父の小往生


○ いつか来る やがて来ると思いつつ この日の来るを思わざりけり


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ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」        2006年 2月 10日(金)第68号


 (^O^) ゆとりある人のための5分エッセー (^O^)

 【 親父の小往生 】

 (^_^)今週の狂短歌(^_^)

○ いつか来る やがて来ると思いつつ この日の来るを思わざりけり

 今から40年ほど前……10歳のころ、自分は生きて21世紀を迎えるんだろうかと、芥川龍之介的不安にとらわれました(^.^)。
 そして、二十歳前後は太宰を読み、青春のはやり病(やまい)のように、早く死にたいとつぶやいていました。当時のカノジョに「若くて美しいうちに死んだら」などと口走ったものです(^_^;)。
 その頃私は松江にいました。とある飲み屋で妙なおっちゃんと意気投合し、「親より先に死ぬのんが最大の親不孝やで」と言われ、なるほどと思いました。

 さて、その後なんとか生き延びて21世紀を迎えてみると、今度はお呼びでない生活習慣病がやって参りました。
「あなたは糖尿病境界線ですよ」と言われ(-.-)、退職後は痛風を発症して病院通い(T_T)、心臓はときどき不整脈を起こすし、「おいおい」てなもんでした。

 母は10年前、70歳を目前にして他界しました。そのときはまだまだ生きてほしかったと、くやしい思いにとらわれたものです。
 しかし、我が親父の方はばりばりのお達者高齢者として歳を積み重ねていました。
 持病の慢性腎炎はあったものの、日常生活には全く支障がなく、畑仕事に剣道指導、詩吟に尺八、水墨画。そしてゲートボールにグランドゴルフと趣味は多彩で、一人暮らしながら元気に生活していました。私と同じ速度で散歩ができる健脚の人でもありました。
 一昨年親父は80の傘寿を越えました。彼の血液検査結果を見ると、私や兄より数値がよく、「こりゃあ親父より、子の方が先に逝くかもしれんのう」などと思ったものです。

 しかし、その親父もさすがに、大きな病気には勝てませんでした。

 昨年3月、親父は突如として黄疸になり入院。検査の結果、胆管ガンであることがわかったのです。 
 胆管ガンとは胆管に癌ができる病気です。肝臓は消化液の胆汁を作っており、その胆汁が小腸へ流れる管を胆管と言います。胆管ガンとはそこにできた腫瘍で、高齢者に多いそうです。腫瘍が胆管の外側にできるので、早期発見がむつかしいのです。
 癌細胞が大きくなって胆管を押しつぶし、胆汁が流れにくくなる。すると肝臓内に胆汁が逆流して黄疸が始まる――この段階になってやっと発見され、そのときにはすでに末期である癌です。

 親父にはもちろん癌であることを告知しました。しかし、すでに末期であるため、開腹しての癌の切除、抗ガン剤投与、放射線療法なども行われませんでした。せいぜい内視鏡で胆管にパイプを通して胆汁の流れを良くしただけで、あとは免疫力を高める民間療法にたよるしかありませんでした。

 その後夏と秋に二度の入退院を経て、昨年12月に救急車で運ばれて四度目の入院。当初「余命三ヶ月」と言われながら、その三倍もがんばりましたが、さすがに四度目の退院は厳しかったようです。

 昨年12月末には、主治医から「あと二、三日、長くて一週間でしょう」と宣告されました。それを受けて私は元旦の夜から親父のベッドのそばで寝始めました。

 親父は2日、3日は結構いい感じで覚醒しており、この調子ならまだまだと思わせました。
 しかし、4日5日と息苦しさが増し、痛みもあるようなので、モルヒネ投与を開始。
 やや穏やかになったものの、依然として息も絶え絶えの状況が続きました。それはかなり苦しくきつそうに見えました。

 そして1月6日、とうとう尿が出なくなり、血圧がどんどん低下。深夜の0時過ぎ、看護士が「家族を呼んだ方がいいでしょう」と言うので、取りあえず兄が来室。
 兄嫁や姪(風呂上がりでした)を、呼ぶかどうするか二人で話し合っているとき、ふっと親父は静かになりました。

 それは思いがけないほど突然で、私は「あれっ、息してないんじゃない?」と、すぐに親父の耳に口を近づけ「おやっさん!」と叫びました。
 すると親父は、びくっとしたかのように再び息をし始めました。
 しかし、その後は徐々に呼吸が弱くなり、約十分後またも呼吸停止。
 その後は呼びかけてもダメで、ぐったりしたまま。さらに数分後心臓も停止しました。
 1月7日午前1時26分、医師が「ご臨終」を宣告しました。

 残念な結果ですが、余命3ヶ月予想を3倍も息抜き、「あと数日でしょう」予想も9日間延ばしました。なかなか精神力旺盛な親父でもありました。

 別府から故郷へ深夜親父とともに帰ってきました。
 小雪の舞う大分自動車道を、葬儀社の車はゆっくり走りました。
 そのとき雪が舞っているのに、夜空は驚くほど澄み切って満天の星がまたたき、北斗七星と北極星がくっきり夜空に浮かんでいました。
 どうやら親父はあの星の一つになったようです。

 1月3日に覚醒したとき、二日ぶりにひげをそってあげると、親父は珍しく「ありがとう」と言いました。
 その直後やって来た兄嫁と姪の二人に対しても、別れるとき握手して「ありがとう」と言いました。
 それが私たちにとって最後の言葉となりました。

 思えば、昨年3月に黄疸が発症して、親父と二人暮らしを初めてから11ヶ月余り。
 お袋もまた癌で、発症から亡くなるまでの1年半余り、親父が介護・看護をしていました。
 私はそれを見て親父の時には私が介護・看護をしようと心に決めていました。5年前教員を退職したのも、一分の理由にこれがありました。
 しかし、介護らしい介護、看護らしい看護もしないままで、親父は逝きました。
 「おやっさん、せめて1年か2年くらいは看護させてほしかった」とつぶやいたものです。
 最後まで自立自尊、子孝行の親父殿でした。

 81歳では大往生と言えないでしょう。しかし、小往生だったなあと話し合ったものです。

 告別式当日には、とても不可解で神秘的な出来事も起こりました。それはいずれメルマガで公表したいと思います。


 ○ 親孝行? いえいえ親父は子孝行 小往生でぽっくり逝った


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:12月30日に「いい意味でも悪い意味でも落ち着かないとメルマガを発行できない」と書いてから、たった1週間で決着がつきました。しかし、その後精神的な落ち込みもあってメールやメルマガ、ホームページの更新など全く手が着きませんでした。一ヶ月経ってようやく落ち着いてパソコンの前に座れるようになった次第です。
 まだまだ定期的な発行はお約束できません。不定期でぽちぽち発行したいと思いますので、ご了承お願いいたします。m(_ _)m (御影祐)


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