○ たまたまの出会いで言葉交わすとき 相手にとっても悩みの答え
ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」 2010年 5月 28日(金)第 122号
以前「日帰りミニ旅の偶然」(第96号)にご登場いただいた温泉旅仲間のA氏(^_^)。
そのとき詠んだ狂短歌は《日帰りの小さな旅もまか不思議 たまたま出会う悩みの答え》だった。
A氏と二人で温泉に出かけると、妙に面白い偶然に出会うことがあり、それをメルマガに書いた。
そのころA氏は六十代半ばになって歩けなくなった悩みを抱えていた。そのA氏に対して、たまたま温泉で出会った人が重いポリタンク抱えて温泉地を歩き回る六十代の男性であり、80キロ強歩大会に参加する猛烈強歩おじさんだった。A氏にとっては素晴らしい先達二人だったのだ。
私はその出会いをメルマガに書き、A氏も「あれが悩みの答えだったのか」と感じ入ったように見えた(^_^)。
それから二年たって最近のA氏は散歩やスロージョギングで毎日一時間から二時間くらい、とてもよく歩くようになった。あの出会いと私のメルマガゆえと言いたいところだが、どうもそうではなさそうだ。彼がよく歩くようになったのはここ数ヶ月のことだからだ(^.^)。しかしまー、よく歩くようになったことは喜ばしいことである。
そのA氏と先日一泊で群馬県の四万(しま)温泉に出かけた。
そしてまたまた面白い出会いがあった。本日はそれを紹介したいと思う(^_^)。
実は最近A氏はある事故を起こし、またちょっとした悩みを抱えている。ところが、今回の出会いによって、A氏の悩み(か私の悩み)に対する答えは思いつけなかった。
それでもメルマガに書こうと思ったのは別の理由からだ……。
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(^_^)本日の狂短歌(^_^)
○ たまたまの出会いで言葉交わすとき 相手にとっても悩みの答え
先日A氏と群馬県四万温泉に出かけた。泊まったSという和風旅館は明治時代創建で、とても古めかしい建物だった。温泉は古いのから新しいのもあっていい風情だったが、本館、新館、別館と三度増改築されたらしく、内部はまるで迷路だった(^.^)。
ここで夕食の世話をしてくれた研修生の女の子がなかなか面白かった。
最初配膳に来たのは年増の女中さんで「この後は研修生がお世話します」と言って下がった。
その後現れた研修生が「鄙(ひな)にはまれな」と言っては失礼だが、とてもあか抜けしたお嬢さんである(^_^)。
今年三月高校を卒業した新米というので「近くの人?」と聞くと、なんと「鹿児島から来ました」と言う。
なんでわざわざ群馬の山奥までと思って、私もA氏もちょっと驚いた。
子細を聞くと霧島のある大きなホテルの新入社員三十数名が、全国の(たぶん提携?)ホテルや旅館に研修生として派遣されているとのこと。しかも研修期間は一年の長さ。その旅館には五名が来ていると語った。初めて聞く長期研修の実態だ。
ならばと私は彼女にメニューにあった「強肴」の読みを尋ねたり「座附き」の意味を聞いたりした。元教員の試験癖である(^.^)。
もっとも強肴は焼き魚とわかったが、ほんとに読めなかったからだし、「向こう附け」の前にある「座附き」はオードブルとわかったが、意味がわからなかったからだ。
彼女は最初の問いに対しては、すぐに「しいざかな」と答えた。だが、「座附き」の意味は答えられなかった。
その後料理長に聞いたのだろう、次に来たとき「座附きとは普通は先付けと言われている料理で、お通しのことです」と答えた。
私は「なるほどよくわかりました」と応じて「いい勉強になりましたね」と言った。
彼女は笑顔で「はい」と答えた。とても初々しい感じで、その初々しさを長く持ち続けてほしいものだと思った(^_^)。
私は「ホテルと言えば洋風でしょう。こちらは純和風旅館だからずいぶん違うね。あるいは、もてなしの心は同じということを学ばせたいのかな」と言った。
それは何気なく語った言葉だが、彼女にとって一つの答えになっていたのかもしれない(と後で思った)。
そもそも地元のホテルに入社したのに、一年間も全く別のホテル・旅館で研修――働かされる。しかも、彼女がやって来たのは純和風旅館だ。「どうしてこんなところに派遣されたのか」と疑問に思って不思議ではない。
私は軽く「おもてなしの心はホテルも旅館も同じだから」と言った。それは彼女にとって「どうしてこんなところに」の答えとなっているではないか。
私の何気ない言葉が彼女にとって「悩みの答えとなっていたかもしれない」と考えたのは翌朝こんなことがあったからだ。
朝の九時頃私たちは精算を終え宿を出ると車に向かった。小雨が降り始めていた。
すると彼女と指導役の年増女中さんが私たちをわざわざ見送ってくれたのだ。傘も差さずに。
そのときA氏は「そういうことをしなくちゃな」とそれが旅館の慣習だろうと言う感じで感想を述べた。だが、私は違うのではないかと思った。
確かに団体客ならそういう見送りをするところもある。だが、個人客に対してはとても少ない。私はあのような見送りに出たのは彼女の意志ではないかと思った。
と言うのは、見送りのタイミングがずれていたからだ。
私たちは精算を済ませると車に乗った。しかし、エンジンをかけてもすぐに出発しなかった。まずナビを設定しようとしたからだ。
ところが、うまく設定できず数分間車内でナビ画面に向かっていろいろやっていた。
そうしたら、彼女と指導係の年増女中さんが見送りにやってきたのだ(^_^)。
もし私たちがすぐに出発していたら、彼女らは見送りに間に合わなかったことになる。だから、あの旅館では個人客に対して女中さんが客を見送る習慣はないと見る。
そもそも迷路のような旅館では女中さんがどこにいるかわからない。彼女らは前夜自分が接待した客が何時頃旅館を出るか知る術はないし、知らせる習慣もないだろう。
ではなぜ彼女と年増女中さんは私たちが出発する時間を知ったのだろうか。
私が支払いをするとき、たまたまあの年増女中さんがフロントに来た。そして精算はフロント係の男性がした。私にはその後交わされた年増女中さんと彼女の会話が目に見えるような気がする。
たとえば、年増女中さんがあの子がいる所に行って「昨日のお客さんが帰るよ」と言う。
彼女は前夜「とてもいいお客さんたちでいろいろ話してくれたし、がんばれって言ってくれた」と話していただろう。それは私が「もてなしの心はホテルでも旅館でも同じだからね」と言ったからだし、A氏も激励の言葉をかけたからだ。
おそらく彼女は思い悩んでいた答えを得た嬉しさを、その言葉か別の言葉で年増女中さんに語ったのではないだろうか。だから「あのお客さんたちが帰るよ」と聞いて「見送りに行っていいですか」と聞いたのだ。
年増女中さんは「いいよ」と答えて二人でやって来た。だから、小雨ぱらつく中傘も差さずに私たちの車の所までやって来た――と私は推理した(^_^)。
たまたまによって疑問の答えを得ることはかくも嬉しいことだとわかる。彼女はさらに一生懸命働こうと思ったことだろう。
以前A氏が温泉でたまたま出会った人から悩みの答えを得たことを書いた。それはこちら側について書いただけだ。だが、実は偶然の出会いでなんらかの答えを得るのは相互関係なのだと思う。
つまり、こちらが悩みの答えに気づくなら、向こうだって同じように何らかの答えを得ているということだ。ここではもう詳しく書かないが、ポリタンク抱えた温泉おじさんも猛烈強歩おじさんも、私たちと出会って言葉を交わしたことで、何らかの答えを得ていたと思う。
実は今回とても珍しい研修生と出会ったことは、私とA氏にとってどのような意味(や答え)があるのか、思いつけなかった。
だが、相手に関しては「ああ彼女にとってたまたまのお客さんから悩みの答えを得られて嬉しかったんだな」ということを推測できた。だからこそ彼女はわざわざ見送りに来たのだろう。
このようなわけでメルマガにして紹介してみようと思ったのである(^_^)。
○ たまたまの出会いで言葉交わすとき 相手にとっても悩みの答え
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
後記:私は彼女にあのように言ったけれど、ホテル経営者の真意はどこにあるか、と思ってとても興味深かった。彼女は一年間でさらに彼女自身の答えを見つけることができるかどうか。一生懸命さが初々しく、陰ながら応援したい気持ちになった。もう一言「がむしゃらに働くことで、あなたなりの答えが見つけられますよ」と言いたかったところだ。
いま思うと、彼女が私とA氏に教えようとしたのは、あの《初々しさ》だったのかもしれない。近年我々が忘れつつある、薄れつつある初々しさだからだ(^_^;)。(御影祐)
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