アテネオリンピック その1


○ オリンピック初戦の緊張乗りこえて夢をかなえた選手の言葉



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ゆうさんごちゃ混ぜHP「狂歌教育人生論」        2004年 9月 8日 第26号

 (^_^)今週の狂短歌(^_^)

26 オリンピック初戦の緊張乗りこえて夢をかなえた選手の言葉

(^O^)ゆとりある人のための5分エッセー(^O^)  

アテネオリンピック その1

 アテネオリンピックは日本時間の8月30日未明、閉会式を行って17日間の幕を閉じた。
 日本選手団は金メダル16個を含む37個のメダルを獲得した(^O^)。
 金メダル獲得数では米国(35)中国(32)ロシア(27)、豪州(17)に続く第5位で、素晴らしい成績をおさめた。特に柔道、水泳がすごかった。男子体操も団体で金メダルを獲った。二十数年ぶりらしい。
 柔道野村忠宏選手のオリンピック3連覇、谷亮子選手の2連覇、水泳北島康介選手の平泳ぎ100、200の2種目制覇(・o・)……など驚きと感動の金メダルラッシュだった。

 出場選手が終了後語った言葉や、夢をかなえるまでの苦闘、人生遍歴(?)にはとても興味深いものがあった。ここではそれらを中心に、いくつか印象的な場面や言葉をあげてみたい(データソースはほとんどテレビや新聞です)。


 ☆ 一度死んだ(^_^;)

 卓球の福原愛ちゃん。幼稚園の頃から有名な彼女は、小学校のとき夢はオリンピック出場と語っていた。そのオリンピックになんと高一(15歳)で卓球最年少出場を果たした。
 彼女は2回戦からの出場だったが、その初戦でランク格下とは言え、猫みたいな美人(^.^)ミャオミャオ嬢と対戦して苦しんだ。フルセットの末やっと勝ったが、負けてもおかしくなかった。さすがにオリンピック初戦で緊張したようだ。
 次戦の3回戦はランク格上、年上のこわもてガオおばさんだった。ところが、今度はあっさり4−0でストレート勝ち。真っ先にベスト16入りした。
 あまりの変わりようだったから、一体何があったのだろうと思った。その3回戦終了後のインタビューがふるっていた。そこで愛ちゃんはこう答えたのだ。「2回戦では良くなかったのに勝てた。だから、そこで一度死んだつもりで、3回戦がやれてラッキーと思って戦った」と(・o・)。
 なるほど、だから気持ちの切り替えができ、3回戦ではのびのび戦えたんだと思った。
 インタビューで再度「勝てたわけは?」と聞かれて「一度死んだからです」と言い放ったときには笑ってしまった(^o^)。
 残念ながら彼女は4回戦でランク一ケタの超格上選手と戦って敗退した。

 ところで、オリンピックの卓球シングルスには福原選手の他に日本人がもう2人参戦していた。愛選手はベスト16、その後他の2選手も3回戦を勝ってベスト16まで進んだ。その2人とは藤沼亜衣選手と梅村礼選手である。彼女らもそろって4回戦で敗退した。
 しかし、テレビの取り上げ方にはずいぶん差があった。私ならちょっとすねてしまいそうだ。もっとも有名無名の違いとはそんなもんだろう。彼女らがテレビで取り上げられるには、もっともっと上位に行くしかないようだ。


 ☆ 三度目の正直

 柔道女子78キロ級では阿武(あんの)教子(のりこ)選手が優勝して金メダルを獲った。
 彼女は世界選手権では4連覇している実力者である。ところが、なぜかオリンピックでは勝てない。過去2回出場して全て初戦敗退だった。そして、3度目の今回初めて初戦を勝ち上がり、最後は1本勝ちで念願の金メダルを手にした。プレッシャーに弱かったのだろうか。実力がありながら大舞台でその力を発揮できなかった。しかし、足かけ8年、3度目の正直でようやく夢を果たしたことになる(^o^)。

 彼女は3人兄妹の末っ子で、父も柔道家である。テレビ報道によると、この父親がものすごいスパルタ教育だったらしい。阿武選手が五歳幼稚園のときには、早くも小一の柔道大会に出場させた。対戦相手はみんな男の子である。その相手を全て投げ飛ばして優勝させたそうだから、そのすさまじさが想像できる。

 私の父などは3歳で卓球を始めた福原愛選手とか、阿武(あんの)選手のこの話を聞くと、「すべからく幼少の頃から厳しくきたえなければ、ものにはならない」などと語ったりする。
 しかし、私は父に反論する。3歳からのスパルタ教育に成功するのは千人に一人か一万人に一人。残りはほとんど挫折するのだから、親はそのことを考えなければならないと。
 普通はその一万人に一人でさえ、必ずどこかで挫折があったり、親や指導者に反発するものだ。その負荷を乗り越えた者だけに、本当の成功がやってくるのだろう。

 阿武(あんの)選手は警視庁の警察官らしい。彼女が幼い頃からの負荷をどうやって乗り越えたのか、聞いてみたいものだ。もっとも、彼女の場合はすでにオリンピック2度の初戦敗退が挫折であり、強烈な負荷となっていたに違いない。つまり、8年間耐え忍んでいたと言えよう。だからその他の負荷――たとえばスパルタの父との確執などは少なかったかもしれない。

 今回なぜ阿武選手がプレッシャーに打ち勝って優勝できたのか。その理由はわからない。猛練習もあったようだ。
 ただ、彼女の父親の話で一つ興味深いものがあった。父親は過去二度のオリンピックでは、二度とも応援に行った。だが、今回彼はアテネに行かなかった。それは阿武選手の兄(もちろん柔道家)が彼女の専属コーチになり、アテネへ同伴したからだという。父親は「長男を信じたし、二人でやってくれればいい」と思ってあえて行かなかったそうだ。
 阿武選手がプレッシャーを克服して1回戦を勝ち上がり、あれよあれよと決勝まで進んで優勝できたのはそのせいかもしれない。父の呪縛(じゅばく)から逃れ真に自立した――と言ったら、言い過ぎだろうか(^_^;)。


 ○ オリンピック初戦の緊張乗りこえて夢をかなえた選手の言葉

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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:今週号よりアテネオリンピック特集です。短く回数を増やして配信いたします。外国はテロ禍、日本は台風一過。被害に遭われた方々に良いことがあるようお祈りいたします。(御影祐)



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