四喜八喜の人生


○ 四苦八苦 悩みばかりの人生と 嘆かず見ようよ四喜八喜


本 文 | 狂歌ジンセー論トップ トップ | HPトップ|





ゆうさんごちゃ混ぜHP「狂歌教育人生論」        2004年 2月 4日 創刊号

 (^_^)今週の狂短歌(^_^)

1 四苦八苦悩みばかりの人生と嘆かず見ようよ四喜八喜

 (^O^)ゆとりある人のための15分エッセー(^O^)  

四喜八喜の人生

 人生について考えていたとき、ちょっと面白い親父ギャグを思いついた。
題して「四喜八喜(しきはっき)の人生」――もちろん有名なことわざ「四苦八苦」の逆パターンだ。

 四苦八苦とは人がとても苦しいとき、一生懸命がんばっているときによく使われる言葉である。しかし、この四字熟語は仏教本来の意味を持っている。

 それはまず人が抱える四つの苦しみ――「生老病死(しょうろうびょうし)」の四苦を根本として、さらに次の四つの苦しみを言う。

 第一に、愛別離苦(あいべつりく)
 第二に、怨憎会苦(おんぞうえく)
 第三に、求不得苦(ぐふとっく)
 第四に、五蘊盛苦(ごうんじょうく)

 生老病死の四苦と、この四苦を合わせて「四苦八苦」と呼んだ。

 生老病死の四苦とは――生きる苦しみ、老いる苦しみ、病気になる苦しみ、そして、死ぬ苦しみの四つ。正に人間の不安と恐怖、悩みと苦しみをずばり言い得て素晴らしい(?)言葉だ。

 だが、私は思う。人生とはそれほどまでに苦しみの連続なのだろうか。つらくて苦しいことばかりだろうか。
 むしろそれを逆に言うことができるのではないかと。
 そんなときにふと「四喜八喜(しきはっき)」の言葉が浮かんできた。
 人生における四つの喜び、さらに四つの喜び……。

 まずは生老病死(しょうろうびょうし)の喜び(^_^;)について。

 第一に生きることの喜び――人生には自然の美しさに触れ、人の温かみや人情、優しさを感じつつ充実して生きることの喜びがあるのではないか。
 第二に老いる喜び――年を取ってようやくいろいろなことを味わえるようになった。食べることや遊びに仕事――若い頃はただがむしゃらに「食べる」だけだった。年を取るにしたがって味わえるようになった。そして、長老として後輩や若者達を見つめる喜びがあるのではないか。
 第三に病気になる喜び(?)――病気になって初めて、励ましたり心配してくれる家族や友人がいることに気づいた。病気になって痛い目をみて、やっと自分の生活習慣が変えられた。病気になって初めて弱い人の気持ちがわかるようになった。それは病気になることで得られる、新たな喜びではないだろうか。
 第四に死ぬ喜び(?)――死とは現世を離れ、違う世界へ旅立つことへの期待感……ではないか。ある作家は人が永遠に生き続けることの苦痛を描いている。いつかピリオドが打たれるからこそ、限りある人生が光り輝く(^o^)

 最後はかなりこじつけ臭いと言われそうだ。しかし、私はあえて「生老病死」とは四つの喜びではないかと言いたい。
 そして、もっと言うなら厳密には四苦と四喜は五分五分であると思う。
 つまり、生老病死とは四つの苦しみであると同時に、四つの喜びでもあるのだと。
 もちろん四喜の前提として飢えがなく、戦争がなく、奴隷ではなく、迫害を受けない世の中である必要があるだろう。

 さて、それでは愛別離苦をはじめとして、さらに四つの苦しみを四喜とこじつける方はどうだろう(^_^)。

 第一に愛別離苦(あいべつりく)――確かに愛する人と別れ、離れなければならないことはつらい。が同時に、別れがあるからこそ新たな出会いがある
 愛する親が死ぬことは悲しい。だが、もはや自分を束縛する根源はいなくなる。愛する伴侶、愛する子どもが死ぬことはもっともっと悲しくつらい。だが、残された自分に課されたものに気づけば、そして悲しみを乗りこえることができれば、自分が生きて残された意味を悟り、違う人生を歩き始めることができる。

 第二に怨憎会苦(おんぞうえく)――人はどこかで怨(うら)み憎む者と会わなければならない。それはいやなことだし、心は不快感と嫌悪でいっぱいになる。そいつに頭を下げなければならないときは、もっとつらくて苦しい。
 だが、離れ小島で一人暮らしてみればすぐにわかる。ひとりぼっちで人恋しいとき、あんな奴でもそばにいたらと思うかもしれない。無人島でうらみ憎むやつと二人置き去りにされたとき、その人と暮らしてみて相手を誤解していたことに気づいたりする。
 どこに行ってもいやな人間はいる。だが、周囲の人間全てがそうではない。怨憎会苦(おんぞうえく)の裏には「尊愛会喜(そんないえき)」がある。それは愛し尊敬できる人と出会う喜びだ。
 その人と一緒にいると心が落ち着き、楽しくなれる。そのような人と出会う喜びが人生にはある。自分の過去を振り返ってみたとき、あの人と出会ったからこそ今の自分がある――そう思える人と出会う喜び。それはこの人生にしかない。何て素晴らしいことかと思う。

 第三に求不得苦(ぐふとっく)――求めて得ることができないのは確かに苦しくつらい。物質的なものであれ、精神的なものであれ、我々にはほしいものがたくさんある。
 だが、「限りないものそれは欲望」という言葉もまた真実。求めるばかりで満足を知らないと、その苦しみは死ぬまで永遠に終わらない。
 大切なことは「知足(ちそく)」――足るを知ることではないだろうか。
 足るを知れば、求めて得ることのできない苦しみはその途端に喜びに変わる。ああこれを得ることができた――その喜びが心からわいてくる。
 何かを求めて生きてきた。ここまで生きて獲得したものがある。取りあえず立ち止まって振り返ってみれば、自分はなんと多くのものを手にしただろうとわかる。

 しかし、知足と求めることをやめることは違う。知足しつつ、なお求めていいと私は思う。
 求めることが人に生きることの張り合いを与えてくれるからだ。求めること自体は苦しみでも悪いことでもないはずだ。知足できないことが苦しみを生むのだ。
 求めて得ることができないと苦しみ悩むのではなく、「知足得喜(ちそくとっき)」――足るを知って得る喜びこそ大切なことではないだろうか。

 そして、最後に五蘊盛苦(ごうんじょうく)――五感(五官)が盛んであること。これはもう苦しみでも辛さでもない。ものすごい人間的感情であり、生命の高らかなる賛美の表現だ。それは五蘊盛喜(ごうんじょうき)と言うべきだろう。
 苦しみや悲しみ、自分の痛みと人の痛みを感ずることのできる人。それこそ五蘊(ごうん)が盛んである証拠ではないか。逆に痛みを感じない人。鈍感にして無神経な人間こそ、強い人と思われているが、やせ細った心の持ち主ではないか。
 傷つくことのできる人、人の痛みを感じることのできる人こそ素晴らしい。五蘊盛喜(ごうんじょうき)――五蘊(ごうん)が盛んであることは喜び以外の何ものでもない。

 四苦八苦の裏面には四喜八喜(しきはっき)がある――私はそう思う。
 いや、表が喜びで、裏が苦しみと言ってもいい。
 そして、苦しみを表に出すか、喜びを見いだして表に出すか。それはその人の生き方しだいだと思う。

  ○ 四苦八苦 悩みばかりの人生と 嘆かず見ようよ 四喜八喜

  ○ 苦しみと悩みを超える四喜八喜 生老病死に喜びを見る


次 へ

*********************************
 (^.^)忙しい人のための2分エッセー(^.^)

 四喜八喜(じいちゃん風に)

 おっほん、四苦八苦とはじゃな、仏教用語で言う四苦+四苦=八つの苦しみのことじゃ。それはまず生きる苦しみ、老いる苦しみ、病気になる苦しみ、そして死ぬ苦しみの四つじゃ。みな覚えがあるのう。うまく言ったもんじゃて。
 さて、生きていくには、さらに四つの苦しみとも闘わねばならん。愛する人と死に別れるつらさ。毎日毎日いやな奴と会わなきゃならんし、ほしいものは手に入らん。つらつら考えてみるに、どうして悩みや苦しみから逃れられんかと言うと、それは苦しみ痛みを感ずるこの心があるせいじゃ――と感ずる四つの苦しみ。それを合わせて、仏さんは四苦八苦と言うたわけじゃな。
 だがのう、人生とはそれほどまでに苦しみの連続なんじゃろうか。それを逆に言うことだってできるんじゃなかろうか。
 例えばじゃ、生きていてああ良かったと思える喜び。誰でもあるんじゃないかのう。年をとってようやくものごとがじっくり味わえるようになる喜び。若い頃はただもう食うだけじゃった。病気になったり心が落ち込んだ時、初めて家族や友人がいるありがたさがわかった。そして最後に生命時間を全うしたときは、他の世界へ行く喜びがあるかもしれん(^_^;)。
 さらに生きていく上で起こる四つの苦しみ。それを喜びと取る方はどうじゃろう。別れがあってこそ新しい出会いがある。愛する人と死に別れるのは確かに辛く苦しい。じゃが、その悲しみを乗りこえられれば、自分が生きる意味がわかるし、生きることの大切さを実感するじゃろう。
 それに人生はいやなやつばかりじゃない。愛し尊敬する人と出会う喜びがあるではないか。いろいろなものをほしいほしいと嘆く前に、ここまで生きてきて得たものがある、と振り返ってみなされ。得たものに気づけば、足るを知る喜びが湧いてくるじゃろう。
 そして喜びや楽しさを感じるものこそ心じゃ。自分の痛みと人の痛みを感ずるのも心。そんな心を持っている人こそ素晴らしい。五感が盛んであることは喜び以外の何ものでもないじゃないか。ある出来事をただ苦しみばかりと取るか、その中に喜びを見いだすかは、本人次第じゃと思うんじゃ。
 四苦八苦とは四喜八喜ではないじゃろうか(^O^)。

  ○ 四苦八苦 悩みばかりの人生と 嘆かず見ようよ 四喜八喜

  ○ 苦しみと悩みを超える四喜八喜 生老病死に喜びを見る


=================================
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記 : 本日より創刊号開始です。ちと宗教的じゃな……と思われるかもしれません。しかし、私は平均的日本人がそうであるように無宗教を自覚しております。何かの宗教に連れて行こうという意図はありませんのでご安心を。私のホームページの1「混沌(こんとん)」コーナーをご覧になれば、このメルマガ「狂歌今日行くジンセー論」や『ゆうさんごちゃまぜホームページ』の製作意図がおわかりいただけるかと思います。(御影祐)

=================================


次 へ
ページトップ





狂歌今日行くジンセー論 トップ

HPトップ



Copyright(C) 2004 MIKAGEYUU.All rights reserved.