天職について


○ 天職と数十年後に悟るのか転職通じてつかむのかはて?



|本 文 | 狂歌ジンセー論 トップ | HPトップ|





ゆうさんごちゃ混ぜHP「狂歌教育人生論」        2004年 2月11日 第3号

 (^_^)今週の狂短歌(^_^)

3 天職と数十年後に悟るのか転職通じてつかむのかはて?

 (^O^)ゆとりある人のための15分エッセー(^O^)  

天職について

 最近のメールで、教え子だったAさんとB君のメールが心に残っている。
 ともに現状の悩みを記していた(-_-;)。

 Aさんは今年大学三年生。ただ読書にふけるだけの日々に対して、こんなことでいいのだろうかと悩みをうち明け、学生のままでいたい、就職活動なんかしたくない、と社会に出ることへの不安を訴えていた。
 一方、社会人として中堅のB君は心身の疲労で鬱(うつ)気味らしい。彼は不景気リストラへの不安を抱え、心療内科の薬を手離せないと語る。
 B君は高校時代地方公務員希望だった。それなのにメーカーの技術畑に入ってしまった。その選択が誤っていたのでは――との疑問さえ口にしていた。

 Aさんの悩みは昨年来続いている精神的「はしか」(私も昔かかった)の悩みと言っていいだろう。いわばモラトリアム時代におちいりがちな悩みであり、頭の中の堂々めぐりだ。しかし、これに対して私はテレビを見ていてたまたま一つの答えを発見した(^_^)。

 その番組は暴走族の初日の出暴走について報道していた。
 関東の暴走族は大晦日深夜から元日にかけて富士山を目指して高速道路に集結する。今年は警察の取り締まりが厳しく、例年に比べ低調だったらしい。
 テレビは検問にあたるY県警の女性警官(22歳)を特に取材していた。
 彼女は普段交番のおまわりさんの仕事をしているらしい。それが今回元日取り締まりの検問係りを命じられた。検問の相手は暴走族のあんちゃん達。最初は自分が女性と言うことで、「戸惑いがあった」らしい。口に出していなかったが、怖さや不安もあったろう。
 しかし、彼女は検問という仕事を無事こなした。
 検問終了後彼女にインタビューが行われた。
 彼女は「停止誘導していて車と接触しかけた。もっと検問のことを勉強しなければと思った」と述べた。来年も命じられたらこの検問に来ますかと聞かれて「もちろんです。来年は検問がもっとうまくうまくできるようがんばりたいと思います」と答えていた。

 22歳の年齢から考えると、彼女は短大卒で警察官になったのかもしれない。優等生的な答え方かもしれないが、私は彼女の言葉に感心した。
 外から見ると(失礼だけど)警官の検問なんか大した仕事ではないだろうと思いがちである。しかし、彼女は検問の難しさを感じ、もっとうまく検問ができるようになりたいと語っていた。
 私は仕事への取り組み方として素晴らしいと思った。あるいは、警察官の職は彼女にとって天職となり得る仕事になるかもしれない。

 別の例で言うなら、以前他のテレビで見た、大阪の大食堂飯炊き稼業の熟年おじさんがいる。または、船の巨大鉄板を曲げる仕事をしている、鉄鋼マンの中年男性。その二人を知った時も、天職について考えた。

 飯炊きおじさんの食堂はごはんがとてもうまいと客に評判だ。そのおじさんは毎日飯を炊くことだけを仕事として、もう三十年近くやって来たそうだ。炊きあがったお釜から上がる湯気とつぶつぶのごはん。確かにそれはとてもうまそうだった。ガス釜で炊いているだけなのに、ある種飯炊きの名人芸(?)にまで達しているように見えた。
 おじさんは毎日毎日全く同じ飯炊き仕事をやっている。外から見ると、飯炊きなんて単なる飯炊きでしかないだろう。だが、そのおじさんは言う。「毎日毎日飯のできが違う。日々おいしいごはんを炊くために、反省の連続だ」と。私は素晴らしい言葉だと思った。

 片やある鉄鋼マンの仕事は、巨大船舶の外壁の鉄板を曲げる仕事だ。
 できるだけ大きな鉄板に船特有のカーブをつける。彼は巨大鉄板を曲げることの難しさを語り、それがうまくいったときの喜びや楽しさを語っていた。そして「鉄板は生きている」と言った。
 人から見ると鉄板なんて全く同じものにしか見えない。だが、彼によると同じ固さの鉄板は一つもないそうだ。だから、一つ一つの鉄板の性質を見極め、「慎重にカーブを付けて行く」と語っていた。
 ここでもおそらく難しさや失敗があり、反省があり、うまくいったときの喜びがあるのだろう。それを表しているのが「鉄板は生きている」の言葉だと思う。私はどちらも天職に就いた人の言葉だなと思った。

 ○ 毎日の仕事で出会う難しさ面白さあり反省があり

 こんな話をすると大概の人は言うかもしれない。そんな天職に就けたとはなんてうらやましいことかと。あるいは若い人なら、今の自分にはぜひやりたい仕事が見つからない。また、既に会社勤めを始めた人なら、今の自分の仕事は天職とはとても思えない――そう言うかもしれない。

 しかし、「一食堂の飯炊き稼業」を天職と思って働き始める人はおそらくいないと思う。
 今飯炊き名人と呼ばれるおじさんだって若い頃はそうだったのではないか。それが飯炊きという仕事を続けているうちに、飯炊きの難しさ面白さを見出し、より良い飯を炊こうと思うようになった。その気持ちが飯炊き稼業を自分の天職にしていったのではないだろうか。
 外から見たら、おじさんはただ毎日毎日同じ飯を炊いているとしか思えない。だが、おじさんにとって、今日の飯は昨日と違う炊きあがりであり、もっとおいしく炊きあげるための工夫をする余地がある。そんな飯炊きだったということだ。
 そうして(たぶん)はっと気づいたら、飯を炊き続けて早うん十年経っていたのだろう。

 つまり、何かの仕事に就いたとき、日々これ反省があり、日々これ新しさがある(^O^) ―そんな気持ちで仕事ができれば、その思いがやがて自分の仕事を天職に高めていくのではないだろうか。言い換えれば、天職とは見つかるものではなく、仕事を続けていくことで天職化するものなんじゃないだろうか。
 そして、自分の仕事が天職だと気づくためには、当然全て終わってみなければわからないのだと思う。あの飯炊きおじさんに「飯炊きはあなたの天職なんですね」と言ったとしたら、彼はぽかんとして(・o・)「おめえ、何言うとんねん?」てな顔をするだけだろう。彼がその仕事を全うしてこれで引退と決めたとき、この仕事は自分にとって天職だったと、初めて思えるのではないだろうか。

 つい最近警察官稼業を始めたばかりの若い女性警官。彼女も単なる検問に難しさを覚え、もっといい検問をしようと思ったと語った。その気持ちをずっと持ち続けることができれば、彼女にとって警察官の仕事は天職になるような気がする。
 もっとも、日々これ新たにして日々これ反省なり――の気持ちを持ち続けることが最も難しいことではあるが。

 もう一つ、さらに「もっとも……」の付帯事項を付け加えたい。

 一つの仕事を全うしなければ、自分の仕事が天職とわからないとは言え、だからと言って、私は最初に決めた一つの仕事を数十年続けなさいと言うつもりはない。
 つまり、何らかの仕事に就いたとき、もし逆に「日々これ新たならずして、日々これマンネリズムにして反省なし。より良い仕事をしていこうという気持ちにちっともなれない」としたら、その仕事は変えた方がいいのかもしれない。
 そういう気持ちになれない原因は二つあると思う。本人の感じ方考え方生き方に問題があるか、その仕事や職場に問題があるかだ。特にお笑い系の芸能人なんかは、何度も何度も天職ならぬ転職生活を繰り返し(^_^;)、やっと芸能界に最適の職を見出したと言う人が多い。やはり大切なことは「日々これ新たにして日々これ反省あり」の生き方であり、そんな気持ちになれる仕事を見つけだすことだろうか。


 ○ 天職と数十年後に悟るのか転職通じてつかむのかはて?

 ○ お仕事の難しさより本人の生きる姿勢が問題かもね



*********************************
 (^.^)忙しい人のための1分エッセー(^.^)

 天職について(A嬢、B君、私ゆうの三人問答)

 かつて私の教え子だったA嬢(大学3年生)とB君(企業中堅社員)はともに小さな悩みを述べていた。
A嬢「学生のままでいたい。就職活動なんかしたくないんです」
B君「最近欝(うつ)気味なんです。不景気だしリストラが不安です」
ゆう「あるテレビ番組を見ていて天職について考えたよ」
AB「天職?」
ゆう「うん。初日の出暴走で初めて検問の仕事をやった新米女性警察官。船の巨大鉄板にカーブをつける仕事の中年鉄鋼マン。そして、大食堂で飯炊きを続けて?十年の熟年おじさん。この三人には共通した特徴があった。若い女性警察官は「検問は難しい、もっと工夫したい」と言い、鉄鋼マンは巨大鉄板を曲げる難しさと楽しさを語りながら、「鉄は生きている」と言った。そして、飯炊きおじさんは「昨日と同じ飯は一度もない。日々これ反省の連続だ」と語った。私はああ天職に就いた人の言葉だなあと思った」
A嬢「今の私にはぜひやりたいと思える仕事が見つからないんです。そんな天職に就けたらいいと思うけど……」
B君「今の自分の仕事は天職とはとても思えません」
ゆう「でも、一食堂の飯炊き稼業を天職と思って働き始める人はおそらくいないと思うよ。飯炊き名人と呼ばれるおじさんだって、飯炊きという仕事を続けているうちに、飯炊きの難しさや面白さを見出し、より良い飯を炊こうと思うようになった。その気持ちが飯炊き稼業を自分の天職にしたんじゃないかな。つまり、何かの仕事に就いたとき、毎日反省があり、新しさがある――そんな気持ちで仕事ができれば、その思いがやがて自分の仕事を天職に高めていくんじゃないだろうか」
AB「ふーん」
ゆう「つい最近警察官となった新米女性警官だって、単なる検問に難しさを覚え、もっといい検問をしようと思った。もしその気持ちをずっと持ち続けることができれば、彼女にとって警察官の仕事は天職になるような気がするんだ。もっとも、日々これ新たにして日々これ反省なり――の気持ちを持ち続けることが最も難しいけどね」
A嬢「でも、何かの仕事に就いたとき、毎日マンネリで反省もなく、より良い仕事をしていこうという気持ちになれないとしたらどうするの?」
ゆう「もちろん最初に決めた一つの仕事を数十年続けなさいと言うつもりはないよ。もしそうならその仕事は変えた方がいいのかもしれないね。そういう気持ちになれない原因は二つあると思う。本人の感じ方考え方生き方に問題があるか、その仕事や職場に問題があるかだ。特にお笑い系の芸能人なんかは、何度も何度も天職ならぬ転職生活を繰り返し(^_^;)、やっと芸能界に最適の職を見出したと言う人が多いからね」
AB「最後におやじギャグですか!」

   ○ お仕事の難しさより本人の生きる姿勢が問題かもね



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:上記テレビ番組の話は昨年元旦時のものです。「狂歌今日行くジンセー論」の原案は2001年から2003年にかけて書かれたものが多く、これからもしばしば過去の実例が登場します。また1分エッセーは1分にまとめきれませんでした。悪しからずご了承ください(一応1分は努力目標なんで……(^_^;)。(御影祐)

=================================


次 へ
ページトップ





狂歌今日行くジンセー論 トップ

HPトップ



Copyright(C) 2004 MIKAGEYUU.All rights reserved.