作曲家城之内ミサさんについて


○ 人はみな何か一つの重荷を持つ乗り越えるそのきっかけは?



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ゆうさんごちゃ混ぜHP「狂歌教育人生論」        2004年 4月 7日 第10号

 (^_^)今週の狂短歌(^_^)

10 人はみな何か一つの重荷を持つ乗り越えるそのきっかけは? 

 (^O^)ゆとりある人のための5分エッセー(^O^)  

作曲家城之内ミサさんについて

 ある日の夜珍しく深夜までテレビを見ていたら、作曲編曲家の城之内ミサさんが紹介されていた。
 彼女は四十歳を過ぎたくらいだろうか、大きな瞳がよく動くとても表情豊かな人だった。喋りも若々しく生き生きとしているのに、年相応の落ち着きがあった。一言で言うとかなり成熟した人柄が感じ取れた。

 彼女は「ゲキバン」と言って、ドラマや映画のバックミュージックを作編曲する仕事を中心に活動している。その曲が二、三流されていた。みな素晴らしく、いい雰囲気の曲ばかりだった。その指揮ぶりも歯切れがよく素晴らしいと思った。さすがに私が趣味でやっているパソコン作曲なんぞと違い、一つ抜けたプロの曲だなあと感心した(^_^)。

 彼女は幼い頃から絶対音感の持ち主だったらしい。音楽大学付属中学校へ行った中三のとき、彼女はクラスメイトに無視され、対人恐怖症に陥った。約三ヶ月間不登校で家に閉じこもったそうだ。
 それを救ってくれたのが、当時巨人軍にいた柴田選手だったと言う。どういうつながりかはわからないが、柴田選手が後楽園球場に彼女を招待したらしい。

 彼女は野球には興味がなかった。だから行きたくなかったが、いやいや球場へ出かけた。そして、ライト側内野席に座る。そこで広大な野球場を見渡したとき、彼女はレフト側の人たちがとてもちっぽけに見えることに気づいた。それで自分だって向こうから見れば、小さな存在に過ぎないんだとわかったという。

 その日柴田選手は怪我を負って先発出場しなかった。
 試合の後半、彼は代打で打席に立った。そして二塁打性の当たりを放った。ところが、柴田選手は二塁を回ってもそのまま走り続け、果敢に三塁に滑り込んだ。そして、それを三塁打にしてしまった。
 見ていた観客はもちろん、城之内さんも拍手喝采を送った。そのとき柴田選手は「なんでもないさ」とばかりに、さりげなく立ち上がり、ズボンの土ぼこりを払ったそうだ。
 中学生の城之内さんはその姿を見てものすごくかっこいいと思った。そして、彼女の中から何かが吹っ飛んだ。それ以後彼女は対人恐怖症から立ち直った――と語っていた。

 私はなるほど彼女はやはり負荷を一つ乗りこえていたんだなと思った。そして、その乗りこえた方法はたぶん彼女だけに通用するやり方だったに違いない。他の人には、どうしてそんな単純なことで、と思えるだろう。

 以後彼女は音大を卒業して作曲編曲で活躍した。だが、三十代半ば頃にはフランスの音楽家ジャン・クロード・ブディ氏に出会い自信喪失に陥ったこともあったそうだ。彼女の素晴らしいところはそこでつぶれることなく、フランスに行き当のジャン氏の弟子となったことだろうか。
 司会者はそこで学んだことは何ですか、と聞いた。
 ここで彼女が言った言葉がまた素晴らしい。
「そこでたくさんのことを学んだ。たとえばドミソでも答えは一つじゃない」と答えたのだ。

 彼女は独創性について述べたかったようだが、もう一度同じことを聞かれたときも「答えは一つじゃない」とつぶやくように言った。

 私にはそれが人はみな自分だけに合った答えを探し求めている――というふうに聞こえた。
 どんな境遇の人でも何か一つは重荷を持ち、あるいは心の傷を持つ。そして、それを乗りこえるための答えを探し求めている。彼女はその答えが人それぞれで違うと言っているように思えた。

 人はしばしば自分の重荷と他の人の重荷を比べて、自分の方が重い、悩んだ、苦労したという。
 戦争世代のじいちゃんばあちゃんは「私たちゃあ戦争で大変じゃった。それに比べればあんた方は……」と言い、その子である父や母はわが子に、「自分たちは貧乏で希望しても大学へ行けなかった。それに比べればあなた方は……」と言う。
 確かに今はものが豊富で、自由でなんでも希望が通るかに見える。上の世代はそのような子どもや若者に対して、自分の方が重い負荷を持ったと言いたくもなるだろう(^.^)。
 だが、私はいつの世でも負荷の質は同じだと思う。それは感じ方の問題だから。
 今の子どもや若者が親の世代、祖父母の世代と違って恵まれていると、いちがいには言えないと思う。あるいは、子どもや若者が上の世代以上に様々な負荷を感じ、乗りこえられずに苦しんでいることだって多いと思う。

 そして、その負荷は乗りこえられる必要があるだろう。
 ただ、そのきっかけがいつ来るか、どうやってそのきっかけをつかまえるか。難しいことは当人にしかそのきっかけがわからないことだ。
 きっかけは偶然訪れる事が多い。それをつかむためには、取りあえず一歩を踏み出さねばならない。これがまたなかなか難しい。
 城之内さんの例で言うなら、彼女はたまたま柴田選手からの招待状を受け取った。結果から見れば、それが立ち直りのきっかけとなっていた。
 そのとき行くか行かないか。野球に興味はないし、めんどくさい(?)。行かない選択だってあり得た。
 しかし、そのときの彼女は一歩を踏み出した。もしそれがなかったら、彼女が自分の心の負荷を乗りこえるのはもっと後になっただろう。あるいは、乗りこえられないままであったかもしれない。

 私は誰にも何度でもそのきっかけが訪れるだろうと思っている。大切なことはめんどくさく、いやだなと思っても、取りあえず一歩を踏み出すことだろうと思う。そして、自分だけが納得できる答えに気づくことだ。城之内ミサさんはそのきっかけをつかんだ人だと私は思った(^o^)。

 彼女は中国の演奏者とグループで演奏活動もこなしている。「アジアと世界の架け橋になりたい」とも語っていた。それもまた素晴らしいと思った。


○ 自分だけの重荷を超えるきっかけは必ずどこかでやって来る

○ 一人抱く心の傷をふさぐには偶然のきっかけつかむことだろうか


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:桜の季節とともに初々しい入学・入社のシーズンを迎えました。それは同時に、入学・入社できなかった人のシーズンでもあります。そのどちらにもやがて春の憂鬱が襲います。そのとき落ち込んだ気持ちを立ち直らせる偶然が必ずやってくるはずです。たまたま誰かと出会う、たまたま何か事件や出来事と遭遇する。それをきっかけとして春の憂鬱を乗りこえましょう。ちと宗教的すぎる? いえいえ単にバイオリズムの上昇と下降があるよと言っているだけです。(^_^;ゆう)



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