分かれ道について [問題編]


○ 小さなことささいなことから学ぶ知惠 分かれ道では未来を見る目



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ゆうさんごちゃ混ぜHP「狂歌教育人生論」        2004年2月25日 第5号

 (^_^)今週の狂短歌(^_^)

5 小さなことささいなことから学ぶ知惠 分かれ道では未来を見る目

 (^O^)ゆとりある人のための9分エッセー(^O^)  

分かれ道について[問題編]

 以下のお話はある年の正月、私が実家に帰省しているときの出来事です。とてもささいな体験から、まるで人生の意味を感得するかのような(^_^;)深い意味を感じ取ったので、それを紹介したいと思います。

 これは前編で問題編の始まりです。

 その日は朝から冬とは思えないぽかぽか陽気だった。前夜雪が降ったが、朝にはからりと晴れ上がった。昼食後私は久しぶりに散歩でもと思い、下の川へ出かけた。
 川岸は思った以上に風が強くてそれほど暖かくなかった。それでも私はのんびりと川を眺めながら、堤防を川下へと歩いていった。田んぼや畑の雪はほとんど溶けていた。

 川は数年前の河川工事で川底が広く削り取られ、コンクリートの堤防が築かれた。だから、川はどこまで行っても箱形となり、私が子ども時代に泳いだ頃の面影は全くなくなってしまった。水のない所は芦やすすきが群生し、水の流れるところは奇妙に曲がりくねっている。川は大岩小岩もなくなり、つまらない渓相(けいそう)になってしまった。

 川や田んぼや山々を眺めながらのんびり歩いていたら、私は思いがけず隣村のトンネル近くまで行ってしまった。そこから先にはコンクリートの堤防がなく、昔の川の面影が残っていた。その先には私の親類の家がある。母方の叔父の家で川のすぐそばに立っている。遠くから見ると叔父が庭でまき割りをしていた。叔父の家はいまだにまきで風呂を沸かすのだ。そして、叔父のそばには飼っている犬が動き回っていた。
 叔父の家までまだ数十メートルはあったろう。ところが、その犬は私に気づいたのか、早くも激しく吠え始めた。犬から見れば私はおそらく不審人物なんだろう。一方、叔父は斧を振り上げてぽーんぽーんと薪割りをしており、私には全く気づいていないようだ。私からは叔父と犬の姿がよく見えた。

 私が行く道は二つに分かれていた。右の道は川の上の県道に出る。左に行けば、川岸をそのまま進んで叔父の家に着く。私は叔父の家に寄ろうかなと思った。数年前の夏叔父が事故で入院したとき、私は見舞いに行った。退院の時は車で家まで送った。叔父はそれが嬉しかったのか、盆踊りの時には焼き肉用の肉を贈ってきた。私はそれ以来訪ねていなかった。しかし、私はそのときなぜか叔父の家に寄るんだったら、仏壇にお参りしようと考えた。そんなに遠くまで散歩するつもりはなかったので、私は財布を持って出なかった。迷ったけれど、お賽銭の小銭がないので私は結局寄らないことにした。

 そこで私は、右側の土手を通って上の県道へ出ようと思った。
 ところが、土手の道は前夜降った雪のせいでぬかるんでいた。そこは数メートルに渡って湿地帯のようになり、浅く水さえたまっていた。私は靴を濡らしそうな嫌な予感がした。左の川沿いの道はそのまま進むと岩だらけの川岸となる。そこを通って叔父の家まで行けば、もちろん靴を濡らすことはない。そして叔父の家の先に架けられた橋を渡れば、向こう岸から県道に出られる。

 私はまた少し迷った。この間ずっと叔父の犬は遠くの私に吠え続けていた。いい感じではなかった。
 私は湿地帯の方に進むことに決めた。そして、数メートルに渡る湿地帯を用心しいしい歩き始めた。しかし、案の定靴を濡らし、なおかつ靴は泥にめり込んで下半分をべっとり汚してしまった。
 ぬかるみを何とか通り過ぎたあと私は思った。左の道を行けばそんな不快にはあわなかっただろうにと。それでも取りあえず、上のトンネル出口の県道に出ることができた。まあいいやと、そこから家へ引き返して歩き始めた。犬の鳴き声は聞こえなくなった。

 するとそのときだ。トンネルからやって来た車から「すみませーん」の声が私にかけられた。
 振り返ると車の運転席から見知らぬ女性が私を見ている。その隣にはその人の母らしいおばあさんが座っている。
 女性は「A茶屋」へ行きたいと言う。もちろん私は民芸小屋仕立てのA茶屋を知っていた。しかし、道順が説明しづらい。私は近くの山を指し示しながら、あの山の裏だとか、広域農道を行くんだといろいろ説明した。すると相手はM牧場までなら行ったと言う。その先十数分も進めばA茶屋である。彼女はそこから引き返してしまったらしい。
「M牧場からさらに行けば、左側にその茶屋があります」と私は教えた。この近辺にはあまり見所がないので、H高原の方まで足を伸ばした方がいい、ということも話した。
 車はUターンして走っていった。
 私は困っている人に良いことをしたなと思って気持ちが良くなった。

 それから、ついでだと思って帰る途中神社へお参りした。お賽銭なしでお参りだけだった。私は傾斜の急な石段を上った。子どもの頃お祭りになると必ずこの神社に遊びに来た。出店が石段の両側にぎっしりと並んでいたものだ。今でも秋祭りは行われているはずだが、あの賑わいはないだろう。正月の神社なのに、境内はとてもさびれた感じだった。
 さらにその帰り道には、亡き母の納骨堂があるお寺にもお参りした。私はここでもお賽銭を持っていない。母にごめんなさいと謝った。ところが、たくさんある納骨箱の中で、なぜか母の墓の前にはお賽銭があった。私は「あれっ? 誰がお参りしたのだろう」と思った。
 父がこの日朝玄米を精米しに出かけた。その自動精米器がこの寺のすぐ近くにある。だから、父がついでに墓参りをしたのだろうと推測した。それからさらに十分ほど歩いて帰宅した。
 帰宅後私は父に墓のお賽銭について聞いてみた。父はお参りしていないと言う。誰だかわからないが、身内以外の人が亡き母の墓参りをしてくれた。私はそう思って何となく嬉しくなった。……

 ……という、ごくごく普通の散歩でした。それだけの話です。
 しかし、私は後日この散歩に(人生における)深〜い意味があったことに気づきました。さて、それはどんなことでしょう?
 これが問題編……って、わかるわけないか(^_^;)?
 回答編は次回メルマガにて。

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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:私は大分県玖珠(くす)郡、九重(ここのえ)町の生まれですが、先週突如として全国版ニュースに九重町の名前が登場しました。それが「鳥インフルエンザ騒動」だから、おいおい(^_^;)……って感じです。私の父も町役場から2キロほどの所に住んでいるので、騒動の様子を聞くことができました。鳥インフルエンザが広まらないよう祈るばかりです。(御影祐)
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