父に似る


○ 久々に父と暮らしてふと気づく 意外な癖が父と似ている


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ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」        2005年 12月 30日(金)第67号


 (^O^) ゆとりある人のための5分エッセー (^O^)

 【 父に似る 】

 (^_^)今週の狂短歌(^_^)

 ○ 久々に父と暮らしてふと気づく 意外な癖が父と似ている

 昔小学校の入学式のことは、今でも鮮烈に覚えています。
 なぜなら、私はその日危うく登校拒否を起こしそうになったからです(^.^)。

 入学式当日の朝、私は紺色の半ズボンにブレザー風の上着、真っ白の運動靴に黒いソックス、学生帽をかぶってぱちぱち記念写真を撮られました。
 ちょっとかわいい都会のおぼっちゃま、といった雰囲気でした(^_^)。
 そして式が始まる前、一人勢いよく(歩いて1分の)小学校まで駆けていったのです。

 ところが、グランドに集まった仲間の男たちには、私のような格好をした者が一人もいませんでした。
 女の子は普通の上着やスカート。男子で多かったのは学生服のような長ズボンでした。半ズボンに黒ソックスなんて格好の新入生は一人もいなかったのです。
 私はそのうちいたたまれなくなりました。

 そこでとぼとぼ帰ってくると、「学校へ行かない!」とだだをこねたのです。自分一人だけそんな格好をしていることがいやなのでした。
 最初はわけもわからず説得していた両親も、だんだん登校拒否(?)の真相がわかり始め、途方に暮れたようです。私はその頃言い出すときかない頑固な子どもだったので、そのままだと本当に入学式に行かなかったかもしれません。

 しかし、このときは幸いにも、やや遠方の子が私と全く同じ服装であることがわかりました。父親は(職場の同僚でもある)その子の親に連絡して我が家に来てもらいました。
 そして、同じ紺の半ズボン、ブレザー、黒ソックス姿のその子が「ゆうちゃん、ガッコ行こ」と誘ってくれたおかげで、私はなんとか入学式に出席できたのです(^_^)。

 これは今となっては懐かしい思い出ですが、ある時期までは嫌悪感と不可解な感をもって振り返る一事件でもありました。自分はなぜ幼い頃から、一人だけ目立つのが嫌いで、人と同じ格好をしたがったのか。そう思って不思議に感じていたものです。
 ちなみにこれは伏線です(^_^)。

 父は今年3月末に肝臓を悪くして別府の病院に入院しました。我が故郷には大きな病院がないからです。
 以後2度の入退院を経て12月初め、とうとう4度目の入院となりました。
 「入退院を繰り返し……」という決まり文句で、父の病名が推測できると思います。

 今回の入院はかなり症状が重く、深夜突然腹痛を訴え、かかりつけの医院で、胃の内容物を吸い取るパイプを鼻につけてから、救急車で別府の病院まで搬送しました。
 それは深夜のことで、雪の舞う大分自動車道をずっとサイレンを鳴らしながら、移動したものです。私も父も救急車に乗るのは初めてのことでした。
 幸いすぐに危篤状態となることはなく、症状は改善されました。しかし、翌日からは絶食、抗生物質、栄養剤の点滴だけでなく輸血も始めました。鼻に注入したパイプもしばらく装着のままとなりました。

 普通ならそのような状態であれば、静かにベッドで寝ているものですが、そこが(孫に言わせると)「スーパーじいちゃん」のすごいところで、翌日には病院の売店に(点滴と輸血のスタンドを引きずりながら)歩いていって、そこの名物饅頭を買っていたのです(^_^;)。

 午後面会に行った私がその饅頭に気づいて「なに買っとるんじゃ。胃の中の物を吸い取ってるくらいだから、食べちゃいけんで!」と叱って取り上げました。
 父は不服そうにうなずきましたが、その後も妙に不機嫌で怒っています。しかし、饅頭の件ではなさそうです。
 そこで「なんで怒っとると」と聞いたところ、父は鼻パイプを指さして、「これをつけちょるのはわしだけじゃ」と答えたのです。
 それを聞いて私は一瞬呆気にとられました。そして、パイプが必要なわけを縷々(るる)説明してあげました。
 父も不承不承ながら、仕方ないとうなずいていました。

 そのとき私はあることを思い出しました。そうかあ、これは自分の小学校入学式のときと同じじゃないかと(^.^)。
 自分一人だけみんなと違う格好をしていることに、不安と不快感をもって「学校に行きたくない」と言い張ったのは、まぎれもなく父の性格だったのです。

 父がそのような気質を持ち、そのような発言をすることは、これまで聞いたことがありませんでした。
 しかし、私がある時期まで悩んだ性格は、母や父から受け継いでいたと気づくことがたくさんありました。これもその一つだったのです。

 それにしても不思議です。生まれてからせいぜい5、6年一緒に暮らすだけでも、子どもは親の気質を受け継ぐものなんですね(^_^)。
 そして、それに気づくのがさらに四十数年後……というのも、なんだか妙な感じです。

 ○ 久々に父と暮らしてふと気づく 意外な癖が父と似ていた




 ※ 休刊のお知らせ

 父の鼻パイプは数日で取り外されました。
 それを見て私が「良かったじゃない!」と言っても、父には別の不愉快事が持ち上がっていて素直に喜べない――そんな父でもあります。
 そして、その後も病状は一進一退が続き、今度は退院できるか難しい状況になってきました。
 ひと月2回予定の「狂歌ジンセー論」を今月前半に発行できなかったのも、そのせいであります。

 この状態がいい意味でも悪い意味でも落ち着かないと、私自身ゆっくりメルマガを発行できる精神状況にありません。
 そこで当分の間「狂歌ジンセー論」メルマガを休刊することと致しました。
 おそらく桜の咲く頃には復刊できると思います。その折りにはまたご愛読いただけると幸いです。
 読者各位のご理解のほどお願い申し上げます。
 では、しばしのお別れです(^_^)。

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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:昨年は「災」の年、今年は「愛」の年と一文字漢字で表現されました。しかし、愛とはほど遠い事件や事故が頻発して2005年を終えようとしています。もっと人間を大切にするシステムを構築しないと、みんなの幸福はやって来ないようです。
 年頭に記した狂短歌《今世紀幸せもたらす理屈とは自分のためにみんなのために》について今年もっともっと述べるつもりでしたが、果たせませんでした。復刊後の課題にしたいと思います。
 それでは、良い年をお迎え下さい。ご愛読ありがとうございました。m(_ _)m
                                        御影 祐


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