○ 偶然の不思議不可思議 先週の悪口じじいと再会する
ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」 2005年 2月 4日 第48号
今週は「競馬場の悪口じいさん」回答編です。翌週驚くべき(・o・)偶然が起こりました。
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3 偶然の不思議不可思議 先週の悪口じじいと再会する
半年ぶりに東京競馬場へ出かけた翌週、私は土曜在宅競馬で珍しくプラス?万円を計上した。
翌日は京都競馬場でG I のマイルチャンピオンシップがある。
日曜は朝から快晴。前日プラス決算だったし、天気もいいので、再度府中東京競馬場へ出っ張ることにした(^.^)。
ところが、1日終えた結果はぼろぼろの惨敗。前日儲かった分を全て吐き出し、久しぶりのオケラ街道、夕方は「がっくし(-_-;)」の帰路となった。
だが、この日私の心中は奇妙に冴えていた。それはまたも不思議な偶然と遭遇したからだ。
先週私の隣で「岡部はくそ、ペリエは鼻くそだ」と悪口言いまくりだったじいさんと、東京競馬場で再会したのである(・o・)。
なんと彼は私のすぐ前の席に座っていたのだ。
私がその席――もちろん自由席――に座ったことも、振り返ってみるとまるで引きつけられるかのようだった。
私は午前9時の開門後第二陣としてゴール前の自由席目指して走った。そして、日陰となる2階席の奥まで駆けていき、とりあえず席を確保してからゴール近くの席を見やった。すると、もっといい場所に空席を見つけた。私はすぐにそちらへ移動した。
そこで落ち着いてさらにゴール間近を見ると、まだ席が空いている。
ゴール線をまっすぐ見られる位置が特等席だから、私はそちらへ移ろうかと思った。
しかし、まあ今日はここら辺でいいや(^_^)と、その席に決めたのだ。
私の前には白髪の老人が一人座っていた。彼は両側の席に荷物を置いている。競馬友達のための席取りなのか、席を広く取るわがままな行為なのかはわからない。どちらにせよ、私に言うべき言葉はない。
ところが、1レースが始まるころ、そのじいさんがふいと独り言を言った。
その声を聞いて私はあれっ(・o・)と思った。
それはちょっとだみ声で、先週悪口言い放題だったじいさんの声に似ていたからだ。
最初はちょっと半信半疑だった。
自由席はゴール前に限っても高さ数十段、幅数十メートルはある。観客は少なくとも千人はいるだろう。その中であのじいさんとたまたま前後の席に座るだろうかと思った。
私の競馬歴二十数年でこんなことは一度もない。隣の人や周辺に印象深い人がいたとしても、その人と次回競馬場で再会することなどまずなかった。
しかし、レースが進むにつれ、あのだみ声(^.^)、さらに的中させたときの叫び声などから、まず間違いなくあのじいさんだとわかった。
じいさんは(一つ空いた)左隣の中年男性をときどきちらちらと見る。そしてぶつぶつ独り言を言うところも先週と同じだった。
私はあの日の日記に「一体どういう人生を送れば、あれほどまでに悪口を言えるのだろうか」と書き留めた。
これはもしかしたら今日一日彼を観察することで、その答えがやって来るのかもしれない――私はそう思った。
その後私は馬券検討、レース観戦と同時に彼の言動にしばしば目をやり、耳を傾けた(^.^)。
ところが不思議なことに、この日の彼は先週のような悪口じいさんではなかった。
いや、初めの方は的中したときなど、「競馬は簡単だ」とか「関東馬なんかいらねえ、関西馬だ」など、先週と同じようなことを口走っていた。
だが、先週と大きく違ったことは、(一つ隔てた)左隣の熟年男性が彼の話し相手になったことだ。
最初じいさんが男性に何か言葉をかけた。男性は受け答えした。二人は初対面のように見えた。
そして、その後も二人はレース検討でときどき言葉を交わしていた。男性がじいさんに「この馬はどうでしょう」と質問することもあった。
さらにその後、じいさんの右側の席に、彼の友人か競馬場友達らしき男性がやって来た。
その人はじいさんに持参したゆで卵をあげた。二人はそれをうまそうに食った。
その後二人は競馬検討を交わし、互いに当たっては良かったと言い、外れてはくやしがっていた。
そのじいさん、外れたときはあまり騒がない。当たったときに大きな声で自慢することが多かった。そして友人が現れてから、じいさんの悪口はますます減ったのである。
先週口ずさんでいた「岡部は鼻くそ」とか「ペリエはくそだ」などという発言は全く出なくなった。
つまり、彼はごく普通の競馬じいさんになっていたのである(^.^)。
しかも、競馬上手のじいさんだ。
この日のメインレース――マイルチャンピオンシップの直前には、私の後ろの席にいた若い男が、そのじいさんの所へ行った。そして「何を買いましたか」と尋ねる景色までも見られたのである。
そのときじいさんは「この馬だ」と競馬新聞を指し示した。私は後ろからちらと盗み見した。
それは関西の福永騎手が乗るメイショウボーラーという馬だった。
私はそれを知っておかしかった。じいさんが軸とした馬が私の穴馬と重なっていたからだ(^.^)。
私はそれらの情景を見ながら不思議な感にとらわれていた。
先週と今日の、この違いは一体なんなのだろうと思った。
そして、ふいと気づいたことがある。
先週じいさんの周囲にいた人間は彼を無視していた。話し相手になっていたのは、通路を隔てたご老人一人だけ。
そのとき私の後ろにいた男など、「当たった、当たった」と叫ぶじいさんに、「うるせえ!」と怒鳴ったほどだ。
実質隣席の私も、もちろん無視を決め込む一人だった。
そのとき彼の悪口はレースの進行とともにひどさを増していった。
「岡部は鼻くそ、ペリエはくそだ!」と叫んでいた。
私は今日彼の様子を見て思った。彼の悪口はもしかしたら周囲の人間に発せられた言葉ではなかったかと。
じいさんの悪口は彼を無視している者達に向けられた言葉だったかもしれない――私はそんなことを思ったのである。
先週のレース中、彼は私の方を何度もちらちらと見ていた。だが、私は冷たく無視した。だから、その言葉はとりわけ私に対して吐かれていたのかもしれない。つまり、「俺を無視するお前はくそだ」ということである。
あるいは、この推理はちとうがちすぎかもしれない(^_^)。
だが、今日彼の左隣の男性が彼の話し相手となり、また右隣に彼の友人らしき人がやって来たとき、彼はごく普通の競馬じいさんに過ぎなかった。
それを見る限り、彼が先週発した独り言の悪口は、少なくとも彼自身だけの問題ではなかった――そう言えそうだ。
つまり、私はあの悪口じいさんの人生とか人柄とかを問題にした。しかし、本当の問題は私自身の方にあったようだ。
あのとき私は「一体どういう人生を送れば、あれほどまでに悪口を言えるのだろうか」と思った。
だが、あの件で試(ため)されていたのは私であって、「そう言う人に対してお前はどういう態度を取るのだ」という問題だったのだ。
今日振り返って私はそのように解釈した。
そのとき彼に対して私が取った態度は冷たい無視だった。
彼はだからと言って私をあしざまに罵倒(ばとう)する言葉は吐けない。
だから、「岡部は鼻くそ、ペリエはくそだ」と叫んでいたのではないだろうか。
あのとき私はそのような悪口を吐く人間と言葉を交わしたくないと思った。同時に話し相手となることのめんどくささを感じていたことも事実だ。
話し相手となれば、彼の悪口に付き合い、彼の馬券的中にお世辞の一つも言わねばならない。それがいやだと思っていたことは間違いない。
自分が馬券で当たっていなかっただけになおさらだ(^.^)。
今日じいさんの左隣にいた中年男性は時折彼の話し相手となっていた。
だが、じいさんは決してその人を不愉快にさせるような言葉を吐いていなかった。普通の競馬隣席者の言動でおさまっていたのだ。
それを見る限り、私が先週抱いた思いは杞憂(きゆう)に過ぎなかったことになる。もしあのとき、私が彼の話し相手になってあげれば、彼の極端な悪口は減っていたかもしれない。
あるいは、私の方から「岡部は鼻くそだ、なんて言い過ぎですよ」とやんわり注意することもできたのだ。
私はそれらのことを全てめんどくさいこととして、傍観者の無視を決め込んだわけだ。……
やがてこの日のメインレース、京都のマイルチャンピオンシップが始まった。
東京競馬場ではオーロラヴィジョンで観戦する。
私はただ一頭参戦の外国馬ラクティと、福永騎手の逃げ馬メイショウボーラーを絶対の本命としていた。
そのラクティはスタートで出遅れたあと、向こう正面から三角にかけて怒濤(どとう)の進出を果たした。
周囲の人から「あれで勝ったら化け物だ」の声が出た。私もそう思って大丈夫かなあと不安が湧いた。そのときじいさんは私を振り向いた。
そして「あの馬は本気だ。十馬身差をつけて勝つつもりで日本に来たんだ」と言った。
私は「そうですかねえ」と初めて彼の言葉に応えた。そして、なんとなく安心した。じいさんどうやらラクティからも買っているようだ。
だが、その後ラクティは直線で伸びず馬群に沈んだ。
しかし、まだメイショウボーラーが先頭を走っている。私とじいさんは福永のメイショウボーラーを、声を張り上げて応援した。
「福永ァ! 粘れェ! 福永ァ!」と。
ところが、これも残念ながら後続馬に次々に抜かれてしまった。
結局、両馬は3着以内に入らず、私とじいさんのマイルチャンピオンシップは不的中で終わった。
その後私は帰り支度をして席を立ち、違う場所で最終レースを迎えた。
そしてこれも外れてトータルもちろんマイナスで、オケラ街道の帰路に就いた(-_-)。
それから競馬場を出る頃のことだ。真後ろから、またもどこか聞き慣れただみ声がした。
その人は「競馬は簡単だよ」などとのたもうている。
ちらと振り返ると、またもあのじいさんなのであった。
私はおかしかった。しっかり頭に留めてこの件を分析するんだよ、と念押しされたような気がした(^_^)。
それにしても、面白い再会だった。
だから、人生は楽しい。奇妙な偶然から思いもかけないことを学べるからだ。この一件は私の小説に使えるかもしれないと思った。
この日の競馬はかなりのマイナスで前日のプラス分を帳消しにしてしまった。だが、決してマイナスだけで終わらなかったことが嬉しい。
もちろん収支プラスになる方が最高に楽しいんだけれど(^_^;)。
○ 隣席の悪口じじいとまた出会う試されていたのは私だった
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
後記:翌週また出会ったこともホントの話です。ところで、私の文章では、この悪口じいさん自身のことは深く掘り下げていません。それは彼の問題であり、彼の人生だからです。もし彼が一週前の自分とこの週の自分を振り返って「どうしてあのときはあんなに悪口を言ったのかなあ」と反省するような人間であれば、ああも悪口を言いまくることはなかったと思います。しかし、私は初めの段階では、あのじいさんの悪口はじいさんだけの問題だと見なしていました。ところが、一週間後あれは自分の対応の問題でもあることに気づいたわけです。だから、そのことをこのエッセーに書きました。まこと人生はいろいろなところで学ぶことができる――その典型的な例のような気がします。競馬場でも学べるってことですね(^.^)。(御影祐)
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