砂漠に木を植えた日本人


○ 砂漠に木、空想ならば知ってるが 事実となるとただ驚嘆



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ゆうさんごちゃ混ぜHP「狂歌教育人生論」        2004年 5月26日 第17号

 (^_^)今週の狂短歌(^_^)

17 砂漠に木、空想ならば知ってるが事実となるとただ驚嘆

(^O^)ゆとりある人のための5分エッセー(^O^)  

砂漠に木を植えた日本人

 さわやかな風がここちよい5月、樹木の緑が鮮やかです。
 日本は整備された樹木が多く、密林や大砂漠はほとんどありません。これが外国となるとアジア、アフリカなど広大な砂漠が広がっていることはご存じの通り。
 もう2年前のことですが、NHK『プロジェクトX』で砂漠に木を植える実話が紹介されていました。見落とした方がいらっしゃるかもしれないので、ここで紹介したいと思います。
 それは「運命のゴビ砂漠――人生を変えた300万本のポプラ」と題したドキュメンタリーでした。その題名を聞いただけで想像できましたが、内容は予想以上の素晴らしさでした。


 中国のゴビ砂漠――そこは毎年東京都分の面積が砂漠化し、百万人の人々が土地を追われる過酷な地域。日中国交正常化後の1972年。一人の男がその砂漠に木を植えようと決意する。
 その人の名は遠山正瑛(せいじょう→正しくは「せいえい」――「追記」参照)。そのとき鳥取大教授を退官、65歳だった。彼は定年後の人生をどう生きようかと考え、中国の砂漠に木を植えようと決意した。なぜそのような途方もない、無謀と思える計画を立てたのか、私は不思議に思った。

 が、なぞはすぐに解けた。遠山氏は鳥取砂丘の農地化を計画し、日本で初めて砂漠にスプリンクラーを導入、鳥取砂丘の農地化に成功した人だったのだ(^o^)。

 彼がゴビ砂漠に木を植えることを思い立ってから7年後――遠山氏72歳――日本からボランティアを募集し、数十人が現地へ飛び立った。そしてゴビ砂漠にポプラの木を植え始めた。
 番組は何もない砂だけの砂漠に穴を掘り、苗木を植える苦労を映し出す。苗木が枯れたり、羊に食べられたりする。現地の人からはバカな行動だとして理解されない。だが、遠山氏他の日本人ボランティアはひたすらポプラを植え続けた。

 日本人で二人の男性が目立っていた。一人の名は塩田さん。彼は造園業社長で、バブル時代に金儲けのため1日17時間働いていた。そのままでは死んでしまうと言われ、仕事を中断して植樹活動に参加した。もう一人は会社でリストラを断り、本当に窓際に机を置かれた一社員の東条さん。
 目標300万本の植林計画に対し、最初の1年は8000本しか達成できなかった。このままでは完成まで200年かかってしまう。計画は日本人中心から現地中国人を使っての植林へと変わっていく。

 しかし、彼らはやっつけ仕事。地面を浅く掘って植えるので、苗木がすぐ抜けてしまう。そこで奮闘したのが塩田さんだった。現地の人と酒を酌み交わし植林の意義を議論して、中国人作業員をやる気にさせた
 次第にポプラは大きくなる。しかし、枯れるのを防ぐためには、育ち始めた苗木を剪定(せんてい)しなければならない。その仕事をやったのが東条さんだった。
 二人はその活動を経て「大きく変わった」という。そして、困難が起こるたびに皆を励ましたのが発案者の遠山氏。彼は「とにかく植えよう、やり続けることだ」と言い続けた。

 それから約二十年、目標の三百万本が近づいた頃砂漠に大雨と大洪水が起こり、数万本のポプラが流されてしまう。悲嘆にくれ、あきらめかけたボランティアたちを前にして、ただ黙々と植え続けたのが遠山氏だった。
 そして、2001年植林は目標の三百万本に到達した。かつての砂漠地帯は、根付いて成長したポプラの森が広がる緑地となった。三百万本目の植樹式には中国総主席紅沢民氏も来たという。今ポプラの森の中では畑がつくられ、農業が始まっている。

 そのとき九十五歳になった遠山氏が語った。
「考えていいと思ったことはやろう。やらなかったら物事は進まない。そして、一度始めたらやり続けることだ」と。
 アナウンサーが「三百万本を達成してこれで終わりですか」とたずねた。
 遠山氏は「いやいや、まだまだ植え続けます」と答えていた(・o・)。

 素晴らしいと思った。そのような活動を知らなかった自分も恥ずかしいけれど、その活動をやる日本人――ここでもお年寄り――がいたことがまた素晴らしい(^o^)。

 これまで私は宮沢賢治の『虔十(けんじゅう)公園林』、絵本とビデオ『木を植えた男の話』を知っている。どちらも感動の物語だ。しかし、砂漠に木を植えるとは想像を絶している。それを実現した遠山氏はほんとに素晴らしいと思った。そして、世界が進もうとする正しい道筋を示しているとも思った。
 私はSF作品のラストに緑で覆われた全地球を描こうと思っている。それは小説上の絵空事だが、世界の人々が目覚めれば、全地球の緑化は必ずしも不可能ではない――それを思わせてくれる実話だった。


   遠山氏の言葉をいただいて……

○ 物事はいいと思えば始めよう 始めたならば ただ続けよう(^o^)


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:女子バレーボールに続き、現在男子バレーボールオリンピック最終予選が行われています。8チーム中最上位2チームって厳しいですね。ガンバレニッポン、チャチャチャ(^o^)!

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 追記(2010年9月26日)
 私はこれまで遠山正瑛氏の名前を「せいじょう」とふりがなをふっていました。
 しかし、エッセー公表後6年経った最近、 I さんという方からメールをいただき、このエッセーを読んだこと、そして「遠山」氏の名前は「正瑛(せいじょう)」ではなく「正瑛(せいえい)」であるとの指摘をいただきました。 I 氏は遠山氏の関係者とも親しいとのことで、まず間違いないと思われます。
 遠山氏は2004年2月27日、97歳で逝去されました。天国の同氏にお詫びするとともに、本文を訂正いたします。

 ただ、思うところあって単純に書き換えるのではなく「(せいじょう→正しくはせいえい)」として訂正したことがわかるようにしました。同時に今日以後本文を読む人のために、この件を「追記」として残すことにいたしました。

 遠山正瑛――は確かに音読みならば「せいえい」、訓読みならば「まさひで」と読むべきところ。なぜ私は「せいじょう」などとふりがなをふったのか、わけがわかりません。あるいは、番組内で「遠山せいじょう」と呼んでいたのかもしれません。
 しかし、天下のNHKがそのような単純ミスを犯すとは思えず、私が「せいえい」を「せいじょう」と聞き間違えたのが原因だと思います。

 また、 I さんによると遠山氏は「砂漠」という漢字ではなく、さんずいの「沙漠」を好んで使われたとの由。確かに水のある《沙漠》の方が木を植えるには適していると思われます。
 ただ、こちらの方は「砂漠」のままで残したいと思います。将来またなんらかの偶然や出会いが起こって「沙漠」にすべきだと感じるときがくるまで……。
 えっ「めんどくさいからだろ」って?
 いえいえ、決してそんなことはございません(^_^;)。

 それにしても、この指摘がエッセーのアップ後6年も経って、しかも2010年9月末の《今》やって来たことに、なんとも不思議なたまたまを感じています。
 というのは、現在ちょうど尖閣諸島領土問題をめぐって日本と中国が、ややきな臭い、不穏な空気をかもし出しているからです。
 先日尖閣諸島で自衛隊の巡視船と中国の漁船が衝突して漁船の船長が逮捕されました。中国政府は船長を無条件に釈放しろと強硬な態度で迫り、日本はその強圧に屈したかのように彼を釈放しました。船長はVサインを見せ、チャーター機に乗って誇らしげに帰国しました。ことは尖閣諸島の領土問題が絡んでいます。

 中国側の恫喝(どうかつ)か脅迫のような言動に不愉快を感じた日本人も多いようで、私もむかつきをおさえられなかった一人です(^_^;)。
 ところがこのようなとき、私は I さんのメールによって、この「砂漠に木を植えた日本人」を読み返しました。
 ほんとに面白いたまたまです。私は自分が書いた文章を読んで、何が大切なことか思い出したからです。遠山氏が300万本の木を植えたのは、正に中国のゴビ沙漠です。
 小さな領土(と資源)を取り合って戦争を起こすのか、不毛の沙漠に木を植えるのか――どちらを選択するのが正しいか。答えは明らかでしょう。
 私のむかつきはちょっとおさまったような気がしました(^_^)。
 I さん貴重な御指摘ほんとうにありがとうございました。m(_ _)m
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