○ 大それた夢はかなうか夢を見た 壁にぶつかる初夢だった
ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」 2008年 1月 24日(木)第94号
寒中お見舞い申し上げます。
1月もすでに月末ですが、今年も御影の狂短歌とエッセーをよろしくお願い致します。m(. .)m
関東では久々の寒冬です。風邪などひかぬようご注意下さい。原稿執筆時点の23日なぞ朝から雪でした。通勤通学など大変ですが、たまには雪もいいですね(^_^)。
さて、08年巻頭のエッセーとして「夢は実現するか」をテーマに取り上げました。
普通こうしたテーマは抽象的・観念的・宗教的になりがち(^.^)ですが、私はこれを具体的に調理したいと思います。
なにしろつい先日見た《08初夢》から解き明かすからです(^_^)。
おそらく噴飯ものの夢解きと思われるでしょう。しかし、明るい気持ちになれる夢解釈としてご一読下さい。
(^_^)今週の狂短歌(^_^)
○ 大それた夢はかなうか夢を見た 壁にぶつかる初夢だった(^.^)
今年の年賀状に私は三冊目の本がまたも初版を突破できなかったことを記し、「しかし、大ブレイクして宝くじ1等並みの印税を稼ぎ、その半分を世界の貧しい子どもたちに寄付するという壮大な(?)夢をもっておりますので、将来必ずブレイクすると信じております」と書いた(^.^)。
これは本当に私の夢というか目標で、別に宝くじ並みのお金を稼ぐのは小説でなくてもよく、その手段の一つとして競馬も考えている。
競馬で1億稼いで世界の貧しい子どもたちのために使いたい――などと言うと、ちょっと不純だと思われるかもしれない。しかし、犯罪を犯すわけではないし、目下の私にとって(小説で稼ぐのが難しい以上)大金を稼ぐにはこれしかないと感じているのである(^.^)。
それともう一つ、とても個人的な夢だが、ゴルフで毎回80台を出すというのがある。これまで三十数年ゴルフを続けて何度か八十台を出したことはある(最高で84)。しかし、連続して90を切ったことは一度もない。なんとか常時80台を出したい、さらには夢の夢の70台も――との思いは、私にとって小さくて大きな夢でもある(^.^)。
これが私が目下抱えている三つの夢――というか三大目標なのである。
そして、昨年終わり頃から(内容は省略するけれど)この三つの夢に対して私はある変化を自分に課した。つまり、いままでとちょっと違うやり方でアプローチし始めたのである。
私の夢は果たして実現するかどうか。そんなことを考えているとき、以下のような夢を見た。
この初夢はちょっといやな内容だった。なんと自分の選択した道がやがて行き止まりになるという夢である(^_^;)。
――夢の中で私は教員か事務員のようだった。場所は実家のようであるし、学校現場らしくもあった。家には母がいたような気もする。
とにかく何かいろいろ仕事をした後、ある場所(自分の家だったかもしれない)から、仲間3人と別の目的地へ移動することになった。4人で出張だったかもしれない。妙なことに、みんな自転車に乗って同時に出発した。
家の前には大きな交差点があった。その信号が青になるのを待つ。私は左から2番目の位置にいた。
交差点を渡ると、そこから先は三方向に分かれている。左の道はきつい上りで、右の道は急坂の下り。そして、真ん中はほぼ平面のゆるやかな下りだった。
左端の仲間は左の道を登り始め、右の二人は右の道を下っていった。当然のように、私は真ん中の道を進んだ。
だが、走り初めてすぐ、私はこの道が以前来たことがある道だと気づいた。そして、やがて行き止まりになることも思い出した。「またやってしまったか」と思った。
ふと左を見上げると山腹を登っていく仲間が見える。一生懸命自転車をこいでいる。右の方は見えないが、下りだったから、もうかなり行ったことだろう。私は他の二組に完全に遅れを取ってしまった。
どうするか。引き返すか。行き止まりとわかっているのに進むのか。
私は「いやいや、この道だって右か左どちらかに通じているかもしれない」と思って(思いこんで?)そのまま進むことにした。
その後道で遊んでいる親子連れやいろいろな人と出会った。さらにコンクリの道や、土のでこぼこ道を走ったりした。
やがて山腹の細い道になった。そして目の前に石組の壁が現れた。高さは2メートルくらいだろうか。左は険しい山腹で右は崖である。壁は道を完全にふさいでいるので、自転車ではこれ以上進むことができない。
やはり行き止まりだった(--;)。
しかし、この先どうなっているのか気になった。私は自転車を降りて壁の右端から先をのぞいてみた。
すると驚いたことに、向こう側からも男が一人顔を出した。はち合わせのようになったので、「おや失礼」と私は言った。――そこで目が覚めた。結局、その先どうなっているのか見ないままだった。
さて、みなさん方はこんな夢を見たとき、これをどのように解釈されるだろうか。
目覚めていろいろ考えた。どうも何やら象徴的な夢のような気がした。
いま自分が進もうとしている道はだいたい三つある。小説に競馬にゴルフだ。これらで長年の夢を実現させようとしている。だが、この道が果たして目的地に到達するかどうか正直自信はない。
たぶんこの夢はそんな自分の心の不安を象徴しているような気がする。自分が進もうと考えている道はやがて行き止まりになるのではないかと。
夢の中で左の道は上りの急坂だった。初めはきついだろう。だが、やがて下りになれば、一番早く目的地に到達できるのではないか。また、右の道は最初下りが快適で安楽だが、遠回りの道で時間がかかるのかもしれない。あるいは、初めは楽でも最後になって上りがきつくなることだってある。どちらにせよ、二つの道は目的地に到達する。
振り返ってみれば、退職後の私の生き方は正にゆるやかな下りだった。しんどい道やもっと楽な下り坂の道を選ばなかった。ところが、私が選んだ道は行き止まりとなって目的地に到達できない。となれば、私の夢は実現できないことを暗示しているのだろうか……。
夢を見た当初はそのように感じて「いやな夢だな」と思った。しかし、もっとよく考えてみると違うような気がしてきた。
確かに石の壁があるから、一見すると私が選んだ道は行き止まりに見える。だが、そこから先は見ていない。夢の中の記憶でも、私はその先どうなっているのか知らないようだ。そこで行き止まりになると思っているだけかもしれない。
そもそも最後に向こうからひょいと顔を見せた男って一体誰なのだろう。もし石壁の向こうも断崖絶壁なら、向こうから人が現れるはずがないではないか。
あるいは、向こうからも誰かがこちらの目的地を目指して出発した。そうして石壁の手前までやって来て「この先はどうなっているのだろう」と顔をのぞかせた――そのように考えることもできる。
であれば、壁の向こうに道があることを示している。そして、2メートルほどの石壁をどうにかして乗り越えれば、その先に進めるのではないか。つまり、行き止まりとなる道を選んでも、壁さえ乗りこえればやがて目的地に到達できそうである。
いや、もっと面白い解釈も可能だ。向こうから顔をのぞかせ、はち合わせした人が《自分自身》だと考えることも可能である。ちょっと不思議なだまし絵というか、鏡面的世界の発想だ。
つまり、向こうでも全く同時に私が出発して全く同時にこの石壁の前に到着したのである。そして「壁の向こうはどうなっているのだろう」と思って端からのぞき込んだのである。それがはち合わせの意味ではないだろうか。
もしそうであるなら、(かなり自分勝手な解釈だが)目的地まで半分の距離に至ったとき、私はすでに目的を達成したことになる。なぜなら、私と彼はそこで一体化すればいいからだ(^.^)。
いや、私は壁の向こう、はるか先に目的地があると思っていたけれど、その石壁がすでに目的地なのかも知れない。そこに鏡が立てられているように、もう半分は向こうからやって来るのだから。
もっと言うなら、目的地は私が出発した地点である可能性もある。そうであれば、私は半分の距離まで進むことで目標を達成できるのかもしれない。
その後さらに考えて究極の楽観的解釈を発見した(^_^;)。
それは夢の中で、私と仲間が三方向に分かれて進んだことである。仲間とは誰のことかと考えてみると、結局これもみんな自分のことを表しているような気がする。問題は自分の生き方だからだ。
そして、「三方向の道」とは正に私の「ゴルフ・小説・競馬」の三方向を暗示しているではないか。要するに、三つの道は全て目的地に通じているのである(^o^)。
たとえば、真ん中の道が競馬なら、それは半分まで達したとき、向こうから「勝利の使者」がやって来るのかもしれない。そして、下り坂の道はゴルフだろうか。左の険しい上りは小説と見ることができる。確かに最初はしんどい上り坂だろう。だが、峠を越えればあとは一気に目的地へ到達できるのである。
結局、私は自分が進む三つの道で「夢を実現できる」と初夢は教えているような気がする。
なんとも楽観的解釈ではあるが、とても気分のいい夢だったのである。心も軽くうきうき気分になれようってもんではないか(^_^)。
○ 大それた夢はかなうか夢を見た 全てかなう初夢だった(^.^)
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
後記:「本当にそんな夢を見たの?」と言われそうですが、本当です。へんな話ですが、ときどき妙にそのときの自分を象徴するような夢を見るのです。ちなみにこうした夢は「自分に都合のいいように解釈する」のが肝心のようです(^_^)。(御影祐)
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