小支配をやめよう


○ 脅迫と批判使って我が子らに 繰り出す支配 やめるべきとき



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ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」        2007年12月 21日(金) 第92号

 モラルの復活が叫ばれています。しかし、宗教・道徳などの大支配を復活することはとても難しいと思います。
 むしろいま私たちに必要なのは、小さな支配である「脅迫・批判」をやめて対等の人間関係を構築することだと思います。親子しかり、友人・恋人・夫婦しかり。先生対生徒、上司対部下……などなども(^_^)。

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 (^O^) ゆとりある人のための10分エッセー (^O^)

 (^_^)今週の狂短歌(^_^)

 ○ 脅迫と批判使って我が子らに 繰り出す支配 やめるべきとき

   【 小支配をやめよう 】

 いま五、六十代の中高年は脅迫者や批判者の父に支配されて育ってきた。彼らはかつてそれに反抗して父の元から脱出し、脅迫者と批判者の父を田舎に独りぼっちにした。彼らの子ども時代はまだ父の支配に我慢できる時代だった。それは大支配が有効だったからだ。しかし、いまやねちねちくどくど批判をする批判者の父や母、または批判者の先生や会社の上司に対して、子どもや若者は耐えられない時代になった。

 そのような時代に道徳・倫理の復活を声高に叫んだとしても、一体なんの甲斐があろう。根本的な解決法はひとりひとりが小さな支配をやめることである。私はそのことによってしか、この日本(そして文明先進国)を救う道はない、子どもたちを救う方法はないと断言したい。

 大人はまだ我慢ができる。解消法もある程度知っている。しかし、子どもは表向きの解消法を知らない。彼らは裏に回って心の闇の中でそれを解消しようとする。

 考えてみてほしい。子どもが生まれて二歳ほどで、早くも批判者の母は我が子が自分のペースに合わせることを要求するのである。

 母は「早く早く」と子どもをせかす。自分は働いている。決められた時間までに職場に行かなければならない。子どもを保育所にあずける時間が迫っている。朝のばたばたした時間。「早く顔を洗って歯みがきをして」「早くご飯を済ませて」「早く着替えをして」「早くトイレに行って」「早く早く、もう出るよ」と、母は子どもに多くの言葉を浴びせる。

 かわいそうに、子どもは一生懸命走り回ってお母さんのペースについていこうとする。それは子どものペースを認めないことであり、子どもをあるがままに受け入れていないことを意味している。
 それこそ子どもに対して数限りなく繰り出される疑似(ぎじ)命令であり、小さな支配である。

 もしそのとき子どもがぐずったり、とろかったりすれば、あなたはいらいらして子どもを叱りつけるだろう。眉をひそめて「早くしなさいって言ってるじゃないの!」と叱責するに違いない。

 その子が心の中に「お母さんは私を愛していないのではないか」という不安を抱えていたとしても、あなたは気づかない。仮に気づいたとしても知らんぷりだ。なぜなら、のんびり抱いてやる時間などないから。

 幼い子は必死にお母さんのペースに合わせる。その小さな支配は一ト月のうち二十日余り続く。一年二百数十日続く。そうして、その支配が十年二千数百日も続いたとき、子どもは思う。「なぜ母のペースに合わせねばならないのか」と

 子どもはそのような疑問にとらわれ、自我に目覚める。子どもの心に巣くった、母に支配されている不快といらだちはそこからスタートしているのだ。

 いま多数派である批判者の母よ。気づいてほしい。あなたの批判的生き方が子どもを追いやるのだ。
 その生き方は必ず子どもの反乱を招く。初めは支配されていた子どもが、母になんとか言葉で対抗しようとする。だが、理屈で母に勝てないとわかったとき、この子は暴力を振るう脅迫者として母に立ち向かう。批判者に勝つには脅迫者として実力行使するしかないからだ。

 しかし、子どもが母自身に向かって反乱を起こす分にはまだいい方かもしれない。
 自分をあるがままに愛してくれない批判者の母。この母に愛されていると思えない心のブラックホールを抱えた子どもが、強い母に反抗せず、弱いものに向かう可能性があるのだ。
 いや、そのようなことを意識することなく、ただ心の穴を埋めてくれるここちよいものに引かれ、夢中になるのである。
 たとえば、いじめ、小動物の虐待、万引き、カルト的な異常趣味、異常犯罪への関心。あるいは、やさしく弱々しい傍観者・受容者タイプの父や同級生・下級生に対しての陰湿な無視や悪口、いじめ。それらはみな、子どもの心にぽっかりあいた穴を埋めてくれるここちよいものなのである。

 私たちはいま周囲の人々や子どもへの《小さな支配》をやめるべき時に来ている――私はそう思う。


 ○ 脅迫と批判使って我が子らに 繰り出す支配 やめるべきとき


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※本書では「自立」についても一章を設けました。その狂短歌は……
 ・ 自立とは親元離れて独立し 他立を認め成長すること
 ・ 脅迫者我が子受容か脅迫なら 自立他立ができない子ども
 ・ 批判者は良い子になったと自慢だが 悪口目立つ自己チュータイプ
 ・ 傍観者手のかからないあなたの子 自立するけどさみしい自立
 ・ 受容者のやさしい愛に包まれて 子どもは全く自立できない

 詳細は拙著『狂短歌人生論』にて(^_^)。

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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:またも散弾銃を使って人を殺す悲惨な事件が起きました。どこかでボタンを掛け違うと、とめどなく落ちていくような気がします。私はとにかく大支配によるモラル復活はもはや不可能と思っています。次回はエネルギーを与え合うドラマについて述べ『狂短歌人生論』紹介を終わりたいと思います。(御影祐)




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