大支配と小支


○ 宗教や思想・道徳・世間様 大きな支配 権威は消えた



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ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」        2007年12月 14日(金) 第91号

  前号では人が与えたり奪ったりするエネルギーについて述べましたが、
 次は大上段に構えて(^.^)現在のモラル衰退、家族崩壊などについてその原因を考えてみました。
  私はその理由として「大支配」がなくなったからだと考えています。

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 (^O^) ゆとりある人のための10分エッセー (^O^)

 (^_^)今週の狂短歌(^_^)

 ○ 宗教や思想・道徳・世間様 大きな支配 権威は消えた

   【 崩壊した大支配 】

 人間の歴史を振り返ったとき、日本でも外国でも人はずっと支配する少数と、支配される多数に分けられていた。全ての人間が平等だった原始共産制があったかどうか、それはよくわからない。とにかく記録に刻まれた時代以後は支配する人と支配される一般大衆に分かれていた。

 多くの民はまず奴隷として支配された。苦役を課され、支配者のおこぼれに預かって生きていく以外、なんの自由もなかった。支配するのは王様・君主・皇帝だった。次に半分奴隷半分農民の時代となる。それがまた長く長く続いた。手かせ足かせはないけれど、生まれた土地に縛られ、ぎりぎり生きる分以上の生産物を租税としてしぼり取られ、苦役にかり出された。

 その時代、人々を支配する道具として使われたのが武器である。そして、精神的に支配したものが道徳・規則・宗教だった。支配される者たちは同じ道徳、規則、宗教、共同体の掟に縛られた。

 やがて近代が始まり、人間解放と自由が叫ばれた。だが、市民革命が成功しても、自由は一定の階層以上の市民に与えられただけで、大多数の民衆に自由はなかった。
 たとえば、参政権一つを取ってみても最初は金持ちだけ。次いで平民へ広がったが、それも男性のみ。女性に選挙権、被選挙権はないままだった。

 日本は欧米先進国よりもっと遅れ、基本的人権と呼ばれる表現の自由、思想・信条・良心の自由、生命・財産・信仰・言論・出版・結社の自由などはいまから六十数年前、第二次大戦後にようやく認められた権利である。

 そして、日本には日本独特の家父長制があった。長らく家族を率(ひき)いたのは一家の長たる男性だった。男性は強く女性は弱かった。妻は夫に、子どもは父に支配され、夫や父の言いなりだった。
 ここで父親が家庭を支配する手段として使ったのが脅迫者としての暴力やどなり声であり、批判者としての厳格な態度と言葉だった。支配される女や子どもは受容者、せいぜい傍観者となるしかなかった。

 この支配と被支配の歴史の中で四タイプはずっと存在し続けた。私たちは一人の例外なくこの四タイプのいずれかに入る。もちろんこの性格が際だって発現している人と、さほどでもないという差はある。だが、現在ではこの四タイプの悪しき性質を発散させる子どもや少年少女、若者、大人がどんどん増加している。そのわけは《大支配》が崩壊しつつある――感覚的にはほとんど崩壊したからだと考えられる。

 かつては大支配として宗教・思想・道徳・世間・共同体の掟などがあった。それゆえ、四タイプの人々はその中に組み込まれることによって、かどの取れた普通の人間として生きていけた。

 たとえば宗教。キリスト教が愛の大切さを説き、仏教がエゴを抑制することを教えた。人への愛と思いやりを育て自分勝手なわがままを抑えてくれた。
 そして、思想が「みんなのために生きよう」と指し示した。みんなが力を合わせて豊かに生きるユートピアを夢想できた。
 あるいは、道徳が「親の恩、師の恩、社会の恩」を教え、人々にモラルとエチケットを示した。
 父親が「そんな生き方では世間に顔向けできないぞ。この地を離れて一人で生きていけないぞ」とさとした。

 そして、やさしい母親は強い権威(けんい)をちらつかせて幼な子をしつけた。「怖ーいお父さん、怖ーい先生に言いつけるよ。怖ーーいおまわりさんに連れて行かれるよ。嘘つくと地獄でエンマ様に舌を抜かれるよ」と。

 大支配の教えは脅迫者・批判者の父による家族の支配に、根拠と権威を与えてくれた。その上脅迫者の暴力や威嚇(いかく)、批判者の批判と悪口を抑えてくれる働きも持っていた。
 この父親たちは自分と同タイプの我が子に強さと責任感を教え、傍観者タイプに気を配り、受容者タイプの妻や娘への愛と感謝を忘れなかった。

 いや、もっと言うなら、彼らは四タイプの良い面をしっかり発揮できた。脅迫者・批判者の勇気と正義、傍観者・受容者の忍耐とやさしさ。その強さとたくましさ、弱さと思いやりを大支配の教えにのっとって発揮することができた。大支配を口にすることによって自分を変えられたし、身近の人を変えることさえできた

 だが、いまや大支配は崩壊した。もはや一部の人を除いて宗教が信じられない。なぜならカルトな宗教を信じた人が私たちを無差別に殺そうとした。どこかの国や地域では宗教を信じる敬虔な信仰者同士が殺し合っている。みんなのために生きる社会主義の思想は資本主義に負けて崩壊した。

 人は言う、「これからは自分のために生きる。弱い奴は落ちこぼれろ。道徳なんかくだらない。世間なんかへでもない。共同体? 人を縛っているだけじゃないか。そんなものなくても一人で生きていける。怖いものはない。地獄のエンマ様ァ? ぜひお会いしたいもんですネ!」と。

 大支配がなくなって人は自由気ままに生き、自己の感情のおもむくままに生き始めた。それこそ《脅迫・批判・傍観・受容》という感情を露骨に表現する生き方だった。


 ○ 宗教や思想・道徳・世間様 大きな支配 権威は消えた


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※そうして、かつての大支配にかわっていま人を支配する方法として使われているのが「脅迫・批判」の小支配です。その狂短歌は……
 ・ 脅迫と批判がもたらす不快感 小さな支配に人はいらつく
 ・ 子どもらを正しく導く批判だが 結局それも小さな支配

 なぜ「脅迫・批判」が子どものしつけや様々な場所で効かなくなったのか。それは大支配という根拠がなくなったからだと思います。

 詳細は拙著『狂短歌人生論』にて(^_^)。

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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:今年の世相を漢字一文字で表す「今年の漢字」が決まりました。約9万通の応募ハガキの中から、栄えある1位となったのは「偽」だそうです(^.^)。2位「食」3位「嘘」と合わせるなら、食品偽装、賞味期限ごまかしなど、確かに今年の世相をよく表している漢字ですね。清水寺本堂で巨大な「偽」を揮毫(きごう)した住職が「こんな漢字が選ばれるなんて恥ずかしいことです。悲憤でいっぱいです」と嘆いていたのが印象的でした。(御影祐)




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