自作 『ケンジとマーヤのフラクタル時空』を語る(その1)


○ 人生でAを選ぶかBにするか、そのいずれもが

存在するなら?



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ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」        2005年 4月29日(金)第52号

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 今号より3度にわたって自作『ケンジとマーヤのフラクタル時空』をふり返ってのエッセーであります(^_^;)。
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 (^O^) ゆとりある人のための5分エッセー (^O^)

 【自作を語る(その1)】

 (^_^)今週の狂短歌(^_^)

 ○ 人生でAを選ぶかBにするか、そのいずれもが存在するなら?

 こんなことを考えたことはないでしょうか(^_^)。

 ある年齢に達してふと自分の過去をふり返ったとき、人生の節目節目において「自分の前にはAとB、二つの選択肢があった。あのとき自分はAを選んだが、もしBを選択していたら、一体その後の自分はどうなっただろうか」と。

 たとえば、中学から高校はどの学校を選んだか。クラス内で誰と仲良くなり、どのグループの一員となったか。部活動は何をやったか。
 大学・短大・専門学校などへの進学、そして就職――どこにするかいろいろ迷った。いくつかの候補からAとBの二つに絞り、最終的にAを選んだ。
 時には家庭の事情で「Aの方に進みたかったのに、仕方なくBを選んだ」ことがあったかもしれません。

 あるいは、恋愛や結婚の対象として自分の前にはA、B二人の人がいた。あなたは二人のうちどちらを選んだのでしょう(^.^)。
 「私はBさんでなく、Aさんを選んだ。でも、もし逆だったとしたら……」など、しばしば小説の題材にもなっています。時には後悔したり、時にはこちらで良かった……と思ったり(^_^;)。
 両親から、自分が生れる前にあったAかBの選択のことを聞いたりしたときも、もしBだったら自分は生れてこなかったんだろうか――などと考えて不思議な感覚にとらわれることがあります。

 人生をふり返れば、進学ではAを選び、就職ではB社に決め、恋愛はAさんだったが、結婚はBさんを選択した――とその都度決断してその後の人生を歩んできた。
 ただ、人によっては、決断なんぞしなかった。なりゆきだった、なんとなくだった――場合もあるかもしれません(^_^;)。
 『ケンマヤ』でも触れたとおり、無限大の未来はゼロ時空の現在を通過して一つの過去となる。だから、確定した過去を変えることはできません。
 つまり、Aを選んで時間が経過した以上、Bを選んだ場合の人生なぞあり得ないし、そちらを見ることも体験することもできないわけです(^.^)。

 しかし、ケヤキやクスの木のような一本の大木を想像してみてください。

 地面から伸びた一本の幹が二またに分かれ、さらにその太い枝それぞれが二またに分かれ、さらに二またに分かれた小さな枝、その先の小枝となって……樹木全体ができあがっています(これが「フラクタル」の代表的な形、樹木曲線です)。
 もし自分の人生も一本の大木のようなものだとするなら、Aを選択した人生が一方の枝なら、Bを選択したもう一方の枝も存在するのではないか。つまり、A・B二つの時空間があるのではないか――そのように考えることも可能です(^_^)。

 『ケンジとマーヤのフラクタル時空』(以下省略して『ケンマヤ』)は、こうした着想で書き始めたSF小説です。第1章、第2章の見出しに掲げた「現在時空A」「現在時空B」とはこういう意味です。

 そして、分かれ目における決断とは何も大きな節目だけではなく、日々の生活の中で小さな選択として数限りなく現れてきます。私たちは日常生活でも小さな決断をたくさんしなければなりません。
 もっとも簡単な例を挙げるなら、朝起きて「今日は学校(会社)へ行くか、休むか」とか、出かけるなら「朝飯を食うか、食わないか」とか、それらをめぐって家族で一悶着あったなら、怒ったり腹を立てたりした後、あきらめるか、相手を許すか等々も一つの選択であり、決断でしょう(^.^)。

 出かければ出かけたで、学校や職場、あるいは友人との交流で、やはりABどちらの言動を取るか決めなければなりません。私たちはあまり意識していませんが、毎日は正に選択と決断の連続です。
 そしてそれらが積み重なって、自分に対する周囲の見方や評価が固まっていきます。意識していないだけに、日々の選択と行動に、その人の生き方、考え方、習慣や癖が出てきます。
 その結果、彼はおとなしい人だ、あいつは乱暴なやつだ、あるいは優柔不断な人間だ――と言われ、彼女は性格のきつい人だ、優しい女性だ……などと思われます。
 時には「自分は臆病でけんかが弱いからパシリにされた」なんてこともあるでしょう(^.^)。

 そのとき、友や家族のちょっとした言葉にどう反応し、どう答えるか。あれこれ考えたあげくどう行動するか。ときには何も考えることなく、感情のままに行動することだってあるはずです。「これをやってくれ」と頼まれたり命令されたとき、素直に受けるか、反発するか、拒否するか。ここでも私たちはAを選ぶかBを選ぶかを決めているのです。
 最終的にAを選んだとき、このとても小さな分かれ目においても、やはり二つの時空間があって、Bを選んだときの時空世界が、他に伸びた枝のように存在するのかもしれません。

 そのときこの二つの時空を分けるのは一体なんなのでしょうか。

 たとえば、ケンジというちょっとひ弱な中三生。引っ込み思案でグループ内ではパシリに使われるようなごく平凡な少年。サッカーもへたくそ。
 未来タイムトラベラー、マーヤが眺めたタイムサイト[注…過去を眺めることができる装置]の映像では、ケンジの「ふがいない日々」をたくさん見ることができる。

 ケンジはクラス対抗サッカー大会ではもちろん補欠。大会当日欠員が出ても、仮病を使って出ようとしない。また、進路については、どのコースへ進みたいのか、ぐずぐずして決められない。
 先生や親はもっとしっかりしろと注意する。母親は特に優秀な兄と比べてだらしない弟だと思ってか、叱咤激励することが多い。ケンジはひそかに万引きもしている……。

 このケンジ少年がもう一本の枝時空では、同じクラス対抗サッカー大会でがぜん活躍して、クラス仲間から「すごいじゃないか」と賞賛されている……とすれば、その違いはなんなのでしょう。
 あるいは、やがて自分で進路を決め、万引き癖も克服するとなれば……その時空へ突き進んだのはなぜなのか。
 私は『ケンマヤ』でそれを描きたいと思いました(^_^)。(続)


 ○ 人生でAを選ぶかBにするか、そのいずれもが存在するなら?


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:今号は先週金曜(22日)に発行する予定でしたが、いろいろあって遅れてしまいました。また、号数も妙なふうに間違ってしまいました。本号が52号です。お詫びして訂正いたします。m(. .)m
 ところで、今週は関西で百名超が死亡するJR大脱線事故がありました。関係の方々にお悔やみ申し上げます。あの日「今日は学校(会社)へ行かないことにしよう」と決めた人は、こちらの時空世界に残ったのでしょうね。それにしても人生、いつ何が起こるかわからないものです。(御影祐)

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 MYCM:予告!! 御影祐のSF小説第2弾
     書名=『時空ストレイシープ―ケンジとマーヤのフラクタル時空完結編―』
     2005年5月5日、全国書店にて販売開始!
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