韓国旅行報告記その2


○ 人の目と人の言葉で知るよりも自分の身体で感じる外国



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ゆうさんごちゃ混ぜHP「狂歌教育人生論」        2004年 7月14日 第23号

 (^_^)今週の狂短歌(^_^)

23 人の目と人の言葉で知るよりも自分の身体で感じる外国

(^O^)ゆとりある人のための8分エッセー(^O^)  

韓国旅行報告記その2

 今や外国はテレビでかなり見られるし、ガイドブックや写真集で知ることができる。そのおかげでその国に行ったような気分にもなれる。しかし、自分で現地に入り、歩いて眺めて感じるものはまた違った雰囲気がある。やはり「行って見なけりゃわからない」は真実なんだと思う。

 前号では韓国キムチパワーについて触れた。今回もう一つ韓国のすさまじいパワーを感じたものがあった。それはヒュンダイ(現代)パワーである(^.^)。

 ヒュンダイとは韓国国産自動車メーカーのことで、今韓国で走っている車はほとんどヒュンダイ車らしい。確かに日本のトヨタ・日産・ホンダ、欧米の車はほとんど見かけなかった。

 そのヒュンダイ車が高速もソウル市内も、片側3車線の道を大量に走っている。日本の首都東京より車が多い気がした。しかも、日本の都市の場合片側2車線が多く、信号も多いからどうしてものろのろ走ってしまう。つまり、パワーを感じない。
 ところが、韓国の場合は片側3車線が多いので、ヒュンダイ車が正にひゅんひゅん(^_^;)すっ飛ばしていた。

 しかも、車の運転が荒っぽい。スピードは出すし、割り込みはしょっちゅうだし、しばしば右に左に進路変更する。一度など赤信号を平気で直進する車を見かけた。
 また、目的地に着いてもそれが対向車線にある場合は、すぐにそこへ行けない。Uターンオッケーの交差点まで進んでから、引き返さなければならなかった。そのUターンも結構強引だった。
 しかし、大量の車が固まりになって合計6車線道路を行き来する姿は、カンコクパワーだなあと思った。
 高速などは創設時から自動車の増加を見越して6車線としたらしい。それを聞いたときは韓国人の先見の明を感じた。


 ところで、今号では、韓国世界文化遺産の中で最も印象に残った寺について紹介したい。

 それは「八万大蔵経(はちまんだいぞうきょう)の版木」があることで有名な「海印(かいいん)寺」という仏教寺院である。

 日本の京や奈良の雰囲気がある慶州奥地の山の上に、その寺はある。曇天小雨の中、車で山をくねくねと登り、駐車場から歩いてなお20分ほど、鬱蒼(うっそう)とした林の中に寺門があった。私たちが門を入る頃は霧が出始め、雨足も強くなった。

 寺はかなり高い場所にあるようだ。寺域も広く、でっかい木魚と直径1メートルはある大太鼓の置かれた堂があった。
 毘盧遮那(びるしゃな)仏の安置された本堂では、たくさんの座布団が敷かれ、韓国人らしき信者が十数人、何かお経を唱えながら、五体倒地の礼拝をしている。ちょっと厳かな雰囲気だ。僧侶もたくさんいて、本堂の周囲を歩き回ったり、中で念仏を唱えたり、五体倒地もしている。
 ガイドの李(り)さんによると、普段こんなに僧はいないらしい。彼女にも何が行われているのかわからないという。李さんは縁側を歩いていた僧侶数人に何事か尋ねた。しかし、誰も返事をしてくれなかった。彼女は「無視されちゃった」と言って笑った。
 どうも修行中のようだ。その後上から降りてくる一人の参拝者に聞いて事情が判明した。この日全国から修行僧が集まって講説を聞く法事と修行が行われていたらしい。

 そこからさらに登った最上段に、八万大蔵経と蔵経(きょうぞう)版庫があった。蔵経版庫には81340枚のお経を刻んだ版木が保管されている。これは十三世紀始めに製作された木版本で、正真正銘の世界文化遺産である。
 私は八万大蔵経のことを知った当初、すぐ日本の正倉院を連想した。正倉院は奈良時代の遺物を、校倉(あぜくら)造りという特殊な建物構造で保存している。
 ところが、ここ海印寺の保管庫は密閉した建物ではなかった。私たちが幅数メートルの平屋建てを通り、中庭のようなところに入ると、ぐるりをその平屋建てで囲まれていることがわかった。平屋は格子状の木がはめこまれ、すかすかになっている。
 八万大蔵経の版木は目の前の建物内部に保管されているのかと思っていたら、李さんが「ここですよ」と言って背後を指し示した。なんとその取り囲まれた平屋建ての建物全てに、八万大蔵経――約8万本の版木が保管されているのだった。

 外は大粒の雨が降っている。ところが、保管庫はまるですかすかの建物だから、びっくりした。確かにすき間から中をのぞいてみると、写真で見たことのある版木が見える。それが本棚の本のように、ずらりと並んでいた。
 ツアー一行はみんなびっくりした(・o・)。これでは版木が腐り、カビが生えるではないかと思った。
 すると、李さんが「すき間から手を入れてみてください」という。
 そこで格子に手を差し入れた。まるでエアコンのような涼しい風が吹きつける。
 李さんが説明してくれた。――地面の土には大量の塩が混じっている。だから、湿気が多いときは塩が湿気を吸い、空気が乾燥したときは塩が湿気を吐き出す。そのおかげで、蔵経版庫内は常に一定の湿度が保たれる。この仕組みによって版木は腐らずカビも生えないのだと。
 現代になってエアコンなどの保存設備を考えたが、それではうまく保存できないことがわかった。結局、これ以上いい保存方法は発見できなかったそうだ。

 それから李さんによると、この八万大蔵経はここで製作され保管されたものではないと言う。1200年代蒙古襲来の頃、国家護持のため八万大蔵経製作が始まった。初めは海岸近くの可華島(カン・ハーバ・コ)で作られたらしい。しかし、一度焼失したため、二度目からは山奥の海印寺まで運ばれた。それも僧侶が版木を少しずつ背負って何度も何度も歩いて往復したそうだ。それもすごいなと思った。
 入り口横には版木の一枚が印刷されて掲げられていた。それは「仏説般若経」262文字全文だった。
 八万大蔵経と蔵経版庫は1200年頃作られ、その後800年近くしっかり保存された。今その八万大蔵経を本尊のようにして僧侶や信者が礼拝している。私はなんとも言えず感激していた。

 中国ではお経の文言を石に刻みつけて遺そうとした。日本では和紙に毛筆で遺した(これで虫食いさえなければ千年持つという)。そして、韓国は木版本を作った。中国のやり方が最も合理的だし、燃えることなく何千年ともつだろう。だが、最も大変な作業である。
 韓国・日本のやり方は燃えたらそれっきり。だが、それぞれがそれぞれのやり方と持てる力で、大切なものを伝え残そうとした。それだけは間違いない。

 その後降りていくとき、先ほどの大太鼓が若い僧によって叩かれていた。1時ちょっと前で、講説を始める知らせの触れのようだ。
 どどんどどん、だらだらどどん、たかたかたかたか……といろいろな打ち方がされていた。
 私たちは小雨の中しばらくその音に耳を傾けた。800年前もあんな風に太鼓が叩かれ、僧と信者が集まったんだろうなと思った。


 ○ 八百年読経の声と保管の知恵さらに千年保存を祈る


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:ところで、海印寺の「海印」の意味ですが、「揺れない海に万物の形象がそのまま映されるように、悩みのない心には万物の理がそのまま現れる」(パンフレットより)という意味だそうです。明鏡止水の心でしょうか。もひとつところで、日曜日に参院選が終わり、自民後退、民主躍進とか。そのかげで共産・社民が埋没しかけているようで、二大政党制などと言いながら、少数意見がどんどん切り捨てられているような気がします。(祐)



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