○ コンビニやお店で物を買うときの 言いたい言葉「ありがとう」
ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」 2010年 4月 20日(火)第 121号
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○ コンビニやお店で物を買うときの 言いたい言葉「ありがとう」
四月です。ぴっかぴかの小学校1年生がでかくて重そうなランドセルをしょって歩いています(^_^)。お母さんやお父さん、そして先生方は子供達にいろいろ大切なことを教えていることでしょう。
その中には「きちんと挨拶しよう」とか「ありがとうを言おう」もあるはずです。
でも、子供達に教える前に、大人はちゃんと「ありがとう」を言っているだろうか、と振り返ってみると、とある場所ではほとんど言われていないことに気がつきます。
それはコンビニ・スーパー・様々な商店で行われている物の売り買いの現場のことです。
店の人はこちらがお金を渡すと、まず例外なく「ありがとうございます」と言います。
対するお客さんは商品を受け取ると、黙って店を出ていきます。
考えてみるとこれってへんですね。物を売ってもらったら、お客さんも「ありがとう」と言うべきではないでしょうか。
一体いつから、現金を渡せば「ありがとう」の言葉を言う必要はないと考えるようになったのでしょうか。
原始の昔から、物々交換の大原則はお互い「ありがとう」を言い合う習慣だったはずです。
たとえば、海で漁をして魚を捕る。もちろんまずは自分と家族が生きていくための漁です。しかし、大漁で自分たちが食べる分以上の獲物を得たときは、それを山の村に持っていく。そして陸で収穫された野菜や豆や芋と交換する。
海の民は山の幸を得る。かたや山の民は海の幸を得る。お互いが「ありがとう」「ありがとう」と笑顔で言葉を交わす(^_^)。
あるいは、村の中で器用に髪をいじる人、道具を作る人に対しても、髪をあたってもらえば「ありがとう」、狩りや日常生活のための道具を作ってもらえば「ありがとう」と言う。そして、自分が獲った獲物を差し出す。向こうもまた日々の食料を得て「ありがとう」で答える。お互い持たないものを与えてくれた相手と感謝の言葉を交わす。
さて、それなら現在文明先進国で暮らす私たちの日常生活はどうでしょう。
朝コンビニでおにぎりやパンとジュースを買う。お金を払うと店員さんが「ありがとうございました」と言う。
買った私たちは返事もせず店を出ていく。
お昼に弁当屋さんでシャケ弁を買う。お金を払うとおばちゃんが「ありがとうございました。またどうぞー」などと言う。
ここでも多くの人は黙って出ていくか、まれに私なんか「どーも」などと言ったりする。お客さんから「ありがとう」の言葉は聞こえてこない。
あるいは、夕方散髪のため理髪店に行く。髪を切ってもらう。何千円かのお金を払う。
店の人が「ありがとうございます」と言う。やはりお客さんは無言のまま。
ただ、このときばかりは「ありがとう」という人もいます。
その他お菓子を買っても、惣菜や魚、牛肉豚肉を買っても「ありがとう」の言葉を言うのは売った方。食堂やレストランで食事をすると、精算で「ありがとうございます」と言うのは店の人。「ごちそうさまでした」と言う人はいるけれど、黙って店を出る人も少なくない。
私たちはいつからか、お金を払えば「ありがとう」と言わなくていい。感謝の気持ちを表さなくてもいいと思ってしまったようです。
しかし、よく考えてみれば、これはおかしいことに気づきます。
なぜなら、私たちはコンビニや弁当屋さんで、おにぎりやパン、弁当を買うことによって、あるいはレストランや食堂で食事をすることで、大袈裟に言えば飢えから免れたわけです(^_^;)。
理髪店でぼうぼうにのびた髪をきれいにしてもらった。菓子や惣菜、魚や牛肉豚肉を売ってもらったわけです。
物々交換の大原則から言うならば、私たちはそのお返しを、何らかの物か労働で果たすことになります。その物か労働に代わるものが《お金》であるに過ぎません。
ならば物々交換の大原則である、双方が良いことをしてもらったのだから、お互い感謝の言葉を述べてしかるべきではないでしょうか。
つまり何か物を売ってもらったら、買った方だって「ありがとう」の言葉が出ていいはずです。双方助け合ったのですから。
なぜスーパーやコンビニで「ありがとう」を言わなくなったか。そのわけとして考えられることがあります。
たとえば、近くの魚屋、八百屋さんの場合はそこのご主人(や奥さん)が働いています。いわば、店のオーナーです。この場合はお客さんも「ありがとう」と言うことが多い気がします。顔見知りということもあるでしょう。
一方、スーパーやコンビニの店員はだいたいオーナーではありません。単に《そこで働いている人》に過ぎません。だから、別に感謝の言葉を言う必要はないと思うのかもしれません。
しかし、物を売ってくれた人が誰であれ、心を込めて感謝の言葉を言う時があります。
それは大地震や台風などで流通経路が断たれ、コンビニ・スーパーにほとんど食料品がなくなったときです。店の人がわずかに残ったラーメンやら何やらを売ってくれるとき、私たちは心から「ありがとうございます」と言うはずです。救援隊が食料や飲料水を配給してくれれば、誰もが「ありがとう」と言わずにおれません。
それから終戦直後の話ですが、都市の人々が田舎に買い出しに行ったとき、いくらお金があっても農民は売ってくれなかったそうです。
そのときお米や野菜を売ってくれた人――特に正直に売ってくれた人に対して、都市の人々はお金を渡して「ありがとうございます」と言ったはずです。自分と家族の飢えを救ってくれる人に対して、お金を渡すと同時に感謝の言葉が出たのです。
ところが、いつからか、私たちはお金を払えば「売ってもらうことは当たり前、やってもらうことは当たり前」と思うようになってしまいました。
あるいは「お前は働いてお金を得ている。だから、お前が私のためにその行為をするのは当たり前なんだ。別に感謝の言葉なんか言う必要はないんだ」と思うようになってしまったようです。
このことはまた働く人々をある種の空しさに陥らせたような気がします。つまり、自分が働いているのは、人のためではなく《お金のため》という意識です。お金を稼ぐこと、より多く稼ぐことが働く目的であり、喜びになってしまったような気がします。
そこで《お金を渡して「ありがとう」》運動を提唱したいと思います(^.^)。
私たちはもっともっと「ありがとう」を言うべきだと思います。
スーパーやコンビニで、いろいろなお店で、買い物をしてお金を払うと、店員さんが「ありがとうございます」と言います。食堂やレストランで食事をして精算を終えると、やはり「ありがとうございます。またどうぞ」と言います。
それに対して私たちも「ありがとう(^o^)」とか「ごちそうさま(^o^)」と言おうではありませんか。
まずくて「ごちそうさま」と言う気になれないときもありますが、それでもあえて「ごちそうさまでした」と言おうではありませんか(^_^;)。
あるいは、人が自分のために仕事をやってくれた。それに対しても「ありがとう」の言葉を述べたいと思います。
公務員や駅員さん、郵便局の配達、警察官、先生――その人たちが何か自分や子どものためにやってくれたら、(それが仕事であっても)「ありがとう」と言おうではありませんか。
その一言が働くことにもっとやる気を起こさせると思います。「人のために働いている」という気持ちを思い起こすように思えます。
ぴっかぴかの1年生には《お金を渡して「ありがとう」》運動をぜひ奨励しようではありませんか(^_^)。
○ コンビニやお店で物を買うときの 言いたい言葉「ありがとう」(^_^)
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
後記:実はこの文章は10年ほど前に書いたものです。それまでは私もスーパー・コンビニで「ありがとう」と言ったことがありませんでした(^_^;)。最近やっとまともに言えるようになったので、このエッセーを公にしようと思いました。
スーパー・コンビニ、レストランで親が「ありがとう」と言わないと、小学校1年生も決して「ありがとう」と言いません。この運動をぜひとも広げてほしいなと思う次第です(^_^)。(御影祐)
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