○ 金メダル確実候補の敗戦に魔物がいると言われるけれど
ゆうさんごちゃ混ぜHP「狂歌教育人生論」 2004年 9月15日 第28号
28 金メダル確実候補の敗戦に魔物がいると言われるけれど
(^O^)ゆとりある人のための5分エッセー(^O^)
日本選手団にメダルラッシュが続いた一方、メダル確実と言われた選手やチームの敗退も目立った。
柔道男子100キロ級の井上選手は、準々決勝で一本負けして敗者復活でも負けた。彼は過去数年外国選手と戦ってほとんど負けたことがない。むしろ圧倒的に勝ち続けた選手だった。だから、オリンピックには「魔物が棲(す)む」と言われたりする。
女子ソフトも銅メダル、男子野球もオールプロのドリームチームと言われながら、銅メダルに終わった。男子サッカーは予選リーグであっけなく敗退した(これは不思議じゃない?(^_^;)。
こうした傾向は日本選手団だけではない。アメリカのバスケットや陸上など、金メダル確実と言われた個人、チームが負けている。アメリカの女子陸上400メートルリレーも、金メダル確実と言われながら、準決勝でバトンを手渡せず(バトンタッチの限度を超え)失格となった。
女子マラソンでは、世界記録保持者のポーラ・ラドクリフが36キロ過ぎでリタイアした。そのとき彼女が見せたなんとも言えない顔と、道のそばで応援していた人の、励ましとも慰めともつかない表情が印象的だった。
その女子マラソンでは日本の野口みずき選手が金メダルを獲った。アテネのマラソンコースは起伏が激しく、猛暑で過酷なレースだった。日本の真夏に42キロ走らされるのと同じだろうか。
彼女は150センチととても小柄である。しかし、どこにそんなパワーと根性があるのか、ものすごい走りだった。
ゴールまで残り数キロとなったとき、まるで女ターミネーターのような(^.^)、ヌレデバ選手がじわじわと野口選手に迫っていた。私はひやひやしながら見ていた。だが、彼女はほぼ10秒差を保ったまま先頭で競技場に入った。そのとき早くも勝利のガッツポーズを見せ、観客に手を振った。「おいおい」と思ったけれど、抜かれることなくゴールした。終了後彼女も「レースのビデオを見て手なんか振っている場合じゃなかった」と言っていたのがおかしい(^o^)。
女子レスリング4階級に出場した日本女子――伊調姉妹、吉田、浜口の4選手は、全員昨年の世界選手権金メダリストである。アテネオリンピックでは金4つも夢ではないと言われた。だが、結果は金が2つに銀と銅が1つずつ。世界はそんなに甘くないだろうと思っていたら、案の定の結果であった。それでも、4人ともメダルを獲得したのだからすごいことだと思う(^o^)。
銀メダルに終わった伊調姉の言葉は印象的だった。彼女は決勝戦で、相手のふところに飛び込めずに負けた。よほどくやしかったようで、インタビューでは一貫して不機嫌だった。その後「オリンピックは魔物が棲(す)んでいると言うけど、魔物は自分の心の中にいた」と語った。
彼女の場合は、飛び込んだら返し技を食らうかもしれないという恐怖感が魔物だったようだ。油断という魔物もいそうだ。リーグ戦の場合は普段の力差がそのまま出ることが多い。だが、一試合だけのトーナメントとなると番狂わせが起こる。そこでオリンピックには魔物がいると言われる。しかし、不安や恐怖・油断や傲慢(ごうまん)などは心の問題である。
魔物は心の中にいるとは、けだし名言だと思った。
柔道女子70キロ級で金メダルを獲った上野雅恵選手。3回戦までは順調に勝っていた(と見えた)のに、本人は調子が悪かったという。準決勝を前にして、彼女はこのままではダメだ、気分を切り替えようと考えた。
3回戦から準決勝までは約3時間あいている。そこで上野選手は1時間ほど仮眠を取ったという。
これもすごいと思った。大一番の仕事を前にきっと緊張する。しかし、時には全てを忘れて眠ることで力を発揮できるということだ(^o^)。
普通は眠れない。勝負を忘れる事もできない。だが、彼女はそこでひと眠りできる何かをつかんでいたのだろう。仮眠を取ったことで新たな集中力と活力を得たに違いない。
ところで、この上野選手が決勝戦で一本勝ちした技が、背負い投げに似た「袖釣り込み腰」という技である。これは横沢選手の準決、阿武(あんの)選手の決勝での決まり技と同じ。通常の組み手から予想される技とは反対方向に相手を背負い、袖を引っ張りながら投げていく。だから、長身パワー柔道の外国選手の意表を突いたようだ。1回戦や2回戦では使わず、最後のここというときの秘密技として日本女子に伝授されたらしく、それがぴたりとはまったようだ。
柔道男子90キロ級銀メダルの泉浩選手。彼は青森下北半島最北端の港町出身で、父は30年マグロ一筋の漁師だそうだ。兄弟はなんと9人で、彼は8番目の男の子だった(・o・)。
柔道の素質が高く小学校6年生のとき、土地の指導者から東京へ出ることを勧められた。
父は息子に「柔道を取るか漁師を取るか」と決断を迫った。
そのとき浩少年は「10年時間を下さい」と言ったそうだ。
そしてちょうど10年後、彼はアテネで銀メダルを獲った。
もっとも本人は金がほしかったようで、終始仏頂面(ぶっちょうづら)だった。
夢の実現にとって10年とは一つの区切りなんだろう。彼も横沢選手同様、準決勝では終了間際に逆転の技ありで勝った。その点も素晴らしいと思った。
○ 金メダル確実候補の敗戦に魔物がいると言われるけれど
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
後記:アテネオリンピック特集第3弾です。今週土曜にも配信します。しかし、その後ロシアの学校テロとか日本プロ野球のスト騒動とか、中央競馬の3連単開始(これは一部競馬ファンのみ(^_^;)で、オリンピックが早くも色あせかけているような感じです。 ところで、17日からはアテネでパラリンピックが始まります。(祐)
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