ほめること叱ること


○ 傍観と受容の親は叱れないし ほめるのへたな 全タイプ



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ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」        2007年11月 2日(金) 第87号

  今回も『狂短歌人生論』の一節より、「ほめること叱ること」について。
  四タイプはどう叱り、どうほめるのか(^_^)。
  ちょっと長くていつもの2倍です。

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 (^O^) ゆとりある人のための10分エッセー (^O^)

 (^_^)今週の狂短歌(^_^)

 ○ 傍観と受容の親は叱れないし ほめるのへたな全タイプ

  【 ほめること叱ること 】

 脅迫者と批判者は自分の考えや行動に絶大な自信を持っている。だから、彼らの規範に沿わない行動をとる者は全て劣った人間、だらしない人間、ダメな人間である。それゆえ、我が子がそのような人間であるとわかれば、激しく厳しく注意して叱りつける。特に脅迫者はさからったらなぐられると思えるほどの剣幕でどなりつける。子どもはただ頭を下げてひれ伏すしかない。
 また、批判者の親も自信に満ちて我が子の悪い点を指摘し、徹底的に批判して叱責(しっせき)することができる。こちらも子どもは批判のお言葉が終わるまで、神妙に拝聴するしかない。

 よって、この二タイプは「子どもを叱ろう」などと言う必要はない。自らすぐに叱りつけるタイプである。ちなみに、この二タイプを親とすると、子どもは自ら犯した小さな悪を決して親にうち明けようと思わない。万引きや弱い者いじめ、軽い犯罪。子どもが悪いことをしたと後悔しても、この親に告白することはない。

 一方、傍観と受容者タイプの親は我が子を叱ることがとても苦手である。それは彼らの気質・性格からして当然すぎるほどの結論である。

 まず傍観者。傍観者は基準となる自分というものを持っていない。また、いつも事態をぼんやり眺めている。それゆえ、我が子が行ったことが悪かどうか判定できない。判定できたとしても、あるとき叱ってあるとき叱りそこなう。やがて子どもはその一貫性のなさに気づく。そうしてこの親に不信感を抱き、軽蔑するようになる。

 そして受容者。受容者は全てを受け入れることが基本中の基本である。だから、我が子が悪いことを犯しても「いい子いい子」と言ってなんでも許す。わがままに育った息子が近所の子をぽかりとたたいて泣かせる。だが、この親はにこにこ顔で「だめよォ何々ちゃん。そんなことしちゃあ」とやさしく叱る。そしてそばの人に「うちの子は元気が良すぎて困ります」と子どもに聞こえるように言う。結局、叱っていない。

 よって、「子どもを叱ろう」という呼びかけが意味を持つのは傍観・受容の二タイプである。
 だが、傍観者の親は子育てに関心がなく、自由放任でいいと思っている。また、受容者の親は叱りつけるような厳しい言葉を、厳しい態度で言うことができない。要するに、この二タイプは我が子を叱れないし、叱らないのである。

 次にほめることについて考えてみよう。脅迫・批判・傍観の三タイプが人をうまくほめられないのは、これまた当然すぎるほどの結論となる。

 脅迫者は腕力に自信を持ち、自分はグループのリーダー、つまりボス猿だと思っている。それゆえ、最も強い自分がほめられこそすれ、自分に従う連中にほめる要素があるとは全く思わない。
 それに脅迫者は他の三タイプを基本的に軽蔑している。力を振るえない、臆病な傍観者や受容者は情けない連中だし、批判者に対しては口先だけの人間だとバカにしている。
 また、脅迫者は周囲の人間が彼を恐れてぺこぺこしたり、ほめ言葉を発することを、実はお世辞だと感じている。当然お世辞のほめ言葉を脅迫者自身が他人や我が子に使うことはない。この脅迫者が我が子を心からほめるのは、息子がけんかをして勝ったときだけである。

 批判者はどうか。弁論得意で有能な批判者も自分の能力に絶大の自信を持っている。だから、完璧に仕事ができる自分がほめられこそすれ、いいかげんな仕事しかできない連中にほめる要素などないと考える。そもそも他人や仕事の悪い点、ミスをすぐに気づくのが批判者である。百パーセントの仕事ができない人間をほめるなんてあり得ないではないか。

 また、完璧主義の批判者は自分がした仕事を他の人が賞賛しても、一つ二つのミスがあることを知っている。だから、批判者もそのほめ言葉はお世辞だろうと感じている。ほめることはお世辞と思う批判者が、心の底から人をほめることができないのは理の当然である。子どもはこの親から一生ほめられないだろう。いや、百点満点を取り、何かでトップになったときだけほめてもらえる。

 三番目に傍観者。叱ることに一貫性を持てない傍観者は、当然ほめることに対しても一貫性がない。基本的に自分以外のものに関心が薄い。だから、我が子が行ったどんなにいいことでも「ふーん。そう」「良かったね」と冷ややかにほめるばかり。子どもはこの親に失望して、やがて人からほめられることを期待しなくなるだろう。

 最後に受容者。受容者ほど人を、我が子をほめるタイプはいないように思われる。特にこの母親は我が子の善悪全て丸飲みにしていつもほめちぎっている。だが、不思議な人間の感情はいつもいつもほめられていると、そのうちそれが空気のようになって、ちっともありがたみを感じなくなるのである。
 そもそも我々は毎日毎時間ほめられるようなことばかりやってはいない。それが何をやっても、悪いことであってもほめられていると、やがて子どもは傲慢(ごうまん)でわがままな人間に育つ。たまにほめられてこそうれしいことだってあるのだ。

 結論。四タイプはみな人をうまくほめることができない。「子どもをほめよう」という呼びかけはシャボン玉のように、むなしく空に消えていくばかりである。


 ○ 傍観と受容の親は叱れないし ほめるのへたな 全タイプ


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※他には……子どもに対して厳しい親が必ずしも批判者タイプとは限りません。
 ・傍観の親の一部は子育てで 批判の親をまねてはみるが
 ――このように、批判者タイプをまねする傍観タイプの親もいます。
 また、母親の一部がどうして我が子を虐待するのか。この件についても考察しました。
 狂短歌は……
 ・受容者の母の一部は脅迫者 我が子をきつく叱ってなぐる

   詳細は拙著『狂短歌人生論』にて。

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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:亀田問題はようやく決着したようです。ところで、あれほど亀田家を持ち上げていたマスメディアの連中が、彼らに突然バッシングの嵐を浴びせましたが、読者各位はどうお思いになったでしょうか。マスメディアの連中は基本的に批判者タイプが多いのですが、相手が強いと何も言えず(言わず)、ミスを犯したり弱いと見るや批判を浴びせるのは傍観タイプの一大特徴です(^_^)。(御影祐)




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