

 特に悲惨の一語は11人の家族・親族のうち10人が亡くなり、一人だけ生き残った50代の男性の場合。妻と妻の両親、子ども4人の7人、親族3人が生き埋めとなって失われました。子どもたちはこれからが楽しみな20歳前後の4人でした。

 また、妻と子ども3人、義母を失った40代の男性。子どもは11歳(女の子)、9歳と3歳の男の子。かわいい盛りであることは遺影を見ればわかります。
 彼らも妻の実家に帰省中でした。警察官の父は直前のやや大きな地震で外に出て周辺を見回っていたため難を逃れました。

 告別式で父は「助けてあげられなくてごめん」と言い、「成長を見守りたかった」と絞り出すように語っていました。おそらく一緒に死にたかったと思ったのではないでしょうか。かけがえのない時間、かけがえのない家族を一瞬で失ってしまう。不条理ではあるけれど、災害はいつどこで起こっても不思議ないと改めて思い知らされました。

 告別式の様子がユーチューブにありましたのでご覧になってください。
これからはずっと一緒――能登半島地震で妻と子ども3人犠牲 4人に“最後のお別れ”」(FNNプライムオンライン)

 1月中旬テレビ報道を見つつ、『続狂短歌人生論』結末を迎えて私の手ははたと止まりました。
 思ったことは「絶望」という言葉の意味するところ。その言葉が持つ《感情》です(正しくは「語感」)。

 37号と38号の見出しは以下の通り。
 第37号「変えることに失敗――あなたを襲う悲喜劇と絶望」
 第38号「山頂前最後の難所――日本的カーストという絶望」

 自分を変えることに失敗し、相手を変えることに失敗する。それは悲喜劇であり、絶望でもある。
 また、「上の人と下の者」意識、日本的カーストという絶望も語りました。

 これらは「99パーセントの絶望」と書いたものの、おそらく読者各位は「99パーセントはオーバーだ」と感じたことでしょう。もっと絶望的な状況と比べれば――たとえば、ロシア、ウクライナ間の戦争、ガザの戦場。そして、能登半島の大地震。

 不幸中の幸いとも言える1パーセントの希望は日航機の乗客乗員が全員助かったこと。しかし、海保機の乗員は6人中5人が亡くなりました。ウクライナやガザでは1パーセントの停戦、終戦の希望すら感じられません。

 当事者の重すぎる絶望と比べれば、家族、友人、恋人、学校や職場の人間関係における「絶望」など、所詮平和な世界のぜいたくな絶望に過ぎない……そう思って書き続ける意欲が失われたようです。

 さて、どうしよう。
 読者各位は1月配信のメルマガを読んで気づいたかどうか。
 以後公開した「一読法の復習」(39号)、「日本的カーストを補強する日本語」(40号)、そして前号「一読法の復習――の復習」(41号)まで、その中に突如発生した1日の能登半島地震、2日の航空機衝突炎上の件は全く書かれていません。

 ここは筆者ならではの説明が必要で、表面上書かれていなくても、それを受けて表現が微妙に変わる。それさえ「ない」という意味です。
 ある意味当たり前の話で、先ほど書いた通り、過去の5節は年末までに書き上げ、1月はそれを修正しないまま公開に踏み切った。だから、変化や言及がないのは当然なのです。
 このことを痛切に感じたのはもちろん読者より筆者の私です。

 以前も書いたように、私はメルマガとホームページの公開前に原稿の最終チェックをして、公開後また作品を読みます。下書き段階から完成形までおそらく十数回読むでしょう。
 1月に次の分の原稿を書こうという意欲が萎えた理由にはこの再読のせいもあります。

 12月までの続編原稿には同年発生したもろもろが、世界の戦争、自然災害も含めて作品に含まれている(そのつもりで書いている)。ところが、1月発行メルマガには能登半島地震と航空機衝突の件は《ほのかにも》入っていない

 このことに気づいたのが1月半ばと言うよりつい最近だから、もう過去には戻れません。あきらめるしかなく、敢えて言えば、最終決定稿となる「御影祐のごちゃまぜホームページ」において改稿するかもしれません。

 しかし、結末部には元日、二日の稀有なる出来事を(直接でも間接でも)取り入れないわけにはいかない。そのためには萎えた意欲の回復と合わせて時間が必要……かくして今号「執筆意欲が失われた1月…(-_-) 」へとつながります。

 取りあえず、読者に執筆意欲が失われた現況をお知らせすることにしました。
 そして、しばらく休刊したいと思います。意欲の復活を待ち、続編最終章にどう取り込むか、考える時間が必要だからです。

 幸い意欲は復活しつつあります。本号がここまで長くなったことがその表われです(^_^;)。

 あとはいかに書くか。おそらく2月中には配信できると思います。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:というわけで暫時休刊いたします。余談ながら「意欲の復活ってどうしているのか」と聞きたいかもしれません。

 基本は休むことです。身体と心が「休め」と言っている(かもしれない)。ならば、休もうと。
 これは仕事や学校を休んで「家で寝ていよう」という意味ではありません。そこまでいくと鬱病の可能性があり、診察が必要かもしれません。それほどではないけれど、何だか元気が出ない、やる気が起こらない場合の話。休ませるのは身体以上に心かなと思います。

 次には(私の場合)何かの偶然を待ちます。自分を奮い立たせてくれるような人との出会い、思わぬ出来事を期待するわけです。

 2006年1月父が亡くなった後私は東京に戻ってすぐにでも執筆活動に復帰できると思いました。ところが、喪失感はかなり大きくなぜか元気が湧かず、執筆もやる気になれない。実家に戻っても迎える人はなく、もはや父と一緒に出掛けることもない。そう思ってよく涙がこぼれました。

 そのころ近くの鎌倉古道を散歩中、落雷によって切断した木を発見しました。皮ははげ白木となって引き裂かれたように折れていました。それを見て「ああ自分の心はこれと同じだ」と思い、無理せず休むことにしました。
 しかし、なかなか期待する何かは起こらず、9月はどん底の気分でした。それが10月初め突然の僥倖があって一気に復活しました。そして、『狂短歌人生論』の執筆、翌2007年の出版へとつながります。このへんのこともいつか語ります。

 ―― 追 記 ――
 文中以下の部分にリンクを張っています。
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 告別式の様子がユーチューブにありましたのでご覧になってください。
これからはずっと一緒――能登半島地震で妻と子ども3人犠牲 4人に“最後のお別れ”」
(FNNプライムオンライン)
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 3月末この動画は「視聴不能」となっていました。
 お父さんが子供や奥さんのことを涙ながらに語る場面はとても感動的で、それゆえ読者に紹介したいと思ったのですが……残念です。


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