悩みを隠す子ども


○ 親がもし弱みを見せぬ人ならば 子どもは悩みを隠そうとする



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ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」        2007年 6月 26日(火)第79号

 (^O^) ゆとりある人のための10分エッセー (^O^)

 前号では「人の心が壊れる前に、周囲は気づくか」というテーマを取り上げました。
 特に心が揺れやすい思春期の子どもはちょっとしたことで傷つきやすく、心に穴をあけることがあります。
 となると、親というのはしんどい商売(^_^)のように思えてきます。親は始終子どもに目を注いでいなければならないのか、いつも子どもの一挙手一投足を見つめていなければならないのか――と言うと私はそんなことはないと思います。
 本日はこの件について「弱みを見せない親」との関係で考えてみたいと思います。

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 【 悩みを隠す子ども 】

 (^_^)今週の狂短歌(^_^)

 ○ 親がもし弱みを見せぬ人ならば 子どもは悩みを隠そうとする

 以前このメルマガで「親が喜びを表現できない人であれば、子どもも喜びを表せない。親が働くこと、生きることは辛い辛いと辛気くさい顔で愚痴をこぼせば、子どもも人生とはしんどくて辛いものだと感じる」と述べたことがあります。

 この「喜びを表現する」部分はいいのですが、後半の「愚痴ったり、しんどいしんどいともらす」部分を読んだ方はどう思われたでしょうか。
 子どもに愚痴ったり、辛い辛いともらすのは「良くないことだ」と思われたでしょうか。
 「自分には確かにその傾向がある。反省しなきゃ」と思ったとすれば、あなたはとても真面目な方だと思います。

 この世にはそのような弱音を一切吐くことなく、いつもけなげに一生懸命生きている人がいます。
 働き方も真面目で愚痴もこぼさず前向きにがんばっている、とても立派な人です。
 実は私の親父なんぞもそれに近い人でした(^.^)。
 少なくとも子ども時代まで私はそう思っていました。
 しかし、こちらはこちらでまた問題あり――と思います。

 それについて書く前に、前号の続き――と言うか、語らなかったある部分について補足します。

 前号では私の高専時代の体験を語りました。
 入学して半年余り、自分は高専に合わないと感じてやめたいと思い、父にそれをもらしたこと。秋のある土曜日連絡しないまま家に帰ったら、家では前年郵便局長になった父の新局舎落成の宴会が行われていた。私はつまらなくて翌日黙って寮に戻った――父と母はそれらのことから息子の異変に気づいたと。

 しかし、前号では語っていない部分があります。いとも簡単に「高専をやめたくなったと親にもらした」と書きましたが、当時の私(中学校卒業まで)はそのような弱音をもらすタイプの人間ではなかったのです。そのとき初めてだと思います。親に悩みを打ち明けたのは。
 後になってわかったのですが、父のある変化を見ていたから私はその言葉を出せた。もし父の変化を見ていなければ、私は「高専をやめたくなった」ともらしていなかったかもしれません。

 父のある変化とは彼が郵便局長になる直前のことでした。

 父は私の幼い頃から強くて正義派の人でした。彼は(戦前の)小学校卒業後しばらくして郵便局で働き初め、熊本の逓信(ていしん)講習所で1年間勉強して電信の資格を取った努力家の人でもありました。だから、父はモールス信号を送受信できます。
 局長代理だったころ、父の元にはしばしば局内のトラブルがもちこまれ、父はその人たちの相談相手となり、トラブルの仲裁役を果たしていました。

 そのような姿を見ていた私にとって父は尊敬できる人でした。彼が愚痴ったり、弱音を吐く姿など見たことがありません。
 もしそのままの父であったなら、私は「高専をやめたくなった」と弱々しい言葉を吐かなかったでしょう。私もまた中学時代はちょっとした優等生で(^_^;)、ケンカは苦手だったものの、真面目でがんばるタイプの生徒でした。勉強だけでなく、3年間卓球部に所属して3年次郡のベスト8に入りました(7位決定戦に負けて県大会を逃しました)。
 だから、私も弱音や愚痴と無縁でした。

 私のことはさておき、父の話に戻ると、彼は局長昇進前ちょっと情けない事態を起こしました。
 もう父も亡くなったことですから、ここで白状してもいいでしょう(^_^)。

 父は代理から局長になるにあたって昇進試験を受けることになりました。
 試験の内容は初級公務員程度の簡単なものだと父は言っていました。つまり、中卒程度の学力でクリアできる問題です。父は戦前の中学校卒ではありませんが、独力で勉強して常識なども普通以上に身につけている――と私も見ていたし、父自身もそう思っていたようです。自信もあったでしょう(^.^)。

 ところが、それは過信だったようです。父はなんと昇進試験に落ちたのです。
 郵便局の経歴・人柄などは申し分ない。だが、その簡単な試験の点数が悪く不合格となったのです。

 試験後帰宅した父はしおれていました。それは私が初めて見る父の弱々しい姿でした。
「できなかった……難しかった(--;)」と父はもらしました。父にとっても相当のショックだったようです。

 九州郵政の幹部は父に新局長を任せる腹づもりだったのか、再試験を課すことにしたようです。
 ひと月後もう一度試験をやると、再チャレンジの機会が与えられたのです。しかし、父は「もう試験を受けるのはやめようかと思う」などと弱音を吐きます。

 そのとき盛んに叱咤激励したのが母でした。慰めたり励ましたり、怒ったり。
 母は「せっかくもう一度受けられるんだから、受けにゃあ!」と説得しました。
 父もようやく気を取り直して「そうじゃなあ」と言って勉強すると決めたのです。
 私はもちろん……眺めていただけでした(^.^)。

 その後父は初級公務員レベルの問題集を買い込んで一カ月猛勉強しました。
 そして、二度目の試験は簡単にクリアして無事郵便局長になれたのです。

 父にとっては人に話したくない不甲斐ない経歴でしょう。
 しかし、私はこの父の弱々しい姿を見ていたから、翌年高専に入学して不適応症状を起こしたとき、「高専をやめたくなった」ともらせたような気がします。

 子どもが危機に陥ったとき、あるいは悩んでいるとき、それを親にうち明けないことはしばしばでしょう。特に親が弱みを見せることなくがんばっている人ほど、子どもはうち明けづらいような気がします。
 あるいは、親が他人をあてにせず、自力でがんばるタイプの場合も同じです。子どもはトラブルに陥ったとき、やはり自分一人で解決しようとするでしょう。そして解決できず、深みに落ちてしまうような気がします。

 もちろん親が愚痴などもらすことなく、真面目に一生懸命生きることは大切でしょう。
 しかし、時には子どもに自分の弱々しい姿――ありのままの自分を見せることも、子どもを安心させるのではないでしょうか。
 「弱々しくってもいいんだ」と思えれば、子どもは自分の悩みを親にうち明けるだろうし、そのサインを出しやすい気がします。
 要するに、子どもの一挙手一投足を注意深く見つめなくても、悩みをうち明けられる親であればいいのです。

 自分の体験から言っても、子どもはサインを出そうと思って出しているわけではありません。ただ、なんとなく感じたままに行動していると、それが異変を知らせるサインとなっているようです。
 たまには親も弱い自分をありのままに見せてはいかがでしょう。
 そうすれば、子どもは悩みをうち明けられる子になるような気がします(^_^)。


 ○ 親がもし弱みを見せぬ人ならば 子どもも悩みを隠そうとする


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:最近子どもがいじめられても、親や先生にいじめをうち明けないことが問題視されています。上記の例はうち明けられない理由について語りました。これ以外では、親が世の中のことに無関心で傍観者的なタイプであると、子どもはやはり悩みをうち明けません。そのへんのことは今回出版予定の『狂短歌人生論』で大いに語りました(宣伝ですみません^_^;)。(御影祐)
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